第二十話
翌朝、まだ薄暗い東の空から冷たい朝霧が立ち込める中、俺たちは冒険者ギルドの前に集合していた。
すでにガロ率いる『鋼の轍』の重戦士たち、そしてレオンとセシルたち『白銀の風』の面々は揃っており、めいめいに武器の点検や荷物の積み込みを行っている。
「おう、来たな『白夜の黒翼』! 遅かったじゃねえか」
大柄なガロが、巨大な戦斧を肩に担ぎながら快活に笑う。
「すみません、少し準備に手間取ってしまって」
「気にするなよ、アルフレッド。体調は万全そうだね」
レオンが爽やかな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。その視線が、ふと俺の腰元――新しく白銀の巻布を巻き直し、端を綺麗に編み込んで垂らした小剣へと注がれる。
「おや……? 君のその小剣、昨日とは柄が変わっているね。その白銀の綺麗な飾り布、昨日は付いていなかっただろう?」
「あ、これですか。ええと、ちょっと今回の遠征用に調整を……」
俺が少し歯切れ悪く答えると、後ろからセシルがクスクスと笑いながら覗き込んできた。
「あら、格好いいじゃない。白銀の布だなんて、まるでヴァランシエル家の高貴な騎士様みたい。……もしかして、そこの過保護な呪術士様の手作りだったりするのかしら?」
図星を突かれて俺が内心でどう答えようかうろたえていると、カラスは前髪の奥で妖しく目を細め、自慢げにふっと口角を吊り上げた。
「……ふふ、その通りだ。これは単なる布ではない。私の呪術と、アルフという触媒が一体化した特製の呪具だ」
カラスは得意げにそう語り出すと、止まらぬ勢いで解説を始めた。
「聞いて驚くがいい。この白銀の糸には、アルフが宿す審判神の『裁定』の神性を、私が編み込んだ呪術によって固定してある。さらに下地には、豊穣神の『維持・結合』の加護を混ぜ込み、アルフの膨大な魔力総量と私の制御術式を、文字通り血の通った絆で繋いでいるのだ。素材を編む際、あえて私自身の魔力を直接練り込むことで、魂の触媒としての密度を極限まで高めておいた。つまりこれは、私の所有物であり、同時に私の魔力の一部が、絶えずアルフの魔力を――」
カラスが語れば語るほど、周囲の冒険者たちの視線が「なんか凄いけど、なんか重くないか?」というニュアンスに変わっていく。俺は冷や汗を流しながら、あわててカラスの背中を叩いた。
「おい、カラス! 説明がマニアックすぎるし、最後の方がなんか怖いからやめろ!」
「何がだ。これは呪術士として、論理的に最も効率的で美しい関係性を説明しているに過ぎない。現にこの布は、私の存在をお前の中に絶えず流し込み、お前が窮地に陥った瞬間に私が介入するための――」
カラスがさらに深い繋がりの話へ踏み込もうとした瞬間、セシルが「あらあら……」と目元を緩め、どこかお姉さんのような、微笑ましげな視線を俺たちに送った。
「本当に仲良しさんね。そこまで深く繋がり合ってるなんて、騎士様も大変だわ」
セシルのその言葉に、カラスは「当然だ」と胸を張り、俺は顔の熱が爆発するのを感じる。カラスが「そうだな、この絆の美しさを芸術的に表現するなら、名付けて――」と、再び口を開きかけたところで、俺は反射的にその口を塞いだ。
「名付けなくていいっ!」
「むぐ……っ!?」
俺は叫び声を上げながら、昨日と同じようにカラスの口を素早く手で塞いだ。心臓がバクバクと嫌な音を立てる。本当にこの相棒は、油断すると公共の場でとんでもない爆弾を投下しようとするから気が気じゃない。
「ぶ、ぶはっ……! な、何をするアルフ。私はこの呪具の由来と、そこに込められた情動の美しさを芸術的に命名しようと――」
「いいから! 名前は『剣の飾り布』で固定! それ以上は一言も喋るな!」
必死にひそひそ声で抗議する俺の姿を見て、ガロが「がはは!」と大笑いし、レオンやセシルたちも苦笑交じりに見守っている。
