第五話
俺とカラスは、斜面を滑り降りるような速度で奇襲を開始した。
「はああッ!」
俺は右手の小剣に一気に魔力を流し込み、光刃を最大まで伸長させる。青白い閃光が虚空を裂き、まずは後方にいた弓を持つ三体、そしてその隣で呆然としていた一体を射程に捉えた。
光の刃は抵抗もなく肉を断ち、一閃。
四体の小角鬼は叫び声を上げる暇もなく、一度の薙ぎ払いで両断され、物言わぬ肉塊へと変わった。
「――露払い、ご苦労」
俺の横を、黒い突風が追い抜いていく。
カラスは走り込みながら、指に挟んだ三振りの短剣を立て続けに放った。アルフの魔力が宿った刃は、空中で青い尾を引きながら正確に標的の眉間を貫き、さらに三体の息根を止める。
そのまま彼女は、群れの中央に鎮座する巨体――小角鬼長の眼前に着地した。
「……ッ!」
カラスがマントを翻し、腰に帯びていた「大鉈」を抜き放った、その瞬間だった。
世界から音が消えた。
あまりにも強烈な、悍ましいほどの「威圧感」。
それは単なる殺気ではない。数多の命を屠り、神話の影を吸い込み続けた呪術武具特有の、空間そのものを歪ませるような重圧。
逃げようとしていた生き残りの小角鬼たちが、蛇に睨まれた蛙のようにその場で硬直する。俺でさえ、心臓を直接掴まれたような圧迫感に、一歩踏み出す足を止めざるを得なかった。
(なんだ……この感覚。時間が、止まっているのか……?)
アルフの視界の中で、光景が奇妙に引き伸ばされる。
ゆっくりと、だが確実に。
カラスが巨大な鉈を振り上げる動作が、まるで断頭台の刃がセットされる光景のように、残酷なまでのスローモーションで脳裏に刻みつけられる。
「終わりだ」
短く、冷徹な宣告。
振り下ろされた大鉈は、鉄の重厚な一撃ではなく、空間そのものを断ち切る絶望として振り下ろされた。
――ドォォン!
一瞬遅れて轟音が響き渡り、小角鬼長の巨体は、鎧ごと、そしてその強靭な肉体ごと、真っ二つに叩き割られていた。
地面には深く、黒い亀裂が刻まれている。
リーダーを失った絶望か、あるいは先ほどの大鉈が放った威圧に魂を抜かれたのか。生き残った六体の小角鬼たちは、逃げることさえ忘れ、ガタガタと震えながらその場に立ち尽くしていた。
カラスは大鉈を無造作に肩に担ぎ、仮面の奥から俺を一瞥した。
「……残りは任せたぞ。もたもたしてると、また別の群れが寄ってくる」
「……ああ、分かった」
俺は意識を切り替え、残る標的へと踏み出した。もはや戦いではない。作業だ。
震える首筋に、冷徹な光の刃を滑らせる。抵抗する気力すら失った彼らを、俺は淀みない動きで一人ずつ切り捨てていった。
静寂が戻った岩場で、俺はナイフを使い、死骸から手際よく魔石を回収していく。作業を終え、血の臭いが漂う戦場を振り返ると、そこにはすでに大鉈を鞘に収め、何事もなかったかのように佇むカラスの姿があった。
「……終わったぞ。だが、一つ聞かせてくれ」
俺は魔石の入った袋を腰に下げ、彼女に向き直った。
「あんたのあの力……あんなものを見せられたら、最初から俺がいなくても結果は同じだったんじゃないか? 斥候隊だろうが、この数だろうが、あんた一人で十分片付いたはずだ」
自嘲気味な響きが混じったかもしれない。没落貴族のプライドというよりは、あまりにも圧倒的な実力差を前にした、純粋な疑問だった。
しかし、カラスはふん、と鼻で笑って首を振った。
「……坊っちゃん。物事を一面でしか見られないのは相変わらずだな」
彼女はゆっくりとこちらへ歩み寄り、俺の目の前で足を止めた。
「最初の奇襲があったからこそ、この結果がある。お前が風下から注意を逸らし、数を減らしたことで、奴らの連携は完全に崩壊した。その隙があったからこそ、私は呪術を集中させ、一撃でリーダーを仕留められたんだ。安定性がまるで違う」
彼女は自分の腕に視線を落とし、言葉を継ぐ。
「……それに、私の呪術は万能じゃない。身体強化にしろ、あの大鉈に宿る呪力を引き出すにしろ、本来なら莫大な『代償』を必要とする。だが今日はお前の魔力を呼び水にしたおかげで、私の負担は最小限で済んだ」
仮面の奥の瞳が、真っ直ぐに俺を捉えた。
「……お前がいた意味は、確かにあった。自信を持てとは言わないが、事実は正しく受け止めろ」
