Another Story Low・Guy
視界が滲み、次に像を結んだ時、そこは薄暗い裏路地の屋台だった。見覚えのある道だ。多分通ったことがある。
激しい炎が鍋底を舐め、激しい音と共に、大量の湯気が屋台から噴き出している。激しく熱せられた水分が白く爆ぜ、中華料理特有の油と香辛料の匂いをのせて路地に漂っていた。
湯気の向こうに、見覚えのある辮髪の老人がいる。
鍋を振る時にたなびく辮髪だけは、あの日見たものと変わらない。だが服装一つで別人にも見えてしまう。かつて会った時は銀糸の竜の刺繍の拳法着姿だったが、代わりに着ているのは、どこにでもある古びた綿の割烹着だった。恐らく料理をしている途中だろう。
老人は屋台の奥の暗がりから、料理を作りつつ、通りを一本挟んだ向こうのビルを見つめている。そう、ホテル、イーグルスノーだ。
その男がかつて働いていたホテル。窓の明かりの中に、若き料理人の姿があった。
そこまでは200メートルは離れている。だが彼にはまるで近くで見ている程にくっきりと見えた。そう、彼は妙技を扱える。視力強化の妙技により、いかなる場所までも見通す視力を手にしている。そう、彼はロウ・ガイであろう。
彼はその若手に自分の地位を追いやられた過去がある。彼のミスを自分になすりつけてしまったのだ。正直怖かったのだと思う。その若手の気持ちを理解し、それを許した。当然納得はしていない。だが、本当のことを言ってしまえば自分より若く、未来がある若者の可能性を奪ってしまうことになる。その時のオーナーの怒りは誰も止めることが出来そうになかった。だから、彼を守るためその告発を受けてもなお反論をしなかった。
そしてその逆鱗に触れ、言い訳をするでもなく自分の地位を失ったのだ。
「……育ったのう」
鍋を振りつつ彼はビルを見つめる。ロウ・ガイは普段屋台を引いて生計を立てているようであるな。
視線の先には真新しい白衣を着て、後輩らしき者に何かを教えている。手つきはまだ危なっかしいが、確かにあの日より、まっすぐに立っていた。
老人の目が、僅かに緩む。
「聡士よ……わしを追い越すと言っておったの……新米一日目で……立派な料理人になるとな……もう、心配もなさそうじゃな」
ここからでは届かぬ聡士への呟きは、湯気に溶けて消えた。その時の彼の表情は紛れもなく師の顔だった。聡士という男に思い入れのある様子。
「……信じて……おるぞ」
だが、その横顔に影が差したのは、もう一つの声が聞こえてきたときだった。
「中華料理の屋台ですか? 日本では珍しいですね……ところで仕事中に何を見ているのです?」
いつからそこにいたのか、白い服の女が屋台の暖簾の陰に立っていた。顔立ちは若く、一人で屋台に来るような人物には見えない。今は季節は夏の筈なのに、白のファー付きロングクラウンハット。いわゆる銀河リニア9999のナーテノレがかぶっている帽子と言えばわかるだろうか? それを暑い日差しの中でかぶっている。奇妙な均整。その人物は老人を下から覗き込むように見上げる。老人は振り返らず言う。
「……何の用じゃ?」
「ただの世間話ですよ。あ、それだけじゃダメですよね? じゃあ注文もしますね。おすすめはなんでしょう?」
「ホイコーローじゃな」
「ではそれをお願いします」
「うむ」
すると……
「実はここに来たのは料理を食べに来たわけじゃないんです」
「ふむ? では?」
「あなたを不当に追い出した男の話を少ししようかと思いましてね。確か、斉藤……隆之……ですよね?」
「!?」
その名が出た瞬間、彼の手にした野菜と豚のひき肉を鍋に投じる動きが、ほんの一瞬だけ止まる。
「私はあなたに、何かをしろとは言いません」
「……」
「ただ、あの男が今どこで何をして、何を失えば一番応えるか。それを、知っているだけです。知恵は時に、力になります。もし気になったらここにご連絡ください」
そっと名刺のような物を差し出す。
