真田行家 潜影檜の湯の間
表札? の様な物にはこう書いてあった。
【潜影檜の湯】
とな。風呂場にすら名前がある屋敷だ。
「あれ? この匂いは? あらあら! なにかしら? これはいい香り!」
くんくん
「ええ、この匂いは落ち着くのよ。毎日入ってるわ」
この風呂場を作った飛影竜王は、忍び達が長い戦いの後に疲れを癒やす為にはどうすればいいのかということを考え抜いた。
風呂に一番良い材質は何か? から調べ、その末、タイルや大理石ではなく、檜の木で全てを統一することとなったのだ。檜の扉を開けば、微かに立ち上る湯気と共に、檜の香りが鼻腔を満たす。そう、壁も床も全てが上質な檜で作られ、湯気と共に檜の香りがゆっくりと体に満ちていく。
正面には、岩を組み上げた湯船が鎮座しており、黒曜石の様に漆黒の湯面が揺れている。そして湯もただの湯ではない。地下深くより湧き出る名水を、秘伝の薬草でじっくり煮出したものである。それに身を沈めれば、傷ついた肉体が癒やされるだけでなく、MPも完全に回復し、状態異常の毒や麻痺、混乱、火傷、睡眠、石化、虫歯、骨そそうそう……骨粗しょう症、花粉症、そして鳴き声や威嚇などで下がった攻撃力や、悪口を言われてしまい。心に溜まったゴミや曇りまでも疲労とともに洗い流されるという。
忍び達は、過酷な任務を終えた後、この湯に浸かることで心身をリセットし、再び闇に溶け込む力を取り戻すのだ。
湯船のそばには、精巧に彫られた龍の口から絶え間なく温かな湯が流れ出している。龍の眼には深紅の瑪瑙がはめ込まれ、その視線が浴場全体を見守るかのように輝いている。水面に目をやれば、浮かぶ柚子や秘伝の薬草の葉が静かに波間に揺れ、淡い香りを放つ。その香りは、深く呼吸するたびに心を落ち着かせる効果を持っている。
風呂場の奥には、控えの間が設えられている。柔らかな灯りが静かに揺らめき、そこには低い長卓が置かれ、秘伝の酒と精進料理が並べられている。
湯上がりの一時をここで過ごし、言葉少なく酒を傾ける。ここでは、誰もが無言のまま過ごす。言葉は不要であり、ただ湯と静寂の中で己を見つめるのが、この風呂場の流儀だった。もちろんこの場も檜で作られている。
檜にこだわったのは、その香りに含まれるα-ヒノキピネンという成分にある。これは、心身をリラックスさせ、疲労回復や安眠を促す効果を持っており、睡眠前90分にこの成分を吸い込むと安眠できるのだ。森林浴をした時、清々しい気分、安心した気分になるのは、植物たちが放つ香り成分に秘密があったのだ。そのしっとりと湿り気を含んだ空気が肌を撫で、至福の安堵感が約束された。この屋敷の料理人の薬師寺膳は、薬草の効能を竜王に伝え、湯に入れてみては? と進言した結果、この風呂場が完成したのだ。
湯気が揺らめくなか、忍びが湯に身を沈めると、熱すぎずそれでいて身体の芯から温まる絶妙な湯加減が、彼の心と体を優しく包み込む。戦いの疲れを静かに解き放ちながら、彼はゆっくりと目を閉じた。静寂のなか、ただ湯の流れる音だけが響く。このひとときが、次の戦いへの備えとなる。
遠く、屋敷の外では夜風が梢を揺らし、闇の中で忍びの影が動く音がする。しかし、この風呂場の内側は、そんな世界とは無縁の穏やかな時間が流れていた。時がたつのも忘れ癒された体と心で上がったならば、再び夜の闇へと戻るのだ。
「おお!」
浴場に辿り着く。脱衣所もありえない広さ。そして風呂は檜風呂と豪華。お湯が、獅子の口から浴槽へ注がれている。アリサの見たこと無い物ばかり。
「どうでござる?」
「うちの風呂の4倍位あるよ、でかいなあ。そしていい匂い!」
「檜の香りでござるね。これ、竜王さんが作ったのよ。あの人鍛冶だけじゃなくって建築も出来るんだからね」
「ふうん、いい仕事してるでござる! これはこうするしかないわね」
ぴょーん じゃぱーん
そう言いつつ飛び込み泳ぎ始める。
「アリサ、こら泳いじゃ駄目よ!!」
「うるせえ、練習だ練習。怒ると皺が増えるからやめておきなさい。これから、見合い前でしょ? 少しでも美しく整えておきなさい」
「そうか、練習ってことはアリサは泳げないのね。夏休みはプールがあるけど泳げなくて行くのが恥ずかしいと。かわいそうなアリサ、惨めなアリサ、愚かなアリサ」
「それ、いいすぎーぶくぶくぶくぶく」
息を水面付近で吐き、ぶくぶく言わす。
その時!