「相変わらず賑やかなコンビだね。よし、それじゃあ出発しようか。目指すは『鳴き砂の渓谷』だ」
レオンの合図とともに、総勢十数名におよぶ合同遠征隊が動き出した。
街を出て、切り立った岩肌が続く荒野を進む。移動中も、各パーティの間で自然と雑談や戦術の確認が交わされていた。
「しかしよ、アルフレッド」
歩調を合わせながら、ガロが話しかけてくる。
「さっきの飾り布、ただのハッタリじゃねえオーラを感じるぜ。魔物の岩盤をブチ抜く必要があるんだ、本当に『地喰らい』の殻を割れるんだな?」
「はい。カラスが奴の再生ラインを狂わせてくれれば、俺の魔法剣で確実に仕留められます。そのための、この布ですから」
俺が柄の編み込みに軽く手を触れながら答えると、ガロは頼もしそうに頷いた。
「おう、期待してるぜ。正面は俺たちが意地でも抑え込んでやる。お前らは俺の背中を信じて、最大の一撃を準備してな」
「レオンさんたちの『白銀の風』も、奴の地中への退路を断つように立ち回ってくれるんですよね?」
俺が隣を歩くレオンに話を振ると、彼は軽やかに頷いた。
「もちろんだよ。弓手と軽戦士たちで、奴の感覚器官を徹底的に潰すさ。地中に潜る隙なんて一秒も与えない。……それにしても、アルフレッド君とカラスさんは、本当に息がぴったりだ。組んでまだ短いコンビには見えないよ」
「……そうですか? 毎日振り回されてばかりな気がしますけど」
俺がため息混じりに言うと、カラスは前髪の奥から不満げな視線を投げかけてきた。
「心外だな。私は常にリーダーであるお前を輝かせ、効率よく勝利を収めるための最適解を提示しているだけだ。今日だって、お前が私を想って差し出したリソースのおかげで――」
「カラス……それ以上手の内を明かさないでくれ」
俺が歩みを止めず、あえて低く冷徹さを装った声で耳打ちすると、カラスの肩がピクリと跳ねた。俺が言ったこと自体は正論ではあるのだが、それ以上に恥ずかしさが勝っている。カラスの思うままに喋らせていると昨夜の行為の全貌が周囲に露呈していそうで怖い。
「そうだな……。術式の秘匿は、呪術士の基本であり美徳だからな。これ以上は語るのをやめてこう」
少し考えてから言葉を止めてそっぽを向いたカラスを見て、周囲から苦笑が漏れる。
そんな他愛のない雑談を交わしながらも、一行の歩みは確実に対象の縄張りへと近づいていく。周囲の空気が、少しずつ乾燥した、砂の混じる冷たい風へと変わり始めていた。
「そういやよ、カラスの姉ちゃん」
荒涼とした岩場を歩きながら、ガロの隣を歩いていた『鋼の轍』の重戦士の一人が、ふと思い出したように声をかけてきた。
「前にギルドで見かけた時は、もっとこう……禍々しいお面みたいなのを着けてなかったか? なんか、大分雰囲気が変わったっていうか、すっきりしたな」
その言葉に、セシルやレオンも「あ、確かに」と視線をカラスに向ける。
カラスは相変わらず深い前髪で顔の半分を隠したままだが、以前のように顔半分を覆う悍ましい仮面は着けていない。
「ああ、あの仮面か。あれは先日の戦闘で壊れてしまってな。今は残骸が残るだけだ」
カラスは淡々と、しかし少し惜しむような声音で応じた。
「へえ、あれってただの趣味じゃなくて、やっぱり呪術的な意味があったのかい?」
レオンが興味深そうに尋ねる。
「当然だ。あの仮面の力を発動させると、周囲にいる魔物の敵意を私に集める効果を付与していた。だが同時に、副次的な効果として、人からも恐怖の感情を強く引き出す力があってな。ギルド内であらぬ諍いに巻き込まれないための、一種の魔除けとしても重宝していたのだが」
「あはは……確かに、あの仮面を着けたカラスさんに睨まれた時は、生きた心地がしなかったわよ」
