Last Another Story Tsuruna Uruu
タイトル回収回です。
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薄暗く、電子機器の排熱でわずかに暖かい小部屋。 モニターの青白い光が一人の人物の輪郭を浮き彫りにしている。ノートPCの前で座っている人物のようだな。ただ顔だけははっきりしない。そんな人物が何かの作業をしている。
その人物にとって不釣り合いなほどに重厚で黒檀の机の隅には、ペン先で幾度もなぞられたような、深い
『366』
の刻印がある。そして、部屋にはいくつもの掛け時計があるが、どれも微妙に秒針がずれており、更にカレンダーも何枚か掛かっている。だが何かがおかしい。それは、2021年、2022年、2023年、2024年のカレンダー。どれも2月のページで止まっているようだ。そして、2024年の最終日のみに赤丸が。記念日なのだろうか? ということは今映されているこの場面は、2024年の冬なのだろうか? しかし捨てる訳でもなくその部屋のオブジェのように飾られている。また、室内は暖房器具のようなものは存在しない。そしてその人物は、画面を見ながら口を開く。
「ふぉっふぉっふぉ。今日も大量に来るのう。捌ききれん。まあそれほど騒ぐほどのことでもないのう。正に社会の……」
カタカタ タン
キーボードを叩く指は、驚くほど白く、そして小さい。
「新陳代謝じゃ。古くなった細胞が死に、新しい細胞が生まれるように、増えすぎた人間は互いに毒を注ぎ合って間引こうとする。
儂のところに来る依頼は、この世界が吐き出した老廃物のリストなのかもしれんのう。さて、今日も忙しくなりそうじゃの」
姿ははっきりとは見えない。だが、その声は枯れた老人のそれでありながら、どこか芝居がかった感じの響きでもある。
「ふむ、このメールは〇〇県のものか。ちと遠いの。次のは? ほう、△△県か。今回の候補じゃな。ほうほう……これはなかなかの……どれ、連絡してみるか……よし」
内容は分からぬがいくつかのメールを見ているようだ。流れるような手付きでメッセージを送り、必要ないものはすぐさまソートしていく。その基準は倫理ではなく、純粋な
『鮮度と効率』
そう、先に確認した遠方のメール。それを後回しにし、近場の物を優先している? そんな感じがする。恐らくは何かの依頼?
「これを始めてもう二十年になるか。確かにこれを始める前よりかは
『凌げて』
おるが、まだまだ足りん。思い返せば始めた当初は達筆な葉書での依頼も来たものじゃ。時が移り、今はメールになっとるが、内容はほぼ変わらんの。所詮、
『人が人を亡き者にする依頼の内容』
など、どんなに取り繕ったとて同じようなものばかりじゃ。読むに値せんターゲットへの恨みつらみの言葉をもっともらしく書いておる……どれもこれも自己愛の裏返しに過ぎん。反吐が出るわい。ふぉふぉふぉ……そして陰でこんなことをしていても誰も気付いてはくれぬ。誰も儂までは辿り着けぬ……退屈じゃ。警察も無能しかおらん。それともこの
『システム』
を知ってしまった者は儂を止める存在にこれを知らせてはならないという共通認識で、コソコソと儂の存在を守り抜こうとでもしておるのか? 女々しいのう……この世界は……つまらん」
二十年。その言葉の重みに反して、モニターを反射するその瞳は、あまりにも若々しく、炯々《けいけい》としてそして深い。凌げている? と言っていた。一体何を? 謎は深まるばかりだ。だが、今までの言葉をまとめれば、彼? は、今まさに殺人の依頼を受けた筈だ。それも全国から来ている。それを
『定型業務』
のように片付けている。その感性は、既に人間としての境界を超えていた。すると突如、モニターが暗転する。暗がりの中、うっすら自身の顔が映る。すると目を背け、ため息交じりに……つぶやく。
「ふう……家厳は耳順、慈母は知命を越えた。本来、己身もまた不惑の境界にあるべき身。然れど、この生命の横溢はどうじゃ? 時間軸の収斂を拒むかのような、この醜悪なまでの瑞々しさ……神は、何故儂にだけこんな……儂という個体にどのような
