②
ティファレトの月は赤みがかかっている。
アルガスとはまったく違う夜の光景は見慣れたはずだったが、しかし、こんなに赤い夕暮れを見たのは、ティファレトに来てから初めてのように感じていた。
(世界のどこにいても、自然の風景は美しいものだな……)
窓の外の雪は、緋色に染まって溶け出し、きらきらと光っている。
多少、日当たりが良い方が植物の発育には良いはずだ。
サリファは、自室から客間に運び込んだ赤い光草に、水をやっていた。
この光草は、レガントがサリファに渡したものだった。
元々、枯れていなかったのだが、森の土を入れた鉢に移したら、元気を取戻し、勢いが良くなった。
他にもルティカ産の植物は、クリアラの深い雪の下で勢いよく芽吹いていた。
サリファはクリアラに来た時点で、小屋に移して育てていたのだが、今回レガントに呼ばれたことで、ライと再会した日の夜に、そのすべてをリッカ城に持ち込んでいたのだ。
そして、昨夜植物の発育が心配だと兵士に断って、光草以外にも自室から、ルティカでよく見られる野草を運んでもらった。
様々な植物を運び込んだこと以外は、特に変化はない。
寝台に、シズクが寝ていて、サリファは客間から動いていなかった。
すべて、レガントの指示通りだった。
(外の喧噪は伝わってきますが、ここは静かですね……)
植物に撒いている水差しの中の水は、井戸水を使っている。
リッカ城の生活水は今まで通り井戸水のままだが、飲み水については、山の方から氷ごと運んでまかなっているようだ。
それも、この騒ぎでどこまで、持つのか分かりやしない。
(いずれにしても、決着は今夜というところだな……)
サリファは腰を叩きながら、屈んでいた姿勢を正した。
昨夜、シズクに毒を盛り、ユクスが連れ出されてから、半日以上経過している。
あの後、リッカ城は恐慌状態に陥ってしまった。
常に廊下が慌ただしく、何度も臣たちが往復している様子が部屋の中にいても、伝わってきた。
レガントはいちはやくサリファの処分を考えていたことだろうが、様々な対応に追われ、それどころではなくなってしまったようだった。
……かといって、サリファ殺害を、他の者に任せてできるほどの余裕は持っていない。
今回の騒動に、サリファがどのように関わっているのか、彼自身知りたいはずだ。
(…………来るとするならば、きっと)
そういう良からぬことに限って、予知能力でも働いたのか、思いを巡らせたのと同時に、扉がぎいいっと音を立てて開いた。
「ディアン=サリファ。州公がお越しだ!」
まるで、罪人のように兵士から姓名で呼ばれ、窓際に立っていたサリファは水差しを机に置いて、身を低くした。
しばらく下を向いていたが、扉が閉まったのと同時に顔を上げると、レガントはすでに昨日と同じ場所に腰を掛けていた。
今日もまた一人だ。
従者を伴っていない。
おそらく、部屋の外で待機しているのだろうが、レガントは、あくまでサリファと一対一で話すことを望んでいるようだった。
「もう、日暮れか……。まるで、お前には幾日も会わなかったかのように、久しいな。ディアン=サリファ」
「…………ええ。とても久しく感じます。州公様」
レガントは、たった一日会わなかっただけで、老け込んでしまったように見えた。
前々から、骸骨のようだった顔は、更に骨と皮となり、目は充血し、唇は青紫色になっていた。
おそらく昨夜は眠っていないのだろうが、薬物の摂りすぎである可能性も高かった。
「昨夜は、城内が騒然としていましたね。何かあったのですか?」
「…………白々しいな。サリファよ。少なくとも、昨夜の出来事の一件には、確実にお前が関わっているのではないか?」
「……まさか」
さすがに、すべてに加担しています……などと正直に答えて自滅する酔狂な趣味はなかった。
「私は何も知りませんよ。……よもや、ノエムが攻めてきたわけではありませんよね?」
「ほう……。あくまで白を切るつもりなのだな。それも良かろう」
レガントは顔色に出ないまでも、苛々している様子だった。
サリファが関わっているだろうことは察知しているのだろうが、論破する気力もないらしく、さっさと話題を変えた。
「昨夜、お前がシズクを殺して亡骸を見に来いと言っていたので、忙しい合間を縫ってここに来たのだ」
「わざわざ有難うございます」
「あの後、ユクスが剣を振り回して、私のところにやって来たぞ。あいつはどうも血の気が多くていけない。頭を冷やすよう言い渡して、この城から追い出してやったが……」
「…………それは、大変でしたね」
適当に相槌を打ってみせる。
ユクスが城から追放されるであろうことは、昨夜の彼の態度でサリファにも察しがついていた。
「それで? ……お前の言っていたシズクの亡骸は何処にあるのだ?」
「転がしておくのも不憫だったので、寝台に運びましたよ」
「寝台……か」
