第19話 偽善の進軍
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勇者バルドスの死を起爆剤とし、ついに聖王国と小国ガルムの全面戦争の火蓋が切って落とされます。
味方を使い捨てる自己陶酔型のクズ勇者『白磁の勇者』ギルベルトの狂気と、大国を嵌めるために暗躍するルシアンたちの静かなる仕込みを描く第19話です。
※本作にはダークファンタジー特有の陰惨な描写や価値観が含まれます。
冷たい雨が打ち付ける泥濘の道を、聖王国の誇る一万の大軍が進軍していた。
彼らが向かう先は、西の国境に位置する小国ガルム。勇者バルドスを卑劣な罠にかけ、その遺体を焼き尽くしたとされる「野蛮な神敵」を殲滅するための、怒りに満ちた聖戦であった。
だが、軍列の中腹を歩く古参の兵士・ゲイルの瞳に、聖戦への高揚はない。重い鎧の下で雨に打たれ、泥に足を取られながら、彼はひたすらに黒く濁った双眸で『軍の先頭』を睨みつけていた。
一万の軍勢の先頭を進む、白馬に跨った壮麗な男。
豪奢な装飾が施された白銀の細身剣を腰に帯び、泥一つ跳ねていない白亜の鎧に身を包んだ、この軍の総大将――『白磁の勇者』ギルベルトである。
(……美しい犠牲だと? 吐き気がする。あの偽善者の背中に、いつか必ず俺の剣を突き立ててやる)
ゲイルは奥歯を強く噛み締めた。口の中に血の味が広がる。
新兵たちは「勇者様の下で戦える」と目を輝かせているが、ゲイルたち古参の兵士は皆、ギルベルトという男の『本当の姿』を骨の髄まで知っていた。
――数ヶ月前の、別の討伐戦でのことだ。
ギルベルトは「愛する祖国のため、この重要な防衛線を死守してくれ!」と涙ながらにゲイルたち下級兵士の部隊に語りかけ、敵の猛攻が予想される死地に彼らを配置した。
ゲイルたちは必死に戦った。仲間が次々と四肢を断たれ、内臓をこぼし、血の海に沈んでいく中、それでも勇者の言葉を信じて戦線を維持した。部隊の九割が死滅し、敵軍もまた極限まで疲弊しきった、その時だ。
安全な高台から高みの見物を決め込んでいたギルベルトが、優雅に戦場へ降り立った。
彼は疲労困憊の敵将の前に躍り出ると、傷一つない白銀剣であっさりとその首を刎ね飛ばした。端から見れば鮮やかな電撃戦。だがその実態は、味方を肉の盾として徹底的に使い潰し、敵が疲弊しきった最も美味しい局面で現れ、無傷のまま英雄の賛辞を独り占めする卑劣な立ち回りだった。
そして、死体の山の上に立ち、泥と血に塗れて息絶えていく味方の兵士たちを見下ろしながら、彼は芝居がかった美しい涙を流してこう言ったのだ。
『あぁ……君たちの尊き犠牲が、私に勝利をもたらしてくれた。君たちの命は、私の名声の中で永遠に輝き続けるだろう』
ギルベルトは、兵士の命など、自身が「悲劇の英雄」として脚光を浴びるための舞台装置としか思っていない。
(次は俺たちが、あの男の英雄譚を飾るための「死体役」にされる番だ。……ふざけるな。神が許しても、俺たち死に損ないはお前を絶対に許さない)
ゲイルの周囲を歩く古参兵たちも皆、兜の下で同じように暗い殺意を滾らせていた。だが、逆らえば異端として処刑される。彼らは首輪をつけられた犬のように、絶望と怨念を抱えたまま前線へと歩みを進めるしかなかった。
───
一方、軍の先頭。
白馬に揺られるギルベルトは、磨き上げられた白銀剣の刀身に己の顔を映し、その完璧な美しさにうっとりと見惚れていた。
「あぁ……やはり、悲しみを背負った私の横顔は、彫刻のように美しい」
数日前、彼は大広間で兵士たちを前に、バルドスの折れた赤剣を天に掲げて号泣してみせた。『愛する兄弟を奪われた! 我ら聖王国は、蛮族ガルムに鉄槌を下す!』と。
思い出すだけで、ギルベルトの口角が歪な弧を描く。
