強盗ってだいたい図々しいもの
私は、エミリオさんの哀れな防壁の末路に涙を禁じ得ませんでしたが、ミコトさんは既に扉の奥へと視線を移していました。
そこには、研究室の雑多な雰囲気とは対照的な、驚くほど整然とした空間が広がっています。
私は、エミリオさんの哀れな防壁の末路に涙を禁じ得ませんでしたが、ミコトさんは既に扉の奥へと視線を移していました。
中は研究室の雑多な雰囲気とは対照的な、驚くほど整然とした空間が広がっています。そこには――。
「……っ、これは……! おい、クソジジイ、俺はこれに似た物を知ってるぞ……答えろ、お前はコイツで何をするつもりだったんだ?」
あの古代文明と初めて出会った研究所の、『水槽の少女』と良く似た雰囲気を持った『人工生命体』……の、上半身だけの姿。
「だから言ったじゃないか、若気の至りだよ。……見ての通りその肉体は不完全だ、当然ながら起動すらしない」
「……不完全、か。笑わせるなよ、ジジイ」
ミコトさんの指が、冷たい硝子の表面をなぞります。その瞳の奥には、さっきまでの略奪者の熱情とは違う、もっと冷徹で、刺すような解析の光が宿っていました。
「お前は設計段階で既にコイツを『人間』として作ろうとしていない。人工生命体としての実験が失敗したんじゃない。最初から、膨大な記述を詰め込むための生体ハードディスクとして設計したんだ、そのための試験運用に失敗したんだろ? 脳の演算領域だけを肥大化させて、身体なんて最初から『不要なパーツ』として切り捨てた……。違うか?」
「……っ! 君、は……。どうして、一目見ただけでそこまで……」
エミリオさんの顔が、今度こそ致命的なエラーを起こしたように強張りました。
水槽の中で静かに漂うその少女は、呼吸さえも外部の装置に依存している、純粋な器。その穏やかな寝顔は、この狂った世界の真実をただ受け止めるためだけに固定された、残酷な静止画のように私には見えました。
「……ああ、そうだ。その通りだよ。私はプラネの代わりを求めた……。彼女の代わりに演算する物があれば、彼女を取り外せる、設計通りに量産出来れば換えの利くパーツにもなる、ならば……とね。だが、見ての通りだ。心を持たぬ器には、記述を定着させるだけの重力さえ宿らなかった……」
エミリオさんが、その完璧な美少女の指先で顔を覆い、震える声で告白します。
この水槽の少女は、賢者の執着|の果てに生み出された、目覚めることのない残骸だったのです。
「……無様だな。神の真似事をして、作り出したのは『人間』どころか、ただの熱暴走寸前の演算機か」
ミコトさんの声には、いつもの皮肉以上に、底冷えするような怒りが混じっていました。それは、技術者としてこの「不完全な設計」を許せないのか、それとも……。
「ふん、依頼書がここを案内した理由はコイツだったか……。丁度良い、不完全とはいえある程度は理論が立っているんだろう。その資料を寄越せ。俺が引き継いでやる。見覚えがある、と言ったな。それがコイツだ。今は依頼書の中に引きこもってやがるが、……出て来い」
特に合図や取り決めをした訳ではないはずですが、依頼書の中から水槽の少女の絵が消え、代わりに目の前に少女の全身が現れました。
「なっ、コレは……!? こ、こんな完全な形で……!?」
ミコトさんは、床に転がっていた依頼書から忽然と姿を逆投影させた、その「全身」を持つ少女を睨みつけました。
エミリオさんが腰を抜かし、声にならない悲鳴を上げながら後ずさります。それもそのはず。水槽の中にいる「不完全なスペア」と、依頼書から現れた「完全な少女」。二人の顔は、まるきり同じ鏡合わせのような姿をしていたのですから。
「……そ、そんな……。私の理論では、肉体を完全な状態で維持するだけで、脳の演算領域が圧迫されて破綻するはずだった……! なぜ君は、その……完璧な『人間』の姿のままで、平然と存在していられるんだい!?」
「……。…………」
少女は答えません。ただ、瞳を閉じて……安らかな寝息を立てているだけ。
「この依頼書には、この子を目覚めさせろと言う内容が記されている。その為の手段は問わない、ともな。……最近なんかやたら挑発的だが、それでもこうして必要事項はいちいち伝えてくる。……お前の研究結果を寄越せ。恐らくそれが、この呪いみたいな依頼を達成する為のフラグになるんだろう」
