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第52話 手のひらから零れ落ちる

「なんか何も起きてないみたい……」


 アイリが隣で呟く。

 その言葉通り、ここ第五空中要塞都市で何事もなかったかのように日常が流れていた。

 同調者が全員討伐作戦に行った影響で、都市自体が人類領域に近づいているとかそういう微かな違いはあれど、普段の生活とほとんど変わらない。


 一応、妹のティスタは一度連絡をくれた。私を心配してくれているようだったから、大丈夫と返しておいた。多分彼女も、未曾有の事態で不安だろうに。それこそ母達のことを心配しているはず。まぁ私が生まれ育った水隣街は黒煙球の進行予想区域ではないから大丈夫だとは思うけれど。


 そういうことはあったけれど、あとはいつも通り。

 その理由は多分、ここは首都から遠いからな気がする。それこそ未開拓領域の方が近いくらい。だからだろうけれど、黒煙球のことなんて、何も知らないみたいに時間が進んでいる。

 まぁ私達があまり外に出ることもないからかもしれない。討伐隊から抜けた私達は訓練をすることもなく、この家で映画を見るぐらいしかしていないから。

 今日も、夜になっても寝る前にひとつ映画を見ていた。


「んー……」


 ふいにアイリが甘えるような声を出す。

 ささやくようなその音に答えるように彼女の頭を撫でる。

 

 そんなことをしながら目の前の映画をぼんやりと眺める。

 映画は、終盤になったところだった。

 もう終わるらしい。もうちょっと見ていたい気もしていたけれど……まぁ物語は完結してこそ完成するというやつなのかな。


 少し欠伸が漏れる。面白くないわけじゃないけれど、夜も深くなり始めているせいか、それなりに眠い。


 その時、いつかと同じように通信機から警報が鳴る。

 互いにびくりとして、連絡を見る。

 その文章は少し長かったけれど……まとめると首都が陥落したらしい。そういうことが書いてあった。首都そのものが黒煙球に呑みこまれたらしい。推定生存者は0。戦いに行った同調者達の帰還も無し。


「アイリ」


 その言葉を放った時には、アイリの眼は既に大きく見開かれていた。

 だから、私は言葉を留めた。なんと言えばいいのかわからない。でも……最近のアイリから感じている不安がやっぱり他者への心配だったことを確信した。

 ……私ではなく、他の……他人への心配。心がざわりとする。


「ぅ……」


 アイリが小さな声を零す。

 私でもわかる程度には泣きそうになっていた。


「私のせいで……」

「違うよ」


 咄嗟に否定しても、アイリには届かない。届いていないらしい。

 私の言葉が届かない。それがこんなに、心をざわざわとさせるなんて知らなかった。きりりと知らない音がする。


「それなのに、私は今……」


 アイリが自らの手のひらを見つめる。

 瞬きをして、そして私を見つめる。

 もう、はっきりと涙をこぼしていて。

 そして、私には言葉が見つからない。


「こんな気持ちになっていいのかな。こんな……私は幸せで……レーネとこうしていられて幸せで……」


 アイリの言葉はまるでそれがいけないこととでも言いたげだった。

 誰だってそれを求めてきたはずなのに。もちろん私たちも。人は幸せのために生きてきたはずなのに。そして私達は、一緒に幸せの形を見つけたはずなのに。


「幸せになっちゃいけないの?」

「……だめだったらどうしよう」


 一瞬、ほっとする。

 私の言葉が届いていて。


「……私のせいで500万人も死んじゃった」

「アイリのせいかな」

「私のせいだよ。私が行かなかったから」


 それは後悔の言葉らしい。

 アイリは後悔している。討伐作戦に参加しなかったから。

 それがとても痛い。ここにいることを後悔をしているということなのだから。折角、私達は一緒にいるのに。


「私は何もしてない。私がいたら結果は変わってたかもしれないのに……忘れてた。私、今まで戦うために生かされてきたのに。それなのに、今までの恩を全部忘れて、逃げ出して……そんな私がこんな風に幸せを感じていたら……」


