飯テロはレディの嗜み
「……街道を西、か。へぇ、親切にどうも。案内役としては及第点だな、ジジイ」
(もう、ミコトさん! 何時までオラオラモードしてるんですか! エミリオさんのメンタルはもうボロボロなんですよ!?)
確かにエミリオさんも時々不気味な雰囲気になったり少し怖い時もありますけど、あんまりにもあんまりな仕打ちを受けた今の姿が演技には見えません。
ここは一つ、私から主導権を取り返して、早くここから離れた方が良さそうです。
「……あ、えと……じゃあ、行って来ます、ね?」
真っ白な灰のようになっているエミリオさんに声をかけ、研究室を後にします。
(あ、おい……何だよ、怒ってるのか?)
(知りません! 私は早くご飯が食べたいんです! ミコトさんの趣味に付き合ってたら丸一日サプリメントだけ、とかになりかねませんから!)
(……飯、ね。確かにこの街に帰ってきてから口にした物は、あの謎肉の串焼きだけだしな)
あれはあれで一つ一つが大きくて食べ応えはあったんですけどね、私のお腹はまだまだ入ります。
(さっきは、その……うん、俺が悪かったよ。確かにちょっと熱が入りすぎた。でも仕方なかったんだよ。あの狸ジジイは確かに変態だが、それでも学者として一流だ。ソイツが秘蔵してたジャンクなんて、街中どこを探しても見付からないくらい、秘宝のようなものだったんだ)
はい、出ました。急に早口になるやつですね。
(……ただな? お前だって、食い物の事に関しては人のこと言えないと思うけどな。だって今から向かってるだろうその店、変な名前のメニューばかりだが味は一級品、しかも量があって価格はお手頃。……食い倒れでもするつもりか?)
(……っ! ミコトさん、今さらっと重要な情報を流しましたね!?)
私はジト目で空を見上げました。
さっきまでの早口な言い訳はどこへやら、この人、実はちゃっかりリサーチ済みだったんじゃないですか。
(「食い倒れ」なんて、失礼ですよ! 私はただ、活動に必要なエネルギーを効率的に摂取しようとしているだけです。……で、そのお店、なんて名前なんですか?)
(店の名前? ええっと……『挫折を知った嫉妬』……なんか物凄い執念を感じるな。だが……名前のセンスは最悪だが、エミリオのジジイもあそこだけは認めざるを得ないって言ってたな)
相変わらずミコトさんは食べ物の説明でも、どこか解析された報告書のような無機質な口調ですが、その瞳は少しだけ和らいでいるように見えます。
一流の学者が認めた味、そしてお財布に優しいお値段……。
(『挫折を知った嫉妬』……。前に行ったときは新規オープンだったのであまり気にしてなかったんですけど、改めて考えるとすごい名前ですね)
(ああ、何度も何度も試作を繰り返しながら、妥協を許さない性格なんだろう。俺も昔は料理人を目指したことがあるが、料理の道はそれこそ泥沼のように深いからな)
ミコトさんは苦笑しながら、足を向けました。
夜の冷たい風に混じって、少しずつ、街の喧騒とは違う「生活の匂い」が漂い始めています。
(ま、いいさ。ツェルスバニアに着いちまえば、まともな飯なんていつ食えるか分からねえからな。いや、『蒼の憧憬』の余剰ストレージに幾らか保存食はあるから、ある程度の融通は利く、調理なら俺がやるからそんな悲しそうな感情を流してくるな! だがまあ、鮮度という意味では、今のうちにその底なしの胃袋に、詰め込めるだけ詰め込んでおけ)
(……はい! 言われなくても、全力を尽くします!)
歩き続けているとやがて視界の端に映るそのお店は、毒々しい店名とは裏腹に、まるで絵本から飛び出してきたような温かみに溢れていました。レンガの赤みと、街灯に照らされた優しい石壁の色。ドアに彫られた妖精たちのレリーフは、今にも木の中から飛び出して踊り出しそうなほど生き生きとしています。
(……うわぁ、何度見てもこのギャップ、凄まじいですね。名前だけ聞いたら、呪いのアイテムでも売ってそうなのに)
(……ふん、見た目に騙されるなよ。この『甘い外装』も、客を油断させてその実、味の深みで再起不能させるための高度な擬態かもしれん)
ミコトさんは相変わらずなことを言っていますが、その足取りは心なしか軽やかです。
カランカラン。
ドアを開けると、繊細なベルの音と共に、暴力的なまでに食欲をそそる「焼きたてのパンと、じっくり煮込まれた香辛料」の香りが、私の嗅覚を一気に支配しました。
(……っ! ミコトさん、この匂い、反則です! 今すぐ注文しましょう!)