(粗暴で馬鹿な豚――バルドスが死んだのは最高の朗報だった。おかげで私は「友の仇を討つ悲劇の勇者」という、これ以上ない完璧な主役の座を手に入れることができたのだからな)
ギルベルトにとって、戦争とは己を装飾するための演劇に過ぎない。
今回も、下等な兵士どもを前線に放り出し、ガルムの軍勢とたっぷりと殺し合わせよう。血と臓物が飛び散り、両軍の死体が山のように積み上がった絶望の戦場。そこに悲劇の勇者である自分が駆けつけ、泥まみれの敵将を美しく討ち取る。
その完璧なシナリオを想像し、ギルベルトは甘い吐息を漏らした。自分は誰よりも賢く、誰よりも美しく、神に愛されている。彼には微塵の疑いもなかった。
───
その頃。聖王国の大軍を迎え撃つ小国ガルムの軍議所は、重苦しい絶望に包まれていた。
聖王国からの侵攻の理由は『勇者バルドスの殺害』。身に覚えのない言いがかりであったが、弁明など一切聞き入れられず、一万もの精鋭が国境に迫っている。対するガルム軍の兵力はその半分以下。
おまけに、先日の遠征で辺境の砦へ向かった先遣隊の将軍は、見知らぬ化け物によって『両手首を切り落とされる』という凄惨な拷問を受け、恐怖で発狂したまま帰還した。
国内が混乱の極みにある中、急遽防衛の指揮を任された新たな総司令官は、迫り来る聖王国の軍勢を前に頭を抱えていた。
「司令官閣下。――我々に、その最前線を任せてはいただけないでしょうか」
重い沈黙を破り、軍議所の入り口から歩み出てきた者がいた。
傭兵風の粗末な外套を羽織り、深く被ったフードで顔の大半を隠した少年――ザックである。護衛の兵士たちが「子供がどこから入ってきた!」と一斉に槍を向けるが、彼は全く動じることなく不敵な笑みを浮かべていた。
「貴様、何者だ」
「俺は『灰の狗』。かつて聖王国の連中に故郷を焼き払われ、すべてを奪われた傭兵団の頭だ」
ザックは自らに向けられた槍の穂先を無造作に指で払い除け、総司令官を真っ直ぐに見据えた。
「俺たちは金なんていらねえ。ただ、あの聖王国の豚どもを一人でも多く道連れにしたいだけだ。俺たちを前線の最も過酷な死地へ配置してくれ。ガルムの兵の盾となり、聖王国の先陣を必ず食い破ってみせる」
小柄な少年の体躯からは到底考えられない、本物の殺気と絶対の自信。
歴戦の将である司令官は、その底知れぬ狂気に背筋を粟立たせた。だが、彼は重々しく首を振った。
「その意気や良し……だが、相手が悪い。斥候の報告によれば、今回の一万の軍勢を率いているのは聖王国の新たな勇者――『白磁の勇者』ギルベルトだ。先の勇者の仇討ちと息巻き、全軍の士気は異常なまでに高まっている。素性の知れぬ傭兵が数人赴いたところで、ただの肉塊にされるだけだぞ」
「勇者、ね。……上等じゃねえか」
ザックはフードの奥で、凶悪な笑みをさらに深めた。
「その首を獲れば、最高の復讐になる。……任せてくれよ、司令官閣下。せいぜい後ろで見てな」
藁にもすがる思いだった司令官は、数秒の逡巡ののち、この得体の知れない少年の申し出を呑み、特攻部隊として最前線へ配置する許可を出した。
許可を取り付けたザックは背を向け、悠然と軍議所を後にした。
雨の降る野営地を抜け、人気のない暗い森の中まで歩を進めると、木陰で静かに待機していたルシアンとカインが姿を現した。
「ご苦労様でした、ザック。首尾は?」
「ああ、ボスの筋書き通りだ。一番美味しい最前線のど真ん中をもらってきたぜ。……それと、ボスが言ってた通りだったぞ。敵の総大将は『白磁の勇者』ギルベルトだそうだ」
ザックの報告に、私は声を出さずに冷酷な笑みを深めた。
「やはり、あの偽善者が出てきましたか。……狂犬バルドスの死という、己を悲劇の主人公として装飾するための最高の舞台。彼のような自己陶酔の塊が、この絶好の機会を見逃すはずがありませんからね」
「ボスの読み通りなら、あの勇者は味方を平気で盾にするクズなんだろ? なら、俺たちの仕事はやりやすいな」
