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第十六話

「……何を朝から、そう顔を真っ赤にして突っ立っている」


 宿の食堂。いつも通り、黒髪の前髪で顔の半分を覆い隠したカラスが、スープをスプーンで掬いながら気怠げに視線を向けてきた。


「い、いや! 何でもない。おはよう、カラス」


 俺は慌てて視線を逸らし、空いている席に腰を下ろした。

 何でもないわけがない。昨夜、彼女に手渡したあの小瓶の件。そして、その後に見せられた、心臓が跳ね上がるほどに美しかった彼女の素顔。さらに言えば、あの破壊力抜群の最低なネーミングセンス――。


 色々な感情が頭の中で大渋滞を起こし、昨夜はろくに眠れなかったというのに、当の本人は至って平然とした様子でパンを齧っている。


「ふん……。夢に私でも出てきたか?…まあ、触媒の鮮度と純度が上がるなら、私は一向に構わないが?」

「ぶっ――!? な、何を、公共の場で!」

「誰も聞いていない。それより、早く朝食を済ませろ。今日は待ちに待った日だろう」


ふ、とカラスの薄い唇が、悪戯っぽく、しかしどこか満足げに弧を描く。

 そのいつも通りの容赦のないからかいと、どこか吹っ切れたような態度を見ているうちに、俺の肩の力が自然と抜けていくのが分かった。


(……調子が狂うな、本当に)


苦笑交じりに息を吐き、俺もスープを口に運ぶ。

からかわれているのは癪だが、不思議と居心地は悪くない。彼女の言う通り、今日は感傷に浸っている暇はなかった。Dランクに昇格したばかりの俺たちが、次の一歩を踏み出す重要な日なのだから。



朝食を終え、俺たちは足早に冒険者ギルドへと向かった。

朝のギルド内は、依頼を求める冒険者たちの熱気と怒号で満ち溢れていた。

俺がDランクの証を持っていき、受付に並ぶ。ちょうど馴染みの受付係が俺たちに気づき、一枚の特別な依頼書をカウンターに滑らせてきた。


「アルフレッドさん、カラスさん、おはようございます。さっそくですが……お二人の実力を見込んで、こちらの依頼を斡旋させていただけないでしょうか」


提示されたのは、Cランク向けの依頼書だった。


【合同遠征依頼】

目的: 鳴き砂の渓谷・最深部における「大型変異種(仮称:地喰らい)」の討伐、および周辺の生態調査

条件: Cランク以上のパーティ、複数(3パーティ合同を想定)



「Cランクの依頼ですか?」

 

俺が問いかけると、受付係は真剣な表情で頷き、ペンを手に取って依頼書の余白にサラサラと補足事項を書き加えた。


「はい。難易度は高めですが、今回は3パーティでの合同任務となります。そして……」


 受付係は書き終えた文字を指さした。そこには『※達成時の貢献度により、Cランクへの推薦・昇格を考慮する』とある。


「カラスさんが居るので、パーティとしてはCランクですし、それに今回、特に危険な変異種の討伐ですので、もし目覚ましい活躍を収めていただければ、そのままCランクへの昇格をギルド長に推薦します」

「……ほう」


 後ろにいたカラスの目が、前髪の隙間で鋭く光った。


「複数パーティでの合同任務か。難易度は高めだが、Cランクへの足がかりとしては最高の案件だな」

「強力な魔物が相手なら、俺の魔法剣と、カラスの新しい……その、例の短剣の威力を試すには、これ以上ない舞台だと思うんだ」



 『聖液の短剣』という名前を口にするのだけは全力で回避しながら、俺は力強く拳を握りしめた。


「いいだろう。お前がそう決めたなら、私はその剣に従うまでだ。……それに、他のパーティが間抜けなら、そいつらを代  償に押し付ける算段も立てられるしな」

「物騒な冗談はやめてくれよ?」

「冗談に見えたか?」


カラスはくつくつと不敵に笑うと、俺の背中を軽く叩いた。


「さあ、受託の手続きをしろ、リーダー。どんな有象無象と組まされるか、見物だな」



「では、すでに他のお二組は奥の会議室でお待ちですので、ご案内いたしますね」


 受付係に促され、俺とカラスはギルドの奥へと歩き出した。

 今回、俺はすでに規定の功績を収めてCランクへの昇格試験を受ける資格を得ていた。ただ、単独での試験よりも、この難度の高い合同任務で成果を証明する方が確実かつ早い。だからこそ、ギルド側も俺たちを指名してきたのだろう。

