第十八話
「さて、まずは中央通りの魔導素材屋だな。アルフ、財布の紐は私が握る」
ギルドを出るなり、カラスは早足で歩き出しながら告げた。
俺は苦笑しつつ、彼女の半歩後ろを追いかける。
「分かってるって。それで、今回はどんな呪具を作るつもりなんだ? 奴の地中の魔力を喰らうラインを狂わせるって言ってたけど」
「相手は土属性の最上位変異種と言えよう。まともに呪術をぶつけても、分厚い大地の神性に掻き消されるのがオチだからな。……今回は、あえて反発する神性をぶつけて内側から術式を自壊させる」
カラスは前髪を揺らしながら、脳内にある呪術の基本法則を紐解くように語り出した。
「奴の肉体は土神の『固定・硬度』、そして地中からの魔力吸収は豊穣神の『維持・増幅』の性質を宿している。つまり奴は、無意識に土と豊穣の複合術式をその身で体現している状態だ。この二つの神性は、本来なら『分解・腐敗』と『維持・結合』という矛盾を孕む、極めて制御が難しく反発し合う組み合わせのはずなのだがな」
「……ええと、つまり、本来なら一緒に使ったら破綻するような性質を、その魔物は無理やり肉体でねじ伏せて、無限再生に変えてるってことか?」
俺がなんとか噛み砕いて尋ねると、カラスは満足げに頷いた。
「察しが良いな。その通りだ。ならば、その危うい均衡の針をほんの少し突いてやればいい。狙うのは、奴の持つ土神の神性に対して、風神の『流動・軽量化』を無理やり叩き込む。静止しようとする土と、流動しようとする風は、空間の座標を歪ませる最悪の相性だ。さらにそこへ、私が得意とする月神の『狂気・干渉』を混ぜ、奴の再生サイクルそのものを狂わせる呪具を構築する」
「なるほど、最悪の相性をぶつけて、さらに月神の力で頭を混乱させるわけか。……いや、理屈はなんとなく分かったけど、それを実際に呪具に落とし込めるカラスの頭脳の方が恐ろしいよ」
「呪術士なら当然の嗜みだ。……さて、つまり仕入れるのは風神と月神の素材だな」
カラスは前髪の奥の目を光らせ、目的の素材を口にする。
「風神の性質を宿す『怪鳥の風切り羽』か『高山帯の風化岩』。そして月神の性質を持つ『銀精の涙』か『夜咲き草の毒素』。後は長めの帯布。それらをアルフの……いや、何でもない。とにかく、ベースとなる触媒が必要だ」
今、カラスが一瞬だけ俺のどこを見ようとしたのか、あえて深く考えるのはやめた。昨夜の小瓶の件が頭をよぎり、俺は首を振って雑念を払う。
カラスは前髪の奥の目を光らせ、中央通りの一角にある老舗の魔導素材屋のドアを勢いよく押し開けた。
カランカラン、と小気味よい鈴の音が響く。
「いらっしゃい、お若い冒険者さん。今日は何をお探しで?」
カウンターの奥から現れた白髭の店主が愛想よく微笑むが、前髪を目深く下ろしたカラスが放つ独特の陰気なオーラに、一瞬だけ身構えたのを俺は見逃さなかった。
カラスはそんな店主の警戒を気にも留めず、カウンターをコツコツと指先で叩く。
「嵐鴫の尾羽、それも生体魔力が損なわれていない極上品を3つ。それから、神聖純度の高い『銀の月砂』を二層分だ。あるか」
「お、おう、随分とマニアックなところを突いてくるお嬢ちゃんだねぇ……。ちょっと待ちな」
店主が奥の棚から持ってきたのは、青白く微光を放つ鳥の羽と、小瓶に入った美しい銀色の砂だった。
店主は「どちらも手に入れるのが一苦労な一級品さ。合わせて大銀貨8枚、ってところでどうだい?」と、ふっかけているのか妥当なのか知識のない俺には分からない。
俺が思わず財布に手を伸ばそうとした瞬間、カラスが冷徹な声でそれを制した。
「待て、店主。それは言った通りの品質だったらの話だろう」
「へっ?」
「この嵐鴫の尾羽、先端の魔力ラインがわずかに乾いて変色している。おそらく捕獲から半月は経過しているな。風神の『流動』の純度は2割は落ちている。さらにこの銀の月砂、普通の白砂も少し混ざっているな? 純銀の比重を誤魔化せると思ったら大間違いだ。呪術士の目を欺けると思うなよ」
