③
「サ、サリファ……。お前、一体何をやったんだ!?」
地下の厨房を借りて自前の茶を淹れているサリファに、ユクスが子供のようにまとわりついてきた。
「父上が折れるはずなんて、絶対にない! どんな裏取引を持ちかけたんだ?」
「公子様は、お元気ですね」
サリファは白い湯気を立てながら、勢いよく薬缶の湯をポットに移していた。
少ししてから、お湯に馴染んだ茶葉が、優しい香りを放ち始める。
ティーカップは三つだ。
レガントは公務に戻ってしまったので、サリファとユクス、そして部屋で軟禁されているシズクの分である。
温かい茶を冷ましてはいけないと、半ば無視をしていたのが気に入らなかったのだろう。
ユクスが茶を運ぼうとしているサリファの前で腕組みしたまま、通せんぼをしていた。
どうやら、答えるまで、どいてはもらえないようだ。だったら、仕方ない。
「あー……別に驚くことでもないでしょう。州公様もいつ戦争となるのか分からない状態の中で、ご自身が焦っていたことを、認められたということなのではないのですかね?」
「あのな、サリファ」
「何でしょう?」
急に真面目な顔をして、ユクスが顔を近づけてきたので、サリファは助けを求めるようにザッハスを見たが、彼はさっと顔をそらしてしまった。
まったく役に立たない男だ。
「あのな……。俺は今までお前をまったく信じていなかった」
「はあ」
「むしろ毎日黒いし、怪しくて、胡散臭い、植物好きの変態だと思っていた」
「……散々な言われようですね」
「しかし、少し見方を改めた方が良いと思い始めたんだ。あ、あの娘も、お前によろしくと言っていたしな」
「あの……娘?」
サリファがあえて小首を傾げると、ユクスは頬を紅潮させて、珍しく歯切れ悪く、口をもごもごさせた。
「カナと言ったかな……。あの娘……何だろう。あの者は人外? 妖術でも使うのか?」
「…………人間ですよ」
「あの者に言われた通り、ノエムの兵を追わずに、すぐさま父上にあるがままを報告したら、誉められた」
「…………はあ」
「それに……昨夜、きらきら光っていたから……」
「それは間違いなく幻覚ですよね?」
すかさずサリファは突っ込んだものの、心の中では頭を抱えていた。
(ちょっと不用意すぎるんじゃないですか。ライ?)
王族の流刑地には、光草以外のルティカ産の植物も持ち込まれている。
王族の血の力でちょっと光らせるくらい、ライにはお手の物かもしれない。
だからといって、今こんなところで、それを披露する必要はないのだ。
(…………勘弁してほしいものだな)
ユクスは分かりやすいくらい、ライを異性として意識してしまっているようだ。
舞い上がって、レガントに報告でもされたら、面倒なことになる。
頼むから、これ以上サリファの心労を増やさないでほしかった。
「いや、間違いなかったぞ。絶対に……きらきらしていた」
「うーん、そういった話は、父上には言わない方がいいですよ。今度こそ口を利いてもらえなくなると思いますから。……まったく、人のことを軽々に変態扱いするより、ご自身の常軌を逸した言動を鑑みた方が宜しいのでは?」
「地味に根に待つ男だな。それに相変わらず、口うるさい!」
「ええ。よく小姑と呼ばれていますよ」
「……くそっ。父上がどうしてお前なんかの言葉を信じるのかさっぱり分からない。お前がおかしなことを言うから、俺たちは別宅に移る羽目になったんだぞ。本当に水が汚染されてるかどうかなんて分かりやしないじゃないか。ミリアだって、父上と一緒だって喜んでいたのに……」
「……おや? ミリア様は、州公様に懐いていらっしゃるのですか?」
聞き捨てならない台詞だった。
てっきり、愛想の欠片もない父親のことなど、毛嫌いしているものと思っていたのだが……。
あの骸骨のような風貌で、口数も少ない老人に子供が懐くのか?