セシルが苦笑いしながら肩をすくめる。あの恐怖感が意図的な呪術によるものだったと知り、他の冒険者たちもどこか納得したような表情を見せていた。
すると、ガロが髭を蓄えた顎を撫でながら、素朴な疑問を口にした。
「でもよ、魔除けの仮面がないなら、いっそのことその長い前髪も上げちまって、普通に顔を出しゃあいいじゃねえか。その方が前も見やすいだろ?」
「断る。これは私の自衛でもあるんだ」
カラスはきっぱりと、一切の妥協を許さない口調で遮った。
「昔、素顔を出して活動していた時期もあったのだがな……。呪術士としての実力ではなく、単なる小娘として侮られ、舐められることが多すぎた。実につまらん有象無象の相手に時間を取られる。だから、こうして他者との間に壁を作っているのだ。この方が、お互い余計な関わりを持たずに済んで楽でいい」
カラスのその言葉を聞きながら、俺は初めて彼女と深く話した夜のことを思い出していた。あの時も、彼女は同じような理由を俺に語ってくれた。人から舐められないため、そして呪術士として対等、あるいはそれ以上の恐怖を植え付けるための虚勢――それが彼女の、この世界で生き抜くための戦い方なのだ。
「なるほどねぇ……。女一人で呪術士なんてやってりゃ、色々と面倒な絡まれ方もするわけか。冒険者稼業の世知辛いところだな」
ガロはカラスの過去の苦労を察したのか、深く同情するように腕を組んで頷いた。
「ま、今じゃお前には、隣にその頼もしい『白夜の黒翼』のリーダーがいるんだ。誰も舐め腐った態度なんて取らせねえよ」
ガロが俺の肩をポンと力強く叩く。
「ええ。カラスに手出しをしようとする奴がいたら、俺が魔法剣で追い払いますから」
俺が真面目な顔でそう言うと、カラスは前髪の奥の目を少しだけ丸くした。それから、どこか気恥ずかしさを隠すように、ふいと顔を背ける。
「……。ふん、生意気な。だが……そうだな。お前がその白銀を纏って私の前に立ち続ける限り、私の呪術がお前を裏切ることは決してない。お前が私を繋ぎ止めてくれたのだ。私はお前の剣を信じているし、お前が守るに値する呪術士であり続けよう。……さあ、私のリーダー、その実力を見せてみろ」
「ああ。カラスにカッコ悪いところは見せられないからね」
お互いに視線を交わし、静かに頷き合う。
普段の皮肉混じりの掛け合いとは違う、二人の間に流れる張り詰めた、しかし絶対的な信頼の空気感に、ガロや『鋼の轍』の連中も一瞬だけ圧倒されたように口を噤んだ。
だが、すぐにガロが「ニシシ」と意地の悪い笑みを浮かべ、俺の脇腹を軽く肘でつつく。
「おいおい、ごちそうさまだなァ、アルフレッド。カラスの姉ちゃんをそこまでデレさせるとは、大したリーダー様だぜ」
「ち、違いますって! そういうんじゃなくて……!」
慌てて弁明しようと顔を赤くする俺の隣で、カラスはすでに「これ以上は語るに及ばず」とばかりに、ふいと前髪を揺らして元の冷徹な佇まいに戻っていた。耳の先端がまだ少し赤いのは、きっと気のせいではないはずだ。
からかうガロと、必死に誤魔化そうとする俺。そんな俺たちの様子を、少し離れた位置からセシルが「本当に、いいコンビね……」と深く頷きながら見守っている。
そんな他愛のない、けれどどこか温かい雑談を交わしながらも、一行の歩みは確実に対象の縄張りへと近づいていた。
やがて、肌を刺す風の感触が、急速に乾燥した砂の混じる冷たいものへと変わり始める。周囲を囲む岩壁がにわかに高くなり、陽光が遮られて視界が暗くなった、その時だった。
先頭を歩いていたレオンがパッと手を挙げ、全体の足を止めさせた。
「皆、お喋りはそこまでだ。渓谷の入り口が見えてきたよ」
レオンが指さす先――切り立った巨大な岩壁の隙間から、ゴオゴオと不気味な風鳴りを響かせる、広大な砂の渓谷が姿を現した。ついに、変異種『地喰らい』の縄張りへと足を踏み入れる時が来たのだ。




