⑥
「レガントを殺して下さい!! 坊ちゃまが! シズク様をあいつが! あいつが手を掛けたって! 坊ちゃまは、大丈夫だと言っていたのに! ……こんな酷い!」
「少し落ち着け……。話が見えん」
ナガラは潜んでいた民家の納屋で、憎悪に震える老婆を介抱していた。
先日、シズクの話を聞いた際、念のためにと、クリアラでの潜伏場所を教えておいたのだが、まさかターニャ一人でここに来るなんて、予想もしていなかった。
実際のところ、一層厳しくなった追手の目を掻い潜って、ターニャがここにたどり着けたかどうか怪しい。
速やかに場所を変えた方が良いだろう。
しかし、ターニャの口から出た言葉は、ナガラの足を完全に止めてしまっていた。
「…………なあ、ターニャ。本当に、レガントがシズク様を殺したと言うのか?」
「ユクス公子が興奮して、話しておりました。信憑性はあります……。私はどうなっても構わないと覚悟の上に、ここに来たのです! うううっ……」
声を上げて、幼子のように泣き叫ぶターニャの悲嘆に暮れる姿は、到底演技とは思えなかった。
もしも、この証言が本当だったとしたら……。
(殺すなんて、常軌を逸しているぞ。レガント)
ノエムに対する宣戦布告と認めても良いくらいだろう。
(もっとも、我が領主は、お喜びかもしれないが……な)
元々、連綿と続く領土問題と後継争いがこじれにこじれて、ここまで来てしまったのだ。
――事の発端は、二十年前。
ノエムとクリアラがそれぞれ人質を交換したことからだった。
ノエム側は領主の弟オルガを……。クリアラ側は領主の実母を……。
それぞれ休戦のために、引き渡した。
だが、そのわずか三年後に、クリアラの州公レガントの実母がノエムの地で病没してしまった。そのことをクリアラに告げると、クリアラもまた、ノエムの人質、現領主の弟君のオルガもまた突然死をしたと報告してきたのだ。
明らかに、不審な死因だった。
――が、ノエムはそれ以上深く追求しなかった。
元々、現領主にとって、出来の良い弟であったオルガは邪魔な存在だったのだ。
いなくなって清々するとばかりに、よく調べもせず、現領主はクリアラとの戦争準備を始めていた。
結局、アルガスがティファレト自体を乗っ取ってしまったことで、戦争どころではなくなってしまったのだが……。
(厄介な火種……だったわけだ)
領主からは疎まれていたが、第二公子オルガは家臣からは愛されていた。
あれから、十五年も月日が経ち、当時オルガ派だった家臣たちも、彼の存在を忘れつつあった。
(……まさか……な)
よもや、玉座に就いたばかりの若い女王から直接、オルガの名前を聞かされるとは思ってもいなかった。
七日ほど前、謎の書状がノエムの領主館に届いた。
その書状には、ティファレト女王がしっかりと署名をしていた。
内容はというと、ルティカの王都では名前すら知られていないはずのオルガに関してのことだった。
十五年前、ノエムの第二公子オルガは存命だったこと。
オルガには息子がいたこと。その息子は、生まれて十四年間クリアラで幽閉生活を強いられていて、不自由な思いをしていること。
そして、そのことを知っているからこそ、ノエムはクリアラに宣戦布告をしているのではないか……と。
もし、そうだとするのなら、正当性はノエムにあるのだから、女王は、ノエムを支持する。
(一体……どうして、そんなことを女王陛下が?)
