⑤
「これは一体……!?」
レガントを探して城内を闊歩していたザッハスは、眼前に広がる常識外の光景に、驚倒した。
「何がどうして、こんなことになったのです?」
室内に所狭しと茂った木々を、武装した兵士たちが懸命に処理をしている。
その滑稽な場面の中、独りそれを静かに見守っているレガントの後ろ姿に、ザッハスは違和感を覚えていた。
「州公!」
ザッハスはいつも大声だが、この時は更に声を張り上げてレガントを呼んだ。
「そんなに大きな声を出さなくとも、聞こえている。ザッハス」
いつものレガントだ。
しかし、次の言葉はザッハスには理解できなかった。
「ディアン=サリファ。まさか王家秘伝の禁じられた薬にまで手を出していたとはな……。先に殺しておけば良かったかもしれぬ」
「…………それは、どういう意味ですか?」
「しかし、クリアラとは少し違う。こちらで作ったとしても、あれほどまでに効果はでない。その分、副作用が激しいということか……?」
レガントはザッハスを無視して、ぶつぶつと独りごちる。
その横顔は、狂気じみていて、子供の頃からレガントに仕えていたザッハスが知らない表情だった。
「つまり、これは……ディアン=サリファの仕業だということなんですね?」
「やったのは、シズクだ……」
「……オルガ殿のご子息が?」
シズクという少年は、レガントの家臣団の中で、ノエムの公子の遺児で扱いづらい存在としか認識されていなかった。
どこからどう見たところで、細っこくて無力そうな少年に、こんな芸当ができるとも思えないのだが……。
ディアン=サリファが一枚噛んでいるのか?
(……あの男がシズクに毒を盛ったという情報は本当だったのか?)
サリファもまたシズクを引き伸ばして、更にひょろりとさせた筋肉のない、弱々しい男であった。
得体の知れない部分はあったものの、少年に毒を盛るような人間には見えなかった。
(わからんな……)
嵐の後のようなめちゃくちゃな部屋。
明かり一つない植物だらけの室内で、一体何があったのだろうか?
「……サリファも、シズク殿も逃げたということですか……。追手はつけたのですか?」
「もちろん、放った……が、安易に見つかりはしないだろう。見つけたところで、面倒事になるかもしれぬ」
面倒とは、急激に姿を変えた植物と何か関連があるのだろうか?
「……で、シエットの方はどうしたのだ?」
レガントもまたようやく現実に戻ってきたのか、いつもの鋭い眼光をザッハスに向けた。
ザッハスは領境に展開しているノエム軍のことについては他の者に偵察を頼み、シエットの動向を探っていたのだった。
「実は……それが叛乱ではない……そうなのです」
「何だと?」
「昨夜の騒動を調べていくうちに、シエットはまったく無関係ではないかという意見が出てまいりまして、そのことで今、ユクス様が城の前までいらっしゃっています。州公に申し開きがあるそうです」
「…………益々、分からんな。では誰が兵を傷つけたのだ?」
「それが分からないので、州公にはユクス様にお会いになって頂きたいのです」
「ユクスは、昨日追放したばかりだぞ?」
「なぜですか……?」
ザッハスはごくりと息を飲んでから、真っ直ぐレガントと向き合った。
「この重大な局面の中、ユクス様を追放されるなんて、おかしいではありませんか?」
「あの者は短慮だ。少し冷静にさせるために城から追放した。一時的な謹慎のようなものだ」
「州公!」
その回答は、レガントの本音ではない。
ザッハスにも、その程度のことは察することができた。
「……今、ここでそのような仕打ちをなされれば、ユクス様のお立場はどうなります? 次期州公がノエムとの戦にも出ずに、謹慎だなんて……」
「その次期州公を、城に置き去りにして、ノエムの領境に勝手に偵察に行ってしまったのは、お前ではないか?」
「私は偵察なんて任務ではなく、ユクス様には来たるべき戦さにおいて、陣頭指揮を取って頂きたいと思っていたのです」
本当は、偵察任務に素人が顔を出して、敵に感づかれるのを避けたい目的があったのだが……。
しかし、次期州公として、ザッハスがユクスに期待していることは本当なのだ。
ユクスもさすがに気づいているようだが、レガントの臣下は、どこかユクスを侮っている。
それは、ユクスがレガントに可愛がられていないように見えることも原因のようだった。
「このままでは、敵にも味方からも、侮られてしまいますよ!」
少しは息子に花を持たせてやったら、どうだ。
ザッハスは胸の内で、そう言いたかったのだが……。
しかし、ザッハスの気持ちは、レガントに届かない。
「侮られるくらいが丁度良いのだ。しかし、わざわざ温情をかけてやったのに、舞い戻るとはな。愚かな奴だ」
ひどい言われようだ。
こんなことを日頃から、言われていたら、ユクスも萎縮してしまうだろう。
「州公、いくらなんでも、お言葉が過ぎるのでは?」
「私の息子に正直な感想を言って、何がわるい?」
「親子であるからこそ、気をつけなければならないこともあります!」
感情のままに怒鳴ると、レガントはなぜか目を細め、眩しそうにザッハスを眺めていた。
「……なん……ですか?」
「お前は、ユクスのことを気に掛けているのか?」
「もちろんですよ! 決まっているではないですか。ユクス様が短慮で愚かだと言うのなら、俺なんてどうすればいいのですか……。あの方はいずれ立派な州公になられます。絶対です」
「…………そうか」
どういう訳か、レガントは気を良くしたようだった。
(どうして?)
