第7話 脱出と建国
いつもお読みいただきありがとうございます。
第7話は、聖王国編の完結となります。
相次ぐ勇者の死に焦る国王自らが大聖堂へ降臨し、最後の特級魔石が持ち込まれる緊迫の蘇生劇。聖女クラーラの決死の告発さえも優雅に受け流し、最高権力者たる国王すらも掌の上で転がすルシアン。
逃げ場を失った聖女を連れ、国を捨てた彼らが向かう先……復興を遂げた辺境の村での「建国の儀」をお楽しみください。
※本作にはダークファンタジー特有の陰惨な描写が含まれます。
「ルシアン神官! 大変にございます、至急、王宮より急使が……!」
大聖堂の明るい回廊に、若い神官の悲鳴のような声が響き渡りました。
私は手元に広げていた教典を静かに閉じ、いつものように穏やかで、完璧に従順な神官の笑みを浮かべて彼を振り返りました。
「落ち着きなさい。神聖なる大聖堂で大声を出すものではありませんよ。王宮で一体何が起きたのですか?」
「は、はい……! 前線より、第四勇者様が魔王軍の伏兵に遭い、無惨な死を遂げられたとの訃報が届きました! さらに……」
神官は喉を鳴らし、恐怖に身を震わせながら言葉を続けました。
「この度重なる勇者たちの不甲斐ない戦死に、国王陛下が激怒なされ……今度こそ完璧な蘇生を行うため、国宝である最後の『五つ目の特級魔石』を自ら携え、この大聖堂へ向かわれているとのことです!」
「なるほど。それは大層なことです」
私の胸の奥で、冷徹な歓喜が静かに弾けました。
北の敵国である『軍事帝国ガレリア』や王国反対派の貴族たちへ、私が教会の機密情報などを密かに売り払い、戦況を裏から完全にコントロールしていた成果が、ついに実を結んだのです。王国が勇者を使い捨てて世界を統一し、『お釣りが来る』と踏んでいた強欲な算段は、今や完全に狂い始めていました。
そして何より、私がこの大聖堂に留まり続けていた唯一の理由――五つ目の特級魔石が、向こうから勝手に歩いてくるのです。
───
大聖堂の地下深く、薄暗い蘇生の間。
重々しい鉄扉が開かれ、大勢の近衛兵を従えたエルシオン聖王国の絶対権力者――国王が、傲慢な足取りで入ってきました。その手には、眩いほどの魔力を放つ、国宝の特級魔石が握られています。
「ルシアン神官、よくぞ待っていた。無能な勇者どもが何度も死に、国宝を消費させるのは不愉快極まりないが……我が国の威信のためだ。この最後の特級魔石を使い、直ちに完璧な儀式を行え」
「御意にございます、我が偉大なる国王陛下。このルシアン、命に代えても職務を全ういたしましょう」
私は恭しく頭を垂れ、祭壇の前に進み出ました。
横には、顔面を蒼白にさせ、小刻みに震えている聖女クラーラの姿がありました。
私が祭壇の変換炉へ精巧な偽造の魔石をセットし、自らの心臓(魔力変換炉)の出力を引き上げようとした、まさにその時でした。
「お、国王陛下……! 騙されてはなりません……!」
静寂を破ったのは、クラーラの悲痛な叫び声でした。
彼女は涙を流しながら、国王の前に狂ったように跪き、冷たい石の床に額を擦り付けたのです。
「何を言うか、聖女よ。儀式の邪魔だ、下がれ!」
「いいえ、聞いてください! そこにいる筆頭神官ルシアンは、神に仕える身などではありません! 彼はこれまでに王家から支給された国宝の特級魔石をすべて偽物とすり替え、密かに手元に隠し持っております! それだけではありません、彼はその裏で我が国の敵であるガレリア帝国や反対派の貴族たちと内通し、王国の富を横流しして、闇の軍隊を組織しているのです! 今すぐ彼を捕らえてください!」
近衛兵たちの間に、一瞬で凍りつくような緊張が走りました。
クラーラの必死の告発。それは紛れもない真実であり、私の首を撥ねるに十分すぎる大罪の証明でした。
しかし、私は眉一つ動かさず、顔色を微塵も変えることなく、優雅に、そして心底から不可解だと言わんばかりの慈悲深い微笑みを浮かべてクラーラを見つめました。
「クラーラ聖女……。貴方がそこまで深く心を病んでいたとは、私の不徳の致すところです」
「な、何を……!? 私は真実を申し上げているのです!」
「国王陛下、どうか彼女の無礼をお許しください」
私は国王に向き直り、これ以上ないほど洗練された、美しい敬語で淡々と語りかけました。
「彼女はここ数日、相次ぐ勇者様の崩御による蘇生儀式に付き合い、そのあまりに陰惨な死様を間近で見続け、精神の均衡を崩してしまっているのです。聖女としての重圧から、幻覚や妄想に囚われてしまう事例は、過去の文献にも数多く記されております。私がガレリア帝国と内通しているなど……そんな荒唐無稽な夢物語、一体どこの誰が信じるというのですか? もし私が魔石を横領しているならば、今こうして陛下がお持ちになられた特級魔石を前に、どうしてこれほど平然としていられましょうか」