ロウ・ガイは答えなかった。湯気の向こうの聡士の姿と、耳元で囁く女の声との間で、視線が定まらずに揺れている。厨房の熱気とは違う、もっと冷たいものが、彼の内側で燻り始めていた。
「……お主は何者じゃ?」
女は答える代わりに、微笑む。
「何がおかしいのじゃ? 名を名乗れ!」
「フフ……では
『ジュンパク』
とでも名乗っておきましょう」
「わしは本名を聞いておる!」
「考える時間は、いくらでも差し上げますよ、総合……料理長……」
最後に彼が失った役職名を口にし、女の姿は暗がりに溶けていった。
老人はしばらく、湯気の立つ鍋を見つめたまま動かなかった。聡士の見える窓明かりと、消えた女の残り香。そのどちらからも目を逸らせずにいる背中は、アリサが知るあの豪快な総合料理長のものとは、少し違って見えた。
やがて、老人はホイコーローの皿を、誰もいない暖簾の外へそっと置いた。
「……冷めるぞ」
当然答える者はいない。分かっていた。それでも彼は、しばらくその皿を下げなかった。
まるで、まだ迷いの答えを出せずにいる自分自身に、何かを問いかけているかのように。
そして置かれた名刺を見る。そこには……
『登竜門』
というサイトのURLが記されていた……
――――――――――――――――― The Mirror Never Lies ―――――――――――――――――
「はっ!」
「うわっ!」
突然アリサが飛び起き、長野刑事が思わず声を漏らす。
「姉さん! やっと目が覚めた?」
「照男! 消えたその秘密は? 教えて?」
起きた直後にそれか……前回照男が消えた直後にアリサは倒れたからな。
「姉さん? 何を……」
「だ、大丈夫かお?」
照男も一度消えたのに姿を現し駆け寄る。
「もう慣れたわ。で、早く!」
「う……それは、それだけは企業秘密だお」
「でも倒れて起きたと思ったらすぐにあんたに質問したんだよ? ここまで知りたがっている若くて美しく朗らかで明るい健気な女の子には情報を開示したいと思うよね? 思うでしょ?」
「それだけは勘弁だお……」
「じゃあ私の目の前でわざわざ消えなければよかったんだよ。なのにこれ見よがしに消えちゃうもんだから……」
「こうしておかないと不安なんだお。ずっと気を張るのも疲れちゃうんだお」
「どういうこと?」
「姿が丸見えだと本気の闘気を出し続けないと不安なんだお。それでも気休め程度だお」
「ああ、あの臨戦態勢の闘気は威嚇の意味があったんだね……」
葉隠が汗だくで絞り出したようにつぶやく。
「あら? 葉隠ビビってる? ヘイヘイ!」
相当怯えているようだ。
「いちいちうるさいんだよ、全く……」
「で、そこまで怯えるのは情けなくない? 男じゃん」
「いや、当たり前だお。普段絶対に見えないように生きてる僕が長時間姿を晒すなんて……こんな恐ろしいことはないお。今も誰かにあざ笑われているんじゃないかって不安だお」
万物調査でもその辺は書いてあったな。
「もう……分かったよ。でもあんた結構イケメンよ? 体もがっちりしてるし……あんたを外見で笑う要素は一つもないお?」
「アリサちゃんは優しいんだお」
「知ってるよ! でもこれはみんなもそう思ってると思うよ?」
「買いかぶり過ぎだお」
「こんな消極的なイケメン初めて見たわ……分かったよ好きにしなさい。多分消える秘密は聞かないよ」
「助かるお」
「でもそのまま逃げないよね? 検査が面倒とか言って」
「ちゃんと車には乗るから安心するお」
「そういや照男を視た時、人に見られるのを異様に嫌ってたわw 確か2位だったよね」
「視る? よく分からないけど見られるのは嫌だお。じゃあ行くお?」
バッ
「は、はい……」
「流石忍者ね。また忍術で消えたわ。それに毒をものともしない……素早いし強いし……刑事にも必要な要素が多いわ。私も本当に忍者になってみようかな?」
「歓迎するでござるよ」
嬉しそうな葉隠。
「葉隠の下では学びたくないなあ……臆病が伝染りそうでさあ」