『超克』
を強いたのじゃ……Nun, diesbezüglich sollte ich es eigentlich schon aufgegeben haben. Doppeltes Bereuen ist nichts als reine Zeitverschwendung. Ach, es war mir ja eigentlich egal, wie viel Zeit ich vergeude……hohoho……(まあ、もうこれに関しては諦めた筈じゃ。二重の後悔など時間の無駄以外の何物でもない。まあ時間などいくら無駄にしようが構わなかったな……ふぉふぉふぉ……)Mais hélas, chaque fois que cela arrive, les souvenirs reviennent me hanter, bon gré mal gré. N'y a-t-il vraiment rien que je puisse faire... ?(じゃがこうなる度に否が応でも思い出されてしまうのう。何とかならんものか……?)这台电脑是不是也快到寿命了? 差不多该换一台了吧? (このパソコンも寿命かのう? そろそろ買い替え時か?)」
憎々しげに言い放つ。だが何だこれは? 古めかしい日本語を操っていたかと思えば、今度はドイツ語、フランス語さらには中国語へと目まぐるしく切り替わる。付いていくのすら骨が折れる、奇妙な独り言だ。
この奇行に至ったきっかけは、恐らくは液晶の暗転。それ以外考えられぬ。そこに映る自身の姿に明確な嫌悪の情をにじませていた。
どうやら、自分の姿を見てしまうとあのような奇癖が顔を出すらしい。私からすれば、お目にかかったこともないタイプの極めて稀な性質だ。振り返ってみれば、この部屋には鏡らしきものが一切ない。それほどまでに、彼は「自分」という器を拒んでいるのだろうか。ただ、そこまで徹底しても、パソコンだけは暗転することで己の輪郭を映し出す唯一の鏡となってしまっているのだ。そう、他ならぬ彼自身の仕事道具だけがだ。それが不意のフリーズなどで暗転する度に否が応でも映し出してしまう。なんとも皮肉な話であるな。
「暇が祟って覚えた言語もいくつになったかの? この頭、物覚えが良すぎて困るのう。もう覚える国もないのう。お?」
しばらくすると再びモニターはメールボックスに戻る。そして着信音。
「もう返信が来とるのう。自分が選ばれたことに感謝の言葉を述べとるわ。それほどまでに憎い相手ということかの? さて、じゃあ……今チャットできるかの?」
カタカタ、と乾いた音が響く。するとすぐに反応が。
『初めまして、私の依頼をご覧下さり! ありがとうございます!!』
『前置きはよい。メールでも見たのじゃが、ターゲットが最強の忍者? これは?』
『はい、その名に相応しい人物です』
『この国にまだ忍者などという化石のような種族が存在するというのか……じゃが納得いかんのう。その根拠はなんじゃ? そもそもそんなに数多く存在せんのじゃろ? その中では最強じゃ、と自己申告しているようにしか聞こえぬのじゃがな』
『いいえ、確たる根拠がございます。忍者という範疇を超え、人類でも最強かもしれない程です。特別な家柄でして……忍刀で岩をも両断できるほどの腕前です』
『ほう、そんな人間が……大体わかったぞい。それにしてもメールにあった計画書……驚くほど精密じゃった。これをその通り実行するだけでもその最強の忍びとやらもあっさり仕留められると思うぞい。警察の捜査でももちろん足もつかぬと見ておる。そこまでの計画が立てられるなら儂に相談なぞせずに、この内容をそのまま行えば……』
『いいえ。ダメなんです。あいつは……姿が、見えない。消えるのです。どこにいるのか、もしかしたら今私の後ろにいるのかもさえ分からない……』
『消える? そして後ろにいるとな?』
『はい。壁も抜ける術を体得しております……いくら施錠しようが奴の気の向くままに融通無碍に移動できるのです。もしこのやり取りを後ろで覗かれていたらと思うと……』
