↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
39/43

真田行家 厨房 千変万化の隠し引き戸

「ここが厨房なんだ……広いね……」


「はあ、疲れたあ……ここは確か……千変万化の隠し引き戸って名前の部屋なのよ」


「え? 何その変な名前? 料理する場所でしょ? なんで隠し引き戸なのよ……」


「確かに変よね。何か意味ありげ……でも千変万化って言うのはなんとなく分かるかな。膳さん色々な国の料理を覚えて作ってくれるからね。その様子が千変万化なのよ。隠し引き戸の要素はないけどね。でも本当に糖分取るの? さっきの様子じゃ当分いらないでしょ?」


「いるよ! あと今の洒落は98点程度ね!」


「え? 程度ってレベルじゃないでしょ……高評価!」


「これも糖分不足の弊害ね……糖分という言葉に無意識で60点の加点をしちゃったみたいね。不足しているといやでも敏感になってしまう……これが人の弱さってことだわ……人間って愚かね……」


「そういうことかー。って言うことは実質38点かあ……でも人間って愚かねって何よ! その響きなんか嫌いよ!」


「昔カタリナってのがいてさ。そいつの口癖だったの。それが伝染っちゃって……」


「カタリナアア?」


「とにかく自己主張が強い語り部でね。私が確か山菜の時……3歳の時に鬱になりかけて心が弱っていたことがあったの。そこでなんとその、


『人間って愚かですねえ』


って言葉を呆れた感じでこの私にぶつけてきたのよ。酷いよね? 物語の感動に浸って泣いていた余韻も台無し。で、


『ねえねえ、その言葉ちょっとおかしいよ』


って感じで優しーくお説教したら、今度は向こうが泣き出すし……女神を自称する割に、思ったことをすぐ口に出すおバカさんなのよね。ほら、バカって全部聞こえるのに聞こえてないからいいっしょwwwwって勘違いして言うじゃん。静かにしていれば怒られずに済むのにさ……」


「本当は滅茶苦茶ひどい言葉でなじったんじゃない? 名探偵照代の勘がそう言っているわ」


「そこまで酷くはなかったと思う……確か……あ、回想シーンに入るわよ!」


ーーーーーーーーーー8年前♡ーーーーーーーーーーー


『人間って愚かですねだとぉ? ふざけるんじゃねえぞ? 負けず嫌いは良いことだろ? この世は競争社会だ。そこに全員参加する定め。だったら勝ちに行くのが普通だろ? 勝ちに拘らない羊の様な生き方ではケツの毛まで毟り取られる。それでいいのか? お前は負ける前提で人生をプレイしてるのか? 違うだろ? 思い出せよ! お前だって少し前までは人間だったんだろ? 何故そんなことが言えたんだよ……もう女神だから……人間なんかよりも1ランクどころか100ランクも上に行っちまった余裕から来る言葉だったのか?』 

ちちちちちがいますう。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ちょwちちちちちちがいますうって焦っていたのが例の女神?」


「そう。この思い出話では、私のセリフは『』内のもので表示され、そのセリフの後にへばりついているカギかっこなしの文字列が女神のセリフとなる。例……


『こんにちは、わたしはアリサ。今日は夏休み。家でゴロゴロしていたら何故か忍者屋敷に連れてこられちゃった』

こんにちは、私はカタリナですぅ。語りの女神やっていますぅ。


て感じね。こいうルールで表記していくことをご理解いただきたい」


「そういうルールなんだ。理解したわ。でも……これって姉さんが3歳の時の話でしょ?」


「うん」


「でも競争社会とか難しい言葉が……」


「まあ六法全書が絵本代わりだったからねえ」


「ひえ六法全書ってそんなことまで……」


「もう、回想シーンでは出来るだけ横槍を入れないでね? えっと……続き行くよ?」


「ごめんなさい」


ーーーーーーーーーーーーーーーー


『本当か? なら分かっている筈だぜ? 人間は愚かでもあるけど素晴らしい一面もあるってことをな。お前は人間の頃、自分で生み出したオリジナルのギャル語を、皆に触れ回って、それが周りに受け入れられて来た時、自分は自分にしか出来ない特別な力がある。そう、唯一の存在という優越感に浸れていたんじゃないのか? 少なからずあった筈だ。それは既に勝負の世界に足を踏み入れて勝ち続けてきた経験、矜持があったからこそ得られた感覚だろ? そう、お前は、勝負を仕掛けた。とんでもない相手に』

