第51話 明後日の話
ここから……第5空中要塞都市から逃げ出すということはつまり、討伐隊の影響下から抜け出すということである。それが良いことか悪いことかもわからない。どこに行くのか、どうやって行くのか。そういうことを決めるよりも早く、私は願いを持ち、そしてアイリは願いを受領した。
だから、アイリは今、指揮官だか他の同調者だかに話している。
彼女が討伐隊を辞めることを。
……正直、こっそりここを抜け出しても良いと思っていたけれど、そこまで無責任になれないらしい。倫理観というのか、そういうものがしっかりしている。
心配されたくないとか言っていたけれど……そういうものなのかな。多分、アイリはそれなりに他の人……それこそエルネスタのような人のことも心配なのだと思う。子供の頃から気にかけてもらっていると言っていたし。
でも、アイリは私を選んだ。
私の願いのために、ここを抜け出すことにした。
「……これでいいのかな」
誰に聞かせるまでもなく呟く。
もう遅いことなのに。
これでアイリは全てを失うことになる。同調者としての立場も、今まで積み上げてきたものも、なにもかも。私の願いのせいで。
……それが正しいこととは思えない。
でも、私にとって良いことではある。はずだけれど。
アイリにとってはどうなんだろう。
逃げていいのかな。
「レーネ」
「わっ」
不意に現れたアイリが私の肩をちょこりと叩く。
もう話は終わったらしい。
「大丈夫だったの?」
「……大丈夫。ちょっと責められたけれど。それだけ」
ちょっと……そんなわけない。
同調者達の出立時間まであと少し。そんなぎりぎりの時間になって、アイリのような同調者が作戦に参加しないと言い出すのだから、好意的には受け入れられなかったはずなのに。もしかしたら酷いことだって言われたかもしれない。
けれど、私には隠した。あまりそれを掘り下げる気にはならない。それを暴こうとするのは、無礼な気がして。代わりに、アイリの手を掴む。
「それなら、いいけれど」
「レーネのほうは?」
「私は、連絡するだけだから」
私も討伐隊はやめた。
この時期は討伐隊には申請を行うだけで辞めることができる。多分、アイリのような同調者は別なんだろうけれど。私のような普通の魔法師なら、こうして簡単に逃げ出すことはできる。
「えっと、じゃあ。どうする?」
自分で言ってて笑いそうになった。
私から逃げようと言ったのに、何も決めていない。
少し無計画すぎるかもしれない。でも、これでアイリが危険な目に遭うことは無い。あとは私とアイリの意志の問題にできる。
「まぁ……とりあえず近くの町にでも行こうよ」
「ここにはいられないよね」
「……もう討伐隊じゃないもん。難しいよ」
もう討伐隊じゃない。
アイリのその言葉は、なんだか自分に言い聞かせているように聞こえた。
「……後悔してる?」
「私は別に」
アイリの問いにぽとりと答える。
やってしまったという感覚はあるけれど、後悔はない。別に私は元より、この討伐隊という職業に興味があったわけではないし。
「まぁ、もう少しはこの都市にいることになるけどね。次の連絡日まではどこにもいけないし」
アイリの言葉に頷く。
次の祭りの日だっけ……それまではあと5日ぐらい。
こんな状況になって、予定通りに行われるのかはわからないけれど……
「だから、今できることは待つことぐらい?」
そうだね、と返事をして、歩き始めた。
そして私は未来の話をする。なんとなく、先の話をしたい気分だったから。
「近くの町は636遺跡街だっけ? そこに住む?」
「うーん……」
この北東に存在している第五空中要塞都市から最も近い町は636遺跡街だった気がする。あそこはこの空中要塞都市の連絡街でもあるから、それなりに発展してるし。
けれど、アイリは曖昧気に笑う。微妙らしい。
「ちょっと近すぎるかも」
「この都市からは離れたいの?」
「そういうわけじゃないけれど……ううん、そういうことかも。ちょっと外を歩いてみたいな」
「外?」
「うん。色々なところを見て回りたい」
……あまり私には理解できない感情だけれど。
でも、アイリはそうかもしれない。生まれてからずっとこの都市にいたというのなら、どこかに行きたいと思うのも自然かもしれない。