『それが事実なら……最強じゃな……』
『そうです! 何度、あいつを殺す計画を練ったか分かりません。ですが、あの
【消失】
だけはどうにもならない。人間離れした技量に、障害物なく移動できる技術に姿まで見えないという一切の隙がない無敵の怪物。あの男を実力で排除するなど、最初から不可能なのです。
だからこそ、噂を耳にした時、これしかないと確信しました。完璧に、美しく、塵一つ残さずあいつをこの世から消し去る。それを成せるのは、その道の頂点にいらっしゃる貴方様だけです。どうか、お力をお貸しください』
『そうか。なかなか殊勝な考えじゃな。了解したぞい。腕が鳴るわい! 儂に全て任せるがよい。で、ターゲットはどこにおるのじゃ?』
『メールに記載した住所に住んでおります。ですが当然位置を特定することまでは不可能です。近くに来た時だけ音のみで判別可能です』
『ほう? なら今はお主の傍には居ないということじゃな?』
『ですが奴がもし私達のチャット内容を見た上で音が聞こえた瞬間終わりです』
『どういうことじゃ?』
『当然命を狙われるということです。自分の命を狙っていることがバレた訳ですから』
『ふむ』
『仮に音の方に反撃しても既にいないのです』
『と、言うと?』
『音の方向に気を取られているうちに既にそこにはいないということです。全く違う所から手が出てくる』
『よく分からんのう』
『こればかりは実際に体験してみなくては理解できないでしょう。兎に角、いざ近くに来ても絶対に倒せません。それだけは断言できること』
『久しぶりに背筋に冷たいものが走ったわ』
『そうです。私も奴の音が聞こえた瞬間身がすくんでしまう程です。因みに屋敷内に入るには合言葉が必要でして、毎月更新しております。まあ奴は決して外に出ることはありません。家を守っているのでしょう。幾重にも張り巡らされた罠があっても侵入者を警戒し続ける慎重な男です。音はすれども姿は見えず。もしその姿を音を頼りに近づこうものならすぐさま切り伏せられるでしょう。そんな危険な男、どうやって仕留めればよいものか』
『GOOGLEマップで確認させてもらったぞ。地図上で見てもかなりの広さじゃのう』
『その通りです。代々伝わる忍者の屋敷です。奴はその中を自由に移動します』
『ふむ。この中におるその最強の場所を特定するには相当骨が折れそうじゃ。確かに良い計画じゃ。じゃがそれを実行できぬジレンマがお主をここへ引き寄せたのじゃろうな』
『流石に鋭いです。遠く離れているはずなのに近くで心を見透かされている気分です。あなたは……恐ろしい……』
『人聞きの悪いことを……ただの好々爺じゃ』
『御冗談を……あなただけは敵に回したくない……』
『依頼者には手を出さん』
『それを聞いて安心しました。老子! 私は本気です。いくらでもお支払いします。ですから』
『別に金に困っとらん。心ばかり、もしくは無料でいい。ただ無料の場合、条件があるぞい』
『その条件とは?』
『儂の出す暗号カードを、その男に見えるところに置く。そして確認したことを報告して欲しいのじゃ。まあ明日までには終わらせよう』
『そ、それだけですか? たったそれだけのことだけで協力して下さるのですね……しかもお早い!』
『ああ、何かに集中しとる方が時が早く過ぎるのじゃ。長く退屈な牢獄の中で唯一気付けた真理かのう』
『へ? それはどういう?』
『こちらの話じゃ。じゃがその暗号をその男が解き明かし、殺意の罠を回避した場合、その男の命を狙うのは諦めるという条件じゃ。解読できた場合、ターゲットが凶器そのものを回避できるように仕組んだ暗号を出す。もちろん儂の出す暗号は高難度じゃ』
『もし解かれてしまったら殺人は実行されない……ということですか? なぜですか?』
『ふぉふぉふぉ、簡単なことよ。儂の出す暗号を解けるほどの知性を持った個体を、たかだか貴様の私怨如きで消し去ってしまうのは、損失が大きすぎるからじゃ。この虚しくただ長いだけの世界において、
『謎』