カラスはそう告げると、地面に突き刺さっていた三振りの短剣を一本ずつ回収し始めた。ふと、彼女がそのうちの一本を目の高さに掲げ、足を止める。
「……ほう。まだ、これほど『光』が残っているとはな」
彼女が回収した短剣の一本を目の高さに掲げ、足を止めた。その刃の先には、先ほど付与したはずの青白い魔力が、消えることなく未だに脈動していた。
「通常、他人の魔力を依代にした呪術は、発動した瞬間に霧散するか、急激に衰えるものなんだがな……。これほど『定着』しているのは珍しい」
カラスは独り言のように、だが感心した様子で言葉を漏らした。どうやら、俺の魔力の残存具合は彼女の常識の外にあるらしい。
仮面の奥で、彼女の口角が愉しげに上がる。
その様子は、気難しい名工が思いがけず極上の素材を手に入れた時のような、無邪気で危うい喜びを含んでいた。
「……大切に使わせてもらうぞ、坊っちゃん。さあ、行くぞ。次は採取だ」
彼女は上機嫌に短剣をマントの裏へと仕舞い込むと、迷いのない足取りで再び歩き始めた。
俺はその背中を追いながら、先ほど流し込んだ魔力が、彼女の「呪い」を支える重要なピースになっていたことを知る。
(……俺の魔力が、あの異様な一撃を助け、彼女を満足させた、か)
少しだけ軽くなった足取りで、俺は迷い子たちの森へと続く道を踏みしめた。
街道を外れ、迷い子たちの森へと続く緩やかな上り坂を歩く。
先ほどまでの血生臭い興奮が収まってくると、沈黙が少しばかり居心地悪く感じられた。
「……なぁ、カラスさん」
俺の呼びかけに、前を歩く漆黒の背中が僅かに揺れた。
「……さん、は付けなくていい」
カラスは足を止めずに、肩越しにこちらを振り返った。仮面の奥の視線には、明らかな困惑が混じっている。
「冒険者同士で『さん』付けなんていらん。呼び捨てで構わない」
「……そうか。分かったよ、カラス」
俺が呼び捨てにすると、彼女は満足したのか、あるいは興味を失ったのか、再び前を向いた。
「なら、あんたも俺のことを名前で呼んだらどうだ? いつまでも坊っちゃん呼ばわりされるのは、あまり気分がいいもんじゃない」
「……断る。お前がその魔法剣をもう少しマシに扱えるようになって、一人前だと私が認めたら考えてやる。それまでは、どこまでいっても危なっかしい坊っちゃんにしか見えないんでね」
相変わらずの毒舌だが、その声には不思議と、最初に出会った時のような棘はなかった。
「……厳しいな。まあいい、期待せずに待ってるよ」
俺は苦笑交じりに肩をすくめ、話題を変えることにした。
「ところで、さっきの小角鬼のことだが……。依頼書にあった数よりも明らかに多かった。何があったんだと思う?」
「……おそらく、この先にある森で勢力が拡大しているんだろうな。本来、街道まで斥候が出てくるのは、森の中での縄張り争いに勝って余裕ができたか、あるいは逆に、さらに強力な何かに押し出されてきたかのどちらかだ」
カラスは周囲の木々に鋭い視線を走らせる。
「どちらにせよ、近いうちにギルドから大規模な調査依頼が出ることになるだろう。お前みたいな新人は、間違っても1人で首を突っ込むなよ」
釘を刺すような言い方に、俺は昨日の下水道掃除を思い出して少しだけ表情を硬くした。この街の周辺も、決して平和というわけではないらしい。
ふと見ると、カラスの腰のポーチが僅かに膨らんでいるのに気づいた。
「……そういえば、さっきの小角鬼長の死体から、魔石以外にも何か回収していただろう。あれは角か?」
「ああ。これか」
彼女は無造作に、黒ずんだ一本の角を取り出して見せた。それは単なる素材というよりは、どこか禍々しい色気を放っているように見えた。
「小角鬼長クラスの角なら、呪術の触媒として多少は使い道がある。特に私の大鉈が放った『呪いの重圧』を、あいつは全身で浴びたからな。恐怖と絶望がほどよく染み付いている。……いい道具になりそうだ」
彼女はそう言うと、満足げに角をポーチへと仕舞い込んだ。
命を奪うだけでなく、その死に際まで利用し尽くす。
それが「呪術」を扱う者の在り方なのだと、俺は背筋に冷たいものを感じながらも、その合理的な残酷さにどこか納得している自分に気づいた。
森の入り口が、すぐそこまで迫っていた。




