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第23話 灰燼と崩落

得体の知れない「正体不明の軍勢」が異常な速度で迫る中、彼らは生き残るために究極の物理的決断を下します。そして、次なる舞台は聖王国の暗部たる「極秘の地下道」へ

建設が進むノルドの拠点。

 周辺諸国への間者として走っていたザックが、肺を破らんばかりの酷い息継ぎと共に、泥まみれで駆け込んできたのは、そんな折のことだった。

「ルシアン……っ! ガルムが、消えた……!」

 その報告は、あまりにも唐突で、そして不可解なものだった。

「消えた、とはどういうことですか。聖王国の軍勢と国境の峡谷で衝突したのは三日前のこと。あの峻険な地形で、ガルムの狂戦士たちがそう簡単に崩れるはずがありません」

 黒い手袋に覆われた細い腕を微かに震わせながら、ルシアンは静かに問い返した。だが、ザックの顔は見たこともないほど蒼白に引き攣っている。

「違うんだ、衝突なんかしてない。俺が遠目から見た時、峡谷はすでに……ただの巨大な『火鉢』になってた。国境も、ガルムの狂戦士たちも、何者かに一瞬で丸焼きにされて、国が丸ごと灰になってたんだよ……!」

「何者かに、ですか」

「分からない。どんな軍隊が、どうやってあんな真似をしたのか、影すら見えなかった。……ただ、ガルムを焼き払ったその『得体の知れない何か』が、今この瞬間も、ノルドへ向かう一本道を北上してきているのだけは間違いない!」

 その言葉を聞いた瞬間。ルシアンの衣服の下――限界に近い変換炉(心臓)が、警鐘を鳴らすように酷く嫌な脈打ち方をした。

 得体の知れない悪寒。聖王国に属するどの軍勢の戦い方とも違う、異常なまでの殲滅速度と徹底した破壊。相手が何者かは分からない。だが、もしアレと正面から対峙すれば、自分たちは一欠片の肉すら残らず消し飛ばされる。それだけは確信できた。

「皆、直ちに手を止めて聞きなさい」

 ルシアンの冷ややかで切迫した声が、作業に従事していた者たちの動きを止めた。

「ガルムを滅ぼした正体不明の軍勢が、こちらへ向かっています。戦えば我々は確実に全滅する。……ゆえに、我々は連中の『道』そのものを物理的に消し飛ばし、迂回させるほかない。エリアス殿下」

「はい。生き残るための、最善の策ですね」

 エリアスが真剣な眼差しで前に出る。

「ガルムからこのノルドへ至る山道は、国境の峡谷を通る一本道しかありません。あの山の斜面を完全に崩落させ、道そのものを土砂で封鎖します。数日で退かせるような規模ではありません。山そのものを削り落とし、修復に数年はかかるほどの完全な断崖絶壁を創り出すのです。……ただし」

 ルシアンはそこで言葉を区切り、集まった者たちを鋭く見渡した。

「作業中、もしもガルムを灰にした敵の姿が少しでも視界に入ったなら、道具を捨てて即座に撤退しなさい。決して戦おうなどと考えてはいけない。……エリアス殿下、彼らの指揮をお願いします」

「分かりました。……皆、聞いてください!」

 ルシアンの言葉を受け、エリアスがかつての気弱な面影を捨て、気高くも芯のある声で呼びかけた。

「我々が生き延びる道は、あの国境の山を崩し、正体不明の敵の進路を完全に断つことだけです。過去の身分も関係ありません。どうか、斧と鋤を握って山へ向かってください。このノルドの拠点を守り抜くため、皆の力を私に貸しなさい!」

 王族としての威厳と、敬語を用いた冷徹なまでの平等性。その必死の呼びかけに、民衆や作業員たちが一斉に動き出した。

 彼らは冷雨の降り注ぐ夜の山へ入り、ガルムから逃れてきた木こりの指示のもと、斜面上部の粘土層へ沢の水を流し込み、斜面下部の木々を狂ったように伐採し続けた。

 いつ、あの道の向こうから「正体不明の化け物たち」が姿を現すか分からない。その極限の恐怖と焦燥の中、泥に塗れながらの決死の作業が夜通し続いた。

 ――そして翌朝。

 膨張した地中の粘土層が山の自重を支えきれなくなり、地鳴りのような轟音と共に、山肌の半分が完全に崩落した。何万トンもの土砂と岩石が谷底へ雪崩れ込み、ガルムから続く一本道を完全に消し飛ばした。