「臆病になる情業なんてしないさ。それにいきなりイ組の授業は無謀だよ? 実戦訓練もあるし」
「実戦は廃止しなさい。アイソメトリックトレーニングなどの筋トレのみにメニューを書き換えなさい」
「ダメだよ。それだけじゃ勝てないよ」
「なにによ!」
「別の忍者学校との対抗戦。そこで木刀を使った模擬戦があるのさ」
「忍者の対抗戦? 部活動みたいじゃん」
「互いの学び場で培った技術をぶつけ合う激しい対抗戦さ」
「ふーん、ちょっと見てみたいかも」
「真剣じゃないけど大迫力だよ?」
「そこで優勝することになるのね」
「そんなすぐにはなれないよ。剣技には自信ありなのかい?」
「根拠のない自信よ」
「だろうね。とりあえず授業に戻ろう。あとは警察が何とかしてくれるさ。なんか疲れちゃってさ……昨日のお見合いでもアリサかまいたちに切り刻まれたしさ」
「うるせえ。呼び捨てすんなハゲ」
「うわーまた切り裂かれちゃう。よし! にっげろおおおおお」
だだだだだ
「地平線の彼方まで情けない男ね……あんた脳みそ入ってるの?」
「毒舌ねえ……ねえ、私はどうしよう。姉さん? これからどうすればいい?」
「照男があんなことになった以上お見合いどころじゃないわね。一応相談してもいいけど……一時中断ね」
「そ、そうよね♪」
「照代? まだ逃げようとしているでござるか? そろそろ腹をくくるでござる」
照蔵が睨む。
「ひええ何でわかったの?」
「ね、の後に音符が付いていたでござるよ!」
「ばれたあ」
「釘を刺されちゃったみたいね」
「とっ、とりあえず私の部屋に行こう」
「そうするわ」
ーーーーーーーーー照代の部屋ーーーーーーーーー
「ふう、人が多いと疲れたわ」
「気になったことがあるんだけどいい?」
「え?」
「さっき煉獄写しでロウ・ガイが出てきたの」
「あ、もしかして姉さんの命の恩人?」
「そうよ。でもおかしいのよ……」
「何が?」
「多分罪を犯したことのある人間が出てくる煉獄写し……だとしたらロウ・ガイが何か罪を犯した? ありえないよ……そんなこと想像も出来ないのよね……でも、もしかして誰かを殺人とかやってたの? もしそうならわたし……人間不信になりそうよ……」
「どんな内容だった?」
「変な白い女の人が屋台で仕事しているロウ・ガイに、オーナーに恨みがあるんじゃないかって聞いてさ、名刺みたいのを渡していた」
「へえ」
「名刺の中に、八郎さんが言っていた登竜門のアドレスが書いてあって……」
「登竜門!! 謎老子のサイトじゃない!」
「そうなの……だから、もしよ? ロウ・ガイがまだ斉藤に恨みを持っていて、ホテルを追いやられた恨みを晴らすため、謎老子に依頼しないか心配になっちゃって」
「そんなことしないわ」
「そう……だよね……」
「信じてあげようよ」
「そう……だよ……うん! いいこと言うじゃん」
「そうだよ、そんなネガティブ思考なんて姉さんらしくないよ。他に気になったことはある?」
「ええ、そうねえ……あ、照男ってさ、すごく強かったのよ。で、あの人の部屋に行った時の話だけど、押し入れあったじゃない?」
「うん」
「その中にさ、沢山のトレーニング道具があったけど、あの体を見て納得したわ」
「確かに、あれは相当訓練をしなければ作れない体よね」
「そうよね。おまけに多分毒にも強いし、喋り方と笑い方はおかしかったけどね」
「そうね。でも初めて声を聞いたけどかなりのいい声だったわね」
「そうそう、テラ安子って感じでね。渋くていい声だったわ。で、もう一つあるのよ」
「なにかしら?」
「あの人、机の上に四人の先生のプライベートの写真を飾っていたのよ。何でそんなことしたの? 理由わかる?」
「そうねえ、やはり自分のライバルになるかどうか見定めていた?」
「そうかしら? 他には?」
「うーん、屋敷内を監視しているだけでなく、各先生のプライベートな行動や交友関係も把握しようとしていたのかもしれないわ。
