第20話 憎悪の抽出
いつもお読みいただきありがとうございます。
第20話では、いよいよ聖王国軍とガルム軍の激突、そして最前線での凄惨な殺戮が描かれます。
小国ガルムの絶望すらも利用して凄惨な処刑場を組み上げていくルシアンの知略と、戦場に生み出される泥まみれの狂気。そして味方を使い捨てる勇者ギルベルトの卑劣な采配をお楽しみください。
※本作にはダークファンタジー特有の陰惨な描写や価値観が含まれます。
開戦直前。ガルム軍の最前線に張られた薄暗い天幕の中。
ずらりと並べられた小瓶――『狂戦士の秘薬』を見下ろしながら、小柄な少年ザックが凶悪な笑みを浮かべて口を開いた。
「ボス。この劇薬の使い道について、一つ提案があるんだが」
「ほう。なんでしょうか」
「この秘薬、後で聖王国の死体の口に突っ込むだけじゃなくて……開戦前に、ガルムの先陣の連中にも配っちまうのはどうだ?」
ザックの提案に、私は目を細めた。傍らに立つカインが怪訝そうに眉をひそめる。
「おいザック。これを飲めば、痛覚を完全に失って人間じゃなくなるんだぞ。いくら味方のフリをして潜り込んでるとはいえ、そこまでしてガルムの連中に肩入れしてやる義理は……」
「そうじゃねえよ。ガルムはここで負ければ国が滅ぶ、正真正銘の絶体絶命だ。兵士たちの中には、人間を辞めてでも聖王国の連中を道連れにしてやるって復讐心に燃えてる奴らがごまんといる」
ザックは天幕の隙間から、死を覚悟して震えながらも武器を握るガルムの下級兵士たちを見やった。
「一万対数千じゃ、いくら俺たちが暴れても不自然に目立っちまう。だが、ガルムの兵士たちに『痛みを消し去り、筋力を極限まで引き上げる特効薬』だと偽ってこれを飲ませればどうなる? 狂戦士と化したガルムの特攻兵が、聖王国との圧倒的な軍力差を正面から暴力で埋め尽くし、最前線は最高にリアルで凄惨な『接戦』になる。俺たちはその大乱戦の陰に隠れて、誰にも怪しまれずに聖王国の死体に起爆薬を仕込めるって寸法だ」
その完璧に計算された悪辣な言葉を聞いた瞬間。
私は、喉の奥から堪えきれない歓喜の笑いを漏らした。
「ふふ……っ、ははははっ! 素晴らしい。本当に素晴らしい提案ですよ、ザック」
私は彼へ歩み寄り、その小さな肩へ手を置いた。
「国を守るという彼らの哀れな絶望と覚悟すらも、我々の盤面を彩るための薪として無慈悲に焚べて使い潰す……。あなたも随分と、私好みの冷酷な思考ができるようになりましたね。誇らしく思いますよ」
「へっ……ボスの側で、一番効率のいい最高の悪党のやり方を見てきたからな」
私の称賛に、ザックは悪びれることなく獰猛な牙を見せて笑った。
こうして、大国を滅ぼすための劇薬は、「国を守るために命を投げ出す覚悟」を決めた哀れなガルム兵たちの手へも、起死回生の特効薬と偽って静かに配給されていった。
───
そして、開戦。
鉛色の空から降り注ぐ冷たい雨が、荒野を泥濘へと変えていた。
「行け! 愛国に燃える誇り高き兵士たちよ! 蛮族ガルムに正義の鉄槌を下し、君たちの命を神の歴史に刻むのだ!」
聖王国軍の総大将『白磁の勇者』ギルベルトの声が、魔力拡声によって戦場に響き渡る。
しかし、その言葉に鼓舞されて突撃していくのは、事情を知らない新兵たちと、逆らえば処刑される下級兵士の部隊――つまりは、敵の戦力を削るための『肉の盾』だけだった。
ギルベルト自身と彼の直属のエリート騎士たちは、戦場全体を見渡せる安全な後方の丘に陣取り、泥だらけの戦場へ一歩も降りようとはしない。
「……あの腐れ外道が。また俺たちを使い捨てにしやがった」
最前線を走らされる古参兵・ゲイルは、雨と泥にまみれながら奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばった。
彼らの役割は、敵軍と正面からぶつかり合い、互いの戦力を極限まで擦り減らすこと。そして両軍が死に絶え、疲弊しきった最も美味しいタイミングで、無傷のギルベルトが丘から下りてきて「英雄」として残党の首を獲るのだ。
