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搾取の果て

(…………は?)


 私の脳内で、ミコトさんの思考が完全にフリーズする音が聞こえました。


(おい、クーリア、さっさとソイツを店につれて行くぞ。どの道荒事は避けられなさそうだし、ガキが居ても邪魔なだけだ)(了解です。急いでグリランドールに戻りましょう!)

(ああ。胃に響かない程度に、風の魔法(追い風)で加速する。舌を噛まないように気をつけろよ)


 私は子供の手をしっかりと握り直しました。


「ねえ、少しだけ急ぐから、しっかり掴まっててね」

「え? あ、わっ……!?」


 ミコトさんが私たちの背後に微弱な、けれど極めて効率的(ロジカル)にベクトルを計算された風を生み出します。

 まるで背中を見えないクッションで押されているような不思議な感覚と共に、私たちは来た道を凄まじい速度で逆戻りし始めました。


 ――そして、数十分後。


「……という訳で、店主。この子を少しの間、ここで預かってもらえないか」


 息も切らさずに『銀の星屑亭』の扉を開け、手短に事情を説明した私に、カウンターを拭いていた店主さんは目を丸くしていました。


「おいおい、嬢ちゃん。出立したと思ったら即トンボ返りしてきて、今度は訳ありの迷子を拾ってきたってのか?」

「ああ。飯と寝床、それに簡単な皿洗いでも何でもいいから仕事を与えてやってくれ。路銀の足しにと回収した特許料から、当面の生活費(コスト)は前払いで置いていく」


 ミコトさんがそう言ってカウンターに硬貨を置くと、店主さんは少し困ったように頭を掻きました。


「金の問題じゃねえよ。ただ、うちみたいな荒っぽい冒険者が出入りする酒場に、こんな小せぇガキを置くのはどうなんだ?」

「そこらのスラムや人攫いの手に落ちるよりは、よっぽど安全で情操教育にいいはずだ。それに……」


 ミコトさんは少しだけ声のトーンを落とし、カウンターの奥――店主さんの亡くなったカミさんが、かつてよく立っていたという厨房の方へ視線を向けました。


「あんたの所のカミさんなら、こういう行き場のない子供を放っておくような真似はしないだろう?」


 その言葉に、店主さんは小さく息を呑み、そして、どこか懐かしむような、優しい顔でふっと笑いました。

「……はぁ。そこまで言うなら仕方ねえ。おいチビ、ここで働くなら泣き言は許さねえぞ。しっかり賄い食わせてやるからな」

「あ……はいっ! ありがとうございます……!」


 子供が深く頭を下げるのを見て、私は心底ホッと胸を撫で下ろしました。

 これで、この子の安全は完全に確保されました。


(……よし、引継ぎ(タスク)完了だ。クーリア、行くぞ)

(はい! 今度こそ西のレーネ大河へ出発ですね!)

(あそこを通る定期船が沈められたら、俺たちの西への交通手段(ルート)が絶たれる。……まったく、どこの馬の骨とも知らん野盗共め。俺の優雅な船旅プランに泥を塗った罪は重いぞ)


 ミコトさんの声には、先ほどの胃もたれの疲労を完全に吹き飛ばすほどの、静かで冷たい怒りがこもっていました。

 銀の星屑亭にあの子供を預け、私たちは改めて西の門から街道へと踏み出しました。

 先ほどまでの胃もたれもすっかり落ち着き、足取りは軽いはずなのですが……私の心には、どうにも拭いきれないモヤモヤが残っていました。


(ミコトさん。あの子、どうして奴隷商人なんかに売られてしまったんでしょうか……?)

(……さあな。貧しい村での口減らし、あるいは親の借金のカタか。この世界じゃ珍しいことじゃないだろう)


 ミコトさんの言葉は冷たいですが、事実なのだと思います。私自身がそうだったように。

 でも、あの子がぽつりとこぼした『帰る家は、無い』という言葉の響きが、ただの口減らしとは違うような気がしてならなかったのです。


(ミコトさん。あの子から聞いた村、ここからそう遠くないはずです。少しだけ、立ち寄ってみてはくれませんか?)