 それは単なる足止めではない。再び人が通れるように道を切り開くには、数年の歳月を要するであろう、完全なる地形の崩壊だった。

 作業にあたった者たちは遠くからその光景を見届け、誰一人敵の姿を見ることなく、無事にノルドへと撤退を完了した。

     * * *

 ノルドの拠点。

 遠くの山肌が崩れ落ちた轟音を聞き届けたルシアンは、静かに安堵の息を吐いた。

 これで、得体の知れない脅威がノルドへ至る道は完全に断たれた。山を越えてくることは不可能であり、奴らがこちらへ来ることはもう二度とない。

 だが、完全な死角を手に入れ、安全になったからといって、ここで立ち止まるつもりは微塵もなかった。

(……一刻も早く、我が身の代わりに血を流すための軍勢が必要です)

 ルシアンの脳裏に、一つの行き先が浮かび上がる。

 聖王国の北端に位置する監獄――『タルタン流刑地』。

 聖王国への深甚な憎悪を抱いたまま押し込められている数千の囚人たち。彼らこそが、次の盤面で手に入れるべき『暴力』だった。

「ザック、カイン」

 ルシアンは静かに振り返り、背後に控える者たちへ視線を向けた。

 そこには二人と、さらに裏の伝手で呼び寄せた、顔に痛々しい傷跡を持つ壮年の男が立っていた。かつて囚人として流刑地へ送られ、奇跡的に脱獄を果たした男だ。

「……タルタン流刑地は、表向きは海を渡って一ヶ月かかる絶海の孤島とされています。ですが、この男の情報によれば、それは聖王国の目眩ましに過ぎない」

 壮年の案内人が、地面の泥に木の枝で絵を描きながら、かすれた声で言葉を継ぐ。

「……あそこは単なる監獄じゃねえ。聖王国が裏で高価な鉱石を掘らせている強制採掘場だ。上層部が鉱石を極秘に持ち出すために、海の下を潜る巨大な密輸用の地下坑道が掘られている。本土側の廃坑からそのトンネルに入り、トロッコの線路を辿れば……船を使わず、わずか一週間で流刑地の最深部へ潜り込める」

 その言葉に、カインが目を細めた。

「一週間……。船を使わずに済むなら、追っ手に見つかる心配もないわけか」

「ええ。それだけではありません」

 ルシアンの漆黒の瞳に、冷たい光が宿る。

「その地下坑道を使えば、現地で手に入れた数千の兵を、聖王国の監視網に一切引っかかることなく、このノルドの近郊まで安全に引き揚げさせることができます。国家の強欲が生み出した隠蔽路を、そのまま我らの軍隊の輸送路として利用するのです」

 完璧な筋書き。4人という小規模で潜入し、数千という軍勢を連れて帰還するための唯一無二の手段だった。

「エリアス殿下、クラーラ様」

 ルシアンは振り返り、拠点に残る二人へ向き直った。

「私とザック、カイン、そしてこの案内人の四人で流刑地へ向かい、兵を率いて帰還します。それまでの間、この拠点の統治と防衛はお任せします」

「はい。この場所は私たちが必ず守り抜きます。……ルシアン、どうか無事で」

 エリアスが力強く頷くのを見届けると、ルシアンは黒い外套を翻した。

「出立です」

 山肌の崩落が生んだ完全な防壁の中。

 拠点に残る仲間たちに背を向け、聖王国の喉首を撃ち抜くための次なる暗黒の地下道へ、四人の影が静かに消えていった。

魔法や特別な力に頼らず、自然の理(水と重力)だけを用いて山をへし折る生者たちの足掻きと、国家の腐敗の象徴である「密輸トンネル」を利用した完璧な侵入・撤退ルート。ダークファンタジーとしての泥臭さとロジックが美しく噛み合った回になりました。次回、いよいよ最凶の監獄へと潜入します。

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