颯爽ととんぼ返り
学園都市グリランドールの西門。
いつもなら颯爽と歩くはずの私たちですが、今日に限ってはひどく足取りが重く、どうしても若干前かがみになってしまいます。
(……ようやく、胃壁の防衛戦が終了したようだな。クーリア、生体反応の異常はないか)
(ミコトさん……もう当分、お肉も、大盛りも、ついでにリンゴ味もいいです……。お腹は凹みましたけど、なんだか心まで削られた気分です……)
(ふん、これも全ては生態系を見据えた栄養摂取の実験だ。……おい、星霜の蒼のウエスト拡張機能はもう元に戻していいぞ。これ以上緩めていると、ただの食べ過ぎた子供に見える)
ミコトさんの冷徹な、でもどこか言い訳めいた指示に合わせて、星霜の蒼がスルスルと元のシルエットへと収束していきます。
エミリオ先生が言うには、このまま西の主要街道をひたすら進めば、やがて対岸も見えないほど大きな『レーネ大河』にぶつかるそうです。そこから定期船に乗れば、ツェルスバニア湖までの優雅な水上の旅が待っている……はずなのです。
(とりあえず、この腹の重さが完全に抜けるまでは、戦闘は避けたいところだな。効率が悪すぎる)
(そうですね。今日はのんびり、お散歩気分で歩きましょうよ。お天気もいいですし)
私たちは這々の体で学園都市を後にし、レーネ大河へと続く西の街道を歩き始めました。
けれど、そんな私たちのささやかな休息の願いが、このバグだらけの世界であっさりと叶うはずもなく――。
グリランドールの外壁が見えなくなってきた頃、街道に全く不似合いな子供が居ました。
それはまるで、昔の私を見ているようで……。
(待て、クーリア。主要街道とはいえ、こんな所に子供が単独でいるのは不自然だ。盗賊の罠や魔物の擬態の可能性もある。接触はリスクが高いぞ)
(頭ではわかっています。でも、もしあの子が昔の私と同じなら……見捨てるなんて絶対にできません)
(……はぁ、わかったよ。お前のそういうお人好しなところは計算内だ。だが、警戒は怠るな。何かあれば即座に俺が魔法を展開する)
(ミコトさん、声をかけるくらいなら良いですよね?)
(止めてもどうせやるんだろう? 好きにしろ)
ミコトさんの呆れたような、でもどこか優しい許しをもらって、私はゆっくりとその子供に近づきました。
歳は、十歳かそこらでしょうか。すり切れた粗末な服に、泥と埃にまみれた細い手足。街道の端っこで膝を抱えてうずくまるその姿は、村から売られて絶望していたあの日の自分と重なって、胸の奥がチクリと痛みます。
「……こんにちは。どうしたの、こんなところで一人?」
なるべく警戒されないよう、しゃがみ込んで目線を合わせ、優しく声をかけます。
けれど、ビクッ!と肩を揺らした子供は、怯えた小動物のような目で私を見上げました。無理もありません。今の私は星霜の蒼を身に纏い、こんな寂れた街道ではどう見ても裕福な街の住人か、貴族の娘にしか見えないはずですから。
(クーリア、ゆっくりだ。相手は極度の緊張状態にある。下手に触ればパニックを起こすぞ)
(わかっています。……そうだ、ミコトさん。さっきお口直しに買った甘い飴、まだありましたよね?)
(……ふん。熱量の補給にはちょうどいいだろうな。ほらよ)
ミコトさんの操作で、プラネのポケット部分からコロンと包み紙に入った飴が転がり出てきました。私はそれを、ゆっくりと子供の前に差し出します。
「怪しいものじゃないよ。お腹、空いてるんでしょう?」
子供の視線が、私の顔と飴の間を行ったり来たりします。ゴクリと喉が鳴る音が聞こえました。
「食べてもいいよ。私、お腹いっぱいだから」
(……ああ、文字通り限界突破するほどにな)
ミコトさんの自嘲気味な呟きを脳内でスルーしつつ微笑みかけると、子供は恐る恐る手を伸ばし、ひったくるように飴を奪って口に放り込みました。
甘さに少しだけ顔をほころばせたその姿を見守っていると、不意にミコトさんの声が一段低くなりました。
(……おい、クーリア。どうやらただの迷子じゃないらしいぞ)
(え?)
(街道の先、わずかに土煙が上がってる。複数人の足音だ。あいつら、このガキを追ってきてるな)
ハッとして顔を上げると、確かに遠くの道から、ガシャガシャと荒っぽい足音が近づいてくるのが分かりました。子供もそれに気づき、顔を真っ青にしてガタガタと震え始めます。
「ひ、あいつら……!」
掠れた声で怯える子供を背中に庇いながら、私はゆっくりと立ち上がりました。
お散歩気分の休息は、どうやらここまでのようです。
(ミコトさん。胃もたれ、大丈夫ですか?)