誰ですか? 私、そんな大層なことしてません。好きなことをやってただけです。


『そうか。気付かずにそれを成していたってことなのか。お前は神になる際に100倍のバフを受けたんじゃないのか?』

その筈ですが……


『そうか……賢さが元々1で、それが100倍になっただけか。普通の人間並みだな』

ひどいです……でもアリサ様はどうしてこんなに喋れるんです? 3歳でしょう?


『0歳から喋れたらしい』

ええ? じゃあ一番初めの産声はなんでした?


『g′(x)g′′(x)g′′′(x)=−12(1−x2)−32×(−2x)=x(1−x2)−32=(1−x2)−32−32x(1−x2)−52×(−2x)=(1−x2)−32+3x2(1−x2)−52=−32(1−x2)−52×(−2x)+6x(1−x2)−52−52×3x2(1−x2)−72×(−2x)だったらしいわ』

ひい? こんな数式、発音したことありませーん。


『まあ生まれ持ったもんが違うってことかなあ。この当時でもお前より賢かったかもな』

負けを認めますう。


『それくらいアホなら分からんのは仕方ないな。そうだな、じゃあ教えよう。お前はあの時、


【既存の言葉を押しのけ、自ら作った言葉を定着させる】


と言う前代未聞の勝負を仕掛けたんだ。もし勝負事が無い世界ではこの感覚は絶対に味わえない。いつまでも同じ言葉を使い続け、平坦に人生を終える筈。ところがだ。お前は、既存の言葉を使っていた奴に自分の考えた新しい言葉を定着させることが出来た人類初の女。そんな奴今まで居たか?』

いえ……そうです。あれは、私が一番輝いていた頃の……!


『そうだよ。今まで辞書に載っていた言葉を使っていた奴に、それを使わせることを止めさせ、新しい、辞書にもまだ載ってねえ言葉を、既存の言葉を使わせず、その響きの心地よさが既存を上回ったお陰か? センスが良いと受け入れられたか? までは分からねえが、お前が生み出した物を使いたいと思わせた。言わば、今はまだかも知れないけど土方さんの生み出した言葉は、これから辞書に載る可能性は十分にある。だからその先駆者として使って行こうと思わせた訳だ。正にお前はあの時


【言葉の勝者】


だったんだ』

言葉の……勝者……!!


『その時のお前は、今私を見下し、呆れて揶揄っている時なんかよりも、遥かに、遥かに、輝いていた。今のお前、姿は見えねえが、言葉にも自信と言うかそんな気迫が全く感じられねえ。皮肉を言っている自分に酔ってる感じがする。気に食わねえ。本当に同一人物かよ? あの頃の希望に満ちたお前は何処に行ったんだ? 人って変わっちまうもんだねえ。土方理奈から土を取って方理奈になってお空に飛んで行ったから、大地でへばり付いてる私達を上から見下す嫌ーな傲慢女になっちゃった。ってことなのかなあ?』

ぐすん……


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「あっ、本当に泣いた!」


「なんで嘘だと思ってたんだよ……信頼ねえなあ……」


「ごめん姉さん……女神を泣かせるなんてどう考えても信じられなくって」


「続き行くわよ」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


『あの頃の輝きは、間違いなく時限でこの世を去ってしまう人間の時にしか出せない尊い輝きだ。永遠の命ではその焦りはないだろ? いつでも考えること出来ますうってな。だがな? 人間の時はいずれ衰えその感性が無くなってしまう。例えば40代になっても10代の頃のセンスを維持することはほぼ不可能に近い。それは何となく分かるな?』

はい。


『焦りもある程度必要なんだ。だから、若い時にしか出来ねえ。だからあの時今やらなきゃって頑張ったんだろ? それはお前の本能で分かっていた。十代の重大な時期に、全く誰も使っていない言葉を作ろうって思える奴があの時代に何人位居たんだろうな? それほど多くはねえと思うぜ? それに気付けてその人生の一番輝ける時間をそれに割け、それを受け入れてもらうことが出来たお前は間違いなく勝者だ。何代までも語り継げる程にな。でもよ今はどうだ? 今、思い付けて、ねえだろ? だよな? あれは限りある命がある【人】の間にしか出来ねえよ。仮に神になって1万年ダラダラ生きようが思い付けるか分からねえ』

