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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第2章 <6幕>
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「ユクス様」


 サリファはわざと気の抜けた声で呼んだ。


「なんだ!?」


 ユクスは感情露わに聞き返すが、サリファを無視するつもりはないらしい。


「あの人、ザッハス……て人は何者なんですか? 私の監視役らしいのですが?」

「ああ……」


 再び舌打ちしながら、ユクスがぶっきらぼうに答える。


「あいつは、騎兵隊長だ。軍部の二番目だけど、ここ最近は平和だったから、やることがなくて、父上の雑用ばかりしていた。口が悪くて、粗野で腹が立つけど、でも……腕は確かだ」

「…………そんな大層な方が私を監視していたわけですか」


 とりあえず、大仰に凍り付いてみせたものの……。

 エレントルーデの蛇のような目に比べたら、ザッハスの分かりやすい睨みなど、怖くなどなかった。

 だけど、剣碗はどうなのだろう……?

 剣術に関して、サリファはからっきしなので、目にしなければ、強さが分からない。


「ふん。父上も何を考えてザッハスをお前なんかの監視役につけたのか。大体、俺じゃなくたって良かったはずだ。お前なんかの監視なんて……」

「そうですね」


 適当に相槌を打ちながら、サリファは再び歩き出したが、緋色の絨毯につんのめりそうになって、かなり慌てた。


「…………ほら? ドジ。お前なんか、全然怖くない」

「まあ……貴方様のような方が私のような人間のことを怖くないと評して、信じて下さるのは、大変嬉しいことですよね。……でも」


 トレイのお茶を抱え直したサリファは瞳を細め、声を潜めた。


「……あまり、私を信用しない方がいいですよ」

「えっ……?」


 ユクスは一瞬、足を止めたが……。

 またすぐに、サリファの前をすたすたと歩き出してしまった。


「あれ……?」

「自分で言うものか。それ……」

「……ああ、一度、こういう台詞を言ってみたかったのですが、決まりませんでしたか」

「お前が言っても、痛い男にしか見えない」

「はははっ」


 サリファは乾いた笑声を響かせながら、ユクスに続き、階段を上った。

 城の二階。

 レガントとは正反対の突き当りの部屋がシズクにあてがわれていた。

 当然のように部屋の前で立っている兵士に、軽く頭を下げる。

 ユクスが部屋の扉をノックし、サリファはティーセットを抱え直しながら、室内に足を踏み入れた。

 外を眺めていたらしいシズクは人懐っこい笑みを振りまいて、サリファとユクスのもとにやって来た。


「サリファさん……! ありがとう!!」


 開口一番、満面の笑みで礼を言われてしまった。

 サリファがティーセットを持ってなかったら、飛びつかれていたかもしれない。

 よほど、嬉しかったのだろう。

 いつも以上に、シズクははしゃいでいた。


「嫌ですね。私は別にお礼を言われることなんて、何もしていませんよ」

「でも、州公様と直に会うことが出来たし、ちゃんと自分の意見を伝えることもできた。逃げないで良かったよ」

「シズク君自身が頑張ったことです。私はお膳立てをしただけですから……」


 サリファはてきぱきと、シズクの分のティーカップを用意すると、着席した彼の前でポットから、カップに茶を注いだ。


「さ、私、特製の薬草入りのお茶です。暖炉があるとはいえ、ここは冷えるでしょう。温まりますよ」

「うん。ちょっと寒いからね。サリファさんのお茶頂くの久しぶりだから嬉しいよ。相変わらず、面白い匂いがするね」

「良い香りだと私は思うんですけどね?」

「味はすっきりしていて、美味しいよ!」


 シズクが無邪気に、カップを手に取り、口に含んだ。


「それで、サリファさんはどうやって、州公様を口説いたの?」

「それ、俺も聞いたんだけど、こいつ答えないんだ」


 ユクスが笑いながら、サリファを小突いてくる。

 ちょっと激しくて、サリファは後ろによろめいてしまったが、彼なりにサリファに対して信頼を寄せ始めた現れなのだろう。


(懐くと意外に可愛いものだな……)


 彼らは、まるで傷ついた小動物のようだ。

 なかなか心を開かず、逆毛をたてて威嚇してくるが、一度胸襟を開くと、相手にすべてを許してしまう。


(心の交流というのも悪くはないんですけどね)


 悪くはない。

 ……が、サリファに今必要なものでもない。

 