「……なるほど。確かに私は神を信じない。だが、それでも神ではないが『管理者のような存在』は居ると確信している。その依頼書自体が私の理解を超えた高次記述で構築されているなら、私の三百年を君という『不確定要素』にベットする他ないようだ」
エミリオさんは、震える手で懐から一冊の、それこそ今にも朽ち果てそうなほど使い古された魔導手帳を取り出しました。
「これはダミープラネ……いや、その前身となった記述体たちのすべての観測データ、そしてこの水槽の少女……『月天姫・零号候補』の全設計図だ。これがあれば、君の言う『ハック』とやらの成功率は跳ね上がるだろう」
ミコトさんはひょいと手帳を奪い取ると、パラパラと目を通す間もなく、その手帳を『蒼の憧憬』のレンズにかざしました。
「……お前、六十歳ってのも嘘だったのか。三百? サバの読み方がエグすぎるぞ」
その横顔は、それでも言葉とは裏腹に、どこか親しみが込められている……ようにも見えました。
「『蒼の憧憬』、内容は別に読まなくていい。記述だけ食わせれば、あとはこいつが並列演算で勝手に答えを出しやがる」
キィィィィィン……
腕輪が再び高周波を上げ、エミリオさんの研究成果を物理的な文字から純粋な魔力情報へと変換し、次々と吸い込んでいきます。
(ミコトさん! 依頼書の女の子の波形が変わりました……! 目を閉じたままで、彼女の意識が水槽の少女の方へと伸びています!)
(……ん? それはそれでおかしい。コマンドはまだ入力していない、何かをしろと言ってないのに何かをしようとしている? ……ああ、始まったな。……おい、寝ぼすけさん。何をしたいんだ? 意思など無いお前にプログラミングされている本能は何だ?)
ミコトさんが少女の頭にそっと……いや、少し乱暴に手を置きました。
それと同時に、水槽の少女を包んでいた生命維持液が激しく沸騰し、部屋全体の明かりがチカチカと明滅し始めます。
「……あ、あわわ……! 空間の位相が歪んでいく! 君、まさか、その子を喰わせる気かい!?」
「喰わせる? ……人聞きが悪いな」
ミコトさんは吐き捨てると、『蒼の憧憬』から溢れ出す光の奔流を、無理やり水槽の少女と、依頼書から現れた少女の「中間点」へと収束させました。
「いいか、これは『統合』じゃない。『差分同期』だ。依頼書の中の完全な記述を、お前のガラクタの中に流し込んで、空白だらけの論理領域を埋めてやってるんだよ。……要するに、最適化だ。ジジイ、本来お前がやりたかったことの一片くらいは、このロジックで見えてくるだろうよ」
「……最適化、だと? 私が三百年かけても埋められなかった空白を、君はそんな……そんな乱暴な上書きで……!」
エミリオさんは、もはや驚愕を通り越して、何かに打たれたようにミコトさんの手元を見つめていました。彼が築き上げた精密な迷宮が、ミコトという「外の理」によって、より合理的で、より強固な形へと再構築されていく。水槽の中で眠る不完全な少女。
そして、ミコトさんの傍らで目を閉じたままの完全な少女。
二人の間に、目に見えるほどの太い情報回線が形成され、そこを濁流のような勢いで「月天姫」の秘匿された記述が駆け抜けていきます。
「何をどう定義して乱暴だと決めつけているのかは分からんが。こういう答えもあるんだよ。もちろん正義だの正解だのは全部後付けだがなぁっ!」
「……あ、ああ……信じられない。私の理論では、そんな速度で情報を流せば、器が熱損壊して消滅するはずだ……。なのに、なぜ……!?」
「簡単な話だ。お前はこいつを一人で立たせようとした。だが、俺はこいつを『蒼の憧憬』の外部拡張として繋いでる。熱も負荷も、全部俺が……俺の腕輪が肩代わりしてやるんだよ!」
ミコトさんの右腕が、摩擦熱のような赤い光を帯び始めます。
その時。
急に、暗い空間になって。
私は隣にミコトさんがいない空間を、久し振りに体験しました。
「……え、っと、ここ……どこでしょうか……?」
吐き出した声はまるで10歳くらいの子供のようで。
「あれ? ……えっ!? も、戻って、ます、か!?」
この暗いのに暖かい空間……私だけ……何なんですかねえ……?