は、はい……


『人だった頃のお前は、その淀みきった凪状態の現状が嫌だった。誰も動き出さず、既存の言葉ばかりを使って……もうここで言葉の進歩は止まっちゃったの? って焦った。だから、新しい風を、大きな波を、巻き起こしたかったから、自分の頭を捻って新しい言葉を作り始めた。そうだろ? でなければそんなことをする理由は無い』

そう、そうです! 私は沢山作ったんです……響きが良くて言いやすくて新しい言葉を……出来れば今も作りたいです……でも、考えても……今は……いくら考えても、思い付けなくなっちゃった……どうして? それに、もし思い付いても……誰にも、伝えられなく、なっちゃった……今は誰も私の周りには居ないから……ミナポン……ユキユキ……涙


『そうか、お前も辛いんだな。かつては出来たことが突然出来なくなる不安。それに今1人なのか? そんなとこに閉じ込められて可哀想に。でも良いこともあったろ? みんなに認めてもらって、使ってもらって、テレビでも紹介されて。それだけをフォーカスしとけ。過去にはもう戻れん。で、もし自分よりも優れたギャル語を作る女子高生が現れたらそのままにしておくか? 攻撃するなりそのライバルよりももっと優れたギャル語を作ろうと努力をするだろ? と言うことは、お前だって少なからず負けず嫌いってことだ』

は、はいいいい


『いが多い! 伸ばせば良いってもんじゃねえ。文字数稼ぎすんなカス』

はい……申し訳ありません……(ああ、私自身が圧迫してしまった……)


『今私は多分鬱の初期症状かも知れない。うさしま太郎さんの死が強烈に残ってしまっている。それが心に纏わり付いている。思い出すだけで切ない。何をするにも力が出ない。一刻も早くこの状態を治したい。でもお前のアドバイス。寝れば治るは使わない』

何故でしょうか?


『まあ正確に言えば使いたくても使えないだな』

え?


『例えばだ。お前は初見のゲームの実況プレイのライブでコメントでネタバレされた実況者がどういう行動を取るか知らねえのか』

ち、ちょっと待って下さい! 専門用語が多すぎます。


『今はインターネットで不特定多数の人間に自分のプレイしているゲームが公開出来るんだ。リアルタイムで。それをライブと言う。そこで初見って言ってその初々しさを既プレイの先輩が見守る放送が無料で誰でも放送出来る。まあ放送機材は色々必要だが、それさえ揃えてしまえば電気代と通信費のみで放送出来る。タイムラグは10秒位あるけどほぼリアルタイムでその人物が、初見プレイのゲームで攻略出来ず戸惑っている様を楽しむことが出来るんだ。操作方法くらいは良いっていう実況者も居るけど、基本全部ネタバレ禁止にしている人が多いな』

成程。で、その放送者が初見でやっているのに、心無い視聴者がコメントで無断でネタバレをすることも出来てしまうんですね? なんとなく分かりました。その時放送者はどうするんですか?


『ネタバレを見てしまった時点でそのネタバレの内容を、自分で偶然発見出来なかったと言うことになり、その実況内でその情報の使用を禁止にするんだ。要するに、


『封印の洞窟の最奥部の宝箱は特別で、二回調べると二重底になっていて、すごく強い装備があるよ!』 


とネタバレされたとしよう。その場合、その装備は後に実況者が実力で発見出来る可能性があったとしても、その情報を見てしまったせいで、二回目を調べることが出来ねえんだ。絶対にな』

え? それ法律で決まってるんですかああぁ?