写真は、そのための視覚的な記録、あるいは情報源として飾られていた? 例えば、写真に写る表情や背景から、彼らの心理状態、経済状況、人間関係、あるいは隠された癖や弱点を分析していた?」
「ちょwどうしたの突然w」
「兄に会って少し変わったのかもしれないわね。わたしやっぱり一人じゃないんだ! って落ち着いた? だから脳が活性化したのかも? 不思議な気分よ」
「あ、そういえばござるがないわ! 自分を取り戻せたんだ! すごいじゃん。じゃあ何で見回ってるのかももしかして分かっちゃう?」
「そうね……忍者の家系の長として、あるいは自身の安全を守るため、周囲の人間が脅威になり得るかどうかを評価していたのかも。特に、特に私と結婚して家督を継ぐ可能性のある者たちとなれば、徹底的に行っていた? で、写真は、潜在的な敵意や裏切りがないかを探るためのツールだった、と考えるわね」
「照代! 凄い、わたし、尊敬。もっと聞きたい」
「姉さん! 語彙力が著しく低下しているわよw お見合いという形式的な場では見えない、先生たちの
『素の顔』
を知るために写真を飾っていた?」
「お見合いの時もしっかり見ていたのかしら?」
「多分ね。私の将来を真剣に考えているなら、婿となる人物が本当に信頼に足るか、家族として受け入れられるかを見ていたのかも。写真は、表面的な振る舞いの裏にある彼らの真の本質を探る手がかりだった、と考えられるわ。彼らがどのような人間関係を築き、どのような場所で過ごしているかを示すもの。これらの情報から、家督を継ぐに足る人物か、あるいは家の名に恥じない行いをしているかなどを評価していたのかも?」
覚醒は止まらない。
「成程、私では全く想像ができなかったわ。やるじゃん。私はこれ位しか思いつかなかったわ」
「なに?」
「兄は人見知りで人との直接的な交流を避けている一方で、人間そのものには強い興味を持ってて。先生たちのプライベート写真は、彼の人間観察の対象であり、彼らがどのように生き、何を考えているのかを知るための資料? 位かしら」
「それもあるかもね。でも私は私の考えを信じたいわ。喋り方はあれだけどしっかりと妹のことを考えてくれている昔通りの優しい人だってね」
「じゃあ兄が狙われた理由で何か思い当たることは?」
「喋り方かしら?」
「それだけ?」
「それ位しかなくない?」
「でも普段見えない状態で移動してるよ?」
「あっそうか、それもあるのかしら?」
「でも、何で消えられるの? 知らないと思うけど」
「知らないわ。でも確か小さい頃は消えていなかったのは覚えてる」
「最近身に着けた技ってこと? 素早く移動して?」
「そうでしょ? 知らないけど」
「まあ、忍者として生まれたからには消えたいという考えは分かるけど、あんなに長い間消えるなんて不可能よね。確かに鍛えているみたいだけど、全く見えなくなるまで素早く動く事なんてできるのかしら? あ、そう言えば視た時、装備に
『metamaterial』
って言うの装備してたなあ。そして明遁の術にmetamaterial装備で消費MP0とも書いてあったはず。すぐにステータスウインドウ消えちゃったからうろ覚えだけどね」
「その
『めたまてりある』
ってのが消える秘密?」
「分からないんだよね。そういう名前の部屋もあったしさ。照男め……こんなに悩ませるなんて生意気な……」
「確実に言えることは私も父も母も出来ない。てるにゃんもね。間違いなく兄だけの特権よ」
「消えて移動しているだけなのに殺されかけた……誰が何の目的で?」
コンコン
「はい、開いてますよ」
「お嬢様……大変なんです」
「え? どうしたの?」
「庭の……祠にあった封霊石が……無くなっているんです」
「え? ま、まさか」
「え? なにそれ? 封霊石?」
「庭の池の傍に祠があるのよ。それは一族が命懸けで封印した幽霊がいて、その石が霊を抑えていたらしいの。何百年も前からね」
「うん」(え? ま、まさか?)
