⑥
丸腰で行くのなら、夜の方が良い。
ルティカの草花が群生しているクリアラで、月はライにとって強力な援軍だ。
特に晴れた日の雲一つない夜であれば、最高であった。
……今宵の月は、まさしくそれだった。
まるで、誰かがお膳立てしたように、おあつらえ向きの天候だ。
だけど、ライの気持ちの方は、どんよりと曇っていた。
(上手く事が運んでいるのは、ありがたいけど……)
本当にこれでいいのか……。
自問自答が尽きなかった。
ユクスは父と自分の問題だとして、一人で行くことを主張した。
それを、ナナンとローク達が止めてくれたのも、ライの思惑通りではあるが……。
(いざとなった時、サリファと人質交換できるかもしれない……なんて)
浅ましい計算を働かせている自分が後ろめたい。
唯一、すっきりしたのはレガントのもとに行く人数のことだろう。
ぞろぞろ行くのもどうかという話になったので、事態を複雑化するエレントルーデとその手勢、フィーガも城の近くに残してきたのだ。
クリアラの兵士たちは、ライたちに手を出さなかった。
ユクスの顔というより、州公とユクスの繋ぎ役を引き受けてくれたザッハスという男の命令が効いているようであった。
特に難儀することなく、ライたちは高台に聳えるリッカ城の坂道を上り、門前までやって来てしまった。
取次ぎは、ザッハスが引き受けてくれたはずだが、まだレガントからの返事はない。
俄かに膝が震えるのは、寒さのせいではなかった。
(このままっていう訳にはいかないところが辛いよな……)
「あら……カナ、寒いの?」
「ちょっとね」
ライは綿入りの外套を胸の前で交差させた。
寒くはない……。
だけど、海が近いせいか冷たい突風には肌が痛かった。
「だから、待っていろって言ったんだよ」
「うるさいわね。私たちが行こうって言ったから、貴方だってここに来たんでしょうが?」
「ふん、父上に会うのに、女子供を連れて行くなんて。女々しいと叱られて、申し開きもどころじゃなくなるかもしれなないぞ」
「女と子供が合致しているのって、私たちしかいないじゃないの?」
「うるさいなっ! 小娘が」
「小娘って……」
見下してはいるが、ユクスとナナンは年齢的にそう大差はない。
ユクスの的外れな指摘に、ライは苦笑するしかなかった。
「公子様……。別に州公様も女々しいとは言わないと思うぞ。私なんかは昨夜、州公様がつけていた見張りも撒いて、シエットの集落に行ってしまったんだ」
「……何をやってるんだよ!?」
すかさず、突っ込んできたユクスに、ライはへらへらと笑ってみせた。
「州公様にしてみれば、怪しいことこの上ない面子を取り押さえることのできるかっこうの機会だろう。私たちの存在は、いい土産になる」
「……はっ? 何だよ。それ……。俺はお前たちをそんなふうに扱おうなんて考えてもないぞ!」
「公子様にそのつもりはなくても、シエットの叛乱も、シズク君の出生のことも、私たちがここに来てから、おかしくなったじゃないか。私たちは殺されても仕方ない」
「俺はお前たちを疑ってないぞ。シズクのことは、サリファがやったって思っているが、俺はお前が加担したとは思ってない。お前は悪い人間には見えないからな」
「どうかな……? 立場が違えば、善人も悪人で、悪人も善人になるからな」
善悪ほど曖昧な境界線はないのだ。
たとえば、クリアラに普通に暮らしている人々はどうだろう?
きっと、今現在何が起こっているのか分からず、身を寄せ合って震えているに違いない。
彼らにとっては、ユクスもレガントもライも、みんな平穏を乱す敵以外の何者でもないのだ。
今日一日で、ライは普通に暮らす住人の姿を一人も見かけていない。
少なくとも、ライが来たことで、彼らには多大な迷惑をかけているのだ。
「……なんか不思議だよな、お前。年の割に達観してるというか……」
ユクスがライをまじまじと覗きこんでいた。
「やっぱり、出身はこの辺りじゃないのか?」
「……またそれか」
「色素が薄いのは、北の人間の特徴だからな」
「王都にだって、色白の人間はいるだろう?」
「そうはいないわよ。私、王都には行ったことがあるから、知っているもの」
「何だ。お前もこいつのことをよく知らないのか?」
二人の視線がライに突き刺さる。ここまできて徹底的に身分を隠すつもりはなかったが、おもいきって告白するのも面倒だった。
避けるように、ロークに目を向けると、彼の視線は城の真ん中あたりにあった。
「どうしたんだ。ロークさん?」
「城内で、何かあったみたいだな……?」
「何か?」
「隙間から、兵士たちが慌ただしく移動しているのが見える」
「父上……。それとも、サリファが何かやったのか?」
「正面じゃ分からない場所かもしれないわ。私、横に回って…………!」
しかし、ナナンの頼もしい言葉は途中で途切れた。
直後に彼女は城の最上階を見上げて、息を飲んだ。
「あれは……」
呟きに、焦燥感がこもっていた。
月はライの背後で照っている。
その人物が佇むのは高所で、暗がりであった。
(死角になっていた。だから、今まで気づかなかったのか?)
