表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/12

第6話 亡国の王子

いつもお読みいただきありがとうございます。

今回は、王国の華やかな大義名分の裏に蠢く、最底辺の奴隷市場が舞台となります。

血塗られた現実から目を背け、対話による「平和な解決」を信じる亡国の王子。その美しくも無力な幻想を、ルシアンが圧倒的な金と冷徹なロジックをもって木端微塵に叩き割る展開にご注目ください。

※本作にはダークファンタジー特有の陰惨な描写が含まれます。

「戻ったぜ。言った通り、闇市を牛耳ってる大物奴隷商人の懐から、最高に分厚い財布を抜いてきてやった」

 薄暗い隠れ家の中、息を荒くしながら戻ってきたザックが、机の上にどさりと重々しい革財布を投げ置いた。泥まみれの顔には、己の技術を証明できたことへの得意げな笑みが浮かんでいる。

「見事な手際です、ザック」

 私が財布の紐を解くと、中からは大量の純金貨と共に、何重にも厳重に折り畳まれた一枚の羊皮紙が現れた。王国の高官による署名が残された『極秘奴隷売買リスト』。それを受け取り、広げて見ていたザックの目が、ある一点で激しく見開かれる。

「あ……っ、カインの兄貴だ! カインの名前がある! 生きてやがった……あいつ、まだ奴隷商人の地下檻に囚われてやがるんだ!」

 ザックが拳を握りしめ、歓喜の声を上げる。かつて自分たち孤児を庇って身代わりとなり、奴隷商人に連れ去られたという青年カイン。その生存が証明された瞬間だった。

 しかし、そのリストを横から覗き込んだクラーラが、別の名前に目を留めた途端、顔面を蒼白にさせてガタガタと震え出した。

「そんな……嘘でしょう……? どうしてこの悪魔のお名前が、こんな汚れた場所に……」

「クラーラ? 何を見たのです」

「エリアス……エリアス・ヴァン・ルシリス。ルシアン神官、この者は……数年前に我が聖王国が正義の鉄槌を下して滅ぼした、ルシリス小国の生き残りの『王子』です!」

 クラーラは胸元を強く押さえ、大聖堂で教え込まれてきた王国の歴史を、信じ切った瞳のまま震える声で語り始めた。

「ルシリス小国は、一見すると資源豊かで平和な国を装っていました。ですがその裏では、人類の敵である魔王軍と密かに内通し、我がエルシオン聖王国を内側から崩壊させようと目論んでいた、恐ろしい裏切りの国家だったのです! 聖なる教会はその陰謀をいち早く察知し、神の御名において絶対的な異端宣告を下しました。大義名分を得た王国は、正義の勇者を派遣して悪魔に魂を売った王宮を焼き払い、国を丸ごと浄化したのです。……その聖戦の最中に行方不明となり、死んだとされていた大罪人の血を引くエリアス王子が、なぜ奴隷に落とされて生きているのですか……!」

 王国の掲げた大義名分を一片の疑いもなく信じ、エリアスを恐ろしい罪人のように語るクラーラ。その説明を聴きながら、ザックは顔を歪めて絶望の表情を浮かべた。

「滅ぼされた国の王子……しかも魔王軍と繋がってた大罪人の生き残りだって……? そんなヤバい奴がカインの兄貴と同じ檻にいるのかよ。王国に見つかったら確実に一族もろとも消される……。俺たちの手には負えねえ、カインを助け出すなんて無理だ……」

「いいえ、無理ではありません。むしろ最高の機会だ」

 私は腹の底から湧き上がる歓喜を抑えきれず、冷酷な笑みを深めた。

 国を裏側から完璧に掌握し、簒奪するためには、暴力や資金だけでは決定的に足りない。民を煽り、大衆を納得させるための絶対的な『大義名分(血統)』が必要だった。聖王国に理不尽に滅ぼされた正当な王子。これ以上ない、王政への最高の反逆の旗印だ。

