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第10話 無力な善意

いつもお読みいただきありがとうございます。

第10話は、職人たちを迎えに行ったカインの帰還と、道中での野盗団との死闘から始まります。

過酷な境遇を共有する者たちが独自の結束を固めていく中、ついに王都からの使者が訪れます。それは、ルシアンの凄惨な過去に繋がる一人の恩人でした。

純粋な善意がもたらした地獄と、無力な正義が粉々に砕け散る残酷な対峙にご注目ください。

※本作にはダークファンタジー特有の陰惨な描写や価値観が含まれます。

荒涼とした岩肌が続く渓谷の道。

 隣街の裏社会から引き抜かれた異端の建築家や鍛冶屋たちは、過酷な道中に息を乱しながら、不安げに周囲を見回していた。

「本当にこんな辺境に、我々の技術を活かせる場所があるのか……?」

 職人の一人が疑念を口にしたその時、崖上の茂みから殺意を孕んだ一本の矢が射掛けられた。

「伏せろ!!」

 先陣を切って歩いていたカインが鋭く叫び、飛来した矢を剣の腹で弾き落とす。

 それを合図にしたかのように、岩陰や木々の裏から次々と姿を現したのは、飢えた狼のように目を血走らせた二十名近い野盗の群れだった。錆びついた剣や斧を構え、追い詰められた獣のようなひりつく殺気を放ちながら渓谷の道を塞ぐ。

「……一歩でも動けば、次は首を射抜くぞ」

 野盗の頭目が、低くしゃがれた声で凄んだ。

「その大荷物と身につけてる物、全部置いていけ。俺たちも飢えてるんでな……無駄な抵抗をするなら、一人残らず喉を掻き切る」

 彼らはカインたちが連れている職人や護衛の部隊を、数の暴力で押し潰せる格好の獲物だと定め、本気の殺意を向けていた。

 しかし、迎え撃つカインの顔に一切の焦りはない。彼は獰猛な笑みを浮かべ、背後に控える新兵たち——かつて戦場を逃げ惑い、ルシアンの掟によって拾われた敗残兵たちに大音声で命じた。

「いいかお前ら、ルシアンの教えを忘れるな! 命は価値ある駒だ。一人も殺すんじゃねえぞ! 手足を折ってでも生け捕りにしろ。あいつらはこれから俺たちの拠点で働く、貴重な労働力だ!」

「「「おおおおおっ!!」」」

 その号令と共に、かつての敗残兵たちは完全な統率を取り戻した軍勢へと変貌し、一糸乱れぬ動きで野盗たちを包囲し始めた。

 カイン自身も地を蹴り、驚愕して足を止めた頭目の懐へと瞬時に潜り込む。抜刀すらしない。鞘に収まったままの長剣を力任せに振るい、頭目の構えた大斧の柄を粉々にへし折り、そのまま強烈な蹴りを膝の関節に叩き込んだ。

「ぐぎゃああっ!?」

「悪いな。うちの親玉は、無駄な殺しを嫌うひどく強欲な男なんだよ」

 鈍い音を立てて膝から崩れ落ちた頭目の胸倉を荒々しく掴み上げ、カインは冷酷に見下ろした。

 血に飢えた野盗たちは、自分たちが狩る側ではなく、圧倒的な戦力に狩られる側であることに気づいた時にはすでに遅かった。新兵たちは盾で殴りつけ、刃の峰で急所を打ち据え、網や縄を駆使して反撃を封じていく。

 致命傷を避けられながらも確実に戦闘力を奪われ、次々と地面に縛り上げられていく野盗たち。無益な血を流すことなく、圧倒的な暴力と戦術で敵を労働力へと変える。カインという青年戦士が、指導者の狂気じみた合理主義を完璧に体現した戦闘であった。

───

 数日後、私の待つノルドの村の広場に、土煙を上げてカインの部隊が帰還しました。

 彼らが広場に放り出したのは、無事に連れ帰った職人たちだけではありません。縄で縛り上げられ、土に塗れた十数人の野盗たちでした。

「おいルシアン、頼まれてた職人たちを連れてきたぜ。ついでに帰り道で襲ってきた血の気の多い野盗共も、武器だけ弾き飛ばして生け捕りにしてやった。無駄に殺すより、こっちで働かせた方が駒として役に立つだろ?」

