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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第2章 <6幕>
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 ――ノエムに、この屋敷の場所を知られてしまっているので、一時的にもリッカ城に来た方が良いのではないか……。


 サリファの提案に、州公も賛同したらしい。

 そういうわけで、ユクスがシズクのもとに迎えにやって来たということなのだが……。


「いいのか……?」


 ユクスはさっさと身支度を整えて行くシズクに、怪訝な視線を送っていた。

 多分、シズクの決断が、いつになく早かったせいだろう。


「サリファさんが来いって言っているんでしょう? だったら、行こうと思うよ」


 サリファは、カナとナナンが好きな人だ。

 それに、シズク自身、彼といると何処かホッとする。

 州公に直談判に行くと言った時には、サリファの命はもうないものだと焦ってしまったが、ユクスの報告で、サリファが州公に持ちかけた取引は成功したということも分かったし、やはり素直に凄い人なのだろう。

 彼が言うのなら、きっとそれはシズクの為を思ってのことなのだ。


「それに、今まで州公様は僕のことはない人間扱いだったでしょう? 僕の母は、多分シエット側の人だ。憎い国の人間と、叛乱に与していたシエットの血筋じゃ、州公様が僕を殺したくなる気持ちも分かるんだよね。……生きていただけマシっていうか……さ」

「…………シズク。お前がサリファのことを信用したいのは分かるけれど、父上のことは俺にも分からないんだ。一昨日、俺とミリアは別邸の方に移れって言われたし、お前に何かあっても俺は何もできないんだ」

「ユクス様は、どうして別邸に?」

「ここだけの話、城の井戸水が汚染されているかもしれないって、サリファが言い出したらしくてな。雪解けの水を飲料水にした方がいいって、山側にある別邸の方に行くことになった。城の飲料水も山側の井戸水で賄うように、兵士が駆り出されて水を調達している状態だ」

「…………そうだったんだ」


 だから、ミリアはあんなふうに体調を崩していたのか。

 それがサリファの指示であるのなら、尚更信用できそうだ。


「きっと大丈夫だよ。ユクス様。正直、風向きは変わってしまったところがあって、城に行くのは怖い気もするけれど、でもここにいても安心できないし、行くことにするよ」


 ユクスは、シズクの監視役のようなものだった。

 それでも、彼は小さい頃から、シズクを理解しようとしてくれた唯一の幼馴染だ。

 心配させたくはない。

 雪道を歩く用に、厚手の長靴に足を入れていたら、突然腕を掴まれた。


「坊ちゃま!」


 血相を変えたターニャが、シズクの腕を掴んでいた。


「今、この時期に城に行くなんて……戦争に利用されるだけですよ!」

「ターニャ。結局、城に行かなくても利用されるんだ。だったら、行くしかないでしょう。この機に、ターニャが故郷に帰れるように、頼んでくるからさ」

「私のことはいいのです! 私はここに骨を埋める覚悟があるのですから。……ですが、坊ちゃまは……? 貴方の未来はどうなるのです? ここにいるより、ノエムに行った方がよほど……」

「ターニャ殿。それ以上、言わない方がいいんじゃないか……」


 いつの間にか、ターニャの背後にカナが立っていた。いや、元々いたのかもしれない。小柄な彼女は見えなかっただけで……。

 昨夜の白い貫頭衣から、動きやすい男装に整えたらしい。

 そのカナの横から、寝間着姿のナナンが顔を覗かせていた。


「ほーら、大丈夫だって! ターニャさん! 先生がシズクを呼んでいるのなら、絶対に上手くいくわよ! むしろ、私の方が先生のところに行きたいくらいだわ。だから、シズクはとっとと行って、先生のお役に立ってきてね!」


 早朝から良く喋る。元気一杯だ。


(やっぱり、全部聞いていたんだな)


 さすが、立ち聞きの名人である。

 ナナンは、サリファを信じきっている。

 その笑みには絶対的な信頼感があった。


(騒がしいけど、不思議と嫌味のない子だよなあ……)


 むしろ、一緒にいると元気が出る感じだ。

 ちょっと、城まで行く程度、何も怖いことはないと思えてしまう。


(カナとは、まるで性格が違うよな……)


 シズクが苦笑していると、傍らのユクスがもじもじしていた。


(……あっ、もしかして、ユクス様は、カナのことが気になるのかな?)


