反撃の狼煙
部下たちが次々と地獄の罠に呑み込まれ、悲鳴すら上げられずに無力化されていく様を、頭領の男はただ呆然と見つめていました。
「ば、化け物……っ!」
ただの老いぼれどもだと侮り、力押しで蹂躙できるはずだった村は、一歩踏み入れれば命を刈り取られる最悪の要塞へと変貌していました。
泡を食った頭領は、腰を抜かしそうになる足に無理やり鞭を打ち、馬にも乗らずに一人で脱兎のごとく村の入り口から逃げ出していきます。
(ミコトさん! 頭領が逃げます!)
(慌てるな。あんな小物をここで捕まえても、根本的な解決にはならない。逃げられるとでも思っているのか?)
私の脳内で、ミコトさんは酷薄な笑みを浮かべました。
(『星屑の目』展開)
その思考と共に、微小な魔力の粒が夜風に乗り、必死で街道を走る頭領の背中へと音もなく付着します。これで、奴がどこへ逃げ込もうと、確実にアジトの場所を特定できます。
「お、お貴族様……! あいつ、逃げちまいましただ!」
「安心してください。あの男の行き先は完全に把握しています。……私はこれから、少し『仕上げ』をしてきますね」
震える村人たちにそう言い残すと、ミコトさんは素早く私の体を動かしました。
(クーリア、夜間迷彩モードに移行する。『星霜の蒼』の色を極限まで夜の闇に同化させろ)
(はい、ミコトさん!)
私の魔力に応じ、美しかったドレスの青が、深い夜の闇に溶け込むような漆黒へと一瞬で染まり上がります。
そして、ミコトさんが音もなく飛行魔法を展開すると、私の体はふわりと宙に浮き上がり、暗い夜空へと滑り出しました。
獲物を追うその静かで冷酷な姿は、まさに夜の王――『ミミズク』そのものでした。
『星屑の目』が示す光を頼りに、音もなく夜の森を抜け、私たちは野盗たちの拠点へと辿り着きました。
息も絶え絶えに逃げ帰ってきた頭領は、見張りの部下から「頭、どうしたんで……?」と心配そうに声を掛けられるも、恐怖で血走った目で「うるせぇ!」と怒鳴り散らしていました。
「今夜だ! 今夜中にこの拠点を捨てる! 荷物をまとめろ、別の場所へ移動するぞ!」
あまりに突然の宣言に、残っていた部下たちは一瞬顔を見合わせて狼狽えました。けれど、この野盗団において頭領の指示は絶対のようです。彼らは訳が分からないまま了承し、慌ただしく撤収作業を始めました。
「ったくよぉ、なんだってんだ急に……あの村に行った奴にゃ、まだ貸しがあったってのによぉ……」
「ブツブツ言ってねぇで手ぇ動かせ! 置いてかれるぞ!」
出発組の仲間に文句をこぼしながらも、彼らの手際は見事なものでした。長年こうして悪事を働き、逃げ延びてきた証拠でしょう。
(……なるほど、逃げ足の早さと撤収作業の効率だけは一人前だな。だが、少し遅かった)
(ミコトさん。あの子の村をあんなにした人たち、絶対に逃がしませんよ)
私たちは夜の闇に完全に溶け込んでいた迷彩を少しだけ解き、月明かりの差し込むアジトの入り口へと、ふわりと音もなく舞い降りました。
「今晩は、皆さん。今夜は良い夜ですね」
血生臭い野盗のアジトには全く場違いな、森に響く小鳥のような澄んだ、涼しげな声。
私の口から紡がれたその声に、荷造りをしていた男たちがギョッとしていっせいにこちらを振り返りました。
普段の空のような鮮やかな青とは少し色合いが異なる、深い夜色に染まった『星霜の蒼』のドレス姿。
その美しくも静かな佇まいを目の当たりにした瞬間――頭領の男は、まるで本物の死神でも見たかのように顔面を蒼白にし、腰を抜かしてその場にへたり込みました。
「ひぃっ……! ば、化け物……! お前ら、そいつを殺せ! 殺さねえと俺たちが殺されるぞ!」
腰を抜かした頭領が悲鳴を上げると、訳が分かっていない部下たちが慌てて武器を構えました。
