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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第2章 <6幕>
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  ナガラのもとで、ターニャからすべてを聞いたライは、ユクスが滞在している別宅の近くまで、フィーガと共に雪を踏みしめて、歩いていた。


「合流してくれて助かったよ。フィーガ」

「満月が節目になると、ティファレトにいた時に陛下から聞いていましたから、今こそ合流の時期だと思いましてね」


 ターニャが屋敷を抜け出したことに気づいたと同時に、兄のフィーガが近くにいることをナナンが察知した。

 丁度良い機会だと、見張りを追い払い、フィーガと共にターニャを追いかけた先に、ナガラがいたのだった。

 その時、ライはナナンにユクスの別邸に行くように頼んでいた。

 シズクの屋敷は、安全な場所ではなくなってしまった。

 むしろ、ユクスの近くにいた方が危害も少ないように思えたのである。


「陛下……。この辺りで大丈夫かと」

「……うん」


 フィーガの呼びかけに、ライは足を止めた。 

 余り近づくと、ナガラ達を血眼で探している兵士たちに気づかれてしまうだろう。

 いや、それだけではない。

 ターニャが屋敷から飛び出したことで、更にクリアラの兵士たちは殺気立っているはずだ。

 大量の兵士たちが州公の号令のもと、投入されてもおかしくはなかった。

 ……けれど。


(それは、あり得ないことだ……。絶対に) 


 ライには、分かっていた。

 州公は、今……それどころではないはずだ。


 ―――仕掛けは、確実に発動している。


 むしろ、気がかりなのは、サリファの安否の方だった。

 やり過ぎてしまったら、本当に命が危うくなってしまうかもしれないのだ。


「しかし、これでいいのですか?」

「何が?」

「明日は色々あるでしょうし、公子の屋敷で一晩休むことができるのなら、このまま、そちらに行ったほうが安心なのでは?」

「どうせ、眠れやしないよ。ロークさんたちのことも気になる」


 ライはこのままシエットの集落に行くつもりでいた。

 見張りがいたとしても、近づくことくらいはできるだろう。


(……シズクのことを伝えたら、彼らはどうするのだろうか?)


 もし、サリファがここにいたら、伝えることを選択するはずだ。

 

 観客は多い方が良い。

 

 たとえ危険な賭けであっても……。


「……ですが、ここは俺に任せることもできますし。陛下は無理をなさっている気がします」

「そんなことはないよ。それに、どうせ公子の屋敷には、幼い女の子もいるんだろう。行かない方がいいと思う」

「どうして……ですか?」


 ライはその問いの答えを、薄く笑みを浮かべる程度に留めた。

 さすがに、情が湧くのを避けるためとは、答えられなかった。


(私は何を恐れているのだろう……)


 今回の件で、ライは女王としての存在感を示すことになるだろう。

 逃げようとしていたのに、この立場を堅固なものにしようとしている自分に嗤える。


「ああっ!!」


 間もなくして、息を切らしながら、すらりと長身の少女ナナンがライのもとに走ってきた。


「ちょっと、一体何なのよ!!」


 いつもながらに、喧しい。

 だが、重い外套をひるがえしながら、雪の中を全速力で跳ねるように駆けることのできる能力は、さすがと認めざるを得なかった。


「おおっ、ナナン……。来たか」


 何だかんだで、妹を溺愛しているフィーガが目を細めて、ナナンを迎えた。

 しかし、ナナンは唇を尖らせている。

 表情そのものが、須らく不服そうだった。


「まったく、もう……! 二人して何処に行っていたのよ? ターニャさんは何処よ?」

「ああ、ノエムのナガラのところで、保護してもらっている」

「あの親父、まだクリアラにいるの!?」

「明日も滞在予定らしいな……」


 フィーガは、ほのぼのと言った。


「なによ、それ!?」


 ナナンは逆毛を立てた猫のようになっていた。


「そのノエムのおじさんのところに行くつもりだったのなら、最初から言ってくれたら良かったじゃない!?」

「いやー……先輩。私は先輩だからこそ、公子様のところにいてもらいたかったんだよ」

「……はあっ!?」

「見張りを追い払うことは、私にもできるけど、ユクス様から情報を聞きだしたり、安心させることは私には出来ないんだ。それに、こうやってフィーガが来たことに気づいて、屋敷を抜け出すことも出来やしない。すごいよな。アンソカ族は、こんなに距離が離れていても、相手の位置が分かるものなのか?」