「ザック、案内しなさい。お前の兄貴分も、その落ちぶれた王子も、私がまとめてその地獄から買い戻してあげましょう」

───

 深夜、私たちは王都の地下に広がる闇市場のさらに奥、大物奴隷商人が所有する巨大な地下収容施設へと足を踏み入れていた。

「うっ……、酷い匂い……。これは、一体……」

 同行していたクラーラが、通路に一歩入った瞬間に顔を青ざめさせ、口元を両手で覆った。

 大聖堂という清潔で神聖な光の空間でしか生きてこなかった彼女にとって、そこは生まれて初めて目にする真の地獄だった。通路の両脇に並ぶ鉄格子の奥には、衣服とも呼べないボロ布を纏わされた人間や亜人たちが、肥溜めのような悪臭のなかで家畜のように押し込められている。飢えと病で虚ろになった瞳、錆びた鎖が擦れて骨が露出した手足。非人道的な光景が、見渡す限りどこまでも続いていた。

「ルシアン神官……これが、神の光が届かぬ場所の現実なのですか……? 教会は、国は、どうしてこんな悍ましい場所を黙認しているのです……っ!」

 激しい嫌悪感と吐き気に身体を震わせ、涙目で私を振り返るクラーラ。私はそんな彼女を顧みることすらせず、冷淡に言い放った。

「黙認ではありませんよ、クラーラ。彼らはこの場所から、莫大な『税』を吸い上げている。教会の高官たちも、ここで売買される美しい少女や頑強な亜人の労働力を、裏で好んで買い漁っている。貴方の信じる正義の国は、この地獄の上に成り立っているのですよ」

 クラーラが絶望に息を呑むなか、私たちは地下の中枢にある、悍ましいほど贅沢な調度品で飾られた執務室へと入った。

「クソがッ! どこへ消えた! 誰が俺の懐から財布を抜き取りやがったんだ!!」

 室内では、豚のように肥え太った奴隷商人の主が、分厚い肉の手で机を叩き、周囲の手下たちに向かって狂ったように怒鳴り散らしていた。財布と共に、王国の高官たちとの裏取引が記されたあの極秘リストを紛失したのだから、狂乱するのも無理はない。

「お探しのものは、これですか?」

 私が何食わぬ顔で部屋の奥へと進み出ると、商人の主は血走った目をこちらに向けた。

 私が衣服の懐から取り出し、机の上に静かに置いたのは――たった今、ザックが盗み出してきたばかりの分厚い革財布と、あの羊皮紙のリストだった。

「な……ッ!? お前、教会の神官か……! なぜそれを貴様が持っている! 泥棒は教会の差し金だったのか! おい、曲者だ、殺せっ――!」

 商人の主が激昂し、背後に控えていた屈強な私兵たちが一斉に武器を抜いた。

 刃が迫る緊迫した空気の中、私は一切の魔法も暴力も振るわず、ただ優雅に、まるで高位の貴族に接するような美しい所作で深々と一礼をした。

「どうかお気を静めくださいませ、大商人の旦那様。我が愚かな部下が大変な無礼を働きましたこと、幾重にもお詫び申し上げます」

 極めて丁寧な敬語と、筆頭神官という高位の者が絶対に見せるはずのない従順な態度。その異常な光景に、商人の主も私兵たちも毒気を抜かれたように動きを止めた。

「お探しの品は、手付かずのままお返しいたします。そして……」

 私は微笑みを崩さぬまま、懐からズッシリと重い『純金の延べ棒』を数本取り出し、机の上の財布の隣へと無造作に積み上げた。ゴトリ、と重鈍な音を立てて積み上がる眩い黄金の輝き。それは奴隷商人が一生かけても稼げないほどの、暴力的とも言える莫大な富だった。

「こちらが、部下の不始末に対する私からの、ささやかな『謝礼』にございます。どうか、お納めください」

「こ、これは……純金……! 筆頭神官様が、なぜ俺なんかに……」

 商人の主は震える手で金塊に触れ、私の顔を困惑の目で見つめた。

 私は胸に手を当て、最高に優雅な笑みを浮かべて囁く。

「お願いがございます。地下の檻にいる『カイン』と『エリアス』という二名を、この金で私に譲渡していただきたい。……もちろん、今日の出来事はすべて旦那様の胸の内に留めていただく、という条件付きですが」