だけが儂の生きがい。儂が出した謎を解き明かせる人間は極めて希少。それはもはや、人類の宝と言っても過言ではない。儂にとっても必要な人間じゃ。そんな人物を招き、儂の目の前で儂の作品を解き明かしてくれる姿を見る。それこそが至福の瞬間』
彼は暗闇の中で、愛おしそうに自身の指先を眺める。そして今までの発言。謎を解いてくれる人がいなくて困っているという内容。これは八郎も言っていた。この人物は最早あの人物……謎老子に間違いない。
『では奴をあなたの元へと?』
『解けたのなら、彼の意思を尊重しつつもそう言う話をするつもりじゃ。もちろん断られてしまえば深追いはせん』
『私としてはそちらに行ってもらうだけでもありがたいのですが、解けてしまった瞬間奴を仕留める術もなくなってしまうのですね……それにその話、恐らくは断られるでしょう。家を守るという大義名分の下、引きこもっているだけですから』
『そうか……それは期待薄じゃのう……儂の謎を解き明かせるほどの人物。運命がその人物に
『生きろ』
と命じた証。暗号に込められた殺意を、己が知性で弾き返したのじゃ。そんな男、消すには惜しい。儂のところに来ると約束すれば、儂の仲間とし、仕事の手伝いや、儂が思いついた暗号や謎を楽しんでもらう。儂の一番近くでな……もちろん、四六時中の監禁なぞせん。出入り自由じゃ。それに高額の金も渡すつもりじゃ。じゃが解けなかった場合、そやつはただの無能な肉塊。その時は、貴様の好きにするがよい。儂は一切の干渉をせん』
『……それは、ただゲームを楽しんでいるだけではないのですか?』
『そうじゃな、儂にとっては貴様の
『殺意』
と、あやつの
『知力』
どちらがより強く儂の心を揺さぶるか。それを楽しんでおるのじゃよ。それ以外に興味はない』
『分かりました。老子を信じます』
『ほうほう! 金がうんぬんがというより、儂の謎の質を信じたということかの? 嬉しいのう。では全力で作らせてもらうぞい』
『ありがとうございます。他に必要な情報があれば……』
『そうじゃな……メールに屋敷の見取り図や家のしきたり、ターゲットの特長などを書いて送ってくれるかの? 出来るだけ詳しくな』
『かしこまりました。すぐに作成いたします』
『まあ無理するな。じゃあここで落ちるぞい』
『お疲れ様です』
通信が切断される。
「その熱量を他のことに使えばさぞ出世しそうなのじゃが。色々と勿体ない男じゃて。まあそれを儂が言ってはおしまいじゃな。さて、この前あやつに
『与えた』
事件は首尾よう行ってるかの?」
彼がパソコンのスロットにディスクを挿入すると、映像が映りだす。この場面は……正しくホテルイーグルスノー……おっと本来はホークスノーホテルだったな。そこでの惨劇の後。アリサが犯人を追い詰め、勝利した瞬間の記録だ。アリサを隠し撮りしたシーンか……どうやって? しかも明らかに編集されて見やすい動画となっている。色々な場面を継ぎ合わせて字幕まで付けた映像。まるで一本の物語のように作られている。
その道のプロが編集したのか? だが大体のカメラアングルは、神の視点のように高い場所から、冷酷に全てを捉えていた。
隠しカメラを誰にも分からないところに複数設置したとでもいうのか? そのデータを回収し、映像を編集し、謎老子に渡したのか? それとも謎老子が一人で? 分からん。
それにしても与えた……だと? 何を? 謎老子はアリサに何かを与えたということか? まさか事件を与えている? だが、事件を与えるとは? うーむ……しかしこの事件は夏休みに入った直後の話ではある。少し遅れてその様子を確認しようということか?
「ふむ……ほほう」
ウイーン、とファンの回る音が静寂に響く。
「……成程、ターゲットはあの暗号を解くことは出来なかった様じゃが、死ななかったのか……八郎がしくじったということかの? それとも
『ドウ』
と同じケースか? で? 犯人が八郎だと暴きおったわい……これは判定が難しいのう。これは引き分けということにしておこうかの。
流石にここで
『アンコク』
を出したらフェアじゃないしのう……まあそれに、儂にとって、犯人が勝とうがあやつが勝とうが、そんなことはどちらでもよいのじゃ。
