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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第2章 <終幕>
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 透き通った象牙色の肌に、銀色の髪。

 藍色の透き通った眼差しと、桃色の唇。

 純白のドレスは、彼女の清廉な魅力を圧倒的に引き立てていた。


(……あれが……カナ?)


 シズクは、ごくりと息をのんだ。

 たった数日ではあったが、一緒に過ごしたカナと同一人物とは思えなかった。


(いや……。カナじゃなくて、正式な名前はライだったんだっけ?)


 ナナンから聞いた名前。

 不思議な子だと思ってはいたけれど、まさかこの国の女王で、こんなにも一目を惹く容姿をしていたなんて、驚きだ。

 この世の者とは思えないような人が、光を纏いながら、こちらにやって来る。……が。


「何だ。騒々しい?」


 口を開いたら、カナだった。


(良かった。……いつものカナだ)


 安心したものの、やっぱり落ち着かない。

 それは、ナナンもユクスも同様のようだった。

 セディラムと金髪男、そして男の配下であるレイラという女性だけは、慣れているのか普通の反応をしていた。


「……別に。女王陛下が遅いなって、待っていただけだ」

「それで、ぞろぞろと雁首そろえて、私を待っていたのか。何処まで暇なんだろうな……。この国もアルガスも明日には滅びるかもしれないな」

「……そんなことより、サリファとは、どのくらい進展したのかな?」

「ちょっと! 悪ふざけが過ぎますよ!」

「いや、だってさ、レイラちゃんだってやっぱり……気になるでしょう?」

「相変わらずだな。二人とも……」


 金髪男とレイラのやりとりを、ライは呆れながら眺めていた。


「陛下……。そろそろ」


 ユクスがようやく自分の役割に気づいたのだろう。ライをうながした。

 何事かと、続々と人が集まり始めている。

 ついでに、彼女の臣下たちも別の馬車で、駆け付けてきた。

 このままだと、早晩、大混乱になってしまうのは確実だ。

 ライは、ばつが悪そうに手を振ってくれた。


「じゃあ、またな。シズク、ナナン」

「えっ、あ、うん」

「また……今度」


 動揺したシズクとナナンは上擦った声でしか、挨拶できなかった。

 次に会うとして、彼女に対する態度をどのように改めたら良いのか、まったく想像ができない。


「そうだ。殿下もレイラさんも、今度ちゃんと礼を言うから!」

「別に、気にしなくていいよ。貸しの分は、サリファから、ぶん取るからさ」

「…………はっ?」


 ライが眉根を寄せている。

 せっかちなユクスが咳払いをした。


「港から船の用意は整っています」

「さーて、じゃっ! 俺もルティカに帰るか……」


 セディラムは、欠伸をしながら気だるそうに馬車の中に消えていく。


「……まったく、あいつがここに来なければな……」


 ライはぶつぶつ言いながら、セディラムとユクスの後に続いた。

 ―――が、その時だった。


「陛下……!」


 その大音声は、普段の彼からは、想像もできないものだった。

 小屋から出てきたサリファは、素早くライの前に回り込むと、仰々しく膝を折った。


「本日は、このようなむさく苦しいところにまで、お越しい頂きありがとうございました。ディアン=サリファ。望外の喜びでございます」

「…………えっ、ああ?」


 ライは一瞬、面食らっていたが、すぐにサリファの狙いに気づいたのだろう。うっすらと口元に笑みを蓄えた。


「お伝えしました通り、イレリア中毒の緩和薬の方は、順調に作り進めております。これからも、ティファレトの御為、陛下のお役に立つことが出来れば、幸いにございます」

「もちろん、お前の此度の働きについては承知している。相応の褒賞を持って応えるつもりだ」

「…………ありがとうございます」


 跪くサリファに、ライが一瞥をくれる。

 たったそれだけで、関心がなさそうに、ライは彼の横を通り過ぎて行った。


「ルティカにて。……また会おう」


 ただ、そう言い残して、去って行く。

 白い女王と黒衣の男。

 二人はすれ違い、やがて、ゆっくりと離れて行った。

 ゆるゆると立ち上がったサリファは、彼女の後ろ姿に深く一礼をしていた。

 そんな彼の首筋に、ふわりと、白いものが舞い落ちてきた。


(風花……だ)


 晴れているというのに、粉雪が乱舞している。

 ふわふわ舞う白い雪の中に、ライが吸い込まれていくようだった。


(きれいだな……)