(ふむ、ここで必要な一手は精神干渉の魔法か……流石に生活魔法には無いな。仕方ない、詠唱魔法を使うか)
ミコトさんの冷静な思考が脳内に響きます。どうやら、今回は物理的な攻撃ではなく、彼らの心そのものをへし折るつもりのようです。
私はミコトさんの意図を汲み取り、すっと目を閉じて、静かに、けれど辺り一帯に響き渡る声で詠唱を始めました。
「《この地に眠る無念の意志よ、我が力の及ぶ限りにおいて、その姿、今一度顕現せよ! 幻影!》」
(……なるほど。詠唱魔法っていうのも、たまにはロマンがあっていいな……)
私の脳内では、ミコトさんが完全に場違いな、どこかワクワクしたような感想を漏らしていました。
過去の幻影に取り囲まれた野盗たちは、悲鳴を上げながらそれぞれの方法でその闇を振り払おうと暴れ始めました。
私の言葉に呼応するように、夜の森の空気が一気に冷たくなりました。
足元の地面から、黒いモヤのような影が次々と立ち上っていきます。それは次第に形を変え、徐々に『人の形』――これまで彼らが無惨に奪い、虐げてきた人々の怨念を具現化したような姿へと変わっていきました。
「な、なんだこれは……!?」
「ひぃぃっ! こ、こいつら、この前俺たちが手をかけた……!」
武器を構えていた野盗たちが、次々と這い出てくる無数の影に取り囲まれ、恐怖に顔を引きつらせて後ずさります。
そんなパニックに陥るアジトは一気に惨劇の舞台へとその様相を変えます。
「くそっ、来るな! 俺に近づくなァ!」
「ぎゃああっ! やめろ、許してくれ……!」
完全にパニック状態に陥った彼らは、無我夢中で手元の武器をデタラメに振り回します。けれど、幻影に物理的な刃など通じるはずがありません。
彼らがその武器で切り裂き、突き刺したのは、怨念の影ではなく――隣で同じように怯え、暴れていた『仲間』の肉体でした。
「あ、がっ……!? てめぇ、何しやがる!」
「ち、違う! 俺はただ、こいつらを……ひぃぃっ!?」
暗闇と恐怖に呑まれた彼らは、自分たちが同士討ちをしていることにすら気付いていません。虚空に向かって武器を振り下ろすたびに血飛沫が舞い、怒号が断末魔へと変わっていきます。
私は、そんな阿鼻叫喚の惨劇をただ静かに見つめていました。
唇に浮かべているのは、冷徹な……或いは、これ以上ないほどに可愛らしく、無垢な微笑み。
(……これは、村の人たちには絶対に見せられない光景ですね)
(ああ。だが、自業自得だ。自分たちの罪の重さに耐えきれず自滅していくんだからな。俺たちが手を下すまでもない、実に効率的な結末だ)
目の前で血みどろの殺し合いが繰り広げられていても、私の涼しげな笑顔は微塵も崩れませんでした。
やがて、狂乱の宴が終わり。
血の匂いだけが立ち込めるアジトに、不気味なほどの静寂が訪れました。
動かなくなった部下たちの転がる血の海の中で、ただ一人――
「ひっ、ひぐっ、あ、あああ……」
頭領だけが、腰を抜かしたままガタガタと震えて生き残っていました。
実は彼だけは、レーネ大河の船を襲う計画の『情報提供者』として利用するため、ミコトさんが密かに幻影の対象から外して、意図的に保護(という名の生殺し)をしていたのです。
血の海と化し、不気味なほどの静寂が落ちたアジト。私はゆっくりと、腰を抜かして震える頭領の元へと歩み寄りました。
深い夜色に染まった『星霜の蒼』の裾が、倒れた野盗たちの血に触れることもなく、ただふわりと宙を揺れます。
私は彼を見下ろし、この上なく優しく、愛らしい微笑みを浮かべたまま口を開きました。
「教えてくれませんか? 実はあなた達以外にも、あの村から略奪を繰り返す集団が居ると聞いたもので」
「ひ、ひぃっ……!」