「それは……まあ兄様だから」


 ライの賞賛に、気を良くしたのか、ナナンは怒りの調子を少し和らげた。


「私だって兄様以外の人間を遠くから見極めることは、なかなか出来ないわ。先生は別だけど……」

「そうなんだ」

「……て、貴方、絶対私を誤魔化そうとしてるでしょう!?」

「あっ」

「無駄よ、カナ。一体、二人して何処に行っていたのかちゃんと答えなさい」

「分かったよ」


 バレているなら、もう仕方なかった。


「明日に備えて、色々と準備をしていたんだよ」

「準備って何? ただ州公に会い行くだけなのに、手間暇かける必要なんてあるの?」

「……先輩。ただ州公に会うだけがいかに恐ろしいことなのか、シズクの身の上に起こったことで立証されたんじゃないのか?」


 ライは白い息を掌に吹きかけながら、なるべく平淡に指摘した。


「それ、どういう意味よ?」


 可哀相なくらいに、ナナンは状況を飲みこめていない。

 ほとんど事情を知らされてもいないのに、よくぞここまでついてきたものだと、ライはつくづく感心していた。

 だが、そんなライの気持ちがナナンの癇に障ったようだった。


「何度言ったら分かるの? シズクは死んでなんかないわよ。何かそうせざるを得ない事情があって、先生が死んだふりを頼んだんだわ。カナ……貴方だって、シズクが死んだなんて信じてないんでしょう?」

「…………それは」


( ……どうかな?)


 この件に関して、ライははっきり物を言うことができない。

 サリファがシズクを殺していないと、大声で言い切ることなんてできないのだ。


「もしかして、貴方はシズクが生きていないって言いたいの?」

「おい、やめろ! ナナン……」


 今にも掴みかかりそうな勢いの妹を、フィーガが羽交い締めにした。

 こういう時、どう答えたらいいのか。正解が見当たらない。

 だから、ライは苦笑するしかないのだ。


「先輩……。先生は悪い人じゃないけど、良い人でもないんだよ。もしも、今回シズクが生きていたとしても、邪魔な存在になりうるのであれば……」

「その……邪魔な存在って、何よ?」

「………………」


 サリファにとっての確固たる敵は、ライにも分からない。

 少なくとも、サリファは自分の為に、人を殺めるような人間ではないはずだ。

 でも、誰かの為であれば、何処までも冷徹になることのできる人間でもある。

 サリファが無茶をするのは、カテナの為だけではないのかもしれない。

 

 ……とはいえ、自分のためだなんて、うぬぼれたくもなかった。


 だからこそ、ライは黙ったのだが、しかし、かえってそれがナナンの感情に火をつけてしまったらしい。


「貴方、まだ誤魔化すの……ね?」

「えっ?」

「私、カナと先生が抱き合っているのを見たんだけど……?」

「…………………………それは」


 ――やっぱりだった。


 落とし前をつけて来いと威勢よく送り出した割に、その後、ナナンは大人しすぎたのだ。

 彼女の視力を持ってすれば、小屋の壊れかけの扉の先の様子を見ることなど、造作もないことなのだろう。

 あの日、ライがシズクの屋敷に戻った時、ナナンはすでに戻っていたが、アンソカ族であれば、先回りすることも可能なはずだ。


(嫌な予感はしていたけど……今、ここでそれを言うんだな?)


「なっ、なっ、なっ! それは本当なのか、ナナン!?」

「兄様は黙っていて!」

「しかしな!!」


 いくらなんでも、声量を上げ過ぎだ。

 こんなに騒いでいたら、誰に見つかってもおかしくはない。

 こほんとライが咳払いをすると、フィーガは慌てて周囲の様子に目を凝らした。


「いや、あれは……。仕方なかったんだ。私たちの喋ってた内容をちゃんと聞いていたのか?」

「声までは小さくて何を言ってるのか分からなかったけど?」

「あの時は、先輩からの報告を先生に直に伝えたくて。若い兵士を穏便にあの場から追い出すのに芝居が必要だったんだよ」

「ふーん」

「だから……」

「要するに、それに、貴方がかこつけただけってことでしょう?」

「まっ、まさか! そんなことはない……ないはずだけど、残念なことに、酒を飲み過ぎて、酔っぱらっていたんで、あの日のことはあまり覚えていないんだ……」

「何ですと!? それこそ大問題じゃないですか!! 貴方様は酒に酔うと男に抱きついてしまうんですか?」

「おいおい、フィーガまで、熱くなってどうするんだ?」


 こんなことを真面目に弁明している暇なんてないのだ。

 ライはこのために、クリアラまで足を運んだわけではない。

 しかし、ナナンは悲しげに瞳を細めると、雪の中に吸い込まれそうな小声でぽつりと呟いた。


「あの時……先生は真剣だったのよ」

「…………えっ?」

「私、先生のあんな顔見たの、初めてだったもの」

「ナナン…………?」


 粉雪がふわりと舞って、ナナンの頰を掠めた。

 濡れているように見えたのは、雪が溶けたせいではない。

 彼女の涙だろう。

 十四歳の少女なりに、ナナンだって必死だったのだ。

 ライはその真剣さを知っていたはずなのに、あえて向き合おうとしなかった。

 向き合うのが怖いからこそ、焚きつけるような真似をしたのだ。

 

