【第三走者】エイル
「うわぁ、美味しいなぁ。ほっぺがとろけちゃいそうだよ」
結局おこんはムニエルをラファエルに振る舞うことにした。幸せそうなラファエルの顔を見ておこんはほっと一息ついた。確かにカートウッドは褒めてくれたが、そこに生徒に対するお世辞が入っていたのは否めない。だが実際にこうして美味しく味わってもらえるその姿は、おこんの確かな自信へと繋がっていった。
「いやぁ、こんなに美味しいものを食べられてボクは幸せだなぁ。ごちそうさま」
「お粗末様でした。喜んでいただけたのであれば何よりです」
「ね、ね、他にはどんな料理を作ったりするのかな?」
そう尋ねるラファエルの期待の眼差しは眩しい。おこんは食器を片付けながら答えた。
「そうですね……和食であれば基本的にはご用意できます。洋食につきましては今はからっきしですが、先生の元絶賛修行中です。先程お出ししたムニエルが初めて完成できたものになります」
「そっか。初めてであれだけ美味しいものを作れてるから、絶対上手くなれるよ」
そう言ってもらえるとおこんとしても嬉しい限りである。釣られてふふと笑みをこぼしていると、何かを思い付いたのかラファエルはパンと手を叩いた。
「そうだ!今度世界中の料理のレシピを持ってこようか?洋食といってもいろんな種類があるし、もしかしたらその中にとても気に入ってくれるのがあるかもしれないしね」
その申し出はおこんにとっては願ってもないものだった。カートウッドからも今後様々な料理を教えてもらえるとは思うが、折角なら一人でも練習してみようと思っていたのだ。しかし世界中のレシピとなると集めるのにはかなりの手間がかかりそうだ。その点を気にしていると、ラファエルは「大丈夫だよ」と手を振った。
「ボク、こう見えて世界中をあちこち回ってるんだ。だからいろんな情報を持ってるし、知り合いだっていっぱいいるんだよ。それに、ボクから今日のお礼をちゃんとしたいしね」
ラファエルの笑顔からのぞく八重歯がきらりと煌めいたのはきっとおこんの気のせいではないだろう。いつの間にか部屋の中は心地よい風で包まれていた。埃や羽根も綺麗に片付けられており、おこんはなんだかいつもより部屋が明るいように感じた。
「それより大丈夫?そろそろ最初のお客さんが来る頃じゃないかな?ボクのことは気にしなくていいから、早く上の和室を整えてきた方がいいと思うよ」
はっとしたおこんは時計を見て驚愕する。ラファエルの言う通り、ハルアキが訪れるまでもう時間がない。料理教室の後の時間でやろうと思っていたのだが、ラファエルがきて色々と予定が狂ったのだ。
「あ、ありがとうございます!すみません失礼します!」
おこんは慌てて部屋を飛び出した。笑顔でラファエルに見送られながた、ふとした疑念がおこんの頭を過ぎる。
(そういえば、わたし次のお客様について何か話しましたっけ……?)
「ねぇ、そろそろでてきてもいいんじゃないかな?」
おこんが去り、他に誰もいないはずの部屋でラファエルが口を開く。部屋から廊下へと吹き抜ける風は宿の隅々まで巡り、淀んだ空気は少しずつ外へと流れていく。
「随分と気配を隠すのは上手だけど、ちょっと風に当たりすぎだよ。でもわかるよ。気持ちいいもん、それ」
「別に隠れていたわけではありませんが」
ヘヘッとラファエルが笑う中、一人の男がすっと部屋に入ってきた。カートウッドである。
「だったらこっそりじゃなくて正面から堂々とこればいいのに」
「匂いにつられて窓から入ったあなたに言われたくはありません」
それもそっか、とラファエルはニシシと笑う。対するカートウッドはいつもと変わらぬ表情のまま扉の側で佇んでいる。
「それで?貴女のような方が一介の料理人にどのような御用でしょうか?」
「そこは一流でしょ?ちょっと手伝って欲しいことがあってさ。この宿に巣食っている淀みを消すのを手伝って欲しいんだ。キミも気づいてると思うけど、その廊下の奥の方にいるやつだよ」
「それは……なぜですか?」
ラファエルはふわりと宙に浮かび、窓から見える街道を示しながら応えた。
「あの街道の先が黒の大地、その中でも黄泉の国に繋がっているのは知ってるかな。黄泉の国の妖怪たちには結構タチが悪いものがいてね。白の大地にでてこようとするのもいるんだ」
近辺で結界や陣が多く張られているのはこのためである。この宿を守る妖狐も過去に何度もその手の妖怪を撃退した経験を持つ。対策がしっかりなされているからか最近では白の大地での妖怪の目撃情報はかなり少ない。
「そしたらすごくずる賢いのが出てきてね。自分の瘴気を出ていく人に纏わせ始めたんだよ」
「……なるほど、それであの淀みですか」
黒の大地には瘴気で満ちた土地も多い。そのため出戻りの人の中には瘴気を纏うこともある。しかし一人の旅人が纏う量はたかが知れており、またしばらくすると霧散するため特に問題はないものとされている。そこに目をつけた妖怪らが少しずつ瘴気という形で白の大地へと手を伸ばし、人が集まりやすいこの宿で少しずつ淀みとして溜まり力を蓄えていたそうだ。
「おこんが気づかなかったのは、多分魔力の質が似てるからだろうね。あとは山の妖狐の妖気が充満してるから気にもとめなかったのかな。とにかく、騒ぎになる前になんとかしなきゃいけないんだ。そのためには君の腕が必要でさ。協力してくれるよね?」
言い終わると同時にラファエルはカートウッドを振り返る。逆光でやや表情がわかりづらい。笑っているのは確かだが、どこか含みがあるようにも思えた。
「……まず大前提として、私は料理人です。戦時の食事の依頼であればともかく、戦闘に巻き込むなどもってのほかでしょう。それに私は用があってここに来ているのです。できればそちらをさせていただけるとありがたいのですが」
「でもキミはその道では一流なんでしょ?だったらいけるかなって思ったんだ。それに味方は多い方がいいよね。キミのことも、ボクでよければ後で手伝ってあげるよ」
静寂が部屋を包み込む。二人の表情は変わらないまま時間ばかりが過ぎてゆく。しばらくの時が立ち、冷たい風が吹き込むと同時に、ラファエルが後ろで組んでいた両手をあげた。
「大丈夫だよ。ボクたちは今の所キミに危害を加えるつもりはないし、本当にちょっとサポートしてくれるだけでいいんだ。ボクも美味しい料理を食べさせてくれた恩があるし、どうにかしてあげたいんだ」
年相応の屈託のない笑みは幼い天使の嘘偽りない本心であることを如実に語っていた。カートウッドも先ほどおこんに料理を教えたという縁があり問題解決に手を貸すこと自体は吝かではなく、諦めて依頼を受けることとした。
「最後に一つよろしいでしょうか。貴女はこの騒ぎを私の仕業だとは思わなかったのですか?先程の私の態度は明らかに怪しいものだと思うのですが」
ラファエルはさも当然であるかのように告げた。
「もしそうだとしたら絶対こんなこと聞かないし、そもそもキミならこんな回りくどいことする必要ないよね。隠し事なんて誰にでもあることだし、それが秩序をみだすものじゃなきゃボクたちは何もしないよ」
全く、この天使は何をどこまで知ってるんだか……やれやれとカートウッドが呆れていると、厨房の方から騒がしい音がした。二人が急いで駆けつけると、そこでは既に一人の陰陽師が禍々しい黒い淀みと対峙していた。