今日のレガントは、重そうな体を隠そうとしない。いや、隠すことも出来ないほど怠いのか、のっそりと立ち上がると、一旦机に重心を掛けてから、窓際の寝台に行った。
天蓋付きの大きな寝台には、苦悶の表情一つないシズクが横たわっていた。
「…………まるで、生きているようだな。今にも動き出しそうな気配だ」
レガントは言いながら、子供と大人の中間にいるシズクの顔に、骨張った手を伸ばした。
「温かいようだが?」
「……そうでしょうね」
サリファは何のこともないようにあっさりと言い放った。
「生きていますからね……」
「……やはり、殺したわけではなかったのだな?」
レガントも、サリファと同じように静かに声音で問う。
「貴方様とて十分分かっていたはずですよ。私がシズク君を故意に殺すはずがない……と」
「それは、どうかな?」
「なるほど。私に皆まで言わせるおつもりのようですね」
サリファは、シズクが健やかに寝息を立てていることを確認してから、目をつむった。
ひどいことをしているという自覚くらいは、持っているつもりだった。
「…………彼は、貴方様のお孫さんではないですか?」
「………………」
レガントは、否定も肯定もしなかった。
瞬間、目尻をぴくりとさせたが、それ以上の動揺は見せなかった。
覚悟くらい、この男もしてきたはずだ。
いずれ、誰かに暴かれるだろうことくらい予想もしていただろう。
だから、サリファと向き合う時は二人きりを選択してきたに違いない。
「それで……? シズクが私の孫だったとして、どうして私はお前の要求を飲んだのか、理由が分からないではないか?」
「貴方様は私が本当に殺すはずがないと確信なさっていた。それでも、あえて私の提案に乗ってみようと思ったのは、ユクス公子の存在でしょう。貴方は実子であるユクス公子を、ノエムとの争いから遠ざけたかった。違いますか?」
「違う……と言ったら?」
「別にどうでもいいことです。大事なのはそこではないのですから」
夕陽が山際に落ちていく。
急激に冷え込んだ室内の中で、サリファは真っ直ぐレガントを見据えていた。
レガントはサリファからそっと目を逸らし、わずかに口角を上げた。
「話がさっぱり見えんな。お前の言う大事なこととは、何なのだ?」
「その話をするのであれば、憶測や与太話を私が自由に発言することをお許しください」
サリファも口元だけ笑みを蓄えた。しかし、目は笑っていなかった。
レガントがサリファを睨んでいる。
数瞬だけ視線で火花を散らした後、しかし、レガントはそっとサリファから目を逸らし、椅子の方に戻って行った。
「……わかった。お前の憶測では、私は一体どんなことをしでかした男となっているのだ?」
「始まりは、三十年前のシエット達の叛乱でしょう」
サリファは窓の外に目を凝らしながら、きっぱりと言い放った。
「これは数々の証言で聞いたことですが、三十年前までは、流罪になった者たちとはいえ、元を辿れば王家筋。北州公も王家の血を継いでいることから、シエットとは近しい付き合いをしていたそうですね。……しかし、イレリアの存在が両者に溝を作り始めた」
「ほう……。面白い作り話だな。続けろ」
「元々、イレリアは採掘されていて、紆余曲折はあれど、北州公とシエットは交易での儲けを仲良く山分けしていたのです。しかし、三十年前から少しずつ採掘量が減ってきた。そして、シエットもまた北州公より低い身分である自分たちに我慢ならなくなっていた」
「それで……叛乱か? 安易なものだな」
他人事のように、レガントが呟いた。
もしかしたら、レガント自身、当時のことは鮮明には覚えていたくないことなのかもしれない。
「ええ……。確かに、北州公を弑逆する。そして、自分たちの代表が北州公に成り替わる。ありがちな造反劇です。彼らはイエドに支援を求めた。遠くの王家より、近くの国ということでしょうね。……しかし、その内部情報を当時の北州公……貴方様のお父上はご存知であった。これも当時のことを、イエドから調べれば、出てくる情報です」
「お前はイエドにも伝手があるのか?」
「…………アルガスもイエドも大陸の言語は、一緒ですからね」
「それで? その内部情報を私が父上に漏らしたというのか? ……お前には、その情報があると?」
「あくまでも、想像上のことです。証拠は何処にもありませんよ。しかし、シエット側にも北州公側にも近しく、情報を手に入れることのできる立場の人間は限られてきます。貴方様は、シエット側の人間とも親しくしていらっしゃった?」
「誰の証言だ?」
「残念ながら、三十年前叛乱に関わったシエットはすべて処刑をされ、関係者も皆、死に絶えています。ですから、これは私個人の憶測です」
「なるほど……な」
レガントは机に頬杖をつき、相好を崩した。
自分があえて作った隙が思わぬ誤算に繋がってしまったことを自責しているのか、それとも、昔のことを分かっている人間に出会えたことに喜んでいるのか……?