「レーネと一緒に。色々なところを見てみたい」
「そっか」
「……レーネは、嫌?」
少し返事を淡泊にしすぎたせいか、アイリの疑問は少し揺れていた。
嫌ということは無い。そういうわけじゃないけれど、上手く共感はできない。なんというか、ずっと何もない平和な日々が続けばそれで良い気がするから。
そこにアイリがいて、私がいて、それだけの日々が続きさえすれば。だからつまり。
「まぁ、私はアイリと一緒ならいいかな」
「そっか。じゃあ、そうしようよ」
「危ないことは無しだからね」
「もちろん。でも、ほら、私達魔法師だし。大丈夫じゃない?」
そうかな。
私だって、その辺の魔物に負けるとは思わないけれど……想定外の事態なんていくらでもあるのだし。
それにアイリはもう同調者じゃなくなる。討伐隊を辞めるのなら、遺物を返さないといけないだろうし。それなら、なんていうか……そこまで警戒心がない感じだと怖いというか。
「ちょっと楽観的すぎない?」
「……そう? そうかな。なんか、変なのかも。ふわふわした感じ。浮かれてるっていうのかな」
その言葉通り、アイリの声はいつもより浮いている気がする。
地に足のついていないというのか。
「まぁいいけれど……折角、融合体と戦わなくて良くなったのに、普通の魔物にやられちゃって死んじゃうとか嫌だからね」
「そうだね……そう、なんだけれど。ふは」
アイリは耐えきれないように声を上げて笑い出す。
冗談のつもりじゃなかったんだけれど。
でも、次第に笑い声は大きくなる。星空が見つめる夜の街にアイリの流れるような笑い声が鳴り響く。そこまで笑われると、こっちまで変な感じがしてくる。
「そんなにおかしいこと言った?」
「ふー……そういうわけじゃないけれど。なんか笑えて」
深く一息ついても、まだアイリは笑いかけているらしい。
こんなに声をだして笑っているのを見るのは初めてかもしれない。笑顔が少ないというよりは、いつもは穏やかに笑みを浮かべているから。
「すごく大変なことになってるのに、レーネとこんな風にいつも通りに話して。それがおかしいのかな。だから笑えるのかも」
「おかしくなんかないよ」
「……ほんとに? 私は戦わないといけないのに」
その呟きは、いつもより静けさを含んでいて。
普段から綺麗な声は、いつもより澄んでいて……透明なまま、どこかに消えてしまいそうな呟きだった。
「アイリが戦わないといけないことないよ」
「そうかな。誰かがしないといけないことなのに」
どうして、その誰かがアイリになるの?
その疑問は上手く言葉にできない。
彼女は生まれた時から同調者で。融合体と戦うための訓練をして。そしてそのためにこの都市で生きてきた。だから、客観的に見れば、アイリも戦うべきであることは分かっている。
そのせいで、上手く言葉にできなかった。
「……後悔してる?」
今度は私がアイリに問いかける。でも返事はない。
口を開きかけたけれど、かぶりを振る。わからないと言いたげに。
……アイリは全てを失った。もう何者でもない。そう願ったのは私で。
私が後悔していないのは当然だけれど、アイリは後悔していてもおかしくはない。いや、そうなるのが自然な気もする。
だから、これから後悔するかもしれない。
「後悔したとしても……」
もしもこれからアイリが後悔したとしても。
それでも、一緒にいる時間が好きで。
だから、私は願っている。
「でも、私はアイリに戦ってほしくない。私の傍にいて欲しい」
「うー……そんなこと言うの、ずるい」
「そう? やめたほうがいいかな」
アイリは首を勢いよく横に振る。
桃色の髪がゆらゆらと揺れる。風のように。
「そんなことない。ずるいぐらい嬉しいってこと」
「なら、いいけど」
アイリが笑っていたから良いことにした。
そして、私達は来た道を歩いて帰った。
手を繋いで、ゆっくりと。時間に追われることはなく。
いつものように安心できる時間だったけれど……アイリの足取りは軽快だけれど、同時に後ろ髪を引かれるようで……なんというか転びそうだった。それに気づかないふりをした。
首都が陥落したという情報が入ってきたのは、それから3日後のことだった。