「その石が何者かに外されてしまって……」
「地震で落ちたとか?」
「ああ、地震? そんなのあった?」
「ないけど」
「じゃあ何? 勝手に落ちたってことなの? じゃあ傍に落ちてるんじゃないの?」
「それが……どこにも……」
「じゃあ瘴影丸の封印が?」
「瘴影丸?」
「私も小さいころ聞かされた話でうろ覚えだけど、そういう忍者がいたのよ。で、味方も毒で殺害して回って最終的には処刑されたの」
「あ、そう言えばそんな話あったね」
「でもその思いが強くて地縛霊? になっても人間を毒殺することを続けていたらしいの。で、姿も見せずに標的を毒殺してしまう幽霊らしいの」
「え? そんな危険な奴をどうやって封印したの?」
「小田無双と言う和尚さんに封印してもらったらしいのよ。小田さんは言ったわ。
『この封霊石を外してはならぬぞ。そうなったら封印は解ける』
ってね」
「やべええ」
「え?」
「え?」
「い、いや……なんでもないわ」(多分それ、今かばんの中に入ってるよ……その封霊石とやら……今から戻せばワンチャン? いや、既に出ているかもしれないんだ。今から元の位置に戻したってその瘴影丸だって封印できるとは限らないよね? だって照男は毒で……うう、やばいことになった……可愛くて美しすぎる私の悪い癖よね……いやいや! 幽霊なんているわけないし! そもそも幽霊がどうやって毒殺するのよ! 根拠のない噂話よ! でももし本当だったら……どうしよう? どうしよう? これ、もしかしてまずいかもしれない……)
無表情であるが、内心ものすごーく焦るアリサ。
「とにかくその封霊石が無いと、瘴影丸は自由に動き回れる。最悪の事態は照男さんの次の標的を探すかもしれません」
「え? 石さえあれば大丈夫なの?」
「え? あ。そういえばそうですよね。何となく大丈夫かなと思いましたが冷静になれば既に出てしまった霊を石を戻しただけで再封印は出来そうにないですよね? 小田さんの力で再度封じてもらわなくては……お嬢さん冷静ですね。私はダメダメです。考えが足りませんでした」
「大丈夫よ」(そりゃそのことだけを考えてたんだから当たり前よ……でも、どうする? このままじゃ罪のない人が瘴影丸の手によって無差別に連続殺人が起こってしまうかもしれないんだ……この私のせいで? やばあい……これはどうすればいいの?)
「でも幽霊だからどこにいるかも分からないし、家から出ても追跡してきそうよね。狙われたら最後ね」
「うう」
「何で姉さんが落ち込むのよ?」
「それはその……」(言えないよ……私が封印を解いたかもしれないんでしょ? そんなこと……どうすれば? どうしよう)
「めちゃめちゃ青ざめてる? 何かあったの?」
「そういえば風邪ひいてたんだ。のど飴舐めなきゃ」
ごそごそ
(鞄の中に封霊石があるわ。手に当たってる……こんな物のせいで……)
アリサのせいじゃん。
「私にも一個もらえる?」
「いいよ」
のど飴を照代に渡す。
「あ、結構美味しいわねこの飴」
「はああああああ」
「飴一個くらいでそんなため息吐かなくてもいいのに……なんかすごい悪いことしたみたいになっちゃったわ……」
「違うのよ!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
ロウ・ガイが煉獄写しで出現した理由は若手料理人の失敗を、自分のものとしてかぶったこと。
彼はあの日、真実を知っていた。傷んだ食材を使ったのは自分ではなく、育てた若手のミスであったことを。そして、たった一言
「これは私のせいではない」
と言えば、自分の潔白はすぐに証明できたはずだった。けれど、彼は敢えてそれをしなかった。
もしここで自分が助かれば、その代わりに若手は一人の料理人として終わってしまう。
『あの子はまだ、これから伸びていく人間。自分はもう、十分にやってきた。老いた自分が泥をかぶるくらい、なんてことはない』
そう考えて、ロウ・ガイは口をつぐみ、すべてを引き受けた。
これは、罪と呼ぶにはあまりに優しい罪。誰かを傷つけるためではなく、誰かを守るための沈黙。けれど結果として、彼は自分の居場所と誇りを失い、路頭に迷うことになった。それでも彼は、若手を恨んではいない。変装してまでその成長を見に来るあの姿は、紛れもない本心。
ただ、消えていないものが一つだけある。それは、斉藤隆之への憎しみ。
若手は悪くない。若さゆえの失敗であり、庇うと決めたのはロウ・ガイ自身の意志だった。しかし、事情も知らず、ろくに調べもせず、あっさりと彼を切り捨てた斉藤の判断。そこにだけは、消えない怒りの燠火が残っている。
その燠火に、ジュンパクが息を吹きかけます。
ロウ・ガイはまだ、答えを出していません。正確には迷っています。あの屋台に置き去りにされたホイコーローの皿のように、彼の心もまだ、湯気を立てたまま冷めきってはいないのです。そして、ジュンパクが何者なのかは後に分かることでしょう。
けれど、渡された一枚の紙、そこに記されたURLは、まだ彼のポケットの中にあります。
怒りは、ふとした瞬間に、理性より先に指を動かすことがあります。
もしかしたらこれから登竜門にアクセスし、謎老子に依頼してしまう可能性もあるかもしれないのです。その迷いも、煉獄写しの対象。つまり罪として反応してしまうのかもしれないです。