 こんなふうに、浮き足立っているユクスをシズクは見たことがない。

 たしかに、昨夜の彼女は普通じゃなかった。

 何処か違う世界の住人のように、妖艶だった。

 でも……。

 あの時、シズクが彼女に対して抱いた感情は、恋のようなときめきではなかった。

 むしろ、触れてはいけない……異質な存在のように彼女の姿は、シズクには映っていたのだ。


「城に行ったら、先生によろしく伝えてくれよ」


 カナが目を細めて、サリファの名を出すと、察したらしいユクスが強く頷いた。

 そんなに慕われている男だったら、城でシズクを保護することもできると実感したのかもしれない。


(……て、多分、僕に向けて言っていたんだろうけどな)


 まあ、何にしても、ユクスがサリファに心を開きかけていることは良いことだ。

 ユクスもまたシズクと同じく、城内では一人孤立をしているのだから……。


「行ってきます!」


 それなりに不安があったが、シズクはナナンを見習うように元気良く屋敷を出立した。

 逃げることができないのなら、立ち向かうしかない。

 自分と年端の変わらない少女たちも、そうやって生きているのだ。

 シズクが駄々をこねるわけにもいかない。


 ………………そうして。


 生まれて初めて、リッカ城の正面から堂々と入城を果たしたシズクは、驚くべきことに遭遇した。

 何と、州公レガント自らがシズクを出迎えたのだった。


(まさか…………夢じゃないよね?)


 客室に通されたシズクの向かい側に、州公レガントが座っている。

 今まで、遠目にしか見たことがない人物が目と鼻の先に腰を下ろしていた。

 無論、州公と生まれてこの方、面と向かって喋ったことなんて一度もない。


 …………強くて恐ろしい存在だと畏怖していたはずだ。


 けれど、典雅な飾りのついた長衣をまとっているものの、レガントは思ったより、小さな男だった。

 それだけ、シズクが成長したということだろうか……。

 今まで、シズクの存在を、喋る価値もない人間だと見下しているのだと思っていた。

 しかし、目と目を合わせれば、和やかに談笑を楽しめる人物までとは言わないまでも、決してとっつきにくいというわけでもなさそうだった。


「えっと……」


 緊張の余り声の出ないシズクに変わって、州公の後ろに立っていた黒衣の男……サリファがそつなく口を挟んできた。


「シズク君、久しぶりですね。元気そうで何よりです。今日は、ちゃんと来てくれてありがとうございました」

「あっ……と、ひ、久しぶりです。サリファさん。それは、もちろんサリファさんが僕を呼び出したと聞いたので。州公様も一緒だとは思っていませんでしたけど。………………は、初めまして州公様」

 