「うおおおおっ!!」
新兵たちの怒号と共に、聖王国の先陣がガルム軍の防衛線へと激突する。数に勝る聖王国が一気に押し潰すかに見えた。
だが、その直後。ゲイルの目に飛び込んできたのは、信じがたい狂気の光景だった。
「グアアアアアアアアッ!!」
ガルム軍の先陣。ルシアンから配られた『秘薬』を煽った彼らは、眼球を真っ黒に濁らせ、口から涎を垂らしながら獣のような咆哮を上げて突っ込んできた。
聖王国の槍兵が突き出した三本の槍が、ガルムの狂戦士の腹部を深々と貫く。だが、狂戦士は血を吐きながらも一切痛がる素振りを見せず、あろうことか己の腹に刺さった槍の柄を両手で掴み、自ら前へと進んで槍兵の眼前に迫った。
「ひっ……!?」
恐怖で硬直する槍兵の喉笛に、狂戦士の歯が直接食らいつき、その肉を無慈悲に引きちぎる。
「な、なんだこいつら!? 腕を切り落としても止まらねえ! 人間じゃねえっ! 化け物だぁぁっ!!」
絶望から人間を辞めたガルムの狂戦士たちの暴力は、聖王国軍の想像を遥かに超えていた。
致命傷を負っても倒れず、内臓をこぼしながら剣を振り回す彼ら一人を完全に沈黙させるためには、聖王国側の兵士がなんと『十人』がかりで周囲を取り囲み、四肢を細切れにして首を落とすしかなかった。
だが、その十人がかりで一人の狂戦士をようやく殺し切るまでに、周囲にいた聖王国兵は優に『二十人』近くがその獣のような腕力で斬り裂かれ、あるいは殴り殺されていたのだ。
「死ね! 死ねぇぇっ!」
「バケモノめ……っ! ぎゃああああっ!!」
一人が二十人を道連れにし、十人がかりでようやく一人が死ぬ。
飛び交う矢、絶叫、四肢が切断される鈍い音。泥濘の戦場は、両軍の兵士が理性を失って殺し合う、凄惨極まりない地獄絵図と化した。
───
同時刻、ガルム軍の後方に位置する本陣の軍議所。
激しい雨音に混じって、最前線から伝令の兵士が泥まみれで飛び込んできた。
「司令官閣下! ご報告いたします!」
「前線の様子はどうだ!? 抜かれたか!?」
血相を変えて問い詰めるガルムの総司令官に対し、伝令の兵は恐怖と興奮がないまぜになったような、異様な顔つきで叫んだ。
「わ、分かりません! 前線の我が軍の兵士たちが……突然、獣のように吠え狂い、一切の統率が取れない状態に陥っております! 退却の銅鑼を鳴らしても誰も耳を貸さず、死ぬまで敵陣に突撃し続けています!」
「統率が取れないだと!? 馬鹿な、それでは陣形が崩壊して一瞬で蹂躙されるぞ!」
「それが……違います! 我が軍の兵士たちは、腹を貫かれようが腕を斬られようが止まらず、たった一人で聖王国の兵を『二十人』以上も道連れに叩き伏せているのです! 現在、聖王国軍の先陣は完全にパニックに陥り、崩壊寸前です!」
その報告を聞いた瞬間、司令官は息を呑み、目を見開いた。
統率の崩壊。しかし、それと引き換えにもたらされた、一騎当千の異常な戦果。
「……あいつら……っ。祖国を守るために、死の恐怖すら捨てて死兵となったというのか……!」
もちろん、それが素性の知れぬ傭兵が配った劇薬のせいだとは思いもしない。司令官は、兵士たちの愛国心が奇跡を起こしたのだと勘違いし、その両目に熱い涙を浮かべた。
「おお……神は我らを見捨ててはおられなかった! このまま押し返せるかもしれん……! すぐに後方の予備兵を両翼へ回し、前線の死兵たちを援護しろ! 聖王国の豚どもを一人残らずこの国から叩き出せ!!」
軍議所に歓声が響き渡る。
それが、自国をも食い潰すルシアンの猛毒の掌の上で踊らされているだけとも知らず、ガルム軍の司令官は暗闇の中に一筋の「希望の光」を見出し、更なる兵力を死地である最前線へと投入していった。
───
再び、凄惨な殺戮が続く最前線。
(勝てない……! こんな死を恐れない狂人ども、俺たち下級兵士だけで止められるわけがない!)
