第8話 試練と洗脳
いつもお読みいただきありがとうございます。
今回から、第2章「建国・拡大編」の開幕となります。
絶対的な成果主義を掲げ、新たな国を立ち上げたルシアン。しかし彼は、決して部下を甘やかすことはしません。
これまでのように「命の保証(蘇生)」を与えず、あえてザックたちを過酷な戦場跡地へと突き放すルシアンの真意とは。
そして、無条件の救済を説く聖女クラーラを沈黙させる、あまりにも冷徹で合理的な「統治の理」にご注目ください。
※本作にはダークファンタジー特有の陰惨な描写や価値観が含まれます。
絶対的な成果主義と新国家の樹立を宣言した、熱狂の夜から一夜明けた朝。
復興を遂げた辺境の村ノルドの広場は、早朝からただならぬ熱気と活気に包まれていました。昨日まで泥に塗れていた五十人の孤児や罪人たちは、自らの手で手に入れた「自分たちの居場所」を守り、そして拡大するために、誰に指示されるでもなく武器の手入れや防壁の点検に奔走しています。
「ルシアン、少し時間いいか」
拠点の中心にある石造りの家屋。その一室に、武装を整えたザックとカインが静かに入ってきました。
二人の顔つきは、もはやスラムのチンピラのそれではありません。一つの部隊を牽引する、野心に満ちた指揮官の顔でした。
「どうしました、二人とも」
「俺たちが放っていた見張りが、国境近くの荒野で小規模な戦闘があったのを確認した。おそらく、王国軍とガレリア帝国の小競り合いだ。……戦闘はすでに終わってるみたいだが、戦場には生き残って逃げ惑う『敗残兵』が散り散りになってるはずだ」
カインの報告を引き継ぐように、ザックが一歩前に出て力強く提案しました。
「俺たち五十人で、その敗残兵たちを狩り(スカウトし)に行かせてくれ。今の俺たちには、拠点と金(魔石)はあっても、実戦経験のある兵士と武器・防具が決定的に足りねえ。戦場跡地なら、それがタダで手に入る」
「なるほど。極めて理にかなった素晴らしい提案です」
私は微笑み、静かに頷きました。昨日宣言した「自ら動く者への報酬」という言葉が、早くも彼らの思考を前へと押し進めているのです。
「許可しましょう。すぐに出立の準備をなさい。……ただし、私から一つだけ、絶対の条件を出しておきます」
私が声音を一段低くすると、部屋の空気が微かに張り詰めました。
「敗残兵との接触において、何があっても全滅だけは避けること。そして――『死体』は一切不要です」
「え……?」
「村に持ち帰るのは『生存者』のみにしなさい。もし五十人の中で誰かが命を落としたとしても、その骸をわざわざここまで運んでくる必要はありません。……私が無能な死者を蘇生(生き返らせて)してやることは、今後二度とありませんから」
その言葉に、ザックとカインは息を呑み、目を見開きました。
これまでは「最悪死んでも、ルシアンが生き返らせてくれる」という、絶対的な命の保証がありました。しかし私は今、その生温い蜘蛛の糸を完全に断ち切ったのです。
「お前たちが上に立つ以上、私がすべてを管理し、死すらも無かったことにしてやるような過保護な環境は毒にしかなりません。敗残兵の中で誰が使い物になるか、お前たち自身の眼で『見極め』、お前たち自身の言葉で『勧誘』し、そして誰一人死なせないように頭を使って生還しなさい。……これは、お前たちの自立のための試練です」
私の真意を理解した二人の顔から、一切の甘えが消え失せました。
極限の緊張感と、それを上回る強烈な責任感。ザックは深く頷き、力強く自らの胸を叩きました。
「分かった……! 必ず、最高の戦力を俺たちの力だけで連れ帰ってみせる。行くぞ、カイン!」
二人は足早に部屋を出ていき、やがて広場から五十人の精鋭たちを率いて、砂塵を上げながら荒野へと出陣していきました。
───
喧騒が去り、静けさを取り戻した家屋の一室。
私は窓辺の机に向かい、真新しい、分厚く重厚な革装丁の『空白の本』を開いていました。羽ペンをインクに浸し、ただ一人、静かに文字を書き連ねていきます。
世界の理を根底から書き換えるための法、あるいは、遙か先の未来に彼らへ託すべき『真の野望』の青写真。今はまだ誰の目にも触れさせるわけにはいかないその言葉たちを、私は誰にも悟られぬよう、淡々と編纂していました。
「ルシアン……。その、少しよろしいですか」
ペンの音だけが響く部屋で、背後の長椅子に座っていたエリアス王子が、躊躇いがちに声をかけてきました。部屋の隅には、彼に寄り添うように聖女クラーラが控えています。
「何でしょう、エリアス殿下」
「昨晩の、貴方の宣言についてです。……完全なる平等と、実力と成果のみを評価するというあの残酷な掟だけで、本当にあのならず者たちは一つにまとまるのでしょうか。それに先ほどの、死者は見捨てるという指示も……。あのような突き放した態度で、彼らの心は離れてしまわないのでしょうか」
若き王子は、私が敷いたあまりにも冷徹な実力主義の盤面に、まだ恐れを抱いているようでした。
私が本から視線を外し、エリアスに振り向こうとしたその時、部屋の隅にいたクラーラがたまらずといった様子で声を荒らげました。
「エリアス殿下の仰る通りです! 貴方のやり方はあまりにも非情すぎます!」
「ほう?」