 カインは荒っぽい口調の中に確かな自信を滲ませて報告しました。一切の死者を出さず、圧倒的な武力を見せつけつつも労働力を確保した彼の判断は完璧です。

 聖王国から異端扱いされ国を追われた建築家や鍛冶屋たちは、最初こそ辺境の村と侮っていましたが、私が提示した莫大な資金と緻密な城塞の図面を見るなり、狂気じみた歓喜の声を上げて建設への協力を誓いました。

 残されたのは、処刑を覚悟して震える野盗たちです。

 彼らの前に、貧民街出身のザックが進み出ました。

「お前ら、生きるために泥水すすってきたツラをしてるな。俺たちも、ついこの間まで似たようなもんだった」

 ザックは飾り気のない言葉で語りかけました。圧倒的な実力差を見せつけられた直後、自分たちと同じどん底を知る少年が、ここでは正当に評価され、腹一杯の飯を食えているという事実に、野盗たちの顔から少しずつ警戒が解けていきます。

「お待ちください!」

 その光景にたまらず声を上げたのは、聖女クラーラでした。

「彼らは人から奪う罪人です。教会の裁きを受けさせ、神への懺悔をさせなければ拠点の秩序が乱れます!」

 しかし、彼女の悲痛な叫びに対し、ザックや民たちは冷ややかに鼻を鳴らしました。

「懺悔で腹が膨れるのか。綺麗事で飯は食えねえんだよ」

 過酷な現実を生きてきた彼らに、温室育ちの理想論など全く響きません。

 私は静かに歩み寄り、野盗たちを見下ろしました。

「この拠点を出て荒野で飢え死にするか、過去の罪を捨てて掟に従い、我々と共に戦うか。選ぶのはお前たちだ」

 逃亡の自由を与えられながらも、自分たちを対等な戦力として扱う私の姿勢に、野盗たちは自発的に首を垂れ、新たな同胞として迎え入れられました。

───

 職人たちの指揮の下、基礎工事のための木材が切り出され、広場が泥と活気に塗れ始めた矢先、事態は急変します。

 見張りが、聖王都からの使節団の接近を知らせてきました。辺境の廃村に不穏な武装集団が居座っているという噂を聞きつけ、王国が視察と形式的な警告のために使者を派遣してきたのです。

 私は即座に、目立つ銀髪のエリアス殿下と幹部たちを屋内に隠蔽しました。ただの泥だらけの広場に、私とクラーラだけが残り、彼らを迎え入れます。

 護衛の騎士を引き連れて足を踏み入れた使節団の代表。その顔を見た瞬間、私は小さく目を細めました。

 それは、中年の神官セオドア。

 かつて、孤児院で泥水をすすっていた幼い私を拾い、純粋な善意から教団へ引き渡した恩人でした。

「まさか……ルシアン、なのか。なぜ君が、こんな所に……」

 野盗の頭目だと思っていた男が私であることに気づき、セオドアは驚愕に目を見開きました。

 その声を聞いたクラーラが、弾かれたように駆け寄ります。

「セオドア司祭! ああ、神の導きです。どうか私を、共に王都へ連れ帰ってください!」

 この過酷な拠点に居場所を失い、完全に孤立していたクラーラは、見知った顔に希望を見出しました。

 私は引き留めることなく、酷薄な笑みを浮かべて事実を告げます。

「戻りたければどうぞ。ですが、王国の暗部が、辺境で不穏な動きをする我々の内部情報を知るあなたを、優しく出迎えると思いますか。情報を一文字残らず吐き出させるため、あなたは地下牢で爪を剥がされ、凄惨な拷問を受けて殺されるでしょうね」