 まるで、絵画の一枚のような光景に、シズクは息をのみ、惹きこまれていく。

それは、サリファも同様だったのだろう。いつの間にか顔を上げて、彼女の後ろ姿に見入っていた。

 完全にライが馬車の中に消え、二人のやりとりを苦々しく見守っていたユクスも共にいなくなった後、ぽつりとサリファは呟いた。


「……すごいですね、ライは……。本当に雪が降ってきた」


眩しそうに目を細め、去って行く馬車を見送る。

サリファの横顔を、横からひょいと覗き込んだ金髪男があからさまに嘲笑った。


「その程度で満足とは……ね?」

「一体、いつからそこにいたんです?」

「ずっと……だよ。まったく、そんなことも気づかないくらい、見惚れていたのかな。嫌になるね。レイラの方がよっぽど可愛……」

「……さて! 用件は終わりましたね。それでは私も先に失礼して、港で、アルガス行きの船を手配しましょう」

「えっ、嘘! めちゃくちゃつれないんですけど!」

「どうぞ、いつまでもこちらにいらして下さい。私は一人でもアルガスに戻ります。サリファ様も、またいずれ何かの機会に、お会いしましょう。それまでお元気で……」

「あっ、はい……。お元気で」

「ま、待って! 待って! レイラちゃん!」


 にっこりと笑顔で嫌味を残して、長い金髪を揺らしながら、レイラがそそくさと行ってしまう。

 置き去りにされた金髪男は、いじけながら、サリファを振り返った。


「何ですか? 私のせいじゃないでしょう?」


 そして、シズクにまで目を向けたものだから、サリファが前に出てシズクを庇った。


「シズク君のせいでも、ナナンのせいでもありませんよ。フラれる要因は自分自身にあるのでしょう? そちらの馬鹿さ加減です」

「馬鹿馬鹿……ってね。馬鹿は君もだろう? 僕たちって、どうも難儀な相手に惹かれちゃう傾向があるみたいだもの」

「………………それは、どういう意味ですか?」


 サリファがこめかみをぴくりとさせた。


(この人って……)


 付き合いが長くなっていくことで、シズクはサリファの新たな一面を発見する。

 一見、穏やかで、優しそうで、人懐っこい笑顔を張りつけている男だが、その実、頑固で短気だ。今もきっと脳内で、怒りの感情が沸いているに違いない。


「血筋かな……。駄目だと思えば思うほど、のめりこんで、尽くしたくなる。悲しいねえ。こんなふうに、大々的に一芝居打ってまで、地道に官位をもらうのは、少しでも外堀を埋めておきたいからなんでしょう。僕を使えば、そんなもの簡単に転がりこんでくるものなのにね」

「サリファさん……?」

「ねえ、先生。どういう意味?」

「気にしないで下さい。あの人はちょっと、頭に何か沸いているのです。よく意味不明なことを口走っては、人に揺さぶりをかけるのが趣味なんですよ」

「ちょっと待って。それって、まんま君のことだよね?」

「そういう血筋だと言ったのは、そちらですよ」

「あはははは……。まあ、否定はしないよ」


 雪に濡れないよう、長ったらしい金髪を庇いながら、男は苦笑した。


「じゃあ、もういいや。僕……行くよ。まったくねえ、この僕をここまで贅沢な使い方をしたんだから、借りは、きっちりと返してもらうからね」

「おや、随分と上から目線ですね。誰も、ここまでしろとは頼んでいませんし、どうせアルガス王の許可をもらって、大手を振ってここにいるのでしょう。反アルガス派のイエド王族がクリアラから兵器を密輸しようとしていた……証拠も海上で押さえたようですし、アルガスのためになったのは確実ですよね」

「サリファ……。君って男は……ね」

「でも、記憶の片隅にはいれておきます。お疲れさまです」


 サリファが片手を挙げると、男も片手を挙げた。


「…………君もね」


 男はそう言うと、あっさり背を向けて、その場を去って行ってしまった。

 すぐさま男を迎え入れる配下がいるのだから、やはりアルガスの中でも、地位のある男なのだろう。

 商人という話だったが……。


(なんだかな……)


 二人はまったく似ていないけれど、たまに少しだけ雰囲気が被ることがある。


(……もしかして、二人って?)


