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第四話

「……この、小角鬼(ゴブリン)の斥候隊排除の依頼を頼みたい」


翌朝、俺は冒険者ギルドのカウンターで、昨日目星をつけていた依頼書を差し出した。Eランクに上がって最初の大仕事だ。


「……アルフレッド様。お一人で、ですか?」


受付嬢は俺の銀色のタグと依頼書を交互に見やり、少し心配そうに眉を寄せた。


小角鬼(ゴブリン)は個体としては脆弱ですが、必ず集団で動きます。連携を崩せなければ、Eランクになりたての方には荷が重い場合もありますが……」

「問題ない。実戦経験は浅いが、家では対人の鍛錬を嫌というほど積んできた。乱戦には慣れているつもりだ」


自信を持って答えるが、彼女の懸念は晴れないようだった。それどころか、彼女は広間の奥――一昨日、俺がその威圧感にぎょっとしたあの壁際へと視線を向けた。


「……カラス様。ちょうど良いところに。今から北平原の方へ出られますよね?」

(……おい、まさか)


俺が嫌な予感と共に振り返ると、そこにはあの日と同じ、夜鴉神(やあしん)の仮面を被った漆黒の影が立っていた。彼女はこちらを無機質に見据え、音もなく歩み寄ってくる。


「……お、おい。なんでこいつなんだよ」


俺は受付嬢にだけ聞こえるよう、身を乗り出して小声で言った。一昨日のあの底知れない一瞥が、まだ記憶に新しい。


「カラス様は腕利きのCランクですよ。教育係というわけではありませんが、彼女が近くにいるなら安心ですから」

「……おい、貴族の坊っちゃん」


不意に、仮面の奥から低く、だが透き通るような声が響いた。カラスだ。


「もう貴族じゃないし、アルフレッドだ。坊っちゃんじゃない。……それと、俺に何か用か?」

「そこのお節介な受付に代わって聞いてやる。お前、小角鬼(ゴブリン)とやり合った経験は?」

「……いや、実戦はない。だが特徴は頭に入っている」


俺の答えを聞くなり、彼女は鼻で笑った。


「没落したと聞いているが、中身はまだ箱入りのままだな。……いいか、奴らは教本通りには動かない。実戦経験もないまま状況判断を誤って一人で突っ込めば、すぐに穴だらけだぞ」


彼女は吐き捨てるように毒づいたが、そのまま受付へと向き直った。


「……北の街道から少し外れた森に、私の狙っているCランクの討伐対象がいたはずだ。そこへ行くついでだ。途中の斥候隊を片付けるくらいなら、付き合ってやってもいい」

(……意外だな。もっと突き放されるかと思ったが)


彼女の真意は仮面の奥に隠れていて読み取れない。だが、どうやら一方的に同行を決めてしまったらしい。


「……なら、ついでに採取依頼も受けておけ」


カラスは掲示板の端を指差して言った。


迷い子たちの森(ロスト・ウッド)の入り口付近に、青星草(あおほしぐさ)が群生しているはずだ。あれの採取依頼が出ていただろう。北平原を通るなら効率がいい」


言われるがままに掲示板を確認すると、確かに端の方に、初心者向けの採取依頼が貼り出されていた。


「……分かった。それも受けておこう」


俺は受付にその依頼書も追加で手渡し、手続きを済ませた。

ギルドの重い扉を押し開けて、外に出る。

グランゼリスの街を歩くカラスの足取りは淀みなく、漆黒のマントが風に揺れていた。


「……さっさと歩け、坊っちゃん。日が暮れるまでに戻りたいならな」

「アルフレッドだと言っているだろう。……まあ、いい」


俺は肩をすくめ、彼女の背中を追った。

口を開けば毒を吐くような女だが、こうして効率的な依頼の受け方を教えてくるあたり、ただの冷酷な実力者というわけでもなさそうだ。


(思っていたよりは、まともな相手なのかもしれないな)


一昨日感じたあの底知れない恐怖は、彼女の纏う呪術の気配に圧倒されただけだったのだろうか。俺はわずかに緩んだ警戒心と共に、腰の小剣の感触を確かめ、北門へと続く大通りを進んでいった。


「……いいか、坊っちゃん。小角鬼の数が五体以下なら、私は手を出さない。お前一人で片付けろ」


北街道の乾いた土を踏みしめながら、カラスが前を見据えたまま言い放った。漆黒のマントが風になびき、彼女の背負った巨大な「何か」が時折、布越しに鈍い形を浮き上がらせる。


「……随分な言い草だな。まあ、それくらいなら願ってもないが」


俺は腰の小剣の柄に手をかけ、歩調を合わせた。


「ところで、あんたの戦い方は? 」


気になっていたことを口にすると、仮面がわずかにこちらを向いた。無機質な鳥の意匠が、射抜くような視線を向けてくる。


「……冒険者同士で手の内を詮索するもんじゃない。死にたくなければ、他人の獲物に首を突っ込むな」


冷たく突き放すような声。だが、彼女は一拍置いてから、忌々しそうに付け加えた。


「……呪術と、この大鉈だ。呪術戦士、とでも呼べば気が済むか」


マントの下から覗く柄の太さは、確かに剣というよりは断罪用の道具に近い。魔道具のような洗練さはないが、そこからは粘りつくような、神話の影を感じさせる重苦しい気配が漂っていた。