ブヒュヒュヒュヒュ ブヒュヒュヒュヒュ
兄降臨。
「お、おいこ、こら! 男子立ち入り禁止でしょ。出てけええええ」
アリサも兄の存在に気づき、平面の胸部を両手で隠す。
「無尽断・岩戸開……!」
ズバッ
ぬ?
「ちょ、兄さん出て行きなさい。ここは見回らなくて良いから! 全く! ドアを閉める前に入ってきちゃったわ」
ヒュヒュヒュヒュ 音は小さくなっていった。
姿は見えなくても、音で分かってしまうのでまだ助かる。
「ドア閉めといたけど?」
「何でかしら?」
「あれ?」
ピクピク
「え? どうしたの?」
「蚊が……羽と体に分解されてる……しかもまだ生きてるよ! 逃がしてあげよっと」
ポーイ 蚊サ蚊サ
潰さない様に優しく持ち上げ外に逃がすアリサ。健気に庭の木のある方に逃げていく。何を考えそこに向かったのだろう? 葉に溜まった雫でも飲もうとでもいうのか? しかし本来飛行で移動するはずの蚊が、羽の無い状態でこの先生きていけるのだろうか? あの6本の足で木を登れるのか? 全く分からない。その蚊にとっては辛い現実が待っているだろう。もしかしたら、檜の香る風呂場で息絶えた方が幸せだったかもしれない。そんなことも考えず、全裸で窓の外に羽を失った蚊を放るアリサ。
「優しいでござるね。でも今のセリフ内で私の名前に似た響きが聞こえたような」
「いいえ? 似た響きじゃないわ? ピッタリ同じことを言ったわ。あんたが毒で倒れて起きあがった時もそう言ったんだよ?」
「そう言えばそうでござったね。自分が生きていることを証明するような響き……奇妙な名前でござるよ」
「照にゃんでも思ったけど、この家の人みんなそう言えるのよね?」
「え? 照にゃん?」
「あんた自分の飼い猫の名も忘れたのかよ……真田行照にゃんって教えてくれたじゃん路募山先生の回の時に!」
「フルネームで言わないから混乱したんでござる!」
「そう、アドリブを全く出来ない人だから仕方ないわね。要するに、まだいきてるぞう! これがお父さんでしょ? お母さんはまだいきてるの! だし、兄はまだいきてるお! でしょ? これはオタクっぽい人がそう言うと思うし、真田行照にゃんも猫が日本語を喋れれば死んだと思って噂された時に起き上がる時に
『まだ生きてるにゃん!』
って言う筈でしょ? この屋敷の主要人物は全員成立しそうよ?」
こんな偶然の一致があったとは……ここまで来ると敢えてそう付けているとしか思えない……
「なんという偶然でござるか……」
「そう、この屋敷の生物は一度死にかけても蘇って自己紹介できる生物ってことなのよ。多分ご先祖様の名前も
『真田行照故→まだ生きてる故』
とかそんな感じじゃない?」
「た、確かそんな感じだったかも? でも詳しくは覚えていないでござるが……アリサに言われるまで一切気付かなかったでござる……てか生物は止めて欲しいでござるよ……」
「そうなのよ……みんな私みたいに推理力もなんもない生物だからこんな分かりやすい共通点も見落としちゃうのね? でも、そうなると、この屋敷の誰かが殺されてもほぼ確実に蘇ることが約束されている気がしないでもないのよねえ。これ、まさかネタバレになっちゃったかも……言うべきじゃなかったね。これじゃ、でえじょうぶだドラゴンキューブがある! 状態よね……滅茶苦茶つまらなくなるよね……よし! 忘れて!!」
「もう忘れられんでござるよ……」
「じゃあ急いで話を戻そう……今逃がした蚊さ、胴体と羽で綺麗に切れてたってことはこれ、刀でやったの? 器用ねえ。でもなんか無尽断なんちゃらとかほざいてたよ?」
「確かに厨二病っぽい何かをほざいてたねwあれは多分剣の技名よね。名前から推理すると、岩をも真っ二つにする秘技よ」
「オーバーキルじゃん。やり過ぎよ!」
「でもアリサを蚊から守ってくれたんだよ。やっぱり優しいんだ!」
「この際蚊に刺された方がまだましだよ。別に少量の血くらい分けてやるわ! そんなことより覗きにあったんだぞ! くそ! 訴えるぞ! ブヒュヒュヒュヒュ野郎!」
照代の兄、照男はアリサの中でブヒュヒュヒュヒュ野郎で定着してしまった!