真実が白日の下に晒されようが、闇に葬り去られようが、結末に興味など微塵もない。ただ、この瞬間に胸が踊るような刺激があれば、
それでよい……何せ人よりも退屈な人生じゃ。そう、長い、長すぎる……もはや終わりすら忘れてしまった、壁のない牢獄のような人生よ。
時の流れがあまりに遅すぎて、生きながら心が死んでいく感覚じゃ。この部屋の静寂は、あまりに深くて気が狂いそうになる。
そんな何もない空白の永遠の中で、あやつや、追い詰められた犯人が見せる醜く無様な足掻きだけが、止まってしまった儂の人生を刻む唯一の
『時計』
あやつらが必死に命や誇りを懸けて戦うその姿。それを見てようやく、時計の針が一秒だけ進む。命が散るその瞬間だけ……難儀なもんじゃ」
ふむ、謎老子は恐らく早い段階で生涯収支を稼ぎ終え、やることを失ってしまい、こんな悪趣味な趣味を見つけてしまったという哀れな人物だったということか。
そして何らかの形でアリサを知り、アリサの家に盗聴器を仕掛けた張本人の疑いも出てきたな。彼女の行き先をある程度知らなくてはこんなこと絶対に出来ぬ。
これに関してはアリサと連絡が可能になったら教えておいた方が良いかもしれぬな。
そして、この人物にとってのこの世界は、殺人者すらも盤上の駒に過ぎぬというわけだな。だが、退屈しのぎに力を入れ過ぎて警察に特定されるのも時間の問題だろうな。まあ、そなたにとっては捕らえられることすらも
『退屈しのぎの為の娯楽』
なのかもしれぬが、な……
「あやつが勝てば、また
『次のを』
与えるだけじゃ。儂は与え続ける。あやつが絶望し、脳が焼き切れるその瞬間までな」
暗闇の中で、その人物は老いを感じさせぬ鋭い口角を吊り上げる。
「正直、嬉しいのじゃ。周りの仲間は、儂の出す謎の深淵に触れることすらできず、ただ立ち尽くすばかりの無能に過ぎん」
「老子! その言葉、あんまりではございませぬか?」
ふいに椅子の背後、濃密な漆黒の影がゆらりと動き出し、言葉を発する。
「そうじゃった
『ドウ』
お主も聞こえていたか」
「いつでも、影としてお守りしております……」
「ならば影に徹しておればよいのじゃが……まだ若い……ということじゃの? ちょうどよい。お主も聞いておけ。あやつは、お主らとは根本から作りが違うのじゃ」
「……はい」
恐らく
『ドウ』
と呼ばれた存在は心の無いボディーガードと思われる。だが楯としての役割を果たすだけの存在とは思えぬほど彼の返事には、隠しきれない熱が混じっていた。
「刑事の両親を持ち、その血に刻まれた
『正義』
という名の呪縛に突き動かされておる。その執念こそが、儂の謎の深部へとあやつを誘う。まだまだ未熟な小娘じゃ。じゃが、あやつは確実に、儂を満足させる怪物へと育ちつつある」
「私も、私だって……老子の謎を、誰よりも理解しているつもりです。私なら、もっと……」
「張り合うな。お主とあやつでは、向いているベクトルが根本的に違う。努力で埋められる差ではないのじゃ。お主はどれほど渇望しようとも、あやつの代わりにはなれぬ」
「お役に……もっとお役に……」
「その気持ち、嬉しいぞ? ここで安心して仕事が出来るのはドウのおかげじゃ。感謝しとる」
「はっ、つかぬことを伺ってもよいでしょうか? どうしても聞いておきたいことが」
「なんじゃ?」
「私の名はシャドウです。なぜ、ドウなのでしょう? それにディアもクローディアです。ところが、アンコクはそのままです。略していません。そうだ、ジュンパクもジュンクと言っています。おかしいと思いませんか? 何故名を省略する部下と、そうでない部下がいるのでしょうか? 私はその違いが分からないのです。私は一度でいいからシャドウと呼んで欲しいのです……」
この流れでは4人は仲間が居るみたいであるな。もしくはそれ以上……そしてジュンパク……聞き覚えがある……
「ほう、言われてみればシャドウ……クロ―ディア、ジュンパク……やはり何か気分が悪いのう」(そう言えばそうじゃな。考えたこともなかったわ……待てよ?