しどろもどろになりながらも、シズクは何とか挨拶を口にして、ぺこりと頭を下げる。

サリファはいつものように、無駄なくらい愛想が良かった。


「君は絶対に知らないでしょうけど、州公様は、シズク君と一度お話しされたかったそうでしてね」

「……えっ?」


 目を丸くしたのは、シズクの横に腰をかけていたユクスだった。

 そんなこと一言も聞いてないと言わんばかりの真っ赤な顔をして、長机を睨みつけている。

 レガントは、そんな息子にはお構いなしに、重々しく口を開いた。


「……お前とは十四年間……一度も会ったことがなかったな。シズク」

「えっ、あっ……はい!」


 姿勢を正して、レガントを見遣ると、痩せこけた骸骨のような顔に、薄らとだけ柔らかい笑みを浮かべていた。


「いや、呼び捨てはまずいな。シズク殿とお呼びするべきか」

「そんな……滅相もありません。シズクでいいです!」

「では、シズク。今回お前を私が呼び出したのは、今までの謝罪のためだ。この十四年間、居場所のない不自由な思いをさせてしまい、申し訳なかった」

「…………なっ」


 唐突に頭を下げられたシズクは、呆然とレガントの白髪交じりの頭頂部を眺めた。


「私は立場上、お前を優遇するわけにはいかなかった。未だに、お前を殺せと堂々と口にする臣下もいる。今回このようなことになってしまったのも不本意であるが、ノエムとの決着がつくまで、今回も監視付きとなってしまうが……しばらくここにいてもらいたい」

「そんな! やめてください! 僕はお城に置いて頂けるだけで、有難いと思っています。今までだって、本当は監禁されても仕方なかったのに、自由にさせてもらっていました。だから、そんなに謝らないで下さい」


 狼狽しながらも、シズクは何とか言葉を紡いだ。


「僕はここでは異端な存在です。そのくらいは分かっているつもりです。だから、そのことについて、仕方のないことだと分かっているんです。でも、せっかくお会いできたのなら、採掘に携わっている人たちのことについては……その」

「シズク!」

「ユクス様……。なぜ、止めるのです?」 

「サリファ?」

「君の口から、州公様に言いたいことがあるのでしょう? シズク君」


 硬直しているユクスに対して、悠然と腕組みをしていたサリファが、レガントに一歩近づいた。 


「この際、言いたいことは忌憚なく……。その方が州公様もよろしいのでは?」


 州公はサリファを一瞥してから、暫時沈黙の後、小さく頷いた。


「そうだな。お前の言いたいことは、この機会に聞こう。……シエットのことを気に掛けているのだろう?」

「ご存知なのですね」


 州公レガント自身、シズクの口にしたいことが分かっているようだった。

 だったら、話が早い。

 シズクはごくりと唾を飲みこむと、早口で捲し立てた。


「僕も……戦争が始まるなら、お金が必要だってことは分かっているのです。でも、みんな中毒症状で苦しんでいます。少しでもみんなのことを考慮して頂きたいのです。今は、過酷で辛すぎます。だから、どうか労働条件を見直して下さい」

「………………承知した」

「はいっ?」

「考慮しよう。……出来うる限り」


 その返答は、あっさりすぎて、腰が抜けてしまいそうなほどだった。


「……さあ、あとは何だ? 私に言いたいことがあるのではないか?」


 しかも、他にはないかと急かしてくる始末だ。


(……本当に、この人、僕の話が分かったのかな?)


 一朝一夕で、話が進まないから、ここまでこじれているのではないのか……。

 けれど、念押すほどの度胸はない。

 続きを求めているのなら、言いたいことは伝えてしまった方が良い。

 シズクは『ターニャを故郷のノエムに返してあげて欲しい』と頼んだ。

 ……すると、それも、レガントはすんなりと了承してしまった。


 絶対に、何かがおかしい。


 でも、レガントは穏やかだった。

 思ったほどレガントに威圧感がなかったため、シズクも安心してしまったのだ。 

 何より、レガントの後ろで、サリファが温かくシズクを見守ってくれているのが強力な後押しとなっていた。


(……きっと、サリファさんだ。サリファさんが、州公を説得してくれたんだな)


 シズクは猛烈にサリファに感謝していた。

 カナとナナンの想い人は、魔術師のような人だ。

 シズクが生まれてから、十四年間……まったく動くことのなかったことを、たった数日で、簡単に進ませてしまう。

 すぐに実行してくれるかは分からないが、きっと少しは、ロークたちも楽になるだろうし、ターニャも喜んでくれるだろう。

 ここに来る前は、やはり緊張していた。

 一体、どんな目に遭うのだろう……という思いも少しはあった。

 でも、平気だった。

 サリファを信じて良かったのだ。


 ――そう……。

 その時、シズクは完全に油断しきっていたのだ。

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