(おいおい、正気かクーリア。俺たちはただでさえ予定が遅れてるんだぞ? これ以上の寄り道(タイムロス)は……)

(お願いします! もし、あの子の村が何かの事件に巻き込まれていたんだとしたら、船を狙っている野盗たちとも無関係じゃないかもしれません)


 私が必死に食い下がると、脳内でミコトさんが小さく舌打ちをする気配がしました。


(……はぁ、分かったよ。確かに、船を襲うような大規模な野盗団が近くにいるなら、その村が拠点や標的にされている可能性(リスク)は高い。情報収集の一環(タスク)としてなら、立ち寄る価値はあるだろう)

(ありがとうございます、ミコトさん!)


 相変わらず理屈をこねていますが、結局私の我儘を聞いてくれるミコトさんに感謝しつつ、私たちは街道を少し外れ、あの子が教えてくれた村へと向かいました。

 ――しかし、そこにあったのは、私の想像を絶する光景でした。


「これは……」


 村の入り口を囲んでいたはずの木の柵は無惨に打ち壊され、あちこちの家屋には焼け焦げた跡が黒々と残っています。

 風に乗って漂ってくるのは、焦げた木材と、うっすらとした血の匂い。

 広場のような場所には数人の村人たちが集まっていましたが、誰もがボロボロの服をまとい、土気色の顔で地面を見つめています。その目には、明日を生きる気力すら失ってしまったような、深い暗い色が宿っていました。


(……ひどい有様だな。典型的な略奪の跡だ。しかも、一度や二度じゃない。継続的に搾取されている痕跡(ダメージ)がある)

(そんな……。だから、あの子は村にいられなくなって……)


 胸が締め付けられるような光景に、私は思わず立ちすくんでしまいました。


(とにかく、話を聞けそうな相手を探そう。村の代表が無事なら良いんだが……)


 私は荒れ果てた家屋の瓦礫を避けながらの村の中へと入っていきます。

 畑はありますが見るからに作物は無く、これでは備蓄どころか明日をも知れぬ生活でしょう。


(……そう言えば、子供達の姿が見えませんね。もしかすると売られたのはあの子だけじゃなかったのかも……)

(若い連中は全員連れ去られた後、か。残っているのは労働力にならない老人だけ。これは早いところ何とかしないとこの村は終わりだ)

(……そうですね。まずは誰かにお話を……あ、あそこに人が)


 崩れかけた小屋の陰で、うずくまるように座っていたお爺さんと目が合いました。

 私が近づこうとすると、お爺さんは怯えたように体をこわばらせ、深く頭を地面にすりつけました。


「ひぃっ……! お、お許しくだせえ、お貴族様……! もう、この村には何も残っちゃいねえんです……。食い物も、金になりそうな若けぇもんも、全部あの野盗どもに持っていかれちまって……!」

「お、お貴族様じゃありません! 顔を上げてください!」


 私の格好――汚れ一つない『星霜の蒼』(プラネ)を見て、どこかの貴族か悪徳商人の手先だと勘違いしたのでしょう。

 私は慌ててお爺さんの傍にしゃがみ込み、そのしわくちゃで震える手を握りました。


「私はクレアハート。通りすがりの旅人です。……さっき、街道でこの村から売られたという小さな男の子を助けました。あの子なら、今は安全な街で保護してもらっています」

「なっ……! 本当でごぜえますか!? あのチビが、無事に……!」


 お爺さんの窪んだ目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちました。


「はい。だから、教えてくれませんか? この村で、いったい何があったのか。あの子を攫った野盗たちは、どこにいるのか」


(……野盗どもに持っていかれた、と言っていたな。どうやらあのクソガキを連れていた商人も、ただの買い手じゃなく、野盗とグルか、あるいはそのおこぼれに預かるハイエナ野郎だったってわけだ)

(ミコトさん……。許せません。自分たちの利益のために、村をこんなにして……!)