『勿論そうだよ。刑法666条に記載されている。だからな? 良かれと思ってしたコメントが逆に実況者を苦しめるってことだな。このせいで例えばその放送内ではうっかり空箱をもう一度調べて、偶然発見して初見でも発見出来た! やったあ! と言うミラクルすら見ることが出来ない訳だな。もしそれを偶然引き起こせたら盛り上がると思わないか?』

はい、私なら椅子から立ち上がって、ガッツポーズくらいしてしまうかも知れません。


『うん。で、その実況者の人気も上がるだろうな。でも、ネタバレされてしまっただけでそのチャンスも潰した訳だ。そもそも二回調べると取れるという情報を見てしまった時点で、わざとらしく


「あーこの宝箱なんか怪しいなあ。二回調べてみっかあ」


と言いながら調べてもネタバレ見ただろって叩かれちゃうし、クッソ寒い。そんなの実況者本人も許せないと思う』

成程。じゃあネタバレをした方は裁かれないんですか?


『まあ二度と来れないよう出禁にすることは出来るが、新しくアカウントを作って又入って同じことをしてくる場合もあるし、完全に防ぐことは出来ない。初見プレイと書いて放送していてもネタバレする奴は一定数居るからな。初見の楽しみを意図的に奪う為だけに生きてる奴も居るってことかな』

はあ、凄い世界ですね。


『私もこの症状になったのはこれが初めて。言わば初見プレイだ。その攻略法をこれから探ろうとしていた矢先に身勝手にもお前にネタバレされた。頼んでも居ねえのによお……だから、寝る以外の方法でこの状況を打破せざるを得ないってことだ。迷惑な話だぜ。ネタバレ厨の女神さんよお』

すいませんすいませんすいません。(何でこんなに怒られてるの? 私、女神なのに)


『バ、カ、な、女神だろ? あんまりあんぽんたんなこと言ってると絶対に目玉をゆっくりへし折るからね』

す、すいません。折られたくありません……慎みます……(心まで読まれてるぅ? ひえ……ヤバいことになってしまいました……で、ででですがアリサちゃんが勝手に私の声を聞いてきたからこうなったんじゃないですかあ)


『人のせいにするな!』

(やっぱり聞かれてるうう。でも、一時的なことですよね? こういうサッド状態になった時のみに訪れる超聴力の筈です。そう思いたいですう。だって今まではこんなことなかったんですし、彼女もそう言っていたんですから……そうでないと語りに支障が出てしまいます……めっちゃ怖いですう……この子……いいえ。このお方だけは敵に回してはいけません……)


『よろしい……じゃあ寝る以外の方法。スカッとするかも知れないお話を見て鬱を回復させるぜ……早く読まなきゃ……早くしないと心が壊れる……それに本当に眠気が襲って来て寝ちまうかも知れねえ……絶対にそれだけは避けなくてはな。タイムリミットがある鬱治療。もし眠ったら人生終了wなあカタリナ? わくわくしねえか? 俺はするぜw』

が、頑張って下さいませアリサ様……心の底より応援しています……ブル


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……と、まあこんな感じでやさしく説教したわけ」

 

「……」


「ん? どうした?」


「ちょっと整理してる」


「ええ? こんなショートショートを?」


「ん、もすこし」


「稼ぐねえw」


「うん、言えそう! ええとコホン……人間って愚かと言ったドジっ子女神を、ギャル語の過去を掘り起こして一度持ち上げてドヤ顔にしてからの200下げを成し遂げた姉さんの会話劇が巧みすぎて脱帽です! 3歳児とは思えない狂気の知識量と威圧感で、女神を完全に配下どころか下僕にまで早変わりさせてしまう強制クラスチェンジっぷりは姉さんの強烈な論理的思考やあれやこれやがあっての神業……とっても最高に白熱して面白かったです! 脱帽に次いで上着も脱ぎたくなるほどでした。そして


『刑法666条』


のくだりでは耐えきれず笑いましたwさらにはご自身が鬱の初期症状で苦悩されている中、


『ゲーム実況のネタバレ禁止』


を理由に、


『寝る』


という一番簡単な治療法を封印し、


『スカッとするかもしれない話で鬱を打破する』


というトンデモ論理を正当化させた力業には驚嘆を禁じ得ず、本当に眠気が襲ってきた時のことも考え、タイムリミットまでに治さないといけないという危機的状況の中、その瞬間さえも心の底から楽しんでおられました。その逆境を楽しんでしまう遊び心、チャレンジ精神、ハングリー精神に刺激を受け、私の奥底に眠っていた紅き竜が暴走し、体温はピークに至ります。脱帽、上着を脱ぐだけでは飽き足らず、全裸にて土下座しなくてはいけないという使命感に駆られてしまいましたwてか長いよ! あれだけ正論ぶっ通しで聞けば神王ゼウスでも閻魔、つまり脳があって考えることのできる存在ならひっくるめて泣くよ! でもこれ過去作のコピペに頼っていない? それってかなり卑怯だと思わない?」