「……そうか」


それ以上は聞くな、という無言の圧力に俺は口を閉ざした。






やがて、街道が大きく湾曲する「蛇行岩」と呼ばれる岩場が見えてきた。

カラスが不意に足を止め、低く構える。俺もそれに倣い、岩の陰へと身を潜めた。


「……いたぞ。あそこだ」


カラスが指差す先、街道を見下ろす窪地に、緑褐色の醜い肌をした小角鬼(ゴブリン)の一団がたむろしていた。

だが、それを見た瞬間、俺の背中に冷たい汗が流れた。



「……おい、話が違うぞ」



依頼書には「三〜五体の斥候隊」とあったはずだ。

しかし、視界に入るだけでも十体は下らない。さらに奥の岩陰には、他よりも一回り体格が良く、錆びた鉄剣を帯びた個体まで座り込んでいる。


「……十二、十三……。それに、あれは上位種か?」


俺の声がわずかに震える。

家での鍛錬は確かに積んできた。だが、これほどの数の殺意を同時に向けられた経験はない。


「……どうする、坊っちゃん。逃げ帰って『受付が間違ってました』と泣きつくか?」


隣でカラスが、試すような、冷ややかな声を潜めて囁いた。


「……逃げ帰るかだと? まさか。俺を誰だと思っている」


俺は荒くなる呼吸を必死に抑え、岩陰から敵の布陣を凝視した。冷や汗は流れているが、頭は驚くほど冷えていく。かつて父や教師から叩き込まれた戦術論が、記憶の底から浮かび上がってきた。


「数は十三。中央の個体は明らかに統率力がある。……だが、見てろ。あいつらは街道を注視しすぎて、背後の斜面を軽視している。風下からあそこを回って、まずは飛び道具を持つ端の三体を魔法剣で仕留める。混乱した隙に中央を叩けば、作戦次第で勝機はある。……判断はあんたに任せるが、どうだ?」


俺が隣のカラスを見やると、彼女は仮面の奥で意外そうに目を細めた気がした。


「……ほう。没落したとはいえ、この状況でそれだけ冷静に分析できているのは大したものだ。死の恐怖を前にして思考を止めないのは、戦士として最低限の資格がある」


カラスは僅かに肩の力を抜き、俺の立てた作戦をなぞるように視線を動かした。


「冒険者の鉄則から言えば、依頼内容とこれだけ乖離があるなら引くのが正解だ。誰もそれを責めやしない。

だが、私の直感は、特にこれを危機だとは言っていない。

坊っちゃん。お前の策に乗っていいが決定的な欠落がある。……私の戦力を計算に入れていないぞ。」


彼女はマントの内側から、鈍い輝きを放つ数振りの投擲用短剣を取り出した。


「お前の奇襲に合わせて、私がこの短剣で外縁の残りを削る。そして中央のデカ物……小角鬼長(ゴブリン・リーダー)は私が受け持つ。お前は雑兵の掃討に専念しろ。いいな?」

小角鬼長(ゴブリン・リーダー)……。ああ、分かった。あいつさえ抑えてくれれば、あとは俺の魔法剣で一掃できる」


俺が頷くと、カラスはふいに対峙するように俺の正面に立った。


「決行の前に準備だ。……坊っちゃん、お前の魔力を少し分けてもらいたい。私の呪術は、発動にそれなりの『燃料』を食うんでね」

「魔力を? ……構わないが、どうすればいい」

「手を貸せ」


彼女は有無を言わせず俺の右手を掴むと、その掌に三振りの投擲用短剣を載せた。そして、上から自分の両手で包み込むように、短剣ごと俺の手を力強く握りしめる。


「そのまま、この短剣に向けて魔力を練り上げろ。私の詠唱に合わせてな」

「……分かった」


俺は意識を集中させ、胸の奥にある魔力の核を揺らした。カラスの手を通じて、冷たい鉄の感触と、それを上書きするような彼女の体温が伝わってくる。

やがて、カラスが静かに口を開いた。その声は先ほどまでの刺々しさが消え、どこか遠い場所から響くような、重々しい調べを帯びている。


「……豊穣の女神(デメテル)が育みし血の糧、審判の女神(ディケ)が裁きし魂の輝き。今ここに捧ぐは、等価なる生命の灯火――」


彼女の詠唱が響くたび、俺の腕から魔力が急速に吸い取られていくのを感じた。だが、それは不快な奪われ方ではない。俺の血筋――ヴァランシエル家が代々受け継いできた魔力と、彼女が呼びかける「神話」が、短剣という依代の中で複雑に絡み合っていく感覚だ。


「……宿れ。裁断の光よ」


カラスが短剣から手を離すと、俺の掌に残された三振りの刃は、淡く青白い光を放っていた。それは魔道具の均一な輝きとは違う。俺の魔法剣(フォトン・ブレイド)に近い、鋭く、それでいて命の躍動を宿したような不思議な輝きだ。


「……ほう。思っていたよりもずっと素直な魔力だな」


カラスは短剣を一本ずつ指に挟み直すと、仮面の奥で僅かに口角を上げた。その微笑みには、皮肉ではない、確かな満足感が含まれている。


「いい燃料だ、坊っちゃん。おかげでこの短剣には、お前の『光』と私の『呪い』が同居している。……さて、地獄への特等席をプレゼントしてやるとするか」


彼女が身を低くし、獲物を狙う鴉のような構えをとる。俺もまた、小剣を抜き放ち、眼下の獲物へと視線を固定した。


「アルフレッドだと言っているが……。まあいい、派手にいくぞ」


合図は不要だった。俺たちは同時に、岩陰から獲物の群れへと飛び出した。



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