聖王国の古参兵ゲイルは恐怖に顔を引き攣らせ、後方の丘を振り返った。
そこには、白馬に跨り、従者に傘を差させながら、ワイングラスを傾けて優雅に戦場を見下ろすギルベルトの姿があった。
これほど前線が崩壊し、味方が無惨に殺されているというのに、勇者には援軍を出す気配など微塵もない。彼にとって、眼下で味方が内臓をこぼして死んでいく光景は、自分が出撃するための舞台を彩る「悲劇の演出」でしかないのだ。
「ギルベルト……ッ! きさまぁぁぁぁっ!!」
ゲイルの口から、敵への恐怖よりも遥かに濃い、味方の総大将への激しい憎悪が迸った。
だがその直後、ゲイルの視界が大きく反転した。
乱戦に紛れて背後へ回っていた長身の男・カインの巨大な剣が、ゲイルの両脚を膝下から無慈悲に薙ぎ払ったのだ。
「が、あ……っ!?」
泥の中に激しく叩きつけられるゲイル。激痛に声も出ず、血の海となった地面を這いずりながら、彼は自分の死を悟った。周囲を見渡せば、彼と同じようにギルベルトに見捨てられ、致命傷を負って死にかけている古参兵たちが無数に転がっている。
「……無念か、おっさん」
頭上から冷たい声が降ってきた。見上げると、小柄な少年ザックとカインが、泥まみれのゲイルを冷酷に見下ろしていた。
「てめえらも、あのクズ勇者に使い捨てられた可哀想な駒だ。……俺たちのボスが、てめえらのその『恨み』を晴らす極上の機会をくれてやるってよ」
「……なに……を……」
カインは懐から、禍々しい紫色の泥濘が入った小瓶を取り出した。
そして、抵抗する力も残っていないゲイルの顎を強引にこじ開けると、その泥のような秘薬を口の中へたっぷりと流し込んだ。
「ごふっ……!? ぐ……っ!」
「そのまま飲み込まなくていい。どうせもうすぐ死ぬんだ。……口の中に含んだまま、あの偽善者への憎悪だけを煮詰めて待ってな」
口内に広がる、甘く泥濘のような劇薬の味。
それが胃に落ちる前に、ゲイルの意識は失血によって急速に暗転していった。だが、薄れゆく意識の中で、彼の心に渦巻いていたのは己の死への恐怖ではない。自分たちをゴミのように見捨てた白磁の勇者に対する、どす黒く、狂おしいほどの『殺意』だった。
(許さない……ギルベルト……。お前だけは……絶対に……ッ)
ゲイルの瞳から光が消え、完全に絶命した。
ザックとカインはゲイルの死体から手を離すと、狂戦士たちが暴れ狂う大乱戦の影に潜みながら、地面に転がる聖王国兵の死体の口内へと次々と『起爆用の秘薬』を仕込んでいった。
雨の音と、悲鳴が徐々に静まっていく戦場。
狂戦士と化したガルムの特攻兵たちと、肉の盾として使い捨てにされた聖王国の先陣。ザックの描いた凄惨な筋書き通り、両軍の兵士たちは泥沼の乱戦の果てに、その大多数が相討ちとなって息絶えた。最前線は文字通り「死体の山」と化していた。
静寂が包む荒野には、数千もの物言わぬ屍だけが転がっている。そして聖王国兵たちの死体の口の中には、ルシアンの仕込んだ『狂戦士の起爆薬』がたっぷりと含ませてあった。
───
一方、安全な後方の丘。
静まり返った戦場を見下ろし、ギルベルトはワイングラスを傾けながら恍惚とした笑みを浮かべた。
「素晴らしい……! ガルムの野蛮な兵どもも、我が国の勇敢な兵士たちも、相討ちとなってほぼ全滅したか。あぁ、なんて美しく、そして悲しい光景だろう!」
彼は白銀剣を天に掲げ、背後に控える無傷のエリート騎士たちに向かって高らかに宣言した。
「さあ、時は来た! 尊き犠牲となった彼らのため、この『白磁の勇者』ギルベルトが、悲劇の英雄としてこの戦いに終止符を打つ! 私に続け!」
自分が仕組んだ完璧なシナリオに酔いしれながら、ギルベルトは白馬を進める。
彼が向かう先には、自分に対する極限の憎悪を秘薬と共に口に含んだ、数千の「時限爆弾」が眠っていることなど露知らず。
愚かな偽善者は、自らの処刑場へと意気揚々と足を踏み入れていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ザックの冷酷な提案により、自国を守るために人間を辞めたガルム兵をも盤面の駒として利用し、一人が二十人を殺し、十人がかりでようやく殺されるという異常な狂戦士の戦果によって、完璧な『死体の山』が組み上げられた第20話でした。
大乱戦の陰で、ギルベルトへの強烈な恨みを抱いた兵士たちの口内へ『秘薬』が仕込まれ、戦場は静寂に包まれます。