(落ち着け、まだ席にも着いてねえだろ。……あそこの隅の席が空いてるな)
店内は、外観通りに清潔感のある木のテーブルが並び、ランプの柔らかな光が室内を包み込んでいます。けれど、客たちの皿の上に乗っているのは、確かに「執念」を感じさせるほど色鮮やかで、ボリューム満点な料理ばかり。
ミコトさんは慣れた足取りで隅の席に腰を下ろしました。一つの体を共有している私にとっても、椅子に深く腰掛けた瞬間の解放感と、胃のあたりが「きゅっ」と鳴る期待感は、何物にも代えがたいものです。
(……メニュー、見ますよ! ええっと……『黄金とは努力に見合わぬ結晶』に、『孤独を感じてる人は一度食べてみて』、『赤い物は……好きか?』……相変わらずメニュー名からは何なのか全くわかりませんね。……ミコトさん、どれにします!?)
(それ、聞く必要ある? どうせ全部気になってるんだろ?)
(……バレました? さすがミコトさん、私のおなかの空き容量を正確に把握してますね!)
一つの体を共有しているからこそ、私のワクワクした高揚感がダイレクトに伝わっているのでしょう。メニュー表の文字面は相変わらず不穏ですが、厨房から漂ってくる香ばしいバターと、食欲を突き動かすスパイスの匂いが「これは正解だ」と確信させてくれます。
(『黄金とは努力に見合わぬ結晶』……これ、予想ではオムライスっぽいですけど、実物が気になります! それに『赤い物は……好きか?』って、挑戦状みたいで逆に気になりませんか!?)
(……フン、料理当ての挑戦状か。いいだろう、その喧嘩、俺が買ってやるよ。……ああ、飲み物はエールでいい)
ミコトさんはぶっきらぼうに注文を済ませると、少しだけ背もたれに体重を預けました。
『蒼の憧憬』が放っていた刺すような熱が、店内の柔らかなランプの光と賑やかな話し声に溶けて、少しずつ穏やかになっていくのを感じます。
(……ねえ、ミコトさん。エミリオさんのところでは大変でしたけど、こうして美味しいものを待っている時間だけは、普通の冒険者になったみたいで少しだけ安心しますね)
(……普通の、か。ま、たまにはこういう待機時間も悪くねえ。……来たぞ、まずは『黄金』のお出ましだ)
それは見た目こそ金塊でした。ですが、手で摘まむところがあります。そこを引くと……
(……うわぁ、包み焼きハンバーグですよ、ミコトさん!)
(これはまた、相変わらず鮮やかに予想を裏切ってくるな、この店は……)
包みを丁寧に開くと、閉じ込められていた肉汁の香りと濃厚なデミグラスソースの蒸気が、一気に溢れ出しました。中から顔を出したのは、ふっくらと焼き上げられた厚みのあるハンバーグ。ナイフを入れるまでもなく、その柔らかさが視覚から伝わってきます。
(ミコトさん、見てください! この溢れんばかりの肉汁……まさに『努力に見合わぬ結晶』、贅沢の極みです!)
(……フン、中身を閉じ込めて圧力をかけることで、旨味の記述を逃さず定着させてるってわけか。理論的だな。……よし、いただくぞ)
ミコトさんが慎重に、けれど待ちきれないといった様子で一口分を口に運びました。
舌の上で解ける肉の繊維と、スパイスの効いたソースのコク。一つの体を共有している私にとっても、その衝撃的な美味しさは全身の演算核が震えるような感覚でした。
(……っ! 美味しい……! ミコトさん、これ、語彙力が溶けちゃいそうです……!)
