第八話
グランゼリスの城門を出て、街道から少し外れた林に差し掛かったところで、カラスが足を止めた。
茂みの向こうには、数体の小角鬼と、それらを統率する小角鬼兵が、倒れた獣の肉を囲んで屯している。
「やはり森の異変の影響だな、ここまで小角鬼どもがいるとは……だが、ちょうどいい数だな。坊っちゃん、昨日の感覚を忘れる前に、試したいことがある」
カラスはそう言うと、街道の影に身を隠し、背負い袋から包みを取り出した。
腰に付けている使い込まれた大鉈とは違い、現れたのは鈍く黒光りする新品の大鉈だった。
「2本目?…買ったのか 」
「ああ。腰の大鉈は強力ではあるが、扱いづらくてな……。これは北方から流れてきた黒鋼を鍛えた業物だ。これ呪力を付与するときに、お前の魔力を定着に使ってみたい」
カラスの言葉に、俺は迷いなく頷いた。
「分かった。俺も、自分の魔力がどれだけあんたの役に立つか試してみたいしな」
「……いいか、始めるぞ」
カラスの声に頷き、俺は新品の大鉈の背にそっと掌を当てた。
彼女はもう片方の手で、小角鬼長の角を柄に強く押し当てている。
「獣神の牙に宿りし執着を、今ここに『檻』と成さん……」
カラスが低く、地を這うような声で詠唱を紡ぎ始めた。
「豊穣神の滴りをもって、この乾いた呪いに増殖の法を。審判神の天秤をもって、荒ぶる本能に断罪の規律を――」
彼女の言葉に合わせて、俺の身体から魔力が引き出されていく。
だが、昨日とは何かが違った。俺の魔力が鉈に触れた瞬間、角から溢れ出したドス黒い呪いと混ざり合うどころか、それを飲み込むような勢いで膨れ上がり始めたんだ。
「……っ!? 魔力が強いのか!? デメテルの性質が強すぎる!」
カラスの鋭い声が飛ぶが、止まらない。
手元の大鉈が、キチキチと金属の悲鳴を上げている。青白い火花が散り、掌を通じて、爆発寸前の圧力が伝わってきた。カラスは仮面の奥で息を呑んだ気配を見せ、力任せに柄を握り直した。
「くっ……、カラス! 大鉈が……まずくないか」
「……私の呪術をここまで書き換えるとはな。繋ぎどころか、すべてを塗り替えようというのか、お前の魔力は」
カラスは呻くように言うと、俺の手を振り払うようにして大鉈を構えた。
黒鋼の刀身は、内側から溢れ出す青白い光を黒い呪いの霧が必死に抑え込んでいるような、不気味で神々しい輝きを放っている。
「予定とは違うが……お前の魔力は、私の呪いさえも無理やり『豊穣』させてしまうらしい。……いいだろう、この刃、どれだけのものを断てるか試させてもらうぞ!」
カラスが地を蹴り、弾丸のような速さでゴブリンの群れへと突っ込んでいく。
俺も慌てて自分の小剣を抜き放った。自分の魔力が引き起こした、あの過剰なまでの「力」が何を成すのか。その結末を見届けるために、俺は彼女の背中を追って茂みを飛び出した。
茂みを飛び出したカラスは、昨日までとは別人のような、獣じみた速さで地を這った。
「――獣神の牙よ、敵を噛み砕け!」
彼女が叫ぶと同時に、あの大鉈が咆哮を上げた。内側に閉じ込められていた豊穣神の増殖エネルギーが、審判神の鋭利な秩序を伴って一気に解放される。
一閃。
斜めに振り降ろされた大鉈は、小角鬼兵の盾もろとも、その肉体をバターのように両断した。切断された断面からは血が吹き出す間もなく、過剰なまでの魔力の余波が傷口を爆ぜさせ、周囲の草木までをもなぎ倒す。
「ハ、……ハハッ!」
カラスの喉から、今まで聞いたこともないような渇いた笑いが漏れた。
彼女の動きがさらに加速する。それはもはや洗練された剣技ではなく、捕食者が獲物を追い詰める「野生」そのものだった。
マントの下から覗く彼女の四肢は、獣神の力の発現か、岩のように硬く膨れ上がっているように見える。仮面の隙間から見える瞳は、獲物を見据えて爛々と輝き、その呼吸は獣のように荒い。
「ギギィッ!?」
「逃がさん……、すべて断つ!」
逃げ惑うゴブリンの背中に、大鉈が叩きつけられる。
本来なら重さで叩き潰す武器のはずが、今の鉈は触れたものすべてを強制的に「不合格」として切り捨てるディケの断罪の刃と化していた。カラスが跳躍し、空中で身を翻して最後の一体を両断したとき、林の中には静寂と、焼き焦げたような魔力の匂いだけが残された。
「……はぁ、はぁ、……っ」
戦闘が終わった瞬間、カラスの膝がガクリと折れた。
大鉈を杖代わりにして、彼女はどうにか地面に倒れ込むのを踏みとどまっている。
「カラス! 大丈夫か!?」
俺は魔法剣を消し、急いで彼女の元へ駆け寄った。
近寄ってみると、彼女の身体からは陽炎のような熱気が立ち上り、握りしめた拳は小刻みに震えている。
「……坊っちゃん、か。……来るな、まだ少し、熱が引かん……」