「全く、どこから入ってきたのよ。まさか……いえ、きっとそうよ。壁抜けの術を習得したのね? やるわね、兄さん」
「消えれる上に壁抜けだ? おいそりゃやばいよ、逮捕だ逮捕」
「そうは言っても実際問題、あの兄を捕らえられると思う? マスター忍者なのよ? 恐らく4人の先生よりも遥かに強いのよ」
「へえ意外ね。そんなに強いんだ。うーん……確かに音では分かるけどはっきりと見えないし……警察でも無理かなー?」(でもあの黒いシミ? みたいのは今度は見えなかったなあ。さっきはあったのに……湯煙で見えなかっただけか?)
「そうよ」
「ところであいつ、いつ寝てるんだよ? あんなやばい奴、疲れて眠ったところを逮捕するしかないわね。そうするしかないわ」
「それも多分無理! 部屋に戻って大人しくしている所なんて帰ってきて数日経つけど、一度もないのよ。あぐらをかいてる姿すら見たことないわ」
「なんなのよそれ? どんだけ見られたくないのよ……姿形が化け物だからなのかしら」
「いやいやw私に似ているからそこまで化け物じゃないよ!」
「これは調査が必要ね。よーし、あのブヒュヒュヒュヒュ野郎をこれから調査するわ。確実に女性の敵になりうる存在だもの。このアリサのつるすべもち肌を無料で見せて、黙っている訳にはいかねえんだ」
そして、つるぺたでもある。
「あの……アリサさん? お風呂を上がったらもう逃げ場のない、どっきどきのお見合いが始まるのよ?」
しかしこうなったアリサは止まらない。そしてなぜか敬語を使い出す始末。
「うるせえ! 部外者で素人のお前はすっこんでろ。さあ、湯浴みから出るぜぇ」
「いえ、その、色々とがっつり関係者です……アリサさん? キャラ変わってません?」
照代はアリサから溢れる謎のオーラに萎縮し小声で答える。もしかしてこいつ、本当に大物になる器を秘めているのではないか? と感じてしまうのであった。
風呂から上がり、着替えを済ませ部屋に戻ろうとする照代とアリサ。そこへ、お手伝いさんが通りかかる。
「あ、お嬢様とそのお客様ですね? 湯加減はいかがでしたか?」
「あら、この屋敷のメイドさん?」
「くノ一メイドです」
「へえ忍装束にエプロンって斬新ね。お疲れ様。ねえ、くノ一って言われてなんか嫌な気分にならないの? 私はなんか嫌なのよねえ」
毬栗の話でも出てきたな。まだ言っておる。
「いえ? 特には……お気遣い感謝です。この服重くて大変なんですよ。私もお風呂に行きたいです」
「いいお湯だったわ。あなたも入ってきなさい」
「いえ、まだ仕事の途中ですので」
「真面目過ぎるのもダメよ? 本当に疲れも取れたしすぐに入った方がいいよ」
「お気持ちだけ受け取っておきます」
「そうなの……私達ね、疲れは取れたけどちょっと事件があって、調査に向かう途中なの」
「事件?」
「あ、アリサ! 大げさにしないの! 大したことじゃないのよ」
「それは良かったです。ところで丁度いい時に来ましたね。明日は朝から、料理長オススメメニューが出るので楽しみにしていて下さいね」
「なにそれ?」
「お嬢様も初めてだと思いますので説明します。お料理の内容は詳しくはいえませんが、サプライズで、4月、8月、12の月の2日の日に料理長が一度も作ったことのない国のお料理に挑戦するのです。
そのお料理をみんなに振舞うの。色々な国のお料理を知っていこうと料理長が実際に食べて、これは皆にもオススメ出来るんじゃないかって物をね。忍者学校が出来た時と同時に始まったのです」
「へえ。私が居ない間にこんなイベントが出来ていたなんて知らなかったわ」
「あの、料理長って薬師寺膳さんのことですか?」
「そうです。この屋敷では携帯電話も使用禁止で、娯楽といえば食事位しかないということで、知恵を絞って考えたそうです。生徒たちにも色々な国の食文化が学べるって好評ですよ」
「膳さんって多才なのねえ。じゃあ明日は楽しみだね」
いつの間にか普通の女の子に戻ったアリサ。
「う、うん。そうね」
照代はさっきの横柄アリサとの対応のままでいいのか普通に話して良いのか分からず戸惑っている。
「じゃあまず、さっきの兄の部屋を見てみるわ。何か秘密が分るかも知れないし一緒に行こう」
「はぁ、早いところ終わらせてよね」