絶対的な平穏。私の瞳には、罪悪感も、焦りも、一欠片の動揺すら存在しませんでした。
国王は、私の完璧な立ち振る舞いと、対照的に涙を流して錯乱しているように見えるクラーラを見比べ、不快そうに鼻を鳴らしました。
「ふん、確かにルシアン神官の言う通りだな。聖女よ、国家の至宝たる筆頭神官を、妄想の泣き言で侮辱するなど不敬極まりないぞ」
「ち、違います! 嘘を吐いているのは彼です! どうか信じてください……!」
「黙れ! ……だが、ルシアン神官よ。聖女がこれほどまでに乱心しているとなれば、今後の教会の運営にも関わる。お前に一つ、忠誠を示す機会を与えよう」
国王は冷酷な目でクラーラを見下ろし、私に告げました。
「お前がこの聖女の『監視役』となれ。彼女が大聖堂の外で余計な妄想を口走らぬよう、常に傍に置き、その一挙手一投足を厳重に管理するのだ。さすれば、彼女の申した不届きな疑いも、完全に晴れるというものだ。異論はあるか?」
その言葉を聴いた瞬間、クラーラは全身の血の気が引き、いたたまれない絶望の表情で崩れ落ちました。
自分の命がけの告発が完全に握りつぶされ、あまつさえ、その牙を剥いた相手である私自身の手に、合法的に我が身の拘束権が委ねられてしまったのです。
これこそが、私が敷いた完璧な盤面(計算)の通りでした。
「寛大なるお裁き、心より感謝申し上げます、国王陛下。このルシアン、陛下の信頼にお応えし、責任を持ってクラーラ聖女の身辺を監視し、正しい道へと導くことをお約束いたしましょう」
私は深々と一礼し、国王から最後の特級魔石を受け取りました。
儀式は滞りなく執り行われました。私はいつものように自らの寿命(炉)を削って勇者を生き返らせ、そのドサクサに紛れて、本物の特級魔石を懐の偽物と完璧にすり替えたのです。
───
数時間後。国王一行が去り、静まり返った大聖堂の最奥。
クラーラは部屋の隅で膝を抱え、いたたまれない沈黙の中で、ただ処刑を待つ罪人のように震えていました。
「……なぜ、私を殺さないのですか」
彼女は掠れた声で問いかけてきました。
「私の言葉を国王陛下が信じれば、貴方の計画はすべて終わっていたのですよ? なぜ、一瞬にして消し去らないのですか」
私は王都を離れるための荷物の整理をしながら、彼女を咎めることもなく、いつもと変わらない淡々とした敬語で答えました。
「なぜ怒る必要があるのですか? 貴方のあの行動も含めて、すべては私の算段の内ですから」
「え……?」
「貴方が私を告発することは分かっていました。ですが、強欲に狂ったエルシオンの王が、自らにとって不都合な真実を直視せず、貴方の必死の訴えをただの『錯乱』として切り捨てることも、最初から分かっていたのですよ。結果として、私は五つ目の魔石を手に入れ、さらに貴方を大聖堂から合法的に連れ出す『監視役』の権限まで手に入れた。何一つ、問題はありません」
「……そんな」
「それに、いまや貴方はこの聖王国において、一人で外を出歩くことすら許されない、危険な妄想狂として扱われています。貴方は完全に、私の管理下に置かれたのですよ、クラーラ」
その残酷な事実に、クラーラは血の気を失いました。もはや彼女には、大聖堂に居場所もなく、この怪物の手から逃げ出す術も完全に絶たれてしまったのです。
「ですから、私は貴方の同行を歓迎します。……それに、滅ぼされた悲劇の王子と、国中から信仰を集める美しい聖女。この二人が並び立つ姿は、我々がこれから立ち上げる新しい国を飾る『正義の旗印』として、これ以上ないほど見栄えが良いではありませんか」
彼女が決死の覚悟で行った反抗さえも、私にとっては計画を加速させ、手駒を増やすための都合の良い一歩に過ぎなかったのです。
「さあ、行きましょう。明日の朝、あの愚かな国王が空っぽの宝物庫と偽物の魔石を見てどんな顔をするか、見物ですね」
宝物庫の中身をすべて魔法袋に詰め込み、私はクラーラを連れて大聖堂の裏口を抜けました。
私たちは奴隷商人の商会が使う『極秘の密輸ルート(荷馬車)』を利用し、王国の警備網や検問を素通りして、夜の闇に紛れて王都を脱出しました。
───
数日後、国境付近にある『辺境の村ノルド』。
そこはかつて、無能な勇者への反逆を咎められ、王国軍によってすべてを焼き払われたザックとカインの故郷でした。
「これは……焼け落ちたはずの村が、完全に復興している……?」
荷馬車から降りたクラーラは、目の前に広がる光景に息を呑みました。王国が「一文の価値もない焦土」として見捨てた土地には、頑強な石造りの家屋が立ち並び、完全に機能する新たな拠点へと変貌を遂げていたのです。