「長くねえよ。ベリーショートじゃん。それに過去にした話をいちいち一から書き直すバカがあるか! 既に自分で言った言葉なんだから丸写しでも構わんやろ! 少しは楽させい! それにそれを知っている読者さんなら


『あ、ここ見たことあるwwww』


と大喜びして下さるに違いない!」


「開き直り方が堂々としすぎてて逆に清々しいわ! 分かった。でも女神って……そんなのいるの?」 


「自己申告だから分からないよ。でも姿は見えなくて声がはっきりと聞こえた。だから本当だと思う。でもその時まだ3歳だよ? まだまだ言葉なんてまともに覚えていないんだから。泣いたのはあいつが弱かっただけよwもし全盛期ならもっと泣かせていたかもね」


「それで言葉をまともの覚えていないという神経……下手な怪談より怖い話ね。やっぱり糖分摂取は止めにしない? 姉さんと糖分は切り離した方がいいと思う」


「やだ! あんたがいくら阻止しても絶対に摂取する!」

ダダダダダ

駆け込み奥を目指すアリサ。食堂までは知っていたが、初めて入る厨房。そこは思っていたより遥かに広かった。業務用の大きな竈や鍋が並び、天井から吊るされた無数のフライパンや柄杓が、人のいない静寂の中でわずかに揺れている。生徒の給食を作る為の十分なスペースがあるということか。だが、普段は活気に満ちているのだろうが、今は誰もいない。


「静かね」


「じゃあ探そうか」

アリサは食器棚の隙間や引き出しの中を片っ端から確認しながら奥へと進んだ。お菓子の一つくらい残っていないものか。泥棒……おっと、探偵魂が燃え上がる。


「お菓子……お菓子……その素となる小麦粉や砂糖はあるけど……ねえ、おばさん」


「なあに?」


「もういっそ材料からお菓子を作るってのはどう? 料理しよう!」


「でも時間が掛かるし……料理の腕も不確かよ」


「不確かかあ……私もなのよね」


「ああ、なんとなく分かるわ」

皆まで言わないのは妹としての優しさであろうな。恐らくアリサにとってはキッチンが高すぎて料理どころではないのは容易に想像ができるからな。


「じゃあやっぱり探すしかないかあゴソゴソ……あら? この奥、扉があるじゃない?」

だがその背の低さはこんな所で真価を発揮する。アリサが食器棚の下の扉にお菓子が隠れているのでは? と調べると、食器棚の上の段には食器が並べられていたが、下には棚自体が存在しない。そして、不審に思いよーく調べると、その奥に切れ目を見つける。それは小さな扉のように見える。大人なら気づかないかもしれない高さ。でも身長120cmのアリサにはちょうど目に入る場所だ。


「あれ? この奥、なにかあるんじゃない?」


「え? こんなところに?」

照代が屈んで覗き込む。確かに扉がある。金属製で古びていて、長い間開けられていないのか表面に薄く埃が積もっていた。でもよく見ると、埃の上に何かが掠(かす)めたような跡がある。最近、誰かが触れた跡だ。


「よし」

アリサは躊躇うことなくその付近に手をかけ、押したり引っ張ったりしている。すると……

ギイイイ。

引き戸らしきものが低く唸りながら開く。


「あ、開いた……奥に行けそうよ。これがこの部屋のタイトル……千変万化の隠し引き戸という名前の秘密だったのかもしれないね」


「そうだと思うけど……タイトルって……小説じゃあるまいし」


「え? おばさん? なんで


『タイトル』


って聞いて、一番に小説が出てくるの? ゲームとか映画でもタイトルってあるのに一番に小説よ? どちらかと言ったらマイナーなジャンルよね? 絵もないし自分でキャラを動かせもしないし音もない。ただの字の集合体よね? それが一番に浮かんできたわけでしょ? どうして?」