私の涼しげで透き通るような声に、頭領はビクッと肩を跳ねさせました。恐怖で顔をぐしゃぐしゃに歪め、なんとか後ずさろうとしますが、足に全く力が入らないのか、無様にも地面を這いずるだけです。
そんな彼の姿を静かに見つめたまま、私はゆっくりと、温度のない声で言葉を続けました。
「……ああ、先に言っておきますが、友好的なのはここまでですよ?」
(……完璧な交渉だな、クーリア。相手の恐怖心が頂点に達している今なら、どんな情報でも洗いざらい吐き出すだろう)
私の脳内で、ミコトさんがひどく満足げな声を上げました。
頭領はガチガチと歯を鳴らし、目の前で微笑む『美しい死神』から逃れる術が何一つないことを悟り、完全に絶望の底へと突き落とされていました。
「お、俺が悪かった! 金なら出す! アジトの隠し財産も全部やる! だから、どうか命だけは助けてくれぇっ!」
哀れなまでに命乞いをし、地面に額を擦り付けて無様な言い訳を並べ立てる頭領。
あの子が流した涙や、村の人たちが味わった絶望には一切触れず、ただ自分の保身しか頭にないその姿を見た瞬間――私の内側で、何かがプツンと弾けました。
「……は?」
涼しげな微笑みも、夜の王としての優雅な振る舞いも、全てが消し飛びました。
気づけば私は、命乞いを続ける頭領の胸ぐらを両手でむんずと掴み上げ、その醜い顔面に向かって思いきり右拳を振り抜いていました。
「ぐべぁっ!?」
「そんな事(お前の命)より、もっと大事なものがあるでしょうがッ!!」
「あぐっ!? ごふっ、お、お貴族様……っ!?」
夜色の可憐なドレスの裾を翻し、私は倒れ込んだ男の鳩尾に容赦なく蹴りを叩き込みます。カエルが潰れたような呻き声を上げてうずくまる頭領の背中を、今度は力任せに何度も踏みつけました。
「痛いっ! あば、あばらが……!」
「あの子がどんな思いで泣いていたか! お爺さんたちがどれだけ絶望していたか! 自分たちだけ助かろうなんて、絶対に許しません!」
ドゴッ! メキッ! と、血塗られたアジトに、およそ貴族の令嬢には似つかわしくない、鈍く生々しい打撃音が連続して響き渡ります。
顔面を殴り飛ばし、這いつくばろうとする後頭部を大地に擦り付け、逃げようとする足を蹴り折らんばかりの勢いで追撃する。彼らが他人の尊厳を平気で踏みにじってきたことを思えば、怒りで視界が真っ赤に染まり、どうしても手と足を止めることができませんでした。
(……ほう。重心の移動が完璧だな。無意識に魔素で身体強化まで行っている。やはりクーリアは、自分でも気付かないうちに欲求不満を溜め込みすぎていたか……)
私の脳内では、ミコトさんがひどく冷静な、むしろ感心したような声で私の暴走を見守っていました。怒りで我を忘れて物理的な暴行に走る私を止めるどころか、良い鬱憤晴らしになるとでも思っているようです。
「ひぃぃぃっ! は、話す! 全部話すからぁっ! もう蹴らないでくれぇっ!!」
ボロボロになった頭領の泣き叫ぶ声が、夜の森に虚しく響いていきました。
「あっはは! 歯なんて何本か無くても大丈夫ですよね。蹴りやすい場所に頭持ってきてくれてありがとうございます! ここからロングシュートでゴール狙いますよぉ!」
「ひぎぃっ!? や、やめ……っ!」
私は満面の笑みを浮かべたまま、うずくまる頭領の頭部めがけて、容赦なく右足を大きく振りかぶりました。
その瞬間、今まで私の暴走を静観していたミコトさんが、かつてないほどの焦りを見せて脳内で叫びました。
(おい待てクーリア! どこでそんな現代の球技の概念を覚えた!? いや、それよりも頭を蹴り飛ばしたら情報が聞き出せなくなるだろ!!)
(だーいじょうぶですよぉ! 回復魔法をかけながら蹴れば死にませんからぁ!)