流麗なティファレト文字で認められていたが、しかし、書状を持って来たのは、なぜか南州の少数部族アンソカ族の男だった。
女王と知り合いだと言う話だが、それもどうも胡散臭い。
それでも、ノエムは一応名ばかりの女王に、出陣要請を何度もしている。
許可なく勝手に戦争を始めたら、王族を神のように扱っている南州が黙っていない。
それを避けるためにも、正当性を手に入れておきたかったのだ。
だから、いかにも北州の人間に、女王を狙わせるようにしていた。
むろん、本気で殺そうだなんて、考えてはいない。ただの脅しだった。
十五年ぶりに、擁立されたティファレト人の女王は、しょせんアルガスの傀儡だ。
何者かの思惑で女王に立った小娘は、クリアラを畏れるだけで、竦みあがって何も出来ないのだろうと、ノエム領主は、高を括っていた。
――それが。
(おかしなことになってしまった……)
この緊迫状態の中での謎の書状だ。
オルガのことを触れているとなると、捨て置くことも出来ない。
真偽のほどを確かめるため、生前オルガと親交のあったナガラがクリアラに潜入することとなった。
緊急時に備えて、国境沿いにナガラの兵も展開させておいたが、ナガラはクリアラに来るまで、書状は偽りだと信じて疑ってなかった。
もしも、自分を先導するアンソカ族のフィーガがおかしな素振りをしたら、殺せばいいだろうと気安く請け負ったのだった。
その油断がいけなかったのだろうか…………。
結果的に、女王が書状で指摘したことは、本当であった。
シズクを一目見た時点で、ナガラはオルガの面影を確認していた。
オルガに付き従って行った乳母のターニャからも話を聞いて、更に確信は深まった。
本当はしかるべきところで、ちゃんと迎えに上がるつもりだったのだが、フィーガに連れて来られた採掘場で、シズクが肉体労働を強いられているのではないかと思った時、オルガは猛烈に沸き上がったクリアラに対する怒りで、自分を止めることが出来なかった。
オルガの振る舞いに、レガントが激昂して、こんなことになってしまったのだろうか?
「シズク様は、オルガ様亡き後、ずっとあの屋敷で……一人だけで……出自を明かすことなく、周囲の腫物扱いにも、耐えぬいてきたのです。生きていれば、いつか何かが変わると信じていらっしゃいました。それを……どうして、こんな!」
「泣くな……。そう言われると、俺にも非があるようにしか思えない」
ナガラは、奥歯を噛みしめていた。
あの時、採掘場でシズクを連れ去ろうとした。
色々と妨害が入って、失敗したというのもあるが、それよりなにより、ナガラが逡巡したというのがまずかった。
嫌がっているシズクを目の当たりにして、心が揺らいだ。
本当に、ノエムが良い所だと保証ができるのななら、ナガラとて迷うことはなかっただろう。しかし、ノエムが天国かというと、そういうわけでもない。
こちらに来たところで、現領主には跡取りがいる。シズクの存在は邪魔になるだけかもしれないのだ。
(……それでも、連れて行けば良かったんだ)
もしも、ノエムに連れ帰ったのなら、ナガラがいる限り、むざむざシズクを殺させやしなかった。
二度と、オルガのような目に遭わせることもしなかっただろう。
「こうなったら、一刻も早く、クリアラを攻めるしかない。女王陛下も今度ばかりは、すぐに許可を出してくれるだろう。俺が絶対にレガントを殺してやる」
悲しいことに、それくらいしかナガラのような男からは言葉が出てこない。
慰め方を知らない。
不器用な自分を心のうちで嘲笑っていると、本当に笑声がその場にこだましていた。
(………………何だ?)
一瞬、幻聴かと訝ったが、ターニャにも聞こえているらしい。顔がひきつっている。
少女の……低いが張りのある声が響き渡っている。
外には、ナガラの配下が見張りをしているはずなのに……。
「何者だ?」
誰何しつつ、剣を握りしめながら、扉を開けると、毛皮の帽子をかぶった大男が無愛想に突っ立っていた。
「お前は……フィーガ……か」
その帽子がアンソカ族独特の耳を隠すためのものであることを、ナガラは知っていた。
元々、この潜伏先を用意していたのは、この男であった。
ここにやって来たところで、何ら不思議ではない。……けれど、この男が声の主ではなかった。
「一体……?」
「ここだよ。……ちゃんと見てくれよ。ナガラ殿」
ナガラがフィーガの腰の辺りに視線を下げていくと、分厚い外套をまとった子供が立っていた。
「…………えっ?」
ナガラに我に戻る暇を与えずに、子供は躊躇なく、フードを取った。
小娘だった。
長い茶髪は、緩く一つに結ばれて、動きやすい男装姿は彼女を凛々しく演出していた。
赤い月を背後に従え、不敵にナガラを見上げている。
零れそうなほど大きな藍色の瞳は、宝石のように輝いていた。