(……ああ、認めざるを得ないな。名前はアレだが、この味は確かに……嫉妬するほど完璧だ)
ミコトさんは熱さにハフハフと息を漏らしながらも、止まることなく次の一口へと銀のフォークを動かします。エミリオさんの研究室で見せたあのピリついた空気はどこへやら、今はただ、目の前の「黄金」を攻略することに全神経を注いでいるようでした。
(……ふふ、ミコトさんのそんな顔、久しぶりに見た気がします。……あ、次が来ましたよ! 『赤い物は……好きか?』。……わ、これ、真っ赤なスープ……ミネストローネです!)
(……なんだ、ミネストローネか。名前からして、てっきり口から火を吹くような超高熱料理が出てくるかと構えて損したな)
ミコトさんは少し拍子抜けしたように肩の力を抜きましたが、目の前に置かれたそのスープは、ただの家庭料理とは一線を画していました。
真っ赤に熟れたトマトの濃密な香りと、じっくり炒められた根菜の甘い匂い。そして、中央には雪のように真っ白な粉チーズがこれでもかと振りかけられています。
(ミコトさん、がっかりするのはまだ早いですよ! このスプーンですくった時の「重み」……野菜が溶け込んで、記述密度が凄まじいことになってます!)
(……確かに。見た目は普通だが、煮込み時間が尋常じゃないな。……よし、いくぞ)
スプーンで赤と白を混ぜ合わせ、一口。
その瞬間、濃厚なトマトの酸味と野菜の旨味が、チーズのコクと一緒に爆発的に広がりました。
(……っ! ミコトさん、これ、スープっていうか、もう「飲む野菜の塊」ですよ! 体の隅々まで温かい魔力が染み渡るみたい……!)
(……ああ。……悪くない。いや、良いな。冷えた体にこの熱量は、何よりの修復材だ)
私は夢中で、けれど確かな満足感を漂わせながらスプーンを動かします。
エミリオさんのところで張り詰めていた空気が、この温かいスープ一杯ごとに、少しずつ解けていく。一つの体を共有している私にも、彼の心がほんの少しだけ軽くなっていくのが手に取るように分かりました。
(……ふふ。ミコトさん、もう一つ『孤独を感じてる人は一度食べてみて』が残ってますからね。最後の一皿まで、しっかり完食しましょう!)
(分かってるよ。……次は、どんな『裏切り』が来るか楽しみになってきたな)
(次は『孤独を感じてる人は一度食べてみて』ですね……っ! こ、これは……特大パフェですよ! ……わあああ! ミコトさん見てください、この輝き! 宝石箱をひっくり返したみたいです!)
目の前に現れたのは、器から溢れんばかりの色彩でした。瑞々しいイチゴの赤、キウイの緑、マンゴーの鮮やかな黄色。その間を埋め尽くす真っ白な生クリームの雲。頂点には、まるで月を模したような大きなバニラアイスが鎮座しています。
(……おいおい。ハンバーグとスープの後に、この物量かよ。まさに『孤独を感じる隙もない』ほどの密度だな……)
ミコトさんは呆れたような声を出しながらも、スプーンを握る手には迷いがありません。一つの体を共有しているからこそ、彼が口にする前から感じている「甘いものへの期待感」が私にも流れ込んできます。
(さあ、ミコトさん! この一番大きなイチゴからいきましょう! 私たちの連携で、この賑やかなパフェを攻略するんです!)
(……分かった、分かったから騒ぐな。耳の奥……いや、頭の芯に響く。……よし、いくぞ)
ミコトさんがスプーンで、アイスとクリーム、そしてベリーのソースを絶妙なバランスで掬い取り、口へと運びます。
その瞬間、冷たさと甘みが爆発し、ベリーの爽やかな酸味が重奏のように追いかけてきました。
(……っ、んん~! ミコトさん、幸せの味がします! 孤独なんて、この甘さの前では消失ですよ!)
(……ああ。冷てえが……この脳に直接届くような糖分は、確かに独りで塞ぎ込んでる暇を奪いやがる。……悪くねえ。……いや、最高だな、これ)
ミコトさんはハフハフと冷たさに悶えながらも、次々とフルーツを口に運んでいきます。エミリオさんのところで負った精神的な疲労が、この色とりどりの「賑やかさ」によって、少しずつ、けれど確実に塗り替えられていくのを感じました。
(……ふふ。これで明日からも、元気にツェルスバニアを目指せそうですね!)
(……フン、これだけの燃料を詰め込んだんだ。明日は予定より早く、レーメ大河まで辿り着いてもらうぞ、クーリア)