「……まあな。父上のお気持ちはともかく、俺とミリアの唯一の肉親だ。母上はミリアを生んですぐに亡くなっている。ミリアにとっては、大切なんだよ」
「……ほう……なるほど」
思いがけないことだが、カナのおかげて、ユクスの口も軽くなっているのだろう。
普段、警戒心の塊なのに、今日はこちらが聞くまでもなく、ぺらぺらとよく喋った。
「母上は、父上の最初の奥方様に仕えていた侍女だったんだ。世継ぎを生むことなく、奥方様が身罷られたから、母上が後妻に入った。短い夫婦生活だったみたいだけどな」
「それは……知りませんでした」
レガントには二人の妻がいたのか。
クリアラでの生活の中、サリファはレガントの妻の話を噂ですら一度も聞いたことがなかった。
(……もやもやするな)
考えてみたら、最初の妻を迎えて、その妻が亡くなるまで、少なくとも三十年以上、レガントには跡取りがいなかったということになる。
「ミリア様が懐いているってことは、州公様にも父親の顔があるということですよね。人間らしいお方じゃないですか。私も最初は少し怖かったですが、今では、結構自由にさせてもらってますし、私のような者の意見にも聞く耳を持って下さる立派なお方だと思いますよ」
そんなこと、微塵も思っていないサリファだったが、知りたいことがあるため、レガントを持ち上げることにした。
ユクスは簡単に引っかかってくれた。
「まあ、そうだな。父上はすごい……。俺なんか足元にも及ばない立派な領主だと思う」
「おや? やけに歯切れが悪いではないですか? 公子様」
「そんなことはない……けど。でも」
慌てて言い繕ったユクスだったが、独り言のように零した一言をサリファは確かに聞き取っていた。
「……俺たちの生まれる前のことは分からないからな」
「それは……?」
――三十年前のことかと、サリファが訊き返そうとしたところで、ザッハスが間に割り込んできた。
「いやいや、ユクス様、お父上は本当に……素晴らしい領主様ですよ! 今回、地下水のことだって、レガント様は過去に一度汚染を疑って、水源を変えたことがあるのです」
「…………えっ?」
「知識も俺たちが及ばないほど、豊富でいらっしゃる。昔のことはともかく、今はとても丸くなられて、民の暮らしに心を砕く、素晴らしい……」
「待って下さい……」
サリファは並々湯を注いだポットを落としそうになるほど、思考を巡らせていた。
「それは、本当のことですか?」
思いがけない話だった。
その情報は、サリファにとってとんでもなく重要だった。
出来れば、もっと早くほしかった。
(おかしいとは思っていたんだが……)
何となく感じていた違和感の正体。
サリファの推理を、少々驚きながらも、すんなり受け入れたレガントの姿勢。
図書室に行ってから、小さな疑問も生じていた。
(……あまりにも、薬学関係の本が少ないのは、なぜか?)
図書室の中で、短い時間だがサリファはレガントと話した。
レガントは、神の存在など信じていなかった。
病気を未知なる力のせいにすることを酷く嫌っていた。
今、薬物中毒にもなっている自分の身体のことも理解している。
サリファにアルガス式の薬を作るよう命じているのに、どうして自分専用の図書室に、本の在庫がないのか……?
(…………レガントめ。やはり)
サリファは、口元に歪んだ笑みを乗せた。
――狸ジジイ……め。
最初の印象は、間違っていなったのだ。
サリファの考えは何処まで読まれているのか?
「どうしたんだ、サリファ?」
「いえ、なんでもありません。さあ、せっかくのお茶も冷めてしまいますし、シズク君が待っていますから、部屋に戻りましょう」
「そうだな」
ユクスもシズクのことを気に掛けているのだろう。その言葉に異議を唱えることなく、サリファに道を開けて、その後についてきた。
ザッハスも後ろから、のそのそとついて来ていたのだが……。
廊下の途中で、慌ただしく駆けている武装した集団に呼び止められた。
「ザッハス殿!」
「どうした!?」
「州公様から、聞いておりませんか?」
「俺は何も聞いていないか?」
「実は……」
男たちは、ユクスとサリファの手前、ザッハスの耳元で囁くにとどめた。
「……何だ……と?」
「一体、どうしたのだ?」
ユクスも話に入ろうとするが、すでに何事が起きているのか、耳に入れたザッハスはその者たちと一緒に踵を返してしまった。
「おい、ザッハス!」
「ユクス様は、待機なさっていて下さい」
「しかし……!」
「ノエムが国境沿いに兵を展開しているようなのです。俺はちょっと見てきます!」
「待て! 俺も!」
「駄目です! 殿下は、そこの男の監視をお願いします!」
「なっ……そんな!」
ユクスは走りかけたが、追いかけている間もなく、風のようにザッハスと兵士たちは逆方向に行ってしまった。
「ちっ」
おもいっきり派手にユクスが舌打ちしている。
城の廊下でなければ、何かに八つ当たりしていたかもしれない。
彼の孤独を、サリファは冷ややかに眺めていた。