 私にはよくわからない感情だった。

 現実を変えられた可能性があるというのは。

 アイリには力があるから、そう思えるのかもしれないけれど……でも、今回に限って言えば、アイリにはどうしよもないことじゃないのかな。


「逃げ出したら、幸せになっちゃいけないの?」

「……わからないよ。けれど、いいのかな。こんなに何もせず迷惑をかけてきただけなのに」

「いけないわけない。誰だって、幸福になるのが許されないなんてことない。それに、アイリはこれまで十分戦ってきたんだから、それだけで十分だよ」


 私もアイリの戦闘記録を全部知っているわけじゃない。

 けれど、少なくとも、直近の融合体はアイリが倒してくれた。それだけで責務を果たしたと言えると思う。融合体を倒すというのは、それだけ難しいことなはずなのだし。


「……そんなことない! 今回も私が行けば……」


 変わったかもしれない。彼女の力によって変化が起きると。

 アイリの言葉はそれが前提らしい。でもそれは……


「でも、変わらなかったかもしれない。ううん。きっと変わらないよ」


 作戦に参加した全同調者がやられたということは、彼我の戦力差は圧倒的だった。

 それに首都がやられたということは、第零部隊もやられたということなのだから、アイリがいくら強いと言っても、状況が変わったとは思えない。


「……でも、可能性はあった。そうでしょ?」


 それは否定できなかった。けれど、それは誰にも否定できない。

 可能性の話を始めれば、微かな可能性というのはどこにでもあるのだから。

 でも、それを言い始めれば、全てのことに後悔しないといけなくなる。それはとても……なんていうか、傲慢な気がする。昔の私と同じように。


「その可能性を私は捨てた。見捨てたのと同じで……私は沢山の人を救うのを諦めて……」

「それは」

「違わないよ! 何もかも、全部私が……」


 アイリが鋭い声を出す。

 けれど、その言葉はとても傲慢に聞こえた。彼女の言葉は、全ての責任を自分に寄せる行為で。

 それはとても、心がきぃとする。アイリの心が、また遠くにいってしまったようで……嫌なのかもしれない。アイリがそうやって、罪悪感から後悔することが。 

 だって、その感情は……


「私のせいだよね」

「ぇ……ど、どうして? なんでレーネのせいになるの? これは私が行かなかったから……」

「違うよ。アイリはみんなを見捨てて、私のためにここにいてくれたんだから、私のせい。私が悪い」


 アイリは元々、参加しようとしていた。

 それを止めたのは私で。

 決断したのはアイリかもしれないけれど……でも、きっかけを作ったのは私なのだから。私のせい。少なくともアイリだけのせいじゃない。


「私がそんなこと願ったから、アイリは苦しいんだよね」

「ぇ、ち」

「全部私のせいにしていいから」


 ……正直誰のせいでもないと思うんだけれど。こんなに強い融合体相手じゃどうしようもないし。

 アイリの責任感はよくわからない。でも、アイリに泣くほど後悔を抱えて欲しくない。だから、私は足りない思考を働かせて、必死に言葉を紡ぐ。


「アイリのその罪悪感は私のせいにしていいから……お願い、傍にいて」


 こんなことを言うなんて、変な感じ。

 私がこんなことを言うなんて。

 まるで自分が自分じゃないみたい。心が私を追いこしているような。ずっと探していた心が私を突き抜け、アイリの元へと行ってしまったような。

 そしてそれが嫌じゃない。あれだけ心の在処を探していたのに。

 ……今はもう、心の内がわかってきているからかもしれない。

 

「アイリは何が大切なの?」

「それは……」


 アイリは言葉を濁す。

 即答してくれないことが無性に嫌で……少し苛立つ。

 瞬きをして、アイリの指を握る。そこに彼女がいることを確認するように。


「私は、アイリが行かなくて良かったと思ってる。アイリが無事で生きていてくれて」


 この戦闘記録を見ればわかる。

 黒煙球と戦えば、生きて帰ってくることはなかったのだから。


「だから、後悔はしてない……何人死のうと、関係ない。アイリがいてくれるなら」

「でも……」

「みんな死んで、だからなんなの?」


 アイリが小さく声を出す。声にならない声を。驚きを隠せないとばかりに。

 でも、これは私の本心で。


「もしも、これから黒煙球が世界を滅ぼしたとして、私も死んじゃったとして……その時までアイリと一緒なら、それでいいよ。アイリが死んじゃうより、全然いい」


 アイリも同じ感情だと思っていたのに。

 違うのかな。もし違うなら……この感情をどうしたらいいのかわからない。

 でも、私がそう思うようになったのはアイリのおかげなのに。


「アイリがそう願ってくれたんだよ」

「え?」


 彼女の瞳が私を捉える。

 やっと……また私を見てくれた。


「アイリだけを見て欲しいって、言ったよね?」

「……ぁ」

「だから、私は」


 他の人がどうでも良いと思っているのに。

 そういうアイリの想いに追いつきたくて、だから、他の誰の事だって気にせずに済んでいるのに。

 私の想いの方が大きいとは思わない。でも、私の想いのほうが重い……そういう可能性もある。それなら……いつのまにか天秤の傾きはこちらに寄っているのかもしれない。


「どうしてアイリは他の人のことを気にしてるの?」


 でも、気づいている。

 私の言葉に意味はないことを。

 こんなことを言っても、アイリの罪悪感が消えないことはわかっているし……アイリを困らせるだけなこともわかってる。

 けれど、心に突き動かされるままに、言葉を口にする。想いを言葉にしたい。


「私の……私のことは」


 ……なんでだろう。

 アイリの心のせいかもしれない。

 アイリの心を取られたくない。のかな。


「私のことは、もう大切じゃない?」

「そんなこと! ない、けれど……」

「なら……」

 

 そんなに私はおかしなことを言ってるのかな。私達が無事で一緒にいる。それ以上、望むことなんか何もないのに。

 アイリの言っていることは高望みのような。上を見すぎな気がする。


「……私達は、こうして触れ合えて、そして生きてる。それだけじゃ駄目?」


 私の問いにアイリは視線を逸らす。

 そして、静寂が場を包む。


「……そうだね。これで良かったのかも」


 沈黙の果てに紡がれた言葉とは裏腹に、アイリが納得しているようには見えなかった。とても無理をしている笑顔に見えた。

 でも、もう泣いていない。そしていつもより揺れた瞳で私を見ている。何かを言いたげに。今度は私が視線を逸らす番になる。


「今日はもう寝よう?」


 まだ少し早いけれど、もう何も考えたくなかった。

 アイリに何かを考えて欲しくなかった。これ以上、アイリの中の罪悪感が大きくなるのを見ていられなかった。見ていたくなかった。


 だから、私はアイリの桃髪を撫でた。

 そしてそのまま目を閉じる。

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