「ええ。数ヶ月前、私が泥の中でザックを拾ったあの日……私は即座にダミー商会を経由し、王国から二束三文でこの土地を買い取りました。そして裏金で密かに職人たちを手配し、長きにわたる復興工事をすでに完了させておいたのです」
村の広場では、私に先んじて国を出ていたザックとカインが、満面の笑みで出迎えました。
その背後に整列していたのは、泥の中から集められた約五十人の孤児や罪人、逃亡奴隷たち。数はまだ小規模ですが、地獄を生き抜いてきた彼らの眼光は、王国の正規兵よりも遥かに鋭く、飢えた獣のようにぎらついていました。
「待ってたぜ、ルシアン! あんたの言った通り、俺たちの新しい居場所が完成してるぜ!」
「ご苦労様でした、ザック。そしてカイン」
私は彼らの前に進み出ると、懐から『五つの特級魔石』を取り出しました。
国が一つ買える価値を持つ五つの至宝が、夜の闇の中で圧倒的な魔力の光を放ち、五十人の顔を照らし出します。
「これらは魔法の兵器などという、底の浅い用途には使いません」
私は手の中の魔石を見つめ、静かに、しかし絶対の確信を持って告げました。
「この五つの特級魔石は、莫大な『富』そのものです。エルシオン聖王国の経済を根底から狂わせ、我々の新しい国を未来永劫、盤石に運営していくための資金源となります。魔法などの不確かな力ではなく、この生々しく絶対的な『資本』こそが、我々の国を支える礎なのです」
私は言葉を切り、ザック、カイン、エリアス、そしてクラーラの顔を一人ずつ見渡しました。私の瞳の奥には、彼らですら知らない――この魔石を基盤とした、ある「国家規模の壮大な仕掛け」の青写真がありました。それは、世界の理そのものを書き換えるための、私だけが密かに抱く真の野望。
「この魔石は、我々の手で創り上げる『未来そのもの』です。私が敷いたこの盤面の上で、理想の国を具現化するための……真なる力なのです」
私はあえて、魔石の真の用途や、私の計画の最終的な終着点については深く語りませんでした。それは、いずれ訪れるすべての仕込みが完遂された時に初めて、彼らが知ることになる真実だからです。
そう告げると、私は背後に控えていたエリアス王子を広場の中央へと進み出させました。
そして、傍らに立っていたクラーラの肩を掴み、彼女を無言のままエリアスの隣へと歩かせ、二人が並んで立つように配置しました。高貴な血統を持つ銀髪の王子と、国中から信仰を集める純白の聖女。逃げ場を失った彼女がそこに立つだけで、泥に塗れた五十人のならず者たちを束ねる『絵に描いたような正義の旗印』として、完璧な機能を有していました。
「クラーラ、貴方はただそこで黙って立っていなさい。……エリアス殿下、これを受け取りなさい」
私は懐から折り畳まれた一枚の羊皮紙を取り出し、エリアス王子へと手渡しました。
「そこに書かれた言葉を、貴方の最初の臣民たちへ向けて、一言一句違えずに読み上げるのです」
それは私が用意した、極めて合理的で冷徹な宣言文でした。
エリアスは震える手で紙を受け取ると、私の威圧感と、目の前で自分を見つめる五十人の底辺の者たちの熱に当てられたように、ゆっくりと口を開きました。
「我々は……今日、このノルドの地において、新たな国を創り上げることを宣言する……!」
若く掠れた声が、復興を遂げた村の夜空に響き渡ります。
「この国においては、生まれも、過去の罪も、血統も、一切の意味を持たない! ここにいるすべての者は、等しく平等である……! 行動した者、働きを示した者には、必ずそれと『同等の価値を持つ報酬』を与えることを、ここに約束する……!!」
その紙に書かれていたのは、甘い平和や高尚な理想などではありませんでした。地獄を這いずってきた彼らが最も飢え、最も求めていた「生々しい対価」と「絶対的な成果主義」の約束です。
王国の理不尽な搾取にすべてを奪われてきた五十人の精鋭たちは、その言葉を聴いた瞬間、地鳴りのような歓声と怒号を夜空へと轟かせました。
王国の手の届かない新天地で、王国の金と至宝を使って創り上げられた、最も鋭き反逆の刃。彼らの心は今、完全なる忠誠と熱狂をもって、私の敷いた盤面の上へと縛り付けられたのです。
すべてを計算し尽くしたルシアンの「建国」。エルシオン聖王国崩壊へのカウントダウンが、今、決定的な音を立てて回り始めたのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
国王の前での告発さえも利用し、クラーラの逃げ道を完全に塞いで「見栄えの良い神輿」として手中に収めたルシアン。
復興したノルド村でザックたちと合流し、すべてはルシアンの筋書き通りに動きます。自ら言葉を発するのではなく、クラーラを隣に立たせ、エリアスに「完全なる平等と成果主義」を約束した原稿を読み上げさせるという、徹底して計算された建国の儀式でした。




