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第50話 約束を拾い上げる

 作戦詳細がアイリの通信機に転送されてきたのは、説明会から少ししたころのことだった。私の不安通りに、アイリも戦いに行くらしい。

 その頃になれば、既に管理機構からの公式声明も出ており、第844融合体『黒煙球』は事実上の放置が決定されていた。同調者じゃない私達にまで、状況説明がなされたのはそういうことになるかららしい。


 混乱を避けるためという言い方をすれば良いけれど。

 実際には、説明は行われたという事実による言い訳を求めているだけな気もする。


 だから、当然というかなんというか、黒煙球を放置することには非難がある。けれど、事実上、この国を支配している魔法師管理機構に抗えるわけもない。


 それこそ昔なら反乱とかもあったらしいけれど……今はもう管理機構には、お抱えの第0討伐隊がある。

 噂では同調率が高く、融合体との戦闘成績が良い人だけが集められた集団だとか。昔はなんとか特務機関とも呼ばれていたらしい。彼らには勝つような武力を持つことは不可能に近い。それこそ、融合体ぐらいになるのかな。


 ……というか、なんで管理機構はその第0討伐隊を使わないんだろう。

 今回の第844融合体が防衛線を突破した事態には、それを即応すればいいのに。それでも倒せないと判断したということなのかな。

 もしも、その人達が戦うのなら、アイリは戦わなくていいのに。


 心がぐらぐらしている。説明会の時からずっと。

 こうして家でアイリと一緒に座っていても、落ち着かない。


 アイリに送られてきた作戦詳細を見た。

 いつも通りに核を探して破壊する。それだけ。

 ただいつもとは規模が違う。


 作戦に参加するのは全討伐隊の同調者。それも1部ではなく、同調率が2割以上の人は全員。全部で約500人規模になるとか。人数だけで言えば、普段の100倍規模の討伐作戦だけれど、相手もいつもより強い。それも比べものにならないほどに。


 黒煙球は、強力な魔力干渉能力を持っている。アイリは回帰魔法のようなものかもしれないと言っていた。融合体がそんな複雑な魔法を使えるなんて思わなかった。

 あの魔力で回帰魔法を使われたら、全ての魔法を無効化し、防御魔法も意味を為さず殺される。移動速度を考えたら、逃げるだけならともかく、防衛戦になるのなら、勝つのは難しい。


 そしてあの霧はそれ自体が魔力の塊なのだから、探知魔法も効きにくい。きっと核を見つけることすら一苦労になる。

 その後に、同調者達がその核を目掛けて攻撃することで、黒煙球の回帰魔法を突破する予定らしいけれど、そのころまで何人が生き残っているのかわからない。


 ……アイリも生きていないかもしれない。

 彼女の同調率は6割もある。今の全討伐隊の中でも五本の指に入る同調率があるけれど。

 でも、今回の戦いで、彼女が生き残る保証はない。それどころか、死ぬ可能性の方が高い。それぐらいはわかる。


 その事実があまりにも嫌で。

 とても変な感じがする。

 不安というか、恐怖というか。


「レーネ……」 


 隣に座るアイリが名を呼ぶ。

 こういう時の声はなんというか……甘えるような声に聞こえる。

 返事の代わりに、アイリの髪を撫でる。それだけで嬉しそうに笑ってくれる。


 それはとてもいつも通りで、安心するけれど。

 でも、これからアイリは戦いに行くのに。


「アイリは、怖くない?」

「……怖いけど、大丈夫」

「どうして?」

「レーネとの時間はいつも通りがいいから」

 

 私もそう。

 そうだけれど、返事はできなかった。

 私はいつも通りではいられない。これからアイリとの時間は永遠に訪れないかもしれないのに。最後かもしれないと思えば、正気ではいられない。


「……ほんと」


 私は間抜けらしい。

 アイリに聞こえないように口の中で呟く。


 いつ失うかわからない関係であることはずっとわかっていたのに。

 これならもっと大切にしていればよかった。もっと最初から、こういう時間がかけがえのないものだって気づいていたら、何か変わっていたのかもしれないのに。


 ……夢物語だけれど。

 アイリとこれまで色々なことがあったから、これだけ大切に想えているのだから。

 ただ2人でこうして隣り合って座っている時間は、とても大切なものになっている。そういう日々が続くだけでいいのに。

 なんでこんなに色々な事が起きてしまうんだろう。 

 何も起きなければいいのに。

 でも、時間は過ぎていく。集合時間は無慈悲に近づいてくる。


「もう行かないと」


 アイリが隣で立ち上がる。少し手を伸ばすけれど、彼女には届かない。結局何も言えない。たくさん言いたいことがあるはずなのに。


「えっと。じゃあ、行ってきます」

「……うん」


 小さくアイリに手を振る。

 扉が開き、そしてきぃと音がする。扉が閉じる。がちゃりと鍵がかかる。


「ぁ」


 私はこの部屋に独り残される。

 急に視界が鬱屈する。

 もう会えないかもしれない。その恐怖がぶわりと襲う。

 指先が震える。知らなかった。かけがえのないものが失われそうになるのが、こんなに恐ろしいなんて。


 嫌。嫌だ。

 そんなの。

 

 そう思ったら、私は走り出していた。

 昨日に目覚めた時と同じように。


 扉を開いて、廊下から外に飛び出す。

 一瞬、飛行魔法を使って着地すれば、すぐ目の前にアイリがいた。本当はこんな街中でここまで複雑な術式を使っちゃいけないけれど、そんなこと考えられない。


「アイリ!」


 まだ近くを歩いているアイリの名を呼ぶ。

 そうすれば、風のようにくるりと彼女は振り向く。


「レーネ? どうかしたの?」

「あ、ぁ……えっと……」


 声をかけたのは私なのに、どう言えばいいのかわからない。

 言葉が見つからない。沢山言いたいことがあるのに。でも言葉がない。


「少し、歩く?」


 アイリの言葉に頷く。

 そうして道を歩き出す。

 けれど、本当は歩きたくなんてなかった。どこにも行きたくない。ずっと家の中にいたい。


 ……私はこの時間が好き。ただアイリと一緒にいるだけの時間が。

 それはずっと前からわかっていたことだったはずなのに、そのことに気づいたのは随分最近な気がする。実感が伴うようになってきたというのかな。喪失を前にしているから?