サリファにも、その表情から、レガントの思惑は読み取れなかった。
「そうだな……。確かに、シズクは私の孫だ。当時、叛乱に関わったシエットの代表者の妻を私が孕ませ生まれた娘の子供。それがシズクだ。まさか私の娘が、軟禁状態にあったノエムの公子の妻になるとは思いもよらなかったがな……」
「貴方様は、ずっと……それを、おおやけにすることが出来なかった。謀反人の娘との間に出来た子供を認知することも出来なかったのでしょうね」
「さてな……。認知をしたかったのか、するつもりもなかったのか……。シズクの祖母に当たる女は、死ぬまで私のことを恨んでいたからな。当然だろう。当時、私はその女とも、その女の夫とも仲良くしていた。誰か他に北州公になりたい者がいるのなら、私は公位の継承を放棄しても良いと公言していた。父上に密告したことは、裏切り以外の何物でもなかった」
「当時のイエドは勢いもありました。貴方様が父上に報告したのは、イエドとの関係が密になり過ぎて、クリアラが乗っ取られてしまうのではないかという懸念もあったのでしょう」
「買い被るな……。ディアン=サリファ。お前にはすべて分かっているのはではないか? 私のしてきたことが……?」
「これも憶測の域です……けどね?」
サリファは、小さく息を吐いた。
レガントの子供の頃に負った心的外傷を抉りだしたいわけではないのだ。
ただ……この男の罪は、詳らかにしなければならなかった。
「三十年前、ほとんどのシエットが処刑されましたね? 採掘場にいたシエットは若い人間が多かった。中毒死した者も多いでしょうけど、しかし、実際……磔にされたのは首謀者とその一握り。明らかに数が合わないのです。…………さて、州公様。残りの謀反人は一体どこに行ってしまったのでしょうか?」
「…………お前の言っていた大事なこととは、そのことか?」
レガントは、腰を屈めながら、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
陽が沈む。
これからは、夜の領域だ。
サリファはあと少し、時間を稼がなければならない。
「自白はしてくださらないようですね?」
「それをお前に話したところで、意味もないだろう?」
「しかし……このことについては、見逃せません。貴方様の口からはっきりお話を伺いたいと思っておりました」
「ノエムとの争いが控えている。その後に私が言わずとも、噂が広がるだろう」
「貴方様が戦いたいのは、ノエムではないでしょう?」
サリファは初めて殺気を漲らせながら、レガントと対峙していた。
「 赤い光草は燃えてしまい、一房しか残っていないというお話でしたが、私に下さった赤い光草は何処にあったものですか? 光草は群生する植物です。一房だけ綺麗な状態で残っているのは、とても不思議なことです」
「………………」
「それに、貴方様の中毒症状。イレリア中毒の原因が井戸水でなかったとしたら? 若い頃、採掘場に入り浸っていたから発症したわけではない。それだったら、もっと早くに重篤化しているはずです。…………貴方様がこのような立地のリッカ城から離れない理由は何なのでしょうか?」
「…………もういい。ディアン=サリファ」
レガントは、低く凍えた声で告げた。
「例の薬は出来たのか?」
「…………出来た……と答えたら、私は生きて帰ることが出来るのでしょうかね?」
数瞬の沈黙の後、扉の外に向けてレガントは大きく手を叩いた。
「すまないが、薬が出来ようが出来まいが、もうお前を生きて返すことはできない」
静かな戦いはそこまでだった。
外で待機していた武装した兵士たちがどっと室内に雪崩れこんできた。
一斉に喉元に剣を突き付けられて、サリファは堪らず、両手を挙げた。
降参したところで、殺されるのは必至だろうに……。
(いくら何でも、多すぎますよね……?)
サリファ一人を殺すのに、十数人の兵士は多すぎる。
フィーガやナナンだったら、もっと早い時点で何人潜んでいるのか、察知することも可能だっただろうが……。
「毒薬でも仕込んでやった方が良かったのかもしれないが、お前に毒を盛ったところで、無意味なようだからな。確実に仕留める方法にした」
「私が貴方様だったとしても、私を殺すなら、薬より剣にするでしょうね……」
こんな時なのに、サリファは妙に納得していた。
もう少し込み入ったところまで話が出来るのではないかと期待していたが、レガントは頑なであった。
サリファがつい挑発してしまったのも、いけない。
(どうも私は、答えを焦る傾向があるようだな……)
こんなことでは、ライやセディラムの無鉄砲を咎めることも出来やしないだろう。
…………さて、どう切り抜けるか?
サリファは本気で困りながらも、何処か他人事のように飄然と佇んでいた。