 そこで私は初めて、底知れぬ漆黒の殺意を瞳に宿し、王侯貴族に語りかけるような滑らかな敬語のまま、残酷な脅迫を口にした。

「もしこの取引をお断りになるか、あるいは王宮のどなたかに一言でも漏らされた場合……明日には、貴方様の商会が『悪魔崇拝の拠点』として、異端審問官の炎で丸ごと焼き尽くされるよう手配いたします。ご親族や愛人の皆様も含め、誰一人として灰すら残らないでしょう」

「ひっ……!」

「さあ、賢明なる旦那様。この莫大な謝礼をお受け取りになり、私と円満な『お取引』をしていただけますか?」

 暴力など一切使っていない。ただ金塊を積み上げ、敬語で話しかけただけだ。

 だが、その圧倒的な金の力と、教会の権力による容赦のない「一族皆殺し」の宣告を前に、豚は完全に屈服した。彼は悲鳴を飲み込み、歯をガタガタと鳴らしながら平伏した。

「わ、分かった……! 取引成立だ……! おい、誰か、あの檻の鍵をこの御方に渡せぇっ!!」

 狂ったように許しを乞う商人の主。

 その背後で、クラーラは血の気の引いた顔で私の背中を見つめていた。魔法も暴力も使わず、ただ優雅な敬語と圧倒的な金、精度高く冷酷な知略だけで裏社会の顔役を完全に支配してみせた私。彼女はその怪物の本質を目の当たりにし、ただ言葉を失って戦慄していた。

───

 商人の手下から受け取った鍵で、最奥の特別檻を開ける。

 鉄格子が跳ね上がった瞬間、ザックは涙を流して、衰弱していた青年カインの元へと駆け寄り、固い抱擁を交わした。

「カインの兄貴……! 生きててよかった……本当に、よかった……っ!」

「ザック、お前……どうしてここに……」

 二人の感動的な再会の傍らで、檻の隅に静かに座り込んでいた銀髪の少年――エリアス王子が、掠れた声を絞り出した。

「貴方たちは……教会の神官、ですか?」

 鉄格子の前に立つ私と、聖女の法衣をまとったクラーラを見て、エリアス王子はすがるような瞳を向ける。

 クラーラは先ほどの奴隷商人の言葉を受け、複雑な葛藤を抱きながらも、彼の前に跪いて優しく語りかけた。

「エリアス殿下……貴方は本当に、魔王軍と内通して聖王国を滅ぼそうとしたのですか? なぜ、そのような恐ろしい大罪を……!」

 その問いを聴いたエリアス王子の瞳に、大粒の涙が溢れ出した。彼は鉄格子を掴み、必死に声を上げる。

「違う……! 僕たちの国は、魔王軍なんかと内通していない! 鉱山や穀倉地帯を欲しがった聖王国が、最初から僕たちを侵略するために仕組んだ嘘なんだ! 家族も、民も、みんな何も悪いことはしていないのに殺された……! でも、僕は聖王国の王様や国民を恨んではいないんだ。僕たちが無実であるという『真実』さえ明らかになれば、きっと誤解は解ける。対話を重ねれば、奪われた土地もきっと返してもらえるはずだ。僕はもう一度、誰も傷つかない平和な世界を、話し合いによって取り戻したい……!」

 そのあまりにも無垢で、必死な叫びを聴き、クラーラは目を見開いて息を呑んだ。

「そんな……でっち上げ……? 王国が、嘘を……? ああ、それなら、やっぱり殿下は罪人などではなかったのですね! すぐにここから出して、王国の誤解を解きましょう! 真実を世に公表すれば、きっと話し合いの道が開けるはずです!」

 王子の言葉に簡単に流され、今度は「対話と真実」という美しい夢物語に乗っかろうとするクラーラ。

 絶望の場所に囚われ、尊厳を泥に塗られながらも、なおもそんな生温い綺麗事を語り合う二人に対し、私は冷え切った、底知れぬ嘲笑を地下室に響かせた。

「はは……はははは! 滑稽ですね。実につまらない」

「え……?」

「ルシアン神官!? 何を笑うのですか!」

 激昂するクラーラを冷徹な眼差しで射すくめ、私はエリアス王子の前に歩み出た。そして、彼らが信じようとしている世界の根底を木端微塵に破壊する言葉を、冷たく突きつける。