「弱き者、死にゆく者には、無条件の救済と慈悲を与えるのが上に立つ者の務めのはずです! 成果や力だけで人間の価値を測り、使えない者を見捨てるようなやり方では、必ず不満が爆発します。力で縛り付けるだけの国など、すぐに崩壊するに決まっています!」
教会の教義に染まりきった彼女は、美しい「無条件の救済」を正義として疑わず、私を激しく非難しました。
私は羽ペンをインク壺に静かに戻し、一切の感情を乱すことなく、冷え切った眼差しで彼女を射抜きました。
「無条件の救済と慈悲ですか。ではクラーラ、貴方の愛するエルシオン聖王国の王都にある『スラム街』を思い出してみなさい」
「え……」
「教会は毎日、広場で貧民たちに無償の炊き出しを与えていましたね。その結果、スラムの人間たちはどうなりましたか? 感謝し、立ち直り、自ら働き始めましたか?」
私の問いに、クラーラは言葉を詰まらせました。
答えなど明白だからです。
「彼らは立ち直るどころか、ただ『与えられること』に依存し、翌日の炊き出しの列に並ぶだけの怠惰な豚へと成り下がった。弱者を弱者のまま甘やかす無条件の救済は、人間の尊厳と『自ら立つ意志』を根底から腐らせる最悪の毒なのです」
「そ、それは……っ」
「一部の腐敗した貴族だけが富を独占し、底辺の貧民を哀れみという名の餌で飼い殺しにしている聖王国の惨状こそが、貴方の信じる『慈悲』の行き着く先なのですよ」
絶対的な事実と、反論の余地もない冷酷な因果。
クラーラは顔を蒼白にさせ、わなわなと唇を震わせながら完全に沈黙しました。彼女の信じてきた「正義」が、現実の盤面の前で木端微塵に砕け散った瞬間でした。
私は静寂を取り戻した部屋で、エリアス王子に真っ直ぐに向き直りました。
「エリアス殿下。昨晩の宣言は、あそこに集まった者たちにとっての『人生の分岐点』なのです」
「人生の、分岐点……」
「ええ。彼らはすべてを奪われ、どん底からやり直すための舞台を与えられました。あの宣言によって自ら考え、行動できる人間は、己の力でこの村に居場所を確立し、生き残るでしょう。逆に、誰かが助けてくれると怠惰に振る舞い、他人に依存しようとする者は、成果を上げる周囲の熱量についていけず、自然と居場所がなくなり、自らこの場所を去っていく」
「……!」
エリアスの瞳に、はっとしたような光が宿りました。
「上に立つ者が無条件の平等を約束し、『行動した分だけ報われる』という明確な対価を示す。それだけで、彼らは自分のために必死に頭を使い、生き残るために集団の中で自然と規律を作り上げます。私が直接手を下して一人一人を管理したり、罰したりする手間すら省ける。……これこそが、上に立つ者にとって最も手っ取り早く、最も合理的な『統治の算段』なのです」
私がザックとカインに命じた「自ら見極め、自分たちで勧誘しろ」という指示も、その算段に基づいています。
死という恐怖を取り払ってしまえば、彼らは思考を止め、私に依存する手駒のまま一生を終える。突き放すことで極限の思考を強要し、自立した強者へと強制的に育て上げる。
それは冷酷でありながらも、彼らの可能性を誰よりも信じているからこそ成り立つ、悪魔的な信頼の形でした。
「お分かりいただけましたか、殿下。私が創るのは、弱者を保護する鳥籠ではありません。自ら牙を研ぎ澄ませた獣たちが、自らの意志でその牙を王国へと剥く……最高に研ぎ澄まされた反逆の軍勢なのです」
感情論を完全に排した、あまりにも完璧で理にかなった私の「統治の理」。
かつて対話と平和という理想にすがっていた銀髪の王子は、その圧倒的な真理を前に深く息を吐き、静かに、しかし確かな覚悟を持って首を垂れました。
「……分かりました。貴方のその冷徹なまでの合理性……深く、感服いたします。僕も、彼らに負けないよう自らの頭で考え、行動しなければなりませんね」
エリアスはもはや、弱々しい亡国の王子ではありませんでした。私の思想を飲み込み、新たな王としての器を急速に形成し始めていたのです。
部屋の隅では、クラーラだけが自らの無力さと、理想の敗北に打ちひしがれ、暗い影の中に孤立していました。彼女の救済の光は、この村の獣たちには何の意味も持たないのです。
私は彼らから静かに視線を外し、再び机上の『本』へと向き直りました。
彼らが自らの足で立ち、盤面を力強く動かし始めた今、私もまた、はるか先の終局を見据えた『次の一手』を編纂し続けなければなりません。
私の羽ペンが羊皮紙を擦る静かな音だけが、新たな国の産声のように、静謐な部屋に響き続けていました。
第8話をお読みいただきありがとうございました。
第2章の幕開けは、ルシアンの「国家運営」と「統治の理」に焦点が当たりました。
タイトルや作中におけるルシアンの言葉巧みな誘導は、ある種の「洗脳」のように見えるかもしれません。しかし、これは決して彼らを思考停止の操り人形にするような「悪い意味」ではありません。
無条件の救済にすがるどん底の価値観を破壊し、自ら考え、強く生き抜くためのルールを叩き込む「自立のための荒療治(価値観のアップデート)」として描いています。
単なるチート能力に頼らず、冷徹な計算で人の心理を導くルシアンの真骨頂です。
そしてルシアンが密かに書き連ねる『本』の存在……。これが意味するものは、物語が進むにつれて明らかになっていきます。




