間話 始まりの儀式
大きな泡。
訝しげにしているレーネを見る感じ、これは私の幻覚というわけじゃない。なら何なのか……わからない。魔法的なものなことはわかるけれど。それ以上のことはわからない。
困惑。その一瞬のうちにレーネの魔力が動く。
彼女の周囲に同じような大きな泡が出現する。
「え?」
それらはレーネの周りを回転し、そして。
泡がレーネを飲み込む。
「レーネ!」
咄嗟に術式を編む。光魔法第一種光線。単純な指向性の光を出す魔法。
これで泡の魔法を相殺しようとした。でも効かない。加減はしたけれど、それでも遺物により増幅された私の魔力による光線。その魔力密度は相当なものなのに。
光線はぎゅるりと曲がり、泡の中で回転し始める。次第に光が弱まり消えてゆく。
まるで泡が魔法を喰ったようだった。黒煙球のように。
泡の中でレーネがふわりと浮かぶ。水の中に入れられたように。でも、苦しそうじゃない。レーネは眠ったように泡の中で目を閉じている。それがどういう意味なのか私にはわからなかった。
「……なにこれ」
おかしい。
今の目の前で起こってることは理屈に合わない。
どうしてこんな泡がレーネの魔力で。
そして泡が大きくなる。それは部屋には収まらないほどに。
咄嗟に距離を取る。身体強化を全開にして、窓を蹴破り、飛行魔導機を起動する。
私の魔法が無効化されたということは、この泡には黒煙球の持つ黒い霧と同じように術式を霧散させる効果がある可能性が高い。そんなものに触れて無事で済むとは思えない。
私が空に浮かんでいる間にも、泡はさらに大きくなり、この集合住宅自体を包み込む。それでも泡の拡大は止まらない。
どこまで大きくなるつもりなのかな。でも、物理的な攻撃ではないらしい。泡の中でも風景はそのままだし。
なんだかこの泡の性質は黒煙球と似ている。黒煙球も基本は魔力を霧散させるだけで、侵攻後にも残っている街もあるから。まぁ魔力的に破壊された街が街として機能するかは微妙なところだけれど。
この泡が黒煙球と同質のものなら……どうしてレーネは無事なのかな。なんで、あんなに穏やかな表情で、目を閉じていたんだろう。
無事でいてくれることに心の底から安堵するけれど、疑問は拭えない。
助けたいけれど、あのレーネは助けられることを望んでいるのかな。まず、助けが必要な状態なのかもわからない。
おかしいことだらけ。
もしもこの泡が、未知存在による攻撃ならもっとわかりやすかった。でも、この泡からはレーネの魔力を感じる。レーネの術式で、レーネの魔力で発動された魔法。他の魔力も感じるけれど、中心はレーネの魔力を感じる。
でも、おかしい。
周囲の魔力が震えている。大気が蠢く。
周囲の魔力が急速に励起され、異様な雰囲気を醸し出す。
巨大な輪が泡の直上に出現する。まるで天使の輪のような。
もうわけがわからなかった。
レーネの魔法なら、ここまで周囲の魔力に影響は与えない。それにここまで規模の大きな魔法は使えないはずなのに。彼女の魔法はもっと綺麗で、もっと優しいのに。私の力任せの魔法とは違う。
まるで、レーネの魔力形質が変わってしまったような。
「……もしかして」
ありえない。
そう思いつつ思考の片隅に理屈を合わせる発想が浮かぶ。
「遺物との同調……? レーネが同調者に……」
「そうだ」
不意に後ろからの声がした。
振り向けば、そこには唯一の家族がいた。
「お父さん……」
お父さんは私より高高度から私を見下ろしていた。
正確には泡を見下ろしているというべきかもしれない。
私には視線が向いていない。そのことに、私の心は何の反応も見せない。もう私はこの人に対する感情は残っていないから。
私の心はまだレーネの方に向いている。心の片隅でそのことに安心する。
「……レーネは同調者なんだね」
「あぁ。そしてあれが3つ目の起点遺物だ」
それは明らかに何か事情を知っている人の台詞だった。
わざわざここに現れたということは、質問に答えてくれるらしい。
……一応、お父さんとまともに話すのは初めてで少し緊張するけれど……そんな感覚に構っていられるほど余裕はない。
「レーネは無事なの?」
「あぁ」
「……どうしてそんなに詳しいの? お父さんがやったことなの?」
「私ではない。我々だ。我々、討伐隊というのは元よりこの儀式のために作られた組織だからな」
儀式?