 一瞬閃きそうだった、シズクの憶測は、結論が出るまでに至らなかった。

 次の瞬間、金髪男と入れ違うようにして、サリファのもとに来客が訪れたからだった。


「ああ、サリファさん。取り込み中でしたか? 人だかりができていましたが、何かあったんですか?」


 息を切らして、小屋に駆け付けてきたのは、茶髪の青年だった。

 付き合いの長いシズクが彼のことを見違えるはずがない。


「えっ? ロークさん!」

「おや、シズク君か! 久しぶりだね」

「丁度良いところにいらっしゃまいしたね。ロークさん」


 サリファは、いつもの人畜無害の笑顔を取り戻していた。

 空気のように、その場に溶け込んでしまっている。


「久々にみなさん、揃ったってことですね」

「会えて嬉しいよ。えっと……シズク君でいいのかな。シズク様?」

「いつも通り、シズク君で良いよ」

「そっか、うん……じゃあシズク君。俺もさ、君のことが気になってたんだけど、なかなか時間が取れなくて」

「今日にでも、僕の方から会いに行こうと思ってたくらいなんだよ。みんなどうしているの?」

「一応、今はみんな散り散りに仮住まいしているんだけど、色々とサリファにも助けてもらっていてね。ほら、緩和薬のこととかさ」

「へえ……」


 ロークは、ご機嫌だった。

 七日前より、遥かに血色がよく、少しふくよかになった感じがした。

 栄養状態が著しく改善したのだろう。

 おまけに、小奇麗になった。長かった髪は、襟元できちんと整えられていた。

 元々血筋は良いのだ。そうしていると、貴族然とした風貌にも見える。


「みんな、それなりに上手くやっているよ。少なくとも、以前の生活が良いって言う奴は誰もいないね。君は体調不良だって聞いていたけど、良くなったのかい?」

「……うん」

「それなら、良かった」


 ロークは、ぽんとシズクの肩を叩いた。

 病み上がりには、激しい圧力だったが、それでもロークが楽しそうなら、シズクは満足だった。


「それで、サリファさん。例の件なんですが、一応希望を取ったところ、動ける者のほとんどは、貴方の意見に賛成しております。一緒に行く……と」

「承知しました。みなさんが決断をしてくれたのは、何よりのことです」


 サリファは、顎をさすってうなずく。彼にとっては当然の結果だったのかもしれない。

 ナナンも、そのことについて知っているのだろう。


「まあ、その方が絶対いいわよね」


 三人で朗らかに笑い合っていた。

 シズクだけが話についていけなかった。


「どういうことですか?」


 きょとんとした面持ちで聞き返すと、ロークは快く答えてくれた。


「実はね、俺達の中で王都ルティカに行く人間を募っていたんだよ」

「…………はっ?」

「ほら? 正直、ここにいても、はみ出し者のままだろう? ルティカは女王のお膝元だし、サリファさんが連れて行ってくれるって言うからさ。俺達のご先祖様も帰りたがっていると思うんだよな。……だから、俺はこの機会に絶対に行こうと思って」

「そうだったんだ……」


 話を聞けば聞くほど、シズクは納得した。

 確かに、悪い話ではない。

 ここにいたところで、シエットの名前はついて回る。

 他の身分制度もすぐになくなりはしないだろう。


(元々、貴族なんだもの……。そうだよね)


 ただサリファが自分の利にならないことを、率先して引き受けている理由が見つけられなかった。


「そうだよね。僕も、それが良いと思うよ」


(……とはいえ、反対する理由もないからな)

 