「う、うぐっ……!?」
カラスの容赦のない理詰めの指摘に、店主の顔から冷や汗がドッと噴き出した。
仮面はつけていないものの、前髪の奥から覗くカラスの視線はまるで鋭利な刃物のようだ。完全にプロの呪術士の目利きに圧倒された店主は、がたがたと肩を震わせる。
「……大銀貨4枚。それ以上は一銅貨たりとも払わん。嫌なら隣の店に行くが?」
「わ、分かった、分かったよ! 4枚でいい! その代わり、もうその目で俺を見るんじゃねえ!」
泣きそうになりながら包みを作る店主を前に、カラスはふん、と満足げに鼻を鳴らした。
交渉中、ぼうっとしていたのだが、カラスに「おいアルフ、何を惚けた顔をしている。早く代金を払って荷物を持て」と頭を小突かれ、慌てて財布を取り出す始末だった。
こうして、風神の性質が極めて高い『嵐鴫の尾羽』。そして月神の神性を帯びた『銀の月砂』。どれも安くはない買い物だったが、カラスの厳しい目利きのおかげで、最高品質とまでは行かないまでも、なかなかの品質の品々を予定の予算より安く買い揃えることができたのだった。
「よし、これで素材は揃ったな。あとは宿に戻って調合と呪詛の編み込みを行うぞ、アルフ」
魔法素材以外にも、いくつかの店を周って材料を買い集めた俺達は、宿へと帰路につく。
「よし、まずは『地喰らい』の魔力結合を絶つための、投擲用の呪符を仕上げるぞ。アルフ、そこの嵐鴫の羽を細かく刻め。私が銀の月砂と夜咲き草の毒素を調合する」
宿の部屋に戻るなり、カラスはテキパキと指示を出しながら、小型の大釜に怪しげな液体を注ぎ始めた。
俺は言われた通りに尾羽をナイフで刻みながら、カラスの手元を見つめる。
「それはカラスが戦闘中に使う呪具なんだな?」
「ああ。奴が地中に潜ろうとした瞬間、あるいは外殻を再生させようとした瞬間に、この呪符を打ち込む。土と風の拒絶反応に、月神の狂気干渉が混ざり合えば、奴の肉体を維持する術式は数分間、完全に機能不全に陥るはずだ。その隙にお前が叩き込め」
大釜から立ち上る紫色の煙が、刻んだ羽にじわじわと染み込んでいく。カラスはそれを丁寧に羊皮紙へと定着させ、複雑な呪詛の紋様を書き込んでいく。戦闘中に彼女がこれをどう操るのか、今から頼もしい限りだった。
一通り呪符を刷り終えると、カラスは棚からいくつかの小さな木の実のような、奇妙な丸い小物を引っ張り出してきた。
「次はこれだ。万が一、奴のあの巨体に飲み込まれた時のための『緊急脱出用』の呪具を仕込む」
「飲み込まれた時……? 想像しただけでゾッとするな」
「地中を掘り進むワーム種だ。どれほど気をつけていても、足元から奇襲されれば一呑みにされるリスクは常にある。だからこそ、胃袋の中から内壁を刺激する呪術を仕込んでおく。土神の硬度を逆手にとって、胃の腑に強烈な『腐敗と嘔吐感』をもたらす呪いだ。発動すれば、どんな大食漢の魔物でも、たまらず私たちを吐き出すことになる」
「なるほど、それは心強いな。用意周到で助かるよ」
「当たり前だ。私は生きて報酬を受け取るために呪術を使っている」
カラスはフンと鼻を鳴らし、その脱出用呪具に最後の仕上げを施した。
これでひとまず、事前の対策としては完璧に見えた。だが、カラスはそこで作業を止めず、顎に手を当てて前髪の奥で何かを深く考え込み始めた。
「……だが、相手は最上位の変異種だ。万が一、私の呪符が弾かれたり、奴の魔力総量がこちらの計算を上回っていた場合、呪具の効力が薄れる可能性がある。何よりあの巨体だ。奴の再生力を呪符で一時的に止めたとしても、こちらの攻撃力が足りずに削りきれなければ意味がない。確実に一撃で岩盤の外殻ごと中身をブチ抜く、純粋な大出力の魔法剣が必要になる。……ロックスクレイルの群れを消し飛ばした、あの時のような力がな」