なんのことかわからない。
討伐隊は、融合体に対して抗うための組織なはずなのに。
混乱する私を他所に、お父さんは分からない話を続ける。
「既定数の遺物とその制限解除。星の脈動。そして黒い霧。これで儀式の準備は整った。あとは各地点の遺物を起点として、全ての魔力を1つにすればいい。そして、遺物の起動には願いが必要だ」
それはなんとなく私もわかっている。
同調率とはつまり、心の在り方であるということを。
わかりやすく言えば、目的意識というか。強い願いを持つほど、それらしい力を遺物はくれる。もちろん、気難しい遺物だとそうもいかないこともあるけれど。
「お前だろう? あの者に願いを与えたのは」
それはわからない。
でも、少なくともレーネが何かしらの願いを持ったことで、この現象は起きているらしい。お父さん達のせいで。
「現存する遺物……完全循環型魔力増幅器兼統括情報管理機構5212個の中から、同調対象が見つかったのは2870個。そのうち起点になるまで同調率が上昇したのが12個。新たな13個目がここに来て見つかるとは。この都市の起点遺物はお前のものと思っていたが。しかし、影響は与えたのだろうな。この会話はその礼だとでも思ってくれればいい」
「……何が目的なの? 儀式って何?」
結局、わからないのはそこだった。
儀式なんて聞いたことがない。
「融合体との共生。そのための人類全体の強制魔力接続。人類の儚い魔力強度を総体にすることで確保し、全遺物との融合を行う。融合体の持つ遺物も含めてな」
「え?」
「既存の遺物との同調を果たした者は皆引き金の一部だ。儀式の部品と言ってもいい。同調者の誰かが起点になればいい。術式強度補完用に同調率の高い者から順に起点にしていく予定だったが、まさか3人目でこの規模とは。これは約束の時も近いな」
意味が分からない。
融合体との共生?
人類全部の魔力接続?
全遺物との融合?
もうわけがわからない。
「そんなことどうやって……」
それは明らかに世界規模の干渉が必要になる。
世界中の同調者を起点としたところで、その影響は精々都市単位の規模にしかならない。けれど、人類全部を影響下にするなら、その同調者同士を繋ぐための術式が必要だけれど……
そんな規模の術式と魔力供給なんて不可能……じゃない。ひとつだけある。
「この星の地脈自体を術式として転用したの?」
返答はない。
けれど、それが答えなことはわかった。
それ以外に、この状況を起こすことができるとは思えない。
どうやって地脈規模の魔力を操作したのかはわからないけれど……でも、そんなことをすれば魔法師管理機構や国だって気づくはずなのに。
……だから、我々? 管理機構や国も含めての計画なら、その辺りの問題は解決される。
「……レーネはどうなるの? 答えて」
私にとって、最大の問題はこれだった。
無事だと言っていたけれど、今の話を聞いてそれが事実だとは思えない。
「人類全体の魔力接続って、無事だとは思えないんだけれど」
「それは見解の相違だ。魔力接続により人類の魔力が混ざりあったところで、生きていることには変わりあるまい。それに個人の形質が完全に無視されるわけでもない。多少曖昧になるだけだ」
「……何言ってるの?」
意味がわからなかった。
それを無事というわけがない。
そこまではっきりと魔力接続が行われたのなら、個人としての境界がなくなっている。それはレーネという人格の消失を示しているようにしか聞こえない。
「それにこれは人類の悲願でもある。他者と混ざり合い、争いがなくなり、心そのものを用いて相手と出会える。お前もそうしたい相手ぐらいいるだろう」
……確かに、この説明通りならあの泡に触れれば、一応、レーネと出会えることになる。私もレーネと魔力接続ができる。それに憧れないかと言われれば嘘になるけれど。
けれど、それは私の想いのほとんどを否定することになる。レーネのことを知りたくて、一緒にいたくて、そして私だけを見てほしい。その全てが叶うことは無くなるのだから。
「約束の時になれば霧との相互干渉により、全ての回帰魔法はその効果範囲を拡大する。その時、もしもこのまま高い同調率を保てば、比較的純粋な状態で魔力接続できる。起点遺物になればさらにな。そうすれば、そのレーネとやらにも会えるだろうな。保証はしないが」
「……起点になって欲しいんだね。お父さんは」
一瞬、お父さんの視線がこちらを向く。
どうやら正解だったらしい。
わざわざここまで説明した理由が、ようやくわかった。お父さんが私に礼なんかするわけないんだから。
「その方が楽というだけの話だ。後はお前が決めろ」
話は終わりとばかりに、お父さんは泡の方へと飛んでいく。私にはもうわけがわからなかった。
大体、起点というのがなんなのかすらよくわかっていない。
強い願いを持てば、私の遺物も起点遺物になるのかな。同調率を上げれば……これ以上どうすれば上がるのかなんてわからないのに。
