①
「ユクスは、どうしている?」
レガントは、腹の底からいつもの声を捻り出した。
病に冒されている自分は、誰にも見せたくない。また、疲れ切っている自分も知られたくはなかったからだ。
若い臣は、恐縮しながら答える。
「はっ……。公子様は別邸に戻られたとのことです。途中でシズク殿の侍女のもとに立ち寄ったそうでございますが?」
「…………アンソカ族の小娘に会ったのか?」
「それとアンソカ族の娘について来た小娘とも会っていたそうです」
「その者たちを捕えよ」
「…………えっ?」
聞き返してきた青年を一睨みする。
彼らはシエットの秘密を知ってしまい、レガントの邪魔をしたが、行動の自由は保障されているはずだった。
しかし、そうも言っていられない……。
「……早く」
レガントが急かすと青年は、慌てふためきながら執務室から退出していく。
現在、リッカ城には、若い臣しか残っていない。
それは、領境の様子を偵察するようレガントが指示したせいでもあり、イエドとの交易が出ている船が海賊の被害に遭ったと報告が来て、対応に追われているためでもあった。
通常の仕事に加えて、あり得ない出来事が二つも重なり、レガントは忙殺されていた。
シズクの死を耳にしてから、結構な時間が経過している。
真夜中か……明け方か……。
分厚いカーテンの外世界がどうなっているのか、知りたいと思えないほど、レガントは疲労困憊していた。
最近の満月の夜は、いつだったのか?
すでに興味が持てなくなっていた。
(…………そういえば、夜空を見なくなったのは、いつの頃からか?)
一面の赤い光草と、赤い月。
そこに艶めいた笑みを浮かべる女の姿を、ユクスと同じ年の頃の自分は恋焦がれていた。
彼女が死んでから、空を見ていない。
白い雪に覆われた景色しか見ていないような気がする。
――いや、そのずっと前から……。
彼女がレガントを恨むようになってから、心の底が重い雪に覆われてしまったのだ。
もう昔のことなのに……。
胸が痛むのは、やはりレガントの生き方自体すべてが過去の出来事によって、縛られているからだろう。
ノエムとのこともそうだった。
――すべてのきっかけは、レガントが犯した罪に起因することなのだ。
せめて、ユクスとミリアには、違う生き方をしてもらいたかった。
自分と同じ轍を歩ませるわけにはいかない。
(そのために…………。どうする……か?)
ノエムの存在が不気味である。
ここ数百年、彼の国とは、何度か一触即発の危機を迎えているが、いつだって雪解けを待ってのことだったのだ。
(一体、ノエムに何があったのか……?)
今回に限って、動きが早く、読めない。
今更、シズクの存在が伝わってしまったことも、不自然だった。
やはり、最近クリアラにやって来たディアン=サリファの仕業であることが濃厚だ。
『火種は早い段階で、消しておかなければ……』
あの男はノエムが動く前から、シズクの正体に気づいていた。
そして、レガントが中毒患者であることも知っている。
いずれにしても、この世から葬らなければならない存在に違いはないが、あの男もそれは知っていて、動いている。
レガントがおいそれと自分を殺すことが出来ないことを分かっているのだ。
(薬さえ……できたのなら)
レガント自身、作ろうとしても出来なかったレイリアの中毒症状の進行を食い止める薬。
強い痛み止めを飲むことで、抑えることしか出来なかった諸々の症状を食い止め、緩和させることのできる夢のような薬だ。
もしも、薬が完成したら、レガントだけではない。中毒症状に苦しむ人間が少しは楽になるだろう。
サリファは、いとも簡単に作ることが出来ると答えた。
嘘だとは、言い切れない。
アルガスの医療技術は、ティファレトやイエドよりはるかに優れているのだ。
けれども、一方で、レガントの理性はあの男の危険性を主張していた。
一刻も早く、葬った方が良い。
『シズク殿を殺したました。ちゃんと遺体を確認してくださいね』
薄ら笑みまで浮かべて、報告してきた。
あれが素であろが、演技であろうが、氷のように冷たい男であることには間違いない。
(やはり、殺した方がいいか?)
薬は諦めて、危険性を排除することを選択する方がいい。
だが、あの男に対する尋問だけは他人に任せておけない。
食えない男である。
何をしでかすか分からない。
「これより、ディアン=サリファのもとに行く! 誰かいないか!?」
「大変です!! 州公っ!!!」
「何だ?」
レガントが声を上げたのと同時に、重々しい甲冑姿のザッハスが室内に飛び込んできた。
「何だ。騒々しい。まさか……ノエムが攻めてきたのか?」
レガントは、この男をサリファの監視役につけておきたかったのだが、ザッハスは、昔からレガントの言うことをなかなか聞かない。単独で領境に行ってしまったのだった。
ザッハスは何度も額の汗を拭い、震えながら跪いた。
「どうした?」
長い付き合いとなるが、ここまで狼狽しているザッハスを目にするのは、初めてだった。
嫌な予感がして、勢いよく緋色の椅子から立ち上がったレガントだったが、ザッハスの報告を受け、むしろ脱力して着座せざるを得ない羽目となった。
――シエット達が叛乱を起こしたらしい。