(そういう問題じゃない! 尋問の前に脳みそがシェイクされて言語機能がイカれるぞ! いいから一旦落ち着け!)
ミコトさんが慌てて体の主導権に介入し、振り抜かれる寸前だった私の右足は、頭領の鼻先数ミリのところでピタリと強制停止させられました。
風圧だけで顔面を撫でられ、死の恐怖に直面した頭領は、ついに白目を剥いて口から泡を吹き始めます。
(……なぁーんで止めるんですかぁ……。邪魔な石ころを蹴っ飛ばして歩きやすくするだけじゃないですかぁ?)
(……お前の考えには一定の理解を示そう。だが、コイツはまだそこらの石ころではない)
ミコトさんはひどく冷静な、けれどどこか疲労の滲む声で言葉を続けました。
(コイツの脳内には、俺たちの船旅を脅かす計画の詳細と、あの村を食い物にしている他の盗賊団の情報が詰まっている。それを全て吐き出させるまでは、壊すわけにはいかない)
(むぅ……。じゃあ、全部喋らせたら、蹴り飛ばしてもいいんですか?)
(……まあ、その時は好きにしろ。自ら処理してくれるなら俺の手間も省けるからな)
ミコトさんから条件付きの許可(?)を貰えたので、私はパッと表情を明るくしました。
そして、白目を剥いて痙攣している頭領の髪の毛を無造作に鷲掴みにすると、にっこりと極上の笑顔を浮かべて無理やり顔を上げさせます。
「と、いうわけです。あなたがただの『石ころ』にならないための、とっておきの情報を教えていただけますか?」
「ひ、ひぃぃぃっ! い、言います! 全部、全部言いますからぁ!」
完全に精神の均衡が崩壊した頭領は、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、狂ったように首を縦に振りました。
「あ、あの村を狙ってるのは俺たちだけじゃねえ! 他の盗賊団とも裏で情報が回ってて……それに、大河の船を襲う計画も、俺たちの発案じゃねえんです!」
涙と鼻水にまみれながら叫ぶ頭領の言葉に、私は思わず首を傾げました。
(ミコトさん。この人、自分の命を惜しむあまり、適当な作り話をでっち上げている可能性はありませんか?)
(ああ。恐怖による錯乱状態だ。過度なストレス下では、脳が生存を優先して虚偽の情報を捏造ることがある。それに、このパニック状態の口調では、情報としての正確性が著しく低い)
ただ怯えきって喚き散らすだけの頭領を見て、ミコトさんは冷静に状況を分析しました。
恐怖で心を完全に折るまでは良かったものの、これではまともな尋問になりません。
(仕方ない。生活魔法に精神を直接いじる術式はないからな。神聖魔法を使う。少し体の主導権を借りるぞ)
ミコトさんがすっと意識の表層に上がってくると、私の唇が、彼自身の意思でゆっくりと開かれました。
詠唱の文言に決まりはない。だからこそ、ミコトさんが事象を定義し、魔素を効率的に編み上げるために選んだ言葉は――極めて論理的で、文字数とリズムが完璧に計算されたものでした。
「《うら若き 乙女に宿る 蜜の香は 春風に舞う 泡沫の夢》――魅了!」
まるで計算し尽くされた短歌のような、雅で美しい詠唱が夜の森に響き渡ります。
直後、淡い桃色の魔力が私を中心に広がり、泡を吹いていた頭領の体をふわりと包み込みました。
すると、さっきまで狂乱状態だった頭領の瞳から恐怖の色がスッと消え去り、代わりにトロンとした、夢見るようなだらしない光が宿りました。
(……ふむ。即興の割にはに思ったよりイメージに合うようだ。、精神干渉の定着率が著しく向上するな。事後の記憶まで奪う事が出来るのは悪くないアプローチだ)
私の脳内で、ミコトさんがどこか満足げに自分の短歌詠唱を自己評価しています。
(ミコトさん……なんだかすごく、おじいちゃんみたいな詠唱ですね)
(やかましい。言葉の最適化を追求した結果だ)
呆れる私をよそに、ミコトさんは焦点の定まらない頭領を見下ろし、甘く、けれど絶対の命令を孕んだ声で問いかけました。