「そりゃ私たち全員小説の登場人物だか……あっ、なんでもない。私じゃ分からないよ……でも姉さん、本当に入るの? 虫が出そう……」

ぬ? 照代は今、本質的であり真実的な何かを言いかけていたが何だろう? まあいい。扉の奥は中は通路になっていた。天井が低い。アリサは普通に歩けるが、照代は腰を曲げなければ進めない高さだ。壁は石造りで、ひんやりとした空気が流れている。足元は踏み固められた土。明かりはないが、奥の方にうっすらと光が漏れている。


「蒸しパンみたいなお菓子があるかもしれないじゃない」


「どうしてそういう発想になるのよ……今、私が虫が出るって言ったことに便乗したんじゃない? それ以外考えられないじゃない! 絶対ないわよこんなところに……それにいかにも幽霊が居そうな……」


「別に一人でいいよそこで一人さみしく待ってなさい」


「もおおおおおおお」


「あの、そこの貧乳のホルスタインさん? ちょっと頭に響くからここでは鳴かないで?」

既に通路の中に頭を入れていたアリサは、照代の大声の反響で頭がガンガン響く。


「この美幼女を牛と見間違えないでよ!」


「30じゃ老女でしょ? おいていくわよ!」

老女はないだろう。それでもアリサにとってはそう思うのかもしれぬ。照代が中腰のまま後に続く。


「腰が……腰が痛いよー……膝も痛いー帰りたい―」


「うるせえ。文句言うなら帰れ。黙って進め」

しばらく歩くと、通路が広がって部屋に出た。アリサがまず鼻を動かす。新しい場所に入る時、まず空気を確かめるのがアリサの癖だ。


「くんくん……あれ? ここ……へんな臭いがするわ……」

甘くも苦くもない、鼻の奥を刺すような独特の臭い。恐らく薬品の臭いだ。それも一種類ではない。複数の化合物が混ざり合った、実験室のような臭い。


「初めて見る場所だわ」

部屋の中を見回す。棚には大小様々な瓶が整然と並んでいた。中身はそれぞれ違う色をしていて、ラベルには毛筆の細かい文字で成分名が書かれている。作業台の上には乳鉢と乳棒、計量器、それから使いかけらしい薬草の束。天井からは何種類かの植物が束ねて吊るされ、ゆっくりと乾燥させられていた。


「ここにある物で薬品を作っている? ここは調合部屋みたいなものなのかしら? わざわざこんな狭い道の奥にあるのね。移動が大変そうよね。ここには流石にお菓子はなさそうね」


「そうみたいね……なにこれ……読めないよ……」

アリサは棚に並ぶ瓶を一つ一つ眺めた。成分名を読んでも何が何だかよく分からないものがほとんどだ。それに達筆すぎてどういう言語で書かれているかも不明。それにしても瓶の隙間もほぼ均等で几帳面に整理されていること、ラベルの字の書き始めの高さまでが揃っていることから、膳が相当几帳面な性格であることは伝わってくる。


「あら? これって金庫?」

瓶の秘密を解明しようとしている横で照代の声が響く。部屋の隅に重厚な金庫が置かれていた。高さはアリサの胸くらいまである。表面は鈍い金属光沢で、ダイヤル式の錠前がついている。壁に固定されているのか、動かそうとしても微動だにしないだろうという存在感だ。


「あ、そういえばここに毒を入れているって話よね」

生徒たちに少量ずつ飲ませることで毒への耐性をつける。そのための毒がここに保管されているようだ。屋敷の主と料理人だけが知っている秘密の部屋。

アリサは金庫をしばらく見つめ、その後ふと下を見る。

「ふーん」(あれ? いや……私たちのよね? にしては……ま、いっか)


「ねえ、もういいんじゃない? 出ましょう」


「そうね。もう出ましょう。まだ探していないところを探すわ」

振り返ると照代がすでに来た道へ向かいかけていた。腰が限界らしい。


「早く出たいわ、この部屋……なんか落ち着かない」


「そうね」


アリサは最後にもう一度だけ部屋を見回した。棚の瓶、作業台、金庫。そして床に残るかすかな足跡。一人分ではない。

(ここに最近、誰かが来ている?)