(卑怯な奴だと……。ナナンには私の浅はかさが見えているのだろうな……)


 物事はきっと単純なことで出来ているはずなのに、複雑にしているのはライの方なのかもしれない。

 

「ナナン……。私は」


 ライが答えに詰まっていると、遠くの方から物音が聞こえてきた。

 最初、花火のような破裂音に感じたが、続いて響いたのは、もっと激しい……人の声のようなものだった。


「何だ?」


 フィーガが帽子を取って、耳をぴくぴくさせる。

 ライには聞こえない声を拾ったのだろう。

 刹那に、顔色を一変させた。


「……ここから、西の方角でしょうか……。悲鳴と怒号……小競り合いが始まっているようです!」

「……………………まさか、シエット?」


 兄と同じように、耳をそばだてていたナナンが唇を震わせた。


「方向的に、シエットの人達がいるところだわ」

「…………争いなんて? 一体、何が起こっているんだ」

「行ってみれば、分かるんじゃないか?」


 何となく、事の次第が想像できたライは、二人をうながした。


「しかし……?」


 フィーガは、明日に向けてライの体調を気遣ってくれているようだったが、ここまで来て、知らんふりなど出来るはずもない。

 カテナを連れて逃げていた頃に比べれば、この程度の忙しさマシな方だった。


 ナナンとのことは、後回しにするしかない。



 ――そうして。

 クリアラの兵士たちに、気づかれることなく、たどり着いたシエットの集落では、岩場の方から押し寄せた謎の武装集団と、シエットたちを監視している兵士たちの乱戦が繰り広げられていた。


「……一体……これはどうしたんだ? シエットは戦うことを避けていたのではないのか?」


 フィーガが深夜の激しい剣戟に、目を丸くしていた。


「違うわよ。争っているのはロークさんたちじゃないわ。……海の方から、やって来た連中よ!」


 ナナンもまた冷静に現状を分析しているが、声は上擦っていた。

 シエットが関わっているわけではなさそうだが、巻きこまれているのは確かだ。

 彼らが小さくなって、恐れ慄く息遣いがこちらまで聞こえてくるようだった。


「まあ……とりあえず、もっと近づいてみないと、連中の正体も分からないだろう」


 ライは地上に目を凝らすことをやめて、提案した。

 高台から、状況を物見遊山で眺めているわけにもいかない。

 明かりをフィーガに託したライは、海側に近づくべく岩場に足を踏み出そうとした。

 …………が、寸前でそれをやめた。

 近づくまでもなかったらしい。

 クリアラの兵士達を斬り倒しながら、連中の方からライのもとにやって来たのだった。


「ああっ!」


 その女性は、ライの顔を見た途端、ぱっと表情を明るくさせた。


「ご無沙汰しております。ようやくお会いできましたね」


 血に染まった剣を片手に携えた可憐な女性は、ライに向かってゆっくりと近づいてくると深々と一礼をした。


 ――そして。

 彼女の背後には、お決まりのように、金髪の男がいた。


「へえ……。これはまた、随分懐かしい装いをしているじゃないの? 先導師さん」


 男はこの状況下でも、腹立たしいくらいに鷹揚でいつも通りだった。

 勝手に乱戦に持ち込んだくせして、武装すらしていない。

 先日ルティカ城で会った時と似たような軽装だった。

 一つに結った髪は、冷たい海風にゆらゆら揺れている。


「私は……あんたを呼んだ記憶はまったくなかったんだけどな……」


(何で、来ちゃったのかな……)


 ライは困惑しながら、額を押さえた。

 この男に協力を要請したのは、事実だ。

 しかし、彼自身を呼んだ記憶はなかった。


 …………アルガス宰宮エレントルーデは、こういう時だけサリファと少しだけ似ている。


 呆れるライに悪びれることなく、にっこりと微笑んだ。


「酷いなあ……。暴走気味の弟のために、忙しい合間を縫って、遠路はるばる駆けつけてあげたのにさ」


(馬鹿なことを……)


 暴走しているのは、お前の方だろう……などとは、さすがのライもこの男に面と向かって、突っ込むことは出来なかった。

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