「エリアス殿下。貴方は根本から勘違いをなさっている。エルシオン聖王国は、貴方の国が『魔王軍と内通していると勘違いした』から滅ぼしたのではない。最初から、貴方の国の富と土地が欲しくて、意図的に嘘を吐いてお前たちを虐殺したのですよ。強者にとって、弱者の語る『真実』など、敗者の惨めな泣き言に過ぎません」

 エリアスは息を呑み、怯えたように身体をすくませた。

「対話で土地が返ってくる? 寝言は眠ってから言いなさい。この聖王国は弱者を容赦なく切り捨てる一方で、勇者を派遣して世界を統一すれば『お釣りが来る』という強欲なからくりで動いています。略奪した富で肥え太った豚たちが、いまさら被害者の泣き言を聞いてそれを返すはずがないでしょう。貴方がその無垢な真実を掲げて王都の広場に立てば、待っているのは平和的な解決などではない。証拠隠滅のために、王国の兵士によって人知れず首を撥ねられ、ドブ川に捨てられて終わるだけです」

「そんな……そんなこと……っ!」

「解せないというお顔をなさらないでください、クラーラ。貴方も同罪なのです」

 私は背後のクラーラを鋭く睨みつけ、その青臭い正論を容赦なく論破した。

「世間に真実を公表する、とおっしゃいましたね? 大衆は教会の掲げる勇者を崇拝し、ルシリスから奪い取った資源の恩恵を受けてぬくぬくと暮らしています。彼らにとって、自分たちの繁栄が『でっち上げの虐殺』の上に成り立っているという真実など、最も不都合で不愉快な現実に過ぎません。そんなものを突きつけられて、民衆が奴隷の王子に味方すると本気でお思いですか? 貴方のやろうとしていることは、平和的な解決などではない。ただの、全員を巻き添えにした無意味な集団自殺です」

 絶対的な論理と、世界の冷酷な構造の提示。

 クラーラは唇を血がにじむほど強く噛み締め、膝を震わせて俯いた。エリアス王子もまた、自らの信じていた「対話と平和」という最後の心の拠り所を根底からへし折られ、涙を流して絶望の泥の中に崩れ落ちた。

「……じゃあ、僕には、何が出来るっていうんだ……。国も、家族も奪われて……僕にはもう、何も残っていないのに……!」

 絶望に咽び泣く王子の前に、私は静かに跪き、悪魔の誘惑のような低い声で囁きかけた。

「すべてを奪われたからこそ、貴方には最強の価値がある。エリアス殿下、その無価値な祈りと甘い思想を今すぐドブに捨て、私の人形(神輿)になりなさい」

「人、形……?」

「貴方のその気高き血統を、この腐った王国を全方位から叩き潰すための『反逆の旗印』として私に貸し出すのです。私が敷いた、この確実な盤面に乗りなさい。そうすれば、貴方が対話で決して手に入れられなかったルシリスの土地を、王国の者たちの血で赤く染め上げた上で、その手へと奪い返して差し上げましょう」

 それは、神の救いよりも確実で、何よりも悍ましい『悪魔の契約』だった。

 エリアス王子は恐怖に震えながらも、私の瞳の奥にある圧倒的な現実の力に抗えず、泥に塗れた手を伸ばして私の衣服を掴んだ。

 ザックがカインを支えて立ち上がる背後で、私は王子の頭を優しく撫でる。

 傍らで見つめるクラーラは、もはや涙すら流さなかった。ルシアンという怪物の前では、平和の祈りも王国の掲げる正義も、すべてが容易く切り裂かれる。彼女はただ、王国の崩壊へのカウントダウンが、より確実な形となって刻まれ始めた現実を、共犯者の瞳で静かに見届けていた。

第6話をお読みいただき、ありがとうございました。

暴力と金で裏社会を優雅に蹂躙するルシアンの姿と、何の意味も持たない「平和な対話」という幻想が砕け散る瞬間を描きました。

すべてを失った亡国の王子という『最高の大義名分』を手に入れ、王国の理不尽なシステムを根底から覆すルシアンの覇道が、いよいよ本格的に動き出します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