雰囲気が今とはまったく違うが、ナガラはこの少女のことを知っていた。
「お前は、確か……?」
採掘場で、ナガラの剣を奪った小娘だ。
あの時、この娘はシズクと一緒にいたのだ。
「すまなかったな。あんたが余りにも不器用で。聞き耳立てていたら、……つい、笑ってしまったんだ」
「…………礼儀のなっていない、嬢ちゃんだな」
立ち聞きしていたことだけではない。
いきなり、ここにいることも反則だろう。
「申し訳ありません、ナガラ様。この者がどうしても……ということで!」
「火急の要件ということか?」
やはり、すぐに退散した方が良さそうだ。
小娘がクリアラの追手も一緒に連れてきている可能性が高い。
ナガラは冷や冷やしていた。
その内心を汲みとったのか否か、小娘は少しだけ口元を緩めて、きっぱりと言い放った。
「心配しなくとも、追手は来ない。上手く撒いてきたからな」
「撒いた? お前がか?」
「そもそも、私たちがいなければ、ターニャ殿があんたのところまでたどり着けていない。一応、会わせてあげた方がいいかなって思って、彼女が出て行くのを止めなかったんだ」
「……んー……とだな」
何をどう訊けば良いのか……。
言いたいことは、山のようにあった。
大体、シズクと一緒にいたはずの小娘がどうしてフィーガとここにいるのか……。
その時点で、頭が混乱している。しかし、小娘はナガラに口を挟ませずに、ぺらぺらと早口で喋るのだ。
「確かに、あんたの言う通り、今、軍事侵攻のお願いを女王に出せば、すんなり通るだろう」
「…………何だと?」
「……そうだな。理由は山ほどある。クリアラは、今まで一度も女王に拝謁しなかっただけではなく、イエドの旧王族とも、闇取引をしている。イエドの旧王族は、アルガスとの再戦を望んでいる過激派だ。おまけに、流罪に処されたとはいえ、ティファレト王家の血を引く人間の子孫……または、その縁者を採掘などという重労働に従事させている。これは、ティファレト王家に弓引く行為と同義だ。違うか?」
「………………お前? どこの手の者だ?」
小娘は意味ありげに微笑むだけで、何も言わない。
代わりに、フィーガが口を開いた。
「ナガラ殿。国境付近に展開している軍をこちらに連れて来ても良いが、それでは事に間に合わないぞ」
「…………はっ?」
「明日の夜だよ」
ナガラから目をそむけた小娘は、背後の月を仰いだ。
赤い月が、血の色のように浮かんでいる。
「あんた達だけでも、明日の会場に集まったら良い。人数合わせには丁度良いからな」
「はっ、人数合わせだと! ナガラ様に何ということを!?」
聞き捨てならないとばかりに、ナガラの若い配下が剣に手を掛け、気色ばんだ。
しかし、小娘は意に介さない。大人びた表情で、肩を竦めるだけだった。
むしろ、フィーガの方が目くじらを立てていた。
「馬鹿者っ! 口が過ぎるのは、お前の方だ! このお方はなっ……!」
「……よせ。フィーガ」
「しかし……!」
大男を意のままに支配している小娘は、可愛らしい外見をしている。……が、中身は何か違う物のように思えて、ナガラは大きな体躯をぞくりと震わせてしまった。
(何だ。……この緊張感は……一体?)
まさか……と思いつつも、ナガラの想像は止まらなかった。
(俺は知らない……)
その御方の顔を……ナガラは見たわけではなかった。
ナガラはルティカにすら行ったことがない。
女王の戴冠式も、ノエル領主は参列したが、騎士団長ごときは招待自体されていなかった。
だから、知らないのだ。
女王があどけない十代の小娘であるという噂でしか……。
「どうも、北に行くほど、私の知名度は下がっていくようだからな。来てみて良かったよ。ナガラ殿」
「…………もしや?」
「私が託した書状が無事に届いたようで、嬉しいよ」
「……………貴方さまは?」
ナガラが声に出したのと同時に、配下たちも敏感に悟ったのだろう。
一斉に片膝をついて、頭を垂れた。
「なぜ貴方様……御自らこちらにいらっしゃったのです?」
掠れた声で、懸命に丁寧語を絞り出してみたが、女王には届いていなかったらしい。
ナガラをすり抜け、事態がまったく飲みこめていないターニャのもとに、事もあろうか跪いたのだった。
「…………これは、一体? カナ……貴方は?」
泣き腫らした目を信じられないとばかりに擦っているターニャに、彼女はあやすように手を差し出した。
「悪かったな、ターニャ殿。私の名前はカナではない。ライハというんだ」
「ライ……ハ?」
「……うん。まあ駆け出しだから、あまり力はないかもしれないけど、ここでのことを治める程度には発言権もあるだろう。だから、貴方の口から、ちゃんと聞かせて欲しいんだ」
「…………何を……ですか?」
「シズク君の父親ではない。母親のことだよ」
その口調は静かだったが、有無をも言わさない迫力と強制力を秘めていた。