『シャ』
『クロー』
『パ』
そう言えば
【入っとった】
それで……成程……潜在意識にも嫌う数字……か)
ふいに笑みがこぼれる。
「何かおかしいことでも?」
「こっちの話じゃ……その質問には答えたくないのぅ。ヒントとすれば、省略した者は口にするも不快だということ。そうでない者は問題ない」
「承知!」
「儂は本来もうこの人生を自らの手で終わりを……とまで思っとった。じゃが今は何故か生かされておる。それどころかドウに命を守ってもらっとる。あやつが……目標が出来てしもうた。それを終わる時まではと引き延ばしてしまっている」
「それで私を?」
「ああ、ドウは謎を解くことは出来なかったな?」
「はい、皆から聞いています。皆、謎を解き、本来死ぬはずの人生を自らの知識で切り開いたと聞きます」
今まで出てきた部下は、その20年の間にかつて謎老子に命を狙われた中、暗号を解き自分の命を守り抜いた猛者達なのか。
「ああ、お主だけは自身で解けなかった。だが、儂の仕組んだ罠をお主の身体能力で強引に回避しおった。目を疑ったぞ? その力を買って仲間に引き入れた。それにな、お主の姿を見て志半ばで死ぬわけにはいかぬ、と感じた訳じゃ」
「体力だけは自信あります。それが老子のお役に立てたのですね?」
「うむ、お主も楽しみじゃろう? 人の怨念が黒く膨れ上がり、見渡す限りの屍の山が築き上げられるのが先か。それとも、あやつがその小さき手で全てを解き明かし、儂の用意した惨劇を阻止し続けることが出来るのか? 真実が勝とうが破滅が勝とうが、儂にとっては至福の極み。あやつの足掻きこそが、この永劫不変の静寂を切り裂く唯一の旋律なのじゃ。これから面白くなってくるぞい? 次はどんな
『悲劇』
をあやつの枕元に置いてやろうかのう……」
「……」
ドウは沈黙し、再び影の中へと溶け込んでいった。その沈黙には、主君に認められぬ悲哀と、まだ見ぬアリサへの、どす黒い嫉妬が渦巻いているようだった。
ふむ、与えると言えば聞こえは良いが、その実体は事件と理不尽な謎との詰め合わせではないか……与えるのが謎だけであれば評価できるがこの人物はアリサに謎だけでなく危険な殺人犯と同じ空間に置くことで退屈しのぎとしているようだな。凌げると言っていたのはこういうことかもしれぬ。しかし、謎老子の退屈な人生を凌ぐための道具としてアリサを利用されているのか? 酷い話である。
そして、暗闇の中で口角を吊り上げ、彼の指がゆっくりとエンターキーに置かれる。
「お、先程の男からメールが来ておるの……ほうほう、もし家に入る場合の合言葉まで書いとるぞ。あいにく儂は外には出んのでな。まあ説明しとらんかったら分からぬか。で? 家は3階建てで、一階ごとの詳細な上面図を添付しておるな。律儀な男じゃ。成程、この屋敷では実技と一般教養を教えている忍者学校をしているのか。ターゲットは
『真田行照男』
か……消えながら移動し、近くを通りかかった時にヒュヒュヒュヒュと響く音だけが唯一の手掛かり……そう言っておったの……突如予想外の所から攻撃が飛んでくる奴と共に暮らしていては気が気でないじゃろうな……で? 皿を舐めまわして綺麗にする癖がある……か……そして? 4年に一度のおすすめメニューか……それを明日8月2日に屋敷の全員に振舞われると……内容は? ほう、ならばこれが使えそうじゃ。
しかし結構な量じゃな。そして、明日か……急じゃのう。まあすぐに出来るわい。どれどれ? メニューの内容は? ほうほう、これは使えそうじゃな……この部屋の名前が英語の所は? 成程な……よし、姿を消すトリックは分かったぞい。暗号と殺人トリックも完成したぞい。すぐにカードに謎を記し、送るとするかのう。ふむ、明日となるとこれは
『ディア』
に頼むとするかのう。今は起きとるかのう? よし、これで良い。ふう」
まさか一読しただけでそれに相応しい殺人トリックやそれを回避する暗号までを考え出してしまった……そしてディア。実際は、クローディアへのメールを済ます。
これまで姿を現した謎老子の眷属たちをまとめてみよう。守護の影、シャドウに、アンコク。これは老子の言葉から推察したものではあるが、もしも計画が曖昧な結果に終わった時、犯人の代行者として止めを刺すための暗殺者……その名にはそんな意味が込められているのだろうか。
ほかにも、剥き出しの恨みを持つ者をサイトへと誘う狂言回しのジュンパクに、遠隔地への物資運搬という実務は、
『ディア』
ことクローディアの手によって回されている。彼らの存在そのものが、巨大な殺人の歯車だった。
「……」