 クラーラは顔面を蒼白にしました。彼女はすがるようにセオドアの腕を掴みます。

「司祭様……王国の暗部から、私を守ってくださいますよね?」

 しかし、セオドアは言葉を詰まらせました。私は容赦なく、彼の古傷を抉り抜きます。

「無駄ですよ、クラーラ。この人はかつて、孤児院にいた非力な子供一人すら教団の暗部から守れなかった、ただの無力な善人だ。あなたを守り切れるはずがない」

 セオドアは過去の罪悪感から深く俯き、反論すらできません。自分を守る者が誰もいない現実を突きつけられ、クラーラは絶望のあまりその場にへたり込みました。自らの帰る場所はすでに失われ、私の庇護下でしか生きられないという呪いを受け入れた瞬間でした。

 沈黙が落ちた後、セオドアは震える声で私に向き直りました。

「……すまなかった、ルシアン。教祖が君に何をしていたか、私は後から知ったのだ。私の浅はかな善意が、君を地獄へ突き落としてしまった」

 懺悔し、許しを乞う彼に対し、私は一切の怒りを見せず、穏やかな微笑みで語りかけました。

「謝る必要はありませんよ、セオドア司祭。あの地獄があったからこそ、私は世界の正しい見方と、命の扱い方を学べた。結果として、最強の力を手に入れた。……あなたのあの時の善意には、心から感謝していますよ」

「…………っ」

 目の前の青年が精神の奥底で決定的に壊れていること。そして、己の純粋な善意が、取り返しのつかない怪物を作り上げたことに、セオドアは絶望し、立ち尽くしました。

 やがて彼は、血の気が失せた唇を震わせながら、絞り出すように告げました。

「……上層部には、ここはただの寂れた廃村であり、警戒に値する者は誰もいなかったと報告しよう」

「ほう?」

「君の言う通り、私は無力だ……。だが、せめてもの贖罪として、王国の目が君に向かないよう、私が泥を被る。……どうか、これ以上血を流さないでくれ……」

 それは、無力な善人がすがりついた、惨めな自己満足の贖罪でした。

 嘘の報告をすれば、いずれ彼自身が王国から厳しい処罰を受けることは明白です。それでも彼は、かつて自分が売ってしまった私を守るため、自らを犠牲にして真実を隠蔽する道を選んだのです。

「あなたのその『善意』には、いつも助けられますね」

 私は穏やかに微笑み、そう告げると同時に、背後に控えていた護衛の騎士たちの足元へ、ずっしりと重い金貨の袋を放り投げました。

「……賢明な王国騎士の皆様ならば、上にどう報告すべきか、当然お分かりですね?」

 袋の口から溢れ出た莫大な富を前に、騎士たちは生唾を飲み込み、深く頷きました。

 聖職者であるセオドアの口は高潔な『罪悪感』で塞ぎ、腐敗した騎士たちの口は即物的な『金』で塞ぐ。城塞都市が完成するまでの時間稼ぎとして、これ以上確実な隠蔽はありません。

 絶望と罪の意識を抱えたまま去っていくセオドアの背中を、私は冷徹な眼差しで見送ったのでした。

第10話をお読みいただきありがとうございました。

前半は、限界まで描写されたカインたちの圧倒的な武力と、ルシアンの「命は資源である」という教えが実を結ぶ戦闘シーンでした。飢えと絶望から襲いかかってきた野盗たちも、カインの的確な統率とザックの共感により、自発的に軍勢へ組み込まれていきます。

後半、王都からの使者セオドアが来訪します。ルシアンはエリアスたちを隠し、ただの泥だらけの廃村を装って彼らを迎え入れました。クラーラは王国への帰還を望みますが、ルシアンに冷酷な現実を突きつけられ、完全に退路を断たれます。

純粋な善意からルシアンを地獄へ送ってしまったセオドアに対し、ルシアンは心からの感謝を伝えます。絶望したセオドアは、贖罪のために自らを犠牲にして王国へ嘘の報告をすることを誓いました。

ルシアンはセオドアの「罪悪感」を盾にしつつ、騎士たちには「金」を握らせて完璧な口封じを完了させます。人間の美しい感情も醜い欲望も、すべてを計算して盤面を支配するルシアンの異常性が際立つ、残酷な再会となりました。

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