悩んでいる間にも泡は少しずつ大きくなっている。まだほとんど誰も住んでいない地域だけれど、このままの速度なら、この都市自体を呑みこむまでそこまで時間はかからない。
私にこれを止める手段はない。
……いや、核を攻撃すれば止められるのかもしれないけれど。この泡の核はレーネなのだから。私にはできない。
結局この泡の拡大を止めることはできない。つまりそれはレーネを救い出す手段がないということ。もう魔力接続は止まらない。
……もうレーネに会えないのかな。
そう思った瞬間、一気に泣き出しそうになる。
この広い世界で、独り。
レーネがいない。それは私の想いの行き場がなく、居場所がないということで。
それを自覚した瞬間、怖くて、寒くなる。
……結局、私の力は誰も守れなかった。
全部レーネの言う通りなのかもしれない。
私がいても、黒煙球は首都を滅ぼしていたし、私はただ死んでしまうだけだったのかも。
全部上手くいかない。何もかも。
ようやく私は私自身の望みを叶えたはずなのに。
心は揺れるし、レーネは失った。
何もかもだめにしてしまった。全部。この世界も、レーネのことも、私のことも。全部。
……優先順位をつけるのなら。
レーネに出会うことなはずなんだから。
ずっとレーネはそう言ってくれていたのに。
私って本当に馬鹿。
レーネがくれた居場所の中にだけいれば良かったのに。
エル姉の言葉も、同調者の使命も全部忘れてしまえば良かったのに。
忘れてたわけじゃない。レーネがいなかった日々を。とても寂しいだけの日々のことを。
でも最近の日々は帰れば家に必ずレーネがいてくれて……だから甘えてたのかもしれない。彼女の想いに。私の心が迷子になっていても、レーネと一緒にいれば、それだけで良いことぐらいはわかったはずなのに。
なんだかたくさんのことがあって、混乱していたのかもしれない。それとも心に余裕がありすぎたせいか。
そして混乱しているうちにレーネを失ってしまった。
でも、どうしたらよかったのかはよくわからない。
レーネが願いを持ったから、同調者になったということは、何かを求めていたということになる。それは多分……私と一緒にいるということで。
でも、それは果たせなかった。こんな曖昧な心でレーネの傍にいる自信がなかったから。レーネを傷つけてしまいそうだったから。
……なら、どうしようもないってことなのかな。それなら途端に話はわかりやすくなる。諦めからの視点になってしまうけれど。
違う。私が弱いから。私の心がもっと強ければよかったのに。ううん。もっと私の同調率が高ければ、少なくともレーネが起点になることはなかったかもしれないのに。
結局、私の力なんて大したものじゃないのかもしれない。
ずっと思いあがっていた。私は同調者で、その中でも特に強い。だからなんでもできるって。救おうと思えば、誰でも救えるって。だからレーネを助けてあげたいと思っていたけれど。
……そんなこと最初からできなかったのかもしれない。私は誰も助けることはできなくて。レーネのことも、私には助けられなくて。
だから、レーネは願った。
ならこれも私のせいなのかな。
レーネはそんなことないって言ってくれるのだろうけれど。
本当に甘えてる。まだそんな言葉に縋ろうなんて。
……結局のところ、私にはレーネが必要で。
私の心がどうなろうとそれは変わらない。まだ私の心の正体は上手くわかっていないけれど。
でも、もうレーネは失われた。
ならもうどうでもいい。世界のことも私のこともどうでもいい。
レーネがいないなら、全部くだらない気がしてくる。何もかもめちゃくちゃになればいい。今こうして、泡の中に色々な人が呑まれていくのを見ても何も感じない。
他人のことを気にするほど余裕がない。
心に余裕がないというか。心自体、ぐるぐるとしているというか。
レーネに会いたい。
会いたいよ。
どうして1人になりたいなんて思ってしまったんだろう。
嫌われてもいいから、一緒にいればよかったのに。どれだけ迷惑に思われても、疎まれても、レーネの心が手に入らなくても、その存在に手を伸ばし続ければ良かったのに。
そうすれば、こうして失われたとしても、後悔はなかったかもしれない。
……それはないけれど。きっとどうしても後悔はしていた。人は後悔をする生き物だって、レーネも言っていたし。
でも、だからこそ、もっとレーネと触れていればよかった。
もう触れられない。彼女は魔力接続の起点になってしまった。魔力接続をしても、レーネの声も聞こえないし、触れ合うこともできない。そんなの意味ない。
全部意味なんてない。
なんだかどうでもいい。
もう、いいや。
レーネを失って、生きている意味があるのかな。
「あっ」
不意に魔力が途切れる。飛行魔法が切れ、落ちていく。
違う。魔力が弱い。同調率が減ってるのかな。
当然かもしれない。もう世界には居場所はないし、希望もないのだから。
だから、抗う気も起きなかった。
そして私は泡に触れた。