 彼らの絶対的な信頼感。

 この心からの笑顔をサリファが目にすることは、おそらく二度とないだろう。


 それなのに、まったく心は揺らがないのだ。


 ――分かっている。


 感傷で動けるほど、サリファは人間らしく出来ていない。

 憎まれようが、蔑まれようが、嘲笑されようが、どうだっていいのだ。


 唯一の目的が……。

 あの人の為になるのなら、どうだって……。


「嫌ですね。まさか、あんな堅物口説けるはずがないじゃないですか。第一、口説くって語弊がありますよ」


 サリファはいつものように、和やかに不貞腐れた。


「えっ……じゃあ? どうやって州公様をあんなに丸くすることが出来たの?」

「丸くはなっていないでしょう?」

「しかし、さっきのは明らかにいつもの父上ではなかったぞ」

「あれは、紛れもなく公子様の父上、レガント様ですよ。ああいう一面もあるんですって。相手を油断させるつもりなら……手段を選ばない」


 サリファは含んだ物言いをして、つぶさにシズクを観察していた。


「えっ? ……どういうこと?」


 ……が、その意味深な視線に首をかしげた直後、シズクは急激に咳き込んだ。


「ごほっ、ごほっ ごっ…………ほっ」


 シズクの顔色がみるみる変わっていく。

 ただでさえ色白の肌は、青白く血の気を失い、 呻き声を上げながら、口元を手で押さえた。荒く肩で呼吸を始めている。

 

「はあはあ。……う…………ぐっ」

「シズク?」

「苦し……」

「なにっ!?」


 ユクスの問いかけに答えはなく、シズクの手にしていたティーカップが無残に床に転がった。

 茶色の染みを作っている絨毯を、サリファは無表情で見下ろす。

 すでにシズクの意識は朦朧としているはずだ。

 冷や汗と頻脈……吐き気、激しいめまいも伴っていることだろう。

 これから喀血する恐れもある。

 ユクスは、事態が飲みこめていないようだった。

 顔面蒼白で、シズクとサリファを見比べ……。

 ―――やがて。


「………………まさか……あの茶に?」


 茫然自失から、見事に怒りに変わった瞳で、ユクスはサリファを見据えた。


「…………言ったでしょう? 私を信用しない方がいいって」

「なん……だとっ!?」

「これが、貴方のお父上の意志なのですよ。すぐに火種になりそうなものを、手元に置いておく必要はないでしょう? そもそも、最初からオルガに子供などいなかった……それを事実にしたいのでしょうね」

「ふざけやがって! この野郎っ!!」


 ユクスはサリファに拳を向けようとしたが、それと同時に、もがき苦しんでいたシズクが力尽き、仰向けに床に倒れた。


「シズク? シズク、大丈夫か!? 返事をしろ! シズク!!」


 意識を失くし、白目を剥いて横たわる幼馴染の姿を前に、ユクスが駆け寄ろうとしたが、それをサリファが止めた。


「よしなさい。もう死んでます」

「なんだと?」


 ユクスは一瞬、笑った。


「冗談だろ?」


 しかし、いっこうに答えないサリファに痺れを切らしたのか、ユクスはサリファの胸ぐらに掴みかかると、喉を嗄らすほどに絶叫した。


「貴様ーっ!! 最初から、シズクを殺す気だったのか!? 優しい言葉で釣って、懐いたあいつを殺すつもりでいたのかっ!?」

「愚かですね……。ユクス様、貴方がそんなだからいけないのです。貴方はクリアラの後継者じゃないでしょう。幼馴染とはいえ、州公様からは監視するように言われていたはずです。そんなに甘いから、未だに貴方は後継指名されないのですよ」

「サリファっ!! 貴様、絶対に許さない!! 殺してやるっ!!!」


 言葉のとおり、ユクスが並々ならぬ殺気をまとって、サリファに突進してきた。

 だが、彼の手がサリファの顔に触れる寸前で、扉の前にいた監視役の兵士が室内に入り、ユクスを羽交い絞めにした。

 レガントの命令は機能していたようだった。


「なっ! 離せ!! 俺は州公の息子だぞ! 離せと言っているんだ!」

「…………ユクス様」


 サリファは一度目を閉じると、一切の感情を消し去った。

 そうして、兵士に連行されていくユクスに向かい、留めの一言を浴びせたのだった。


「申し上げた通り、これは、貴方様の父上のご意向なのです。私は貴方のお父上に、命じられたのですよ」

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