(……ふん。効率は悪いが、準備運動くらいにはなるだろう。お前の気は済むようにやれ)
過去の自分と重なる子供を守るために前に出るクーリアと、胃もたれ全開でも文句を言いつつ完璧にサポートする準備に入るミコト。
男は思い切り蹴り飛ばそうとした足を、見えない壁――私が咄嗟に展開した生活魔法に弾かれ、無様にバランスを崩して尻餅をつきました。
「痛ッ……!? な、なんだテメェ!」
男は血走った目で私を睨みつけます。その手には、使い込まれた汚い鞭が握られていました。
(……おいクーリア、力加減。『蒼の憧憬』の増幅率を忘れたか? ただの風避けのつもりが、ちょっとした衝撃波になってたぞ)
(ご、ごめんなさい! でも、あの子を蹴ろうとしたから、つい……!)
(まあいい。どうせあの手の輩は、言葉より物理現象の方が理解が早い)
ミコトさんの冷たくも頼もしい声に背中を押され、私は子供を庇うように一歩前に出ました。
「……子供に暴力を振るうなんて、見過ごせません。あなた、この子の何なんですか?」
「あぁ? 見りゃわかんだろ、持ち主だよ! そいつは俺が正当に金出して買った『商品』だ。そこをどきな、お嬢ちゃん。痛い目見たくねぇならな!」
男が立ち上がり、脅すように鞭を地面に打ち付けます。ビシッという鋭い音が響き、私の背中の後ろで子供がヒッと息を呑むのが分かりました。
『商品』
その単語が耳に入った瞬間、私の胸の奥で、かつて村から売られた日の絶望が黒い炎のように燃え上がりました。
(……商品、ね。なるほど、法的にはあいつの所有物というわけか。効率で言えば、他人の所有権を侵害するのは面倒なトラブルの元だが……)
(ミコトさん。私、あの男の人が、どうしても許せません)
(分かってる。だが、だからといって所有権を強奪すれば、お縄にかかるのはこちらの方だ。かと言って何時までも見張り続ける訳にもいかないだろう?)
(だったら、私が買い戻せばいいんです!)
(……え? あ、おい、それは大事な路銀……!)
(お金なら、また魔物を狩ったりして稼げます! でも、この子の命は今しか救えないんです!)
私はミコトさんの悲鳴にも似た制止を脳内で押し切り、腰のポーチから硬貨の入った袋を取り出しました。チャリン、と重たい金属音が響くと、怒りで血走っていた男の目が、途端にいやらしい欲の濁りへと変わります。
「……あなた、この子をいくらで買ったんですか? 私が買い取ります」
「はっ、買い取るだと? お嬢ちゃん、見たところ金持ちの貴族様のようだが……そうだな、こいつは特別製でな。金貨三枚……いや、五枚はくだらねえぞ!」
明らかに足元を見たふっかけ方でした。田舎の村娘だった私でも、栄養失調の子供一人に金貨五枚がどれほど法外な値段か分かります。
(おいクーリア、あいつ完全にナメてやがるぞ。相場からしても金貨五枚なんてあり得ない。……いいか、体の主導権を少し寄越せ。金は払うが、適正価格で、かつ二度と俺たちを追おうと思わせない『交渉』をしてやる)
ミコトさんの極寒のような声が脳内に響いた直後。
私の右手――リナさんに調整してもらったばかりの『蒼の憧憬』を嵌めた腕が、スッとミコトさんの意志で持ち上がりました。
「金貨五枚、ねぇ……。なあ、ところで、コイツの価値を知ってるか?」
そう言うと、ミコトさんは近くに生えていた花を指差します。
「あぁ? そんな花、銅貨一枚にもなりゃしねえだろ!」
「ふん、だからお前の目は節穴なんだ。いいか、この花はな、今の時期しか咲かない、魔素を吸って育つんだ。今は青いが、これが赤くなるまで育てば薬屋に金貨二十枚は下らん価格で売れるだろう」
(え? ミコトさん、そんなお花、村の裏山にも普通に咲いてましたけど……)
(しっ、黙ってろクーリア。こいつの強欲さを利用した『等価交換』のデモンストレーションだ。いいか、お前の生活魔法の『染色』の要領で魔力を流せ。ただし、色素の分子構造だけを励起状態にして赤方偏移させるイメージだ)
(な、なんだかよく分かりませんが、やってみます!)