カインが首を鳴らしながら獰猛に笑う。
「ええ。彼には、己の卑劣さそのもので首を括ってもらいましょう」
こうして我々は、両手首を失ったあの哀れな将軍と顔を合わせることなく、大国を内側から食い破るための「偽りの加勢」として、見事にガルム陣営の最前線へ入り込むことに成功したのだった。
───
開戦前夜。ガルム軍の最前線に張られた薄暗い天幕の中。
木箱の上には、禍々しい紫色の泥濘が入った小瓶が、ズラリと無数に並べられていた。
私は小瓶の一つを手に取り、紫色の泥を優雅に揺らした。これは、エルフの森から仕入れた葉から精製した副産物――理性を完全に焼き切り、憎悪だけを増幅させる『狂戦士の秘薬』である。
「ボス。この劇薬を、明日の戦場でどう使うつもりだ?」
腕組みをしたザックの問いに、私は冷酷な口元を僅かに釣り上げた。
「明日の激突で、敵の総大将であるギルベルトは、必ず自軍の下級兵士たちを『肉の盾』として最前線に放り出してきます。あなた方には、その兵士たちを容赦なく惨殺し……死にかけている者や、完全に死んだ者の口を無理やりこじ開け、この薬をたっぷりと流し込んでいただきたい」
私の指示に、カインが怪訝な顔で眉をひそめる。
「死体に薬を流し込む? 完全に死んでる奴は物を飲み込むこともできねえぞ。それでは薬は口に溜まったままだ。意味がねえんじゃねえか」
「ええ、それで良いのです。口の中に劇薬を溜め込んだただの『死体』として、あの偽善者が安全な場所からのこのこと前線へ歩み出てくるまで、泥の中に転がしておきなさい」
私の不可解な指示に、ザックとカインは顔を見合わせた。死んだ者に薬を与えたところで、胃に流し込まれなければ効果は発揮されない。だが、私は多くを語らず、ただ天幕の隙間から遥か遠くに広がる聖王国の野営地の灯りを見つめた。
「仕上げは、私がやりますから」
「……分かったよ。ボスの言う通りに口の中に突っ込んでおく。で、その薬が効いた連中は、どうなるんだ?」
ザックがなおも探るように問いかける。私は小瓶を木箱へ戻し、その不気味な秘薬の『性能』だけを淡々と告げた。
「不死の怪物になるわけではありません。並の剣で斬られれば普通に死にますし、急所を突かれれば確実に止まります。……しかし、この秘薬はあらゆる痛覚を完全に麻痺させ、死の間際の憎悪を極限まで引き上げる。彼らは人間であることをやめ、兵士二十人分に匹敵する獣の腕力を持った狂戦士として立ち上がるでしょう」
不死ではないが、圧倒的な殺意の塊。
死体にどうやって薬を飲み込ませ、どうやって起動させるのか。ルシアンの手の内のすべては理解できずとも、その語る不気味な盤面の恐ろしさに、ザックとカインは背筋を震わせながらも、同時に最高に獰猛な笑みを浮かべた。自分を守る盾として使い捨てた味方が、自分を喰い殺す理不尽な獣へと変貌するのだ。
「最高に胸糞悪いクズには、最高に最悪な末路をプレゼントしてやらねえとな」
「ああ。明日の戦場は、聖王国軍の墓場になる」
外なる業火と、内なる劇薬。そして、勇者を確殺するために仕込まれる狂戦士の種。
私が丹念に敷き詰めた盤面の上で、未だ牙を隠した完璧な起爆装置が、静かに時を待っていた。愚かな大国と偽善の勇者が醜く踊り狂う開戦の朝が、すぐそこまで迫っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
味方を使い捨てる『白磁の勇者』ギルベルトの傲慢さと、彼に対する兵士たちの怨念。そして、大国を内側から食い破るための布石として、ルシアンが戦場に仕掛けた悍ましい「狂戦士の起爆装置」の全貌を描きました。
果たしてこの秘薬が戦場でどのように牙を剥くのか。
引き続き、本作の冥き物語にお付き合いよろしくお願いいたします。