 会議室の扉が見えてきたところで、受付係と何か話していたカラスがふと俺の歩調に合わせ、耳元に顔を寄せてきた。顔は見えなくとも、彼女の唇がすぐ近くにある気配だけで、昨夜の記憶が蘇って心臓が跳ねる。


「アルフ、少し耳を貸せ」

「う、うん。何だ?」

「これから会う二つのパーティだが……どちらも私がこのギルドにいる間で、それなりに見てきた顔だ。軽く情報を伝えておく」


 カラスは声を潜め、流れるような口調で室内の面々について説明を始めた。


「一つは『鋼の轍(はがねのわだち)』。リーダーは戦士のガロ。大柄で一見粗野だが、前衛としての防御力と状況判断は確かだ。もう一人の魔法使いの男も手堅い。前線を任せるにはこれ以上ない盾になる」

「なるほど、堅実なパーティなんだな」

「もう一つは『白銀の風(はぎんのかぜ)』。こちらは4人編成。リーダーは剣士のレオン。若手で腕は立つが、少々自信過剰で名声を焦るきらいがある。あとの二人は弓手と軽戦士。そして、もう一人は治癒術士の女、セシル。……あの女は好かん。少々、目ざとい」


 カラスの声音が、セシルの名前を出した時だけ僅かに冷たくなった気がした。


「……何が目ざといんだ?」

「男の顔と、その懐の深さを測るのがな。まあ、戦闘での立ち回りは悪くない。足だけは引っ張られないようにしろ」


 警告を終えると、カラスはすっと身を引き、いつもの冷徹な呪術士の佇まいに戻った。俺は小さく息を吐き、会議室の扉を押し開けた。


「おう、遅かったじゃねえか。……って、おいおい」


 部屋に入るなり、円卓に腰掛けていた大柄な男――ガロが、俺の胸元のギルドプレートを見てニヤリと笑った。


「今回の三組目はどこの猛者かと思えば、Dランクじゃねえか。ギルドも焼きが回ったか? ここはピクニックじゃねえんだぞ、ボウズ」


 からかい半分の洗礼。だが、その言葉に悪意というよりは、純粋な実力への疑念が混ざっているのを感じ、俺は一歩前に出ようとした。

 しかし、それを遮るように、もう一つのパーティのリーダー、美形だがどこかキザな風貌のレオンが鼻で笑った。


「ガロ、お前は相変わらず情報に疎いな。そこの彼はアルフレッド。Dランクとはいえ、すでにCランクへの昇格条件を満たしている逸材さ。それに……」


 レオンの視線が、俺の後ろに佇む黒髪の女性へと向く。


「後ろにいるのは『黒鴉の呪術士』だろ? 彼女の呪術のえげつなさは、この辺りのCランクなら誰もが知っている。むしろ、この二人が来てくれたのは大当たりの部類だよ」

「へえ、あの呪術士の姉ちゃんが認めた男か。なら話は別だ。悪かったな、ボウズ……いや、アルフレッド」


 ガロはガハハと豪快に笑い、すぐに俺を戦力として認める姿勢を見せた。荒っぽい世界だが、話が早くて助かる。俺も「よろしくお願いします、ガロさん、レオンさん」と頭を下げ、お互いの自己紹介を軽く済ませた。4人編成の『白銀の風』の弓手と軽戦士の男たちも、軽く手を挙げて応じてくれる。


 すると、レオンの隣に座っていた小柄な女性――治癒術士のセシルが、椅子から立ち上がってしなやかな足取りで俺の方へと歩み寄ってきた。

 整った顔立ちに、計算されたような愛嬌のある笑みを浮かべている。


「はじめまして、アルフレッドさん。私はセシル。さっきレオンも言ってたけど、あなたの噂、実は聞いていたの。若いのに、あのヴァランシエル家の魔法剣で腕が凄く立つんですってね?」