私が言われた通りに僅かな魔力を流すと、ミコトさんは私の指先をスッと花に向けました。
村で布を染める時に使う、ごく簡単な生活魔法……のはずでした。けれど、ミコトさんのバグった理論が乗っかった瞬間、青かった花弁はみるみるうちに燃えるような真紅へと染まり、おまけに微かな魔力光まで帯び始めたのです。
「ほら見ろ。私の濃密な魔素を吸って、今まさに『完熟』した。どうだ? そっちのガキと、この金貨二十枚相当の『赤の魔力草』……特別に交換してやってもいいぞ?」
「なっ……! ほ、本当に色が……!」
男の目は、子供への執着から完全に強欲な光へと変わっていました。ゴクリ、と下品に喉を鳴らし、真紅に光る花を食い入るように見つめています。
「どうする? もたもたしていると、鮮度が落ちてただの雑草に戻っちまうが。……手ぶらで帰るか、それともその証書と交換で金貨二十枚分の夢を見るか」
「こ、交換だ! 交換に決まってんだろ! ほらよ!」
男は子供の隷属証をこちらへ乱暴に投げつけると、引ったくるようにその花を根っこから引き抜き、大事そうに懐に抱えて馬に飛び乗りました。
「ひゃははっ! 馬鹿な貴族のお嬢ちゃんめ、せいぜいその手のかかるクソガキの世話でもしてな!」
男は上機嫌で馬を走らせ、あっという間に街道の土煙の向こうへと消えていきました。
(……ふん。馬鹿はお前だ。アレはただ色素を書き換えて発光現象を付与しただけの、その辺の雑草だ。明日には枯れてただのゴミになる)
(ミコトさん、すごい! お金を一枚も使わずに、この子を助けられたんですね!)
(当然だ。俺たちの路銀を、あんな輩に一銭たりとも払うものか。……さあ、主導権は返すぞ)
ミコトさんの得意げな気配を感じながら、私は体の感覚を取り戻すと、へたり込んでいる子供の目線に合わせてしゃがみ込みました。
「もう、怖い人は居ないよ? おうちに帰ろう? どこからきたか、わかる?」
私は出来るだけ静かに微笑みながら話し掛けます。
「……わかる、けど……もう、帰る家は、無いから……」
その言葉に今度こそ、私は胸を締め付けられました。私も、帰る家はありませんから。
帰る家がない。その痛みが、私には痛いほど分かりました。
ほんの数ヶ月前、冷たい森の中で死にかけていた私と同じ、絶望のどん底にいる瞳。
「そっか……。私と一緒だね」
私は、泥で汚れたその子の頬を、そっと指先で拭いました。
私がそうされたように、今度は私が、この子に「絶対に裏切らない味方」になってあげたい。そう強く思った瞬間、脳内に呆れたような、けれどどこか諦めの混じったミコトさんのため息が響きました。
(……おい、クーリア。まさか連れて行く気じゃないだろうな。俺たちの旅程は遊びじゃない。これからツェルスバニア湖へ向かう船旅に、身元不明のガキを乗せる余裕は……)
(ミコトさん。お願いです。この子を置いていくなんて、私には……絶対に無理です。もしミコトさんが反対しても、私、この子を連れて行きます)
私が頑なに言い返すと、ミコトさんは少しだけ沈黙しました。
怒られるかと思ったけれど、次に聞こえてきたのは、冷徹なふりをしてちっとも隠しきれていない、不器用な優しさでした。
(……はあ。じゃあ、こうしよう。銀の星屑亭の店主に任せるんだ。事情を話せば分かってくれるだろうし、何よりソイツに仕事と飯を与えてやれるだろう。一度グリランドールに戻ることになるが、こうもややこしい事はもうそうそうないだろう)
(ミコトさん……! はい、それが一番いいと思います。店主さんなら、きっと優しくしてくれますから)
ミコトさんの不器用な優しさに胸がじんわりと温かくなり、私は力強く頷きました。せっかく出発したばかりですが、この子の安全と未来には代えられません。
「ねえ、私たちと一緒にグリランドールに行こう? 安全なお店で、お仕事と美味しいご飯を用意してあげるからね」
私がしゃがみ込んで微笑みかけると、子供は信じられないものを見るように目を丸くして、それからポロポロと大粒の涙をこぼして首を縦に振りました。
「……うん、うんっ……! ありがとう、おねえちゃん……!」
(よし、方針は決まりだ。善は急げだ、日が暮れる前にグリランドールに引き返すぞ。……まったく、俺たちの西への旅はいつになったら始まるんだか)
ミコトさんが呆れ交じりにため息をつき、私たちが元来た道へ引き返そうと立ち上がった、その時でした。
「あ、あの……おねえちゃん……」
涙を拭いながら、子供が申し訳なさそうに、けれど切羽詰まった声で私の『星霜の蒼』の袖を引きました。
「ぼくを捕まえた悪いやつら……さっきのオジサンだけじゃなくて、本当はもっといっぱいいて……」
「え?」
「『西の湖』に向かう大きな船を、乗っ取るって言ってた……! 湖の底にあるお宝を奪うために、船ごと沈めるって……!」
(…………は?)
私の脳内で、ミコトさんの思考が完全にフリーズする音が聞こえました。