ライもナナンが何を目にしているのか、とっくに察しはついていた。
「…………どうしたんだ?」
ユクスは、危機感を抱いていないようだった。
ロークも目を丸くしている。
「君たちは一体、何を……?」
「ねえ、カナ……。常々思っていたことなんだけど、一つ聞いてもいいかしら?」
ライは、初めて顔を合わせている小柄な老人から瞳を逸らさずに、ナナンの問いに小さく首肯した。
「…………一体、貴方何者なの?」
答えている余裕はなかった。
「離れろっ!!」
ライは叫ぶと同時に、ロークを横に弾き飛ばした。
驚いたユクスが後ずさり、一斉にライの元から人が離れる。
ぽっかり空いた場所で、ライは力を抜いて立っていた。
(さすがだな……)
まるで、他人事のように現実味がなかった。
レガントの弓の腕は確かだった。
ライの心臓目がけて、飛んできた矢は、こちらに届く前に、ナナンの短剣によって叩き切られていた。
「まいったな」
ライは憮然と呟いた。
なるべく会わないように心掛けてはいたが、レガントには、正体がバレてしまっているらしい。
「カナっ……!」
ナナンが叫ぶ。
皮肉なことに、それが合図となった。
レガントは、迅速に城内の露台に兵士たちを配置し、弓を構えさせた。
更に、城の前には剣を構えた兵士たちが続々と集って来る。
「嘘……だろ? 父上」
信じられないとばかりに、ユクスが顔を横に振っていた。
「やはり、州公は俺達を一人残らず殺すつもりなんだ!」
ロークが悲鳴をあげた。
「……大丈夫だよ。心配しなくていいから」
ライはその一言に、自信を注ぎ込んだ。
自らの都合で彼らを巻き込んだのだ。命の保証だけは、絶対にしなければならない。
レガントの狙いは、ライ一人だ。
ライは丸腰でも、戦うことは出来る。
そのために、月が満ちるのを待っていたのだ。
しかし、攻撃に転じれば、サリファの命はどうなる?
(なぜ、何も反応がないんだ? サリファ……。まさか、死んだわけじゃないよな?)
サリファが死んでしまったら、ライはどうしたらいいのか。
怖くなって、どくんと、心臓が跳ねる。
いっそ、すべてを捨てて城内に入り込みたい衝動にかられた。
―――が、その時。
「おいっ!! 何やっているんだよ!? 馬鹿かっ!」
赤髪の男が鬱陶しい長髪を風になびかせながら、ライの鼻先まで馬で駆けあがってきた。
「なっ?」
どうやって雪道を馬で駆けて来たのだろう。
しかも、この凍えるような寒さの中で、薄い上着一枚だ。武装すらしていない。
「セディ!」
この男も、エレントルーデ同様、ライはクリアラに呼んだ記憶がない。
大体、人のことを馬鹿と言える立場なのか……。
(馬鹿って……)
「あのなあ!」
ライの緊張の糸は、ぷつりと切れた。
「馬鹿ってな! 馬鹿はお前だろ! 何をやっているのかお前を責めたいのは、私の方だぞ! セディ!」
「なんだとっ!!」
まさかの逆上だった。
絶対に、非があるのはセディラムの方なのに……。
そもそも、エレントルーデに頼んで、イエドやアルガスの商船に兵を潜ませる提案をしたのは、サリファだ。
海側から、しかも、微妙な関係のアルガス側の船を使って、兵を輸送するとは、レガントも予想していないだろうと計画を練ったのだ。
その際、軍を手配する任務を調子良く請け負ったのは、セディラムであった。
(お前が引き受けたんじゃないか!?)
「なんで、お前までここにいるんだ?」
「はあっ!? 助けに来てやったのに、その態度は何だ!?」
「誰が助けてくれって頼んだ!? 私はルティカの留守を頼むと言ったはずだ。お前がここに来たら、誰が留守番をするんだ?」
「適当に、誰かが頑張ってくれんだろ? 子供じゃないんだから」
「…………お前は、私の気持ちを台無しにする馬鹿野郎だな」
エレントルーデに引き続き、この男のせいで、ライの寿命は風前の灯状態であった。
「お前なあ、二回も馬鹿って言ったな!?」
「軍掌っ!!!」
セディラムが引き連れていた軍勢が遅れて到着した。
さすがに雪の中、馬で来た者はいなかった。そのため、セディラムより少し到着が遅れたのだろう。
「良かった。何とか間に合いましたな……」
ライも見知っている男は、昔からセディラムと組んでいたならず者ではあったが、今は立派な軍人だ。頭髪も綺麗に整え、きっちりと軍服を身に着けている。
地位が向上して、見た目が変わる者もいるのに、セディラムはまったく変わらない。
男の発言を鼻で嗤った。
「ふんっ! たった今、矢を射かけられているっていうのに、間に合ったも何もないだろうが……。ちゃんと俺は目撃していたからな。あいつの罪状に一つ加えておくぞ。それに俺は軍掌なんかじゃないっ!」
膨れ面で応対はしているが、ライは、その時すでにセディラムが上の空であることに気づいている。
どうやって、この城を攻めるのか、思案しているのだろう。
「……ったく、籠城戦の立てこもる方は、一度やったけど、籠城している連中を攻めるのは初めてだな。どうしてくれようか?」
「セディ。待ってくれないか。まだサリファが……」
「知るかよ」
案の定、一蹴された。
「あいつが簡単にくたばるタマか。もう少しあの腹黒を信用しろ」
「……でも」
ライが渋っているそばから、レガントが容赦なく矢を射かけてきた。
「ほら! 北州公もやる気じゃないか……」
セディラムが唇をぺろりと舐めた。
喜んでどうするのだ。
しかし、州公もどうして、突然抗戦の構えになったのだろうか?