「腰が……腰が……」


「お疲れ様」

通路を抜けて厨房に戻ると、照代がその場にへたり込んだ。腰を押さえながら情けない声を上げる。


「なんであんな低い通路なのよ……嫌がらせ?」


「膳さんは狭いところも普通に進めるんじゃない? 知らないけど」


「それにしたって……」


「立って立って。お菓子まだ探すわよ」


「え? まだ探すの?」


「生徒達も待ってるのよ」


「そうね」

アリサはすでに厨房の別の棚を開け始めていた。さっきは食器棚と作業台周りを探した。まだ探していない場所がある。

竈の横の棚。引き戸を横に滑らせると、中には調味料の瓶が並んでいた。醤油、味醂、酒、酢。お菓子はない。その隣の棚。蓋付きの木箱が積み重なっている。一番上の箱を開けると出汁用の昆布と鰹節。二段目は干し椎茸。三段目は……


「あ」


「何?」


「あったわ」

木箱の中に、紙で包まれた四角い物体が整然と並んでいた。包みを一つ開けると、中から羊羹が出てきた。艶やかな小豆色。


「善さんの趣味かしら」


「渋いわね」


「でも美味しそう」

アリサは包みから取り出し、包丁で一口サイズに切って口に入れた。


「……甘い。美味しいわ」


「本当に?」


「食べてみて」

照代も一切れ摘まんで口に運ぶ。


「本当だ……上品な甘さね」


「でしょ。料理人だけあってお菓子のセンスも本格的ね。自分で作ってるのかしら」


「いや、いかにもこれは売っていたやつよ。包みも箱もここで作れそうなものではないわ」


「そうか」

二人でしばらく黙って羊羹を食べた。厨房の静寂の中で、外から虫の声が聞こえてくる。今日だけでどれだけのことが起きたか。それでも羊羹は甘くて、不思議と気持ちが落ち着いた。


「少し落ち着いたわ」


「そうね……回復したわ」


「でも姉さん、さっきの部屋のこと……金庫のこと、話す?」


「そうね……もぐもぐ」

アリサは羊羹の最後の一切れを口に入れながら考えた。


「膳さんには話した方がいいわ。あの通路、最近誰かが使った跡があったから」


「誰か別の人が入ったってこと?」


「膳さんかもしれないけど」

照代が少し黙った。


「他にいるの?」


「分からないけど可能性はあるわ。でも今は確かめようがない。取り合えず葉隠の所に行こう」


「そうね……」

照代が窓の外を見た。夕暮れが近づいていた。午後の光が傾いて、厨房の床に長い影を作っている。


「姉さん」


「なに?」


「今日一日、本当に色々あったわね」


「そうね」


「怖かった?」


「怖いというより……頭が痛い」


「それは怖いのとは違うの?」


「違う。分かりかけてきた時に来る頭痛よ」


「つまり今は分かりかけてきてるってこと?」


「そう、さらに深く考えると痛くなるけどね」

空になった木箱の蓋を閉め棚に戻した。


「他にはないかあ。戻者達には悪いけどもう探しても無駄そうね」


「戻者?」


「あっさっき戻ってきた子達のことよ」


「ああ、でもいい響きね」


「そうよ。私の思いつくものは全て耳触りがいいのよ」


「そうね。でも流石に全員分はないよね。膳さんの羊羹盗んじゃったけどいいのかなあ」


「でもこれでMPも回復したわ。葉隠を視ないと」


「ええ」


「まだ調べてないんだよね。放置してあるから早く視ないと! 急いで戻ろう」


「葉隠先生起きていないよね?」


「その可能性もあるから急ごう!」

照代が立ち上がる。腰はまだ痛そうだが、さっきよりは顔色がいい。羊羹の効果だろうか。

二人は厨房を出た。廊下はまだ静かだった。


「てるにゃーん」

ぬ? どこかで照にゃんの鳴き声がした。


「え? 照にゃん出て行っちゃったんだ」


「そういえば……まああの子は庭は知り尽くしてるから大丈夫よ」


「そうね。じゃあ行こう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。