レガントもまたユクスを憎んでいるわけではないのだ。
……わざと厳しくしているのか?
立ち止まって、一瞬呆けたザッハスを置き去りにして、レガントは何かを断ち切るように忙しなく廊下を歩き始めた。
「お前の言葉に免じて、ユクスに会ってやってもいいが、しかし……あやつは一人で来たけではないだろう?」
「すごいですね。……お分かりになるのですか?」
「昨日の今日で、私に一人で刃向う決断力をあいつが持っているとは思えないからな」
「実は、シエットの面々と、例のアンソカ族の少女たちも一緒です」
「……ほう。それなら重畳だ。ディアン=サリファを捜しだす手間も省けて、一気に片が付けられるかもしれぬ。港で海賊の襲撃を受けて、イエドとの交易品が奪取された件、よく調べておくようにお前から伝言しておけ。シエットの叛乱に見せた掛けたのは、自称海賊の仕業かもしれぬぞ」
「はい! ただちに!!」
年を取ったとはいえ、きびきびと指示を出す。レガントは洞察力にも優れ、頭の回転が速い。ザッハスにとって、理想の主であった。
きっと、ノエムなどに負けはしない。
長い間、ノエムとは膠着状態が続いているが、今回こそ決着がつくはずだ。
いずれ、アルガスの影響が色濃い、ティファレトからいずれ独立して、クリアラだけの国を造る。
それも良い考えだろう。
「…………ザッハス」
「はい?」
寒々しい上層階にまでレガントは上ってきていた。
ザッハスはただ付き従っている。
おそらく、ユクスに会う前に、どのような面子がやって来たのか知るためだろう。
日が暮れても尚、月光と雪明りで周囲は煌々としている。
一昨日が満月だったため、月はまだ丸に近い。
夜陰に紛れることなく、詰めかけている各々の顔を確認することができた。
落ち着きなく、レガントを待っているユクスの姿も小さく確認することができる。
しかし……。
「州公?」
露台に身を乗り出したレガントの顔はみるみる曇っていた。
最初、寒いのかと心配していたザッハスだが、そういうわけではなさそうだった。
先ほどの思いつめた表情に戻っている。
怒りとも憎しみとも怯えとも取れない表情で、ただ一点を見つめていた。
「州公……あの?」
呼びかけられたものの、レガントが何も言わずに長い沈黙を続けるので、ザッハスはレガントの気持ちを先回りして、説明を始めなければならなかった。
「ご覧になってお分かりになると思いますが、あの者達は武装していません。その辺りはユクス様が徹底したそうです。元々、ノエムのことがあって、我々も武装しておりますし、怪しい動きをしたら、ただちに攻撃することも可能です」
早口で現状を語ってみたものの、レガントからは反応一つない。
レガントは人形のように固まっている。
ザッハスは、再びおそるおそる口を開いた。
「あの者たちは……シズク殿のことと、今回のことについて州公からお言葉が欲しいと望んでおります。もし入城が許されるのならユクス様だけでも、お目通り頂くことはできませんでしょうか?」
「ザッハス……」
「何でしょう?」
「あの娘は、誰だ?」
「えっ?」
ザッハスが今まで耳にしたこともない、冷たく淀んだ声だった。
レガントに問われるままに、身長が高くてよく目立つ、アンソカ族の少女の隣に視線を落とした。
年の頃は、十六、七くらいだろうか?
茶色い髪を一つに結い上げ、周囲の人間子より一回りは小さい小柄な少女である。
可愛らしいというくらいで、取り立てて注目する点もないような気がするが……。
「ああ、あれは、アンソカ族の娘にくっついてきた娘で、先日ディアン=サリファが密会していた小娘ですよ。サリファを監視していた若い兵士が翌日興奮気味で俺に報告してきました。確か、名前はカナとかなんとか……剣が強いらしいですが、ここから見る限りでは……そんなふうには」
「弓を……」
「はっ?」
「弓を持て!!!」
「はい!」
ザッハスが誰かに命じるまでもなく、その一喝で即座に周囲の兵士たちが動いた。
しかし、どうも、いつものレガントらしくない。
(一体、何が癇に障ったんだ?)
レガントは、ザッハスが知らない何かに気づいたというのだろうか?
間もなく、手渡された弓に矢をつがえると、レガントはザッハスが止める間もなく、的を絞った。
「まっ……待って下さい!」
どこに狙いを定めているのか、目の良いザッハスにだけは、すぐに分かった。
よりにもよって、丸腰の少女である。
おかしい。
ザッハスの知っているレガントは、そんなことをするような人間ではないはずだ。
もはや、止める暇もなかった。
「州公、何をするのですっ!?」
矢は一直線に、少女のもとに放たれた。