カラスの言葉に、俺は以前の出来事、あの凄まじい熱量を持った魔力の融合を思い出した。あの時、カラスはあらゆる代償を払い魔力を上乗せさせて膨大な威力へと変貌させた――。
「……待て。それって、つまり必要なのって……」
嫌な予感が背筋を駆け抜け、俺は思わず一歩後退りした。カラスはそんな俺の反応を楽しむように、ふっと薄い唇を吊り上げる。
「察しが良いな、アルフ。魔法剣の強化に一番適した触媒は何かもう分かってるな。今回の付与は、お前が普段魔法剣を纏わせる小剣の柄巻きの布だ。直接染み込ませ、呪力を定着させたい。だからな……」
カラスは机の引き出しから、昨日よりも明らかに一回り大きな、呪力コーティングが施された小瓶を取り出して俺の前に差し出した。
「今回は多めに頼むよ、リーダー?」
「お、おい! 多めってなんだよ! 冗談だろ、昨日あれだけ恥ずかしい思いをして出したばかりなのに、今日もなんて無理に決まってるだろ!」
俺は顔を一気に沸騰させながら全力で首を振った。さすがに二日連続、しかも用途が用途なだけに恥ずかしさが限界を突破している。
だが、カラスはふう、と小さくため息をつくと、組んでいた腕を解いた。
「頑固な男だな……。命がかかっているというのに。仕方のない奴だ」
そう呟くと、彼女は白い指先を自分の額へと伸ばした。
サラリ、と音を立てて、いつも彼女の顔を深く覆い隠していた黒い前髪が、惜しげもなく左右にかき上げられる。
「あ……」
夕暮れの茜色の光線が、遮るもののなくなった彼女の素顔を照らし出した。
すっきりと通った高い鼻筋、瑞々しく結ばれた薄紅色の唇、そして、普段は見ることのできない、切れ上がった妖艶な両の瞳。息を呑むほどに美しいその素顔が、遮るもののない至近距離で露わになる。
呆然と固まる俺の隙を逃さず、カラスは音もなく距離を詰めると、その冷たい両手で俺の頬を包み込んできた。
「っ!?」
ぐい、と顔を固定され、強制的に彼女の瞳に視線を合わせさせられる。逸らしたくても、両手の力と圧倒的な美貌の引力に囚われて動けない。彼女の吐息が届くほどの至近距離で、カラスは少しだけ眉をひそめ、捨てられた仔犬のように潤んだ瞳で俺を見つめてきた。
「私の呪術だけでは、お前を十分に守りきれないかもしれないのだ。……それでも、駄目なのか……?」
(――ッ、反則だろ、それは!!)
心臓が破裂しそうなほどの音を立てて脈打つ。普段の冷徹な彼女からは想像もつかない、あまりにもずるい催促の仕方。これが彼女なりの演技なのか、それとも本気で俺を心配しての表情なのか、今の俺には判断がつかない。ただ一つ確かなのは、この顔で見つめられて拒絶できる男など、この世に存在しないということだけだ。
「……わ、分かった! 分かったから顔を離してくれ!」
俺は真っ赤になった顔をこれ以上見られないよう、カラスの手を優しく引き剥がすと、彼女の手から引ったくるようにして大きめの小瓶を掴み取った。
「行ってくる! だから、部屋に入ってくるなよ!」
捨て台詞のように叫び、俺は回れ右をして大股でカラスの部屋を飛び出した。
背後でカラスが、前髪を元に戻しながら「ふふ……いってらっしゃい、アルフ」と、いつもの愉しげな調子で呟く声が聞こえた気がした。
完全に彼女の術中に嵌まったことを悔やみつつも、俺は顔の熱を冷ますようにパタパタと手で煽りながら、自室へと続く廊下を大急ぎで突き進むのだった。
バタン、と自室のドアを閉めてベッドになだれ込んでも、脳裏からはあの茜色に照らされたカラスの素顔と、潤んだ瞳がどうしても離れてくれない。
「……あんな顔、ズルすぎるだろ……」
机の上にぽつんと置かれた大ぶりの小瓶を見つめながら、俺は未だに激しく鐘を打ち鳴らし続ける心臓を必死に手で押さえるのだった。