 シズクが動けないうちに、すべてが始まっていたのだ。


 ――今まで当たり前だった日常のすべてが、なくなろうとしている。


 雪を含んだ風が吹き抜けた。

 サリファが大げさに震えてみせた。


「さあ、雪も降って来て、肌寒いでしょう。小屋の中で話しませんか?」


 おもむろに、小屋の方を指差す。

 その頃にはもう、女王見たさに集っていた人も消え、ぽつんと小屋だけが存在していた。


「それも、そうね……。私も寒くなってきちゃった」

「では、お言葉に甘えてお邪魔します」


 二人して、さっさと小屋の中に消えて行く。

 シズクはそんな二人の背中を、ぼうっと眺めていた。

 まるで、自分だけが取り残されているような気がしたのだ。


「………で?」


 誰もいなくなったところを見計らっていたのだろう、サリファが小声で告げた。


「どうするんですか、君は?」

「僕は…………」


 まだ少し待ってほしい。

 決断を急がないでほしい。

 ゆっくり決めれば良い……そんな言葉がサリファから出てこないか、少し期待した。

 けれど、続く言葉には情愛の欠片なんてものはなかった。


「君に飲ませた薬物には、副作用があります」

「……分かってましたよ。なんとなく」


 むっとして答える。

 サリファは、分かりきったことを楔のように打ち込んできた。


「たとえば、成長が緩やかになったり……。顔がただれてしまった者や、イクスのような症状を発症してしまった者などもいます。どういう形で出てくるかは、今の時点ではまだ判然とはしていませんが、君は王家の試練を越えたわけですから、命に関わるようなものはないと思います」

「…………思い……ますって」


 無責任過ぎやしないか?

 命に関わることが起こったら、どうしてくれるのか。

 シズクの心に激しい怒りが込み上げてくる。

 しかし、サリファは感情の揺らぎの一切ない声で、静かに話すのだった。


「恐ろしいでしょう? 不安でしょう? 私を恨みたくて仕方ないと思います。恨まれても仕方ないと、腹は括っています」

「だったら!?」


 シズクは、サリファの袖を引いた。


 ―――だったら、どうしてそんなことをしたのか。


 すべて、自分が恨まれるように、嫌われるように、幕を引いたのか……。

 もっと上手く物事を転がすことが出来たのではないか?


(知ってるさ……)


 本当はその答えを、シズクは想定していた。

 だけど、サリファの口から直接聞きたかったのだ。

 正直な気持ちを明かしてほしかった。

 ……だが、サリファの答えは、シズクの想像よりも遥かに彼らしかった。 


「この件は、女王陛下の意向ではありません。私の独断です。どうしても、私はあの人だけに、その力の重圧を背負わせたくなかった」

「サリファさん……」


 少しだけ歪つな、すべてを知った上で、叩き壊すような嗜虐的な笑みが垣間見えた。


「その薬物には解毒剤があります。私はそれを持っている。……ですが、君にすぐさま、それを渡すことはできません」


 一点、前だけを見据えていたサリファがシズクを見下ろした。

 骨張った大きな手がシズクに向けられる。


「解毒剤が欲しいのなら、私の傍にいれば良い。いずれ渡す機会も、奪う機会も出来るでしょう。君の身柄をノエム側は求めていますが、そんなもの女王陛下の意向があれば、どうとでもなる」

「サリファさん?」

「私は、近日中にルティカに行きます。………君は……私について来ますか?」


(…………なぜ、疑問形?)


 有無をも言わさない強制力と、絶対的な自信。

 笑ってしまいそうなほど、不敵な脅迫だ。


 ――あの時。

 雪の中、赤い花を摘んでいたサリファに対して、シズクが抱いた感情。

 美しいけれど、残酷で、怖いけれど、純粋で……。

 捕えられてしまったら、逃げられやしないのだ。永遠に……。 


「どうします?」


 ばさばさと音を立て、舞い踊る淡雪の中で、黒衣がはためいていた。

 どういう意図でこの男が微笑しているのか、今のシズクには分かっていた。

 それでも……。

 後々悔やむことが目に見えていても……。

 結局、シズクはサリファの手を取ってしまうのだ。

 

 ――――今まで見たことのない景色に、出会うために。

 




 

 ディアン=サリファ。

 後に、アルガス人でありながら、ティファレトの官位制度の中で最高位三掌を統率する総掌の位に就任する。

 毒総掌の異名を持つ、この男の傍にいることで、十四年間、閉鎖的な環境で過ごしてきたシズクの人生がことごとく一変してしまうことを、この時のシズクは知らない。




【 了 】


またやたら長い話に、お付き合い頂けた方がいらしたら、感謝いたします。

昨年から少しずつ書き進めていた話でしたが、この一カ月近くで怒涛で仕上げたので……。

色々いたらぬところばかりかとは思います。

……ただ、だいぶこの話の骨格が出来てきたような気がしますので、今回は一応の完結とさせて頂き、また機会がございましたら、ぼちぼち書いていきたいです。

拙作にお付き合い頂いた方、完結に長い時間かかってしまいましたが、お付き合い頂きありがとうございます。

本当に思い入れのある話なので、こうして第二部の完結まで描くことができたことを感謝したいと思います!

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