そしてやることが終わってしまい、椅子の背もたれに身を預け、天井の染みを数えるように視線を泳がせる。
そして今回のターゲットは照男だった。そう、そしてこれは忍者屋敷の情報を渡すことのできる人物が謎老子に依頼により行われた殺人だったということだ。だが、毒では死なないことは依頼主は知らなかったということも分かった。
パソコンに打ち込まれた犯行予定日でもある8月2日という数字。それは今日、この瞬間の現実を示している。だが、このシーンの時刻はその人物の言葉から、8月1日。つまり昨日起こった出来事と推測できる。では、この部屋の壁を埋め尽くす古いカレンダー達は? あれはどれも2月でその時を止めていた。このずれはどういうことだ? 半年という月日の空白。それはこの場所が、現実の時間軸から切り離された停滞の聖域であることを物語っているのか。あるいは、彼にとっての真実は、あの冬の日で凍りついたままなのか。
「ふぉふぉ……あっ」
不意に、今までの声色と比べ、若い声が響く。
「あっ……また出ちゃったよ、この年寄りごっこ。チャット終わったのにいつまでやってんだか。馬鹿みたいだね……フフ。はー、疲れた。こんな芝居、もう終わり終わり。このデータも用済みっと」
画面の中では、屋敷の地図、そしてそこでのしきたりや、イベントが書かれたメールが削除されている。
「さて、また……
【君の行く先々で、事件が、起こる】
よ……フフ」
パタン
ノートパソコンが閉じられる。物理的な遮断。折りたたまれ光を失った液晶画面に映し出されたのは、無機質な静寂と、正体不明の微笑を浮かべた彼の輪郭だけだった。その、瞬間……
ぶおおおおおおん
彼を包む空間が、断末魔のような悲鳴を上げた。
視界が急激に膨張し、魚眼レンズ越しに覗いた世界のように四隅が歪んでいく。
中心にいたはずの人物が、まるで水をかきまぜたコップに落とした墨汁のように渦を巻き、螺旋を描きながら虚空へと吸い込まれていく。
現実の壁が剥がれ落ち、その背後に隠されていた無が露出する。
破片となった時間は、鋭いガラスの破片のように飛び散り、観測者の意識をズタズタに切り裂いていく。
そして……
最後に残ったのは、砕け散ったカレンダー。2月29日に赤丸が付けられている。
その赤丸は、闇の中でまるで悪魔の目の様に鋭く輝いていた。そして最後のかけらも粉々に砕け散る。さらに続けて
パリィィィィィィィィンッ!!
アリサの脳内で、振動し輝いていた閻魔の浄玻璃鏡が粉々に砕け散る。 意味を成していた情報が、理解不能なバグとノイズに変わる。 地獄から帰還した後、何故かアリサの脳内に幅を利かせていたアーティファクトが、その人物の
『おぞましき殺意』
により強制的に破壊されたのだ。
これを境にアリサがこれまで見ることが出来た
『映像』
はもう二度と映ることはない。 脳内に響くのは、鏡が割れた後の、耳を劈くような不快なキーンという耳鳴りと、その人物の笑い声の残響だけだった。
ーーーーーーーーーーーー The looking-glass has shattered into a thousand pieces. Welcome back to the world of silence. ーーーーーーーーーーーー
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謎老子の本名は、閏 二十九です。この人物は20年もの間、沢山の
【依頼】
をこなしつつ、アリサのポテンシャルを見抜いた直後からは、彼女の行く先々で事件が起こってしまいます。謎老子の意思により……全ては、退屈な人生の暇を埋めるため……そして、もう二度とAnother Storyが起こることはありません。
【謎老子を支える信望者】
クローディア:女性、29歳。黒が好き。素早く老子の作った暗号を事件の起こる場所へと配達。同性であれば遠くから操る力も備えている。
ケイトを操り、アリサをボケ人間コンテストに誘ったのは彼女の仕業。一人称は「わらわ」。
シャドウ:男性、22歳。黒が好き。常に老子の傍に潜み、影として護衛する。アリサに明確に敵意を持っている。
ジュンパク:女性、16歳。白が好き。パソコンに疎く、殺意をひそかに心の奥底に秘めた人間と接触し、謎老子とのコンタクトにつなげる橋渡し。特定の人物の記憶から自分の存在を消せる。
会話しても翌日には忘れられている。完全な透明人間ではなく、記憶に残らない人間。
アンコク:男性、34歳。黒が好き。暗号を解けずして生き残ったターゲットに最後を与える暗殺者。
????:ターゲットの舞台にカメラを仕掛けたりその映像を編集する。