(ああ。経済活動(ビジネス)の風上にも置けない外道どもだ。徹底的に駆除(クリーンアップ)してやる必要があるな)


 ミコトさんの冷たく研ぎ澄まされた怒りが、私の胸の奥で静かに、けれど激しく燃え上がるのを感じながら、私はお爺さんの言葉に耳を傾けました。


「……この村は、決して裕福というわけではごぜえませんでしたがね」


 お爺さんは震える手で膝をさすりながら、ぽつりぽつりと語り始めました。


「畑を耕し、家畜を育てて……たまに来る行商人たちと、物々交換や硬貨で取引をして。それなりに余裕を持って、平穏に暮らしておりました」

「行商人、ですか」


 私が静かに相槌を打つと、お爺さんは重く頷きました。


「ええ。ですがある日、いつもの商人たちに混じって、『人買い』が村へやってきたんです」


 人買い。その言葉に、私は思わず息を呑みました。


(……おいクーリア。人身売買なんてものが、普通の商人に混じって堂々とやって来るのか? いくらなんでも常識を疑うぞ)


 ミコトさんが脳内で顔をしかめるのが分かります。


(ミコトさんの常識だとありえないかもしれませんが……人の売り買いそのものは、この世界では合法的だったりするんです。親を亡くした孤児を、子供に恵まれないご夫婦がお金を出して引き取ったりとか……そういう需要もありますから)

(なるほどな。孤児院や福祉の仕組みが未発達な分、金銭のやり取りで保護を代行する建前があるわけか)

(はい。もちろん、最初から過酷な労働力にしたり、愛玩目的にしたりする奴隷契約は明確な違法ですけど……)


 私たちが脳内で素早く情報をすり合わせている間にも、お爺さんは悔しそうに地面を叩きました。


「村長は、きっぱりと断りました。村は食い詰めているわけでもねえし、大事な若い衆を売り飛ばす理由なんてどこにもねえ、と……」

「当然の判断ですね。それで、その人買いは引き下がったんですか?」


 私が尋ねると、お爺さんの顔に再び深い絶望の色が浮かびました。


「その時は、商人はあっさりと引き下がったんです。ですが……」


 お爺さんの声が、悔しさに震え始めました。


「数日後から、夜な夜な畑が荒らされるようになりました。せっかく育てた作物は踏みにじられ、家畜は奪われ……ついには、子供たちまで攫われるようになってしまったんです」


(……見せしめと、嫌がらせによる兵糧攻めか。村の抵抗する気力を削いでから奪う、悪辣な手口だな)

(ひどすぎます……。じゃあ、さっきの男の子も、そうやって攫われたうちの一人だったんですね)


「しかも、襲ってきたのはあの商人のお抱えの者だけじゃありませんでした」


 お爺さんはぎゅっと目を閉じ、力なく首を横に振ります。


「盗賊どもの間で、この村が『都合の良いカモ』だと情報が回っちまったんでしょうな……。次から次へと、別の盗賊団までもが村を狙うようになったんです。毎日のように誰かが襲ってくる恐怖に、村人は怯えきっちまいました」


(……悪党同士の情報の横の繋がり、か。複数の組織から集中的に狙われれば、自警団もないような村じゃひとたまりもないな)


「耐えきれなくなった若え衆や、歩ける者たちは、みんな村を捨てて逃げ出しました。今残っているのは、わしらみたいにこの土地に未練がある者か、逃げる体力すら残っていねえ者だけです……」


 ぐるりと周囲を見渡せば、確かに生きる気力を失ったようなお年寄りの姿ばかりです。

 帰る場所を奪われ、大切な家族を奪われ、ただ絶望の中で座り込んでいる。その姿を見ていると、私の胸の奥がギリギリと締め付けられました。


(ミコトさん……。私、このまま見過ごせません。あの野盗たち、絶対にこのままにしちゃいけません……!)

(ああ、言われるまでもない。複数の盗賊団が寄生しているってことは、そいつらを束ねる中核か、情報を流している元凶がいるはずだ。……それに、俺たちの船旅を邪魔しようとしている連中も、そのネットワークの中にいる可能性が高い)


 ミコトさんの声には、いつもの冷たい効率主義の裏に、静かで確かな怒りが宿っていました。

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