慌てて自分の手を見つめましたが、そこにあるのは星霜の蒼の重厚な装甲ではなく、記憶の隅に追いやられていた、もっと頼りなくて柔らかな子供の掌でした。
周りを見渡しても、ミコトさんの皮肉な笑みも、エミリオさんの情けない悲鳴も聞こえません。あるのは、凪いだ海のように静かで、どこか懐かしい、のい琥珀色の闇。
「ミコトさーん! どこですかー! ……もう、勝手に置いていくなんて、ひどすぎます!」
声を張り上げても、暗闇がその音を吸い込んでいくだけ。……いいえ、違います。吸い込まれているんじゃなくて、この空間そのものが、私の声に共鳴して震えてくれないんです。
(……あ。この感覚、知っています。村にいたころ、誰からも目線が送られてこないあの時の孤独。それでも、繋がりが欲しくて欲しくて、大事に大事に、迷惑掛けないように、頑張って非興ししてたあの頃……)
思い出しました。
ええ、忘れてる訳がないんです。1分1秒の遅れが「今度はどこを蹴られるんだろう……」と怯えるのが当たり前の毎日でしたから。
私がそんな、後ろ向きな回顧をしていると、闇の向こうから、小さな光の粒がふわりと浮かんできました。
それは、さっきまで水槽の中にいた「あの女の子」によく似た、けれどどこか透き通った幻影のような存在。
『……こっち……だよ……』
その声は、私の耳に届いたのではなく、私の演算核に直接書き込まれたような、不思議な響きでした。
『……ミコトが……呼んでる。……「ゴミ」を片付けに……行かなきゃ……って』
(……ふふっ。あんなにボロクソに言いながら、結局その「ゴミ」を何とかしようとするのが、あの人の悪い癖なんです。……ねえ、あなた。もしかして、あなたがエミリオさんの……ううん、この世界の最初の記憶なんですか?)
少女の幻影は、寂しそうに、でも少しだけ嬉しそうに微笑むと、私の小さな手を取ろうとして……。
――その時。
暗闇を切り裂くように、聞き慣れた、けれど今は信じられないほど心強い「ノイズ」が響き渡りました。
(……おい、クーリア! どこで油断してやがる! 演算を寝かせてる暇はねえぞ、こいつの記述はもう限界だ!)
(ミコトさん!)
意識が、急激に浮上していきます。
「――ッ、はぁっ、……!」
肺が焼けるような感覚と共に、意識が現実へと叩きつけられました。
目を開けると、そこはエミリオさんの研究室……ではなく、頬を刺すような冷たい風が吹き荒れる、夜の湖畔でした。
(……やっと起きたか。お前、同期の最中に勝手に過去ログに潜り込んでんじゃねえよ。効率が悪すぎるだろ)
聞き慣れた、呆れ返ったようなミコトさんの声。
見上げれば、そこには『蒼の憧憬』を鈍く光らせ、肩で息をしながらも不敵に笑うミコトさんの姿がありました。私の姿も、いつの間にか元の「クーリア」に戻っています。
(……ごめんなさい、ミコトさん。でも、聞いてください、あの場所には……)
(分かってるよ。お前の脳内を流れてきたゴミみたいなノイズは、全部俺の腕輪が消去してやった。……それより、こいつを見ろ)
(聞いてください!!!!!)
私の悲鳴が去って、静寂が訪れました。
私は、胸元でまだ熱を持っている演算核をぎゅっと押さえました。
(……あの子を作ったのはプラネさんだとおもいます。ここでエミリオさんと共同研究しながら、あの遺跡の研究室で自分なりの理論を組み合わせて、エミリオさんの物よりも完全に近い人工生命体を作った……けれど後一つ何かが足りなくて、未だ目覚めない……)
(……何か、ね。そいつを見つけて来いって話か。回りくどいやり方だ)
依頼書の少女はいつの間にか再びその中に閉じこもってしまいました。