彼女の声は低く、ひどく掠れていた。
俺の魔力が無理やり「豊穣」させたパトラの呪いは、カラスの肉体にも凄まじい負荷を強いたらしい。彼女は荒い呼吸を繰り返しながら、手元の大鉈を忌々しげに睨みつけた。
「……チッ。小角鬼長程度の触媒で……これほど消耗させられるとはな。計算違いだ」
「あんたの呪術に、俺の魔力が乗りすぎたせいか?」
俺が恐る恐る尋ねると、カラスは仮面を上に向けるようにして深く溜息をついた。
「ああ。……お前の魔力は、呪いの種火を巨大な業火に変えすぎる。パトラの『本能』をデメテルが肥大化させすぎたせいで、制御する私の精神が焼き切れそうになった。……これでは、強力な触媒を使う時は、私の命がいくつあっても足りんぞ」
カラスは震える手で、役目を終えてひび割れたゴブリンの角を捨てた。
彼女の肩はまだ激しく上下している。あの圧倒的な蹂躙劇の代償は、俺が思っていた以上に重いようだった。
「……だが、収穫はあった。坊っちゃん、お前の魔力……やはりただの光じゃないな。良い意味でも悪い意味でも、呪力と…神性との相性が良いらしい」
彼女は少しだけ毒気を抜かれた様子でそう呟くと、重い腰を上げてゆっくりと立ち上がった。
俺は、先ほどカラスが蹂躙した小角鬼兵の死骸が転がる林を振り返りながら呟いた。
「なあ…本来、このあたりに出る魔物はもっと弱い魔物だよな」
「ああ。森の深部で起きた何らかの歪みが、外縁の生態系を押し流している。……思ったよりも環境変化が激しいかもしれん」
カラスは感情の読めない声で言い、手元の大鉈にこびりついた脂を無造作に拭った。
俺たちはひとまず、ギルドの掲示板にあった周辺地域の間引き依頼をこなすべく、林のさらに奥へと足を進めた。森の異変を調査するベテランたちの邪魔にならないよう、溢れ出した魔物が街道へ出ないための防波堤となる。それが今の俺たちにできる、最も効率的な「仕事」だ。
しばらく進むと、木々の向こうから激しい金属音と、悲鳴に近い叫び声が聞こえてきた。
「……誰か戦ってるのか?」
「……ちっ…浅はかな連中だ。この状況下で、実力が無いのに呑気に森へ入る輩がいるとはな」
カラスの皮肉を背に受けて駆け出すと、少し開けた場所で四人の男女が魔物に包囲されているのが見えた。
彼らは俺と同じか、さらに年下に見える若いパーティだった。装備は新しく、身なりも整っているが、戦い方は素人同然だ。本来ならこの付近にはいないはずの、二足歩行の人間よりもひと回り大きいサイズと尻尾をもつ獣型魔物で岩のような強固な毛皮と皮膚のある、岩地栗鼠の群れに翻弄され、完全なパニックに陥っている。
「どうして!? ここにこんな魔物が!!ここは安全なはずでしょ!?」
「くそっ、剣が通らねえ! 誰か、誰か助けてくれ!」
若手戦士が闇雲に剣を振り回すが、岩のような毛皮に火花を散らして弾かれるだけだ。
彼らはまだ気づいていない。
自分たちが踏み込んでいるのが、すでに「安全な街の周辺」ではなく、異変によって変質した「戦場」の最前線となっていることを。
「カラス、助けるぞ!」
俺が叫ぶと同時に地を蹴ろうとした瞬間、カラスの鋭い声が引き留めた。
「待て、坊っちゃん! 闇雲に突っ込むな!」
彼女の手が俺の肩を強く掴む。いつもの皮肉げな仕草ではなく、そこには明確な焦燥と、俺を制止しようとする必死さが混じっていた。
「あの数を見ろ。一匹一匹が昨日までの連中とは強度が違う。あの素人どもを庇いながら、あの群れを相手に戦い抜くのは……私達ごと全滅するぞ!」
仮面の奥で見開かれた彼女の瞳。その揺らぎを、俺は見逃さなかった。
冷たく突き放しているんじゃない。彼女は、目の前で死にかけている若者たちの命と、隣にいる俺の命、そして自分自身の限界を、天秤にかけて苦悩しているのだ。
普段は悪態をつくようなことばかり言う彼女だが、その根にある優しさはずっと感じていた。だからこそ最悪の結末を恐れて動けなくなる……そんな彼女の、繊細な心根が透けて見えた気がした。
「分かってる。でも、見捨てるなんてできない。あんたの助けが必要だ。……俺が、あんたの力を支えるから!」
「お前……っ!」
俺は彼女の手を振り切り、迷わず魔法剣を展開する。
没落したとはいえ、貴族として、そして剣を握る者として、ここで背を向ける選択肢なんて最初から無かった。
「おい、しっかりしろ! 今、加勢する!」
絶望に顔を歪ませていた若手戦士の前に割り込み、今出せる最大出力を乗せて光り輝く剣筋で岩地栗鼠の突進を弾き飛ばす。
背後で、短く、激しい溜息をつく気配がした。
「……ああっ、もう! 本当に救いようのない大馬鹿者だな、お前は!」