 セシルは俺の顔を覗き込むようにして、一歩、ぐっと距離を詰めてきた。ふわりと甘い香水の匂いが鼻腔をくすぐる。

 まさかここで実家の名が出るとは思わず、俺は僅かに胸を突かれた。家を飛び出してきた身としては、あまり大っぴらに触れられたくない名前だ。


「……っ。ヴァランシエルの名は、今の俺には関係ありません。俺はただの、一人の冒険者です」

「ふふ、そんなに警戒しないで? 怒った顔も素敵だけど、やっぱり男の子は笑っている方が可愛いわよ」


 セシルは俺の少し硬い態度を気にする風でもなく、むしろ楽しむように目を細めた。その視線は、俺の顔から、腰の魔法剣、そして胸元の体格へと、いやに生々しく滑っていく。カラスの言っていた「値踏みする」という言葉の意味が、肌に刺さるようなプレッシャーとして理解できた。


「今回の魔物はかなり強力みたいだから、前衛のアルフレッドさんが頼りなの。もし怪我をしちゃったら……私が責任を持って、特等席で、いーっぱい癒してあげるね?」


 悪戯っぽくウィンクをしながら、セシルが「ね?」と親密さを演出するように、俺の胸元へ白い指先を伸ばしてきた。

 

 その指が、俺の服に触れるかという、その一瞬前だった。


「――おい。その薄汚い手を退けろ、治癒術士」


 背後から、低く地を這うような、本物の殺気を孕んだ声音が響いた。

 直後、背後から伸びてきたカラスのしなやかな腕が、俺の首から肩をすっぽりと抱え込んだ。ガシッ、と容赦のない力で、俺の頭がカラスの身体へとぐいっと引き寄せられ、彼女の胸元に深く密着させられる。


「う、わっ!? カ、カラス……!?」


 突然のことに心臓が跳ね上がる。薄い衣の向こうから伝わる彼女の確かな体温と、昨夜からずっと俺を惑わせているあの特有の薬草の香りが、至近距離で一気に鼻腔を満たした。身動きが取れない。

 カラスは俺の頭をしっかりと自分の身体に固定し、まるで「これは私の所有物だ、指一本触れるな」と誇示するような不遜な態度で、前髪の隙間からセシルを冷酷に睨みつけた。


「色目を使ってうちのリーダーを汚すな。その品性の欠片もない指ごと、骨を呪い折るぞ」

「……あら」


 セシルは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。伸ばしかけた手をすっと引き、目の前の呪術士から放たれる、冗談ではないレベルの魔力のプレッシャーを肌で感じ取ったのだろう。セシルの頬が、僅かに引き攣る。


「軽い挨拶のつもりだったんだけど……うーん、どうやら私、ひどくお邪魔だったみたいね? ごめんなさい、アルフレッドさん」


 セシルはわざとらしく肩をすくめると、レオンの後ろへと戻っていった。しかし、その目は笑っておらず、カラスのただならぬ独占欲の強さを面白がるような、油断のならない光を宿している。

 ガロやレオンたち他の男連中も、カラスのあまりの剣幕と物騒な発言に、口を半開きにしたまま引きつった苦笑いを浮かべていた。


「おい、カラス……もう離してくれ、みんな見てるから……」


 俺は顔を真っ赤にしながら、カラスの腕の中で蚊の鳴くような声を絞り出した。彼女の胸の鼓動が、俺の耳に直接ドクドクと伝わってきて、恥ずかしさで死にそうだ。

 カラスはフンと鼻を鳴らすと、ようやく腕の力を緩めて俺を解放した。

 ふいとそっぽを向いた彼女の横顔からは、明らかにピリピリとした不機嫌さが漂っている。


(好きじゃないと言っていたにしても……何でこんなに怒ってるんだ? ……いや、待てよ。「死なせたくない」とか言ってたのも、こういうことなのか……?)


 昨夜のドタバタからの、この妙な緊張感とまさかの密着劇。今回の合同任務、魔物以外にも色々と気の抜けない道中になりそうだと、俺は額の汗を拭いながら密かに覚悟を決めた。


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