 でも、だからと言って、私に何ができるんだろう。

 失いたくない。ずっと一緒にいたい。それは言葉にした。

 当然だけれど、だからと言って、アイリがそれに応えてくれるわけじゃない。彼女の意志は彼女のもので、私には制御のしようがない。


 ……こういう、どうにもならないものが大切になるというのは、平穏からは程遠いのかもしれない。安心できない。

 けれど、ちゃんと心が揺れている。アイリを失いそうになって。それがとても怖くて、不安だけれど、同時に少し嬉しい。私もアイリのことを好きだということなのだから。


 ……私はアイリのことが好きらしい。

 折角、それがわかったのに、もうアイリは失われる。


「行かないで……」


 思わず言葉を漏らしていた。

 私には何も言う資格はないのに。

 でも、勝手に。心の発露が。


「どこにも行かないで……」


 アイリは足を止め、私を見つめる。

 彼女は嬉しそうに頬を緩めていたけれど、同時にそこには強い意志が見える。


「私は大丈夫だよ。帰ってくるから」


 それはいつものようにとても綺麗な音だったけれど……でも、安心はできなかった。


 なんで。

 何でアイリが。

 そんな疑問が渦巻く。

 心の中をぐるぐると回って、ぼわりと音を立てる。


「どうして、アイリは戦いに行くの? 戦うのは嫌って言ってたのに。それとも、もう変わった?」

「……戦うのは嫌だよ。今もそう。でも、私も誰かを守りたいって思えるから」

「アイリは、みんなを守りたいの?」

「……わからない。私は……その。レーネを守りたいだけなのかも」


 それなら。

 それなら、私はここにいるのに。


「私を守りたいなら、ここにいてよ」

「……でも、そうしたら黒煙球は誰にも止められないかもしれない。みんなを殺してしまうかも」


 そうだけれど。

 わかっている。アイリの言葉は正しい。

 もしも黒煙球を倒さなければ、全人類が滅ぶ可能性がある。そうなったら、私も死んでいるかもしれない。それを防ぐために黒煙球を倒しに行くのは正しい理論だけれど。


 それでも、私は。

 私は、ここにいるのに。


「みんなが死んでしまうことの何が問題なの?」

「何がって……」

「私は、知らない人とか……首都の人が全員死んだって、構わない。アイリがいてくれるなら、それで」


 別に私だって、人類全部を嫌いなわけじゃない。死んでほしい人なんていない。みんな助かるなら、それ以上のことはないと思ってる。

 でも、こうしてアイリが私の名を呼んでくれるなら、他の人が全員死んだって構わない。そんなことどうでも良い。天秤に載せるまでもなく、どちらが重いのかわかる。


「だから、一緒に逃げよう?」


 ……何を言ってるんだろう。自分で言っててよくわからない台詞かもしれない。

 逃げるって。何から? 

 黒煙球? 討伐隊? それとも、世界から?

 でも、とにかくこんな場所にはいたくない。アイリを失うかもしれない場所にはいたくない。

 

 でも、こんなことを言っても、アイリを困らせるだけで。

 それに結局、アイリの心と行動は彼女が決めることなのだから。

 私はただ待つことしかできない。


 ずるいかもしれない。全部彼女に押し付けてる。

 でも、アイリを引っ張っていくほどの力は私にはない。ただ流されるだけの私には。ただ願いを伝えるだけで。


 そして長いような一瞬のような沈黙の果てにアイリは小さく呟く。


「……そうだね。そうだった」


 その声で顔を上げる。私は俯いていたらしい。

 そしてアイリの表情を見て、心底ほっとする。その表情は嬉しそうに綻んでいたから。いつもと同じように。いや、いつもよりかもしれない。ずっと待ち望んでいたものを手に入れたときのような。


 彼女は私の手を強く握る。

 まるで離さないと主張するかのように。願望かもしれないけれど。


 少し言葉を選ぶように沈黙を挟まれる。

 妙に静かな気がした。夜だからかもしれない。星空がアイリの桃色の髪を照らして、不思議な色合いになっている。それがとても綺麗で、こんなときなのに見惚れてしまう。


「レーネ」


 彼女の流れるように綺麗な声が響く。

 馴染むような言葉というか、安心する音だった。いつの間にか、彼女の声を聞くと安心するようになっているみたい。不思議な感じがする。


「私が逃げ出すぐらいで滅ぶ世界なんか、最初から滅んでるも同然、かな」

「そう。そうだよ。だから」


 アイリの言葉に頷く。

 すると少し彼女はくるると笑う。


「……今の、レーネの言葉だよ」

「そう、だっけ?」

「だから、ね……どこまでも一緒に逃げてくれる?」


 アイリが祈るように私を見つめる。

 いつもは少しずるいと感じる上目づかいで。でも、今はそう感じない。当たり前かもしれないけれど。


「うん」


 私は頷いた。

 その時のアイリのふわりとした表情を私はきっと忘れられない。そんな予感がした。そして私達は逃げ出すことにした。

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