シエットの嘆願を聞き入れに、ライのもとまで現れたのなら、最初は穏便に済ませるつもりだったのではないか?
国王の軍勢がやって来ていることに、気づいているはずなのに……。
「待ってくれ。……貴方は、もしや、セディラム殿では?」
「おおっ、そうだけど。お前は、誰だ?」
ライを中心に、家臣団が円陣のようになっていたところに、ユクスが割り込んできた。
「俺はユクスと申します。クリアラの公子です。昔、海賊討伐に貴方が来て下さった時に、お会いして、ずっと憧れていました」
セディラムに目を向けられて、ライは頭を横に振った。
「初耳だな……」
「まあ……でも、昔、ここに来たのは覚えているぜ。あの時の海賊討伐の報酬は、ほとんどデニズにぶんどられた記憶があるけどよ。はははっ、俺に憧れているなんて、嬉しいもんだな。……で、その公子様が何の用だ?」
「これは、きっと何かの間違いです。セディラム殿は、現在国の要職に就いていると聞きました。そのような高貴な方に、聡い父が弓を引くはずがありません」
「いや、めちゃくちゃ、引かれまくっているんだけどな……」
まさしく、二人の会話中にも矢が飛び交っている。
いっこうに誰にも当たらないのは、兵士たちが気を利かせて、ユクスを狙うことを避けているからだ。
「しかし!」
「罪状は、あとでうんと聞かせてやるよ。ともかく、このお方に対して、臣下の目があるところで矢を射かけたのは、ちょっとまずかったな……」
「…………カナ。お前は」
ユクスは、すでにライの正体にたどり着いていながら、信じられていない様子だった。
一方のナナンは……
「もしかして、カナって…………偉い人なの?」
いまだに、よく分かっていないようで、更にローク達は、目下の危機的状況にライの身の上のことなど、どうでも良さそうだった。
ライも、別に知って欲しいとは思ってもいない。
――けれど。
「陛下っ……!!」
言い逃れできない程、大声でライを呼びながら、ナガラと手勢たちが走って来た。。
「…………陛………下って?」
ユクスとナナンが声を合わせて呟く。
さすがに、興味がなさそうだったローク達も目を丸くしていた。
「君は……アンソカ族のナナン君の友達じゃないのか?」
今まで一度も友達と名乗ったこともなかったが、ローク達の中では共通認識だったらしい。
誰も否定してくれない。
「何だよ。お前たち知らなかったのか? このお方こそ、今のティファレトの女王ライハ様! ……で、リッカ城の総攻撃をするか否かを決断する権限の一切をお持ちになっている。そういうことだ」
「おい、セディラム……」
しんと、静かになった。
それはライに矢を放ち続けているクリアラの兵士たちも同様だった。
ライの正体が明らかになったことで、レガントの命令に従って良いのか迷っているのだろう。
「さあ、女王陛下……。いかがいたします。ご決断を?」
決断を渋るライに、セディラムはわざとらしくよそよそしい口調で促す。
安い挑発をしないで欲しかった。
(分かっているさ)
準備は整い、今宵の観客は出揃った。
一方的に攻撃を受けているような状態で、猶予なんて与えて良いはずがない。
急げとセディラムは、言っているのだ。
決断は、ライがしなければ意味がないのだと……。
(無事でいてくれよ。サリファ……)
密かに逡巡したけれど、もう吹っ切るしかなかった。
…………サリファは必ず戻ってくる。
だったら、自分のするべきことは一つだ。
ライは、ロークやセディラム、ナナンやユクスの前を通り過ぎ、リッカ城に近づいた。
懐の奥に仕舞っていた月の紋章の入った剣を取りだすと、空に向かって銀色の刃を翳した。
「ティファレトの女王として命じる。北州公レガントを捕えよ。生死は問わぬ。刃向うものがあれば、切り捨てて構わぬ。リッカ城を占拠せよ!」
――――――――刹那。
セディラム率いていた軍勢、数百余りが城門を突き破り、怒涛の如く城内に突入した。