⑦
シズクを庇うようにして前に出たユクスを押しのけて、突如現れた大男は、ずんずんシズクに近づいて行った。
「お前……誰だ!?」
ユクスが誰何しつつ、従者に目配せしている。
しかし、駆け付けた従者たちを前にしても、男は動じない。想定通りなのだろう。
長い外套を脱ぎ、畏まってその場に膝をついた。
緑の長い上衣姿。ところどころ金色で施された手のこんだ刺繍。
簡素化されていたが、それは北の部族の正装である。
(早かったな……)
ここで出しゃばるわけにはいかない。
背後にいるナナンに、片手を出して静かにしていろと、合図を送った。
男は大仰に頭を下げると、目に涙を浮かべて、勝手に話し出してしまった。
「私はノエムの騎士団長ナガラと申します。後ろの者たちは、私の配下の者にございます。十五年前、オルガ様は身罷われたと報告を受けておりましたが、まさか……御子息がいらっしゃったとは……」
「ちょっ、ちょっと待ってよ! 僕は……」
急激な展開に目を回しているシズクを庇うように、今度こそユクスが前に出た。
「待て! お前達、ノエムの者だろう。ここはクリアラの領内だ。しかも城の裏手だぞ。番所はどうした? どうやって、突破したのだ!?」
「緊急事態だったので、クリアラの兵士には少し眠ってもらうことにしました」
「何と言うことを! それはノエム領主の意向なのか!?」
「だったら、どうするのです?」
明らかな挑発だ。乗る必要もない。
しかし、ユクスは若い。すぐにカッとなってしまうのだ。
「無礼な!! 勝手にクリアラに侵入した挙句、こんな所までのこのこやって来て……。貴殿は、ただで済むと思っているのか?」
「ほう……。これはこれは、何処かでお会いした記憶があると思ったら、クリアラの公子様ではないですか」
眉尻から頬頭の上まで、深い剣の傷があるナガラは、普通にしているだけで圧迫感のある顔を更に険しくした。おそらく、最初から気づいていて、今察したふりをしているのだろう。
「大体、そちらが偽りの報告をノエムにしてきたのではないのですか。非は、貴方がたにあるはずです。……違いますかね?」
言葉は丁寧だが、口調は脅しのような切れ味十分だ。
一瞬気配に飲みこまれたユクスだったが、ナガラに負けじとありったけの嘲笑を浮かべた。
「では? この者が……その、オルガ殿の子息であるという確固たる証拠はあるのか?」
「証拠ですと? そんなもの……一目……お会いしただけで、オルガ様に師事していた私には分かります。それに、オルガ様に仕えていた女中のターニャがすべてを話しました」
「……ターニャが……すべて?」
シズクが目を丸くした。そんなことがあるのか、何も信じられないと言った表情だった。
(……まあ、話すだろう)
ターニャはシズクを裏切ったわけではない。その方がシズクのためだと思い余ったのだ。
(それも、計算内だ……)
こんな時、サリファならどうするのか……。
ライは静かに、気配を殺して事の流れを注視することに決めた。
「先ほど、屋敷の方に伺ったのです。あのような小さなところで、オルガ様も、さぞお辛かったことでょうね」
「今更……どうして、僕のことを?」
呆然と発せられた問いには答えず、ナガラは満面の笑みで手を差し出した。
「そのお話は後で……。さあ、こんな野蛮な地とはお別れしましょう。ノエムに戻るのです」
「待ってよ! 僕は、クリアラで生まれて育った。ここしか知らないし、ノエムのことなんて、分からないよ。急に来いって言われたって……」
「シズク様。ここで、これからもずっと、同じような生活が続けられるとお思いなのですか?」
「でも……」
ナガラの一言はきつかった。
いずれ、争いになった時、シズクはクリアラ領主によって殺されるだろうと暗示しているのだ。
(さて、どうするか……)
腕を組んで、先読みを始めていたライは、しかし、背後にいたはずの少女が消えていることに、今更気が付いた。
「まあまあ……」
空気を読まずに、シズクとユクス、そしてナガラの間に入ったのは、十四歳に見えない大人びた少女、ナナンだった。
「本人がまだ行きたくないって言っているんだから、放っておいてあげればいいじゃないの?そんなことより、領地を代表してここに来たのなら、まずクリアラの領主に挨拶に行くのが筋じゃないわけ?」
「はっ、何を言っているのやら……。城に連行されたら、私たちは生きてノエムに戻れないでしょう。ともかく、このお方はノエムの領主の血を引く方です。返してもらいますよ」
「ぼ、僕は…………」
「おいっ!! みんな知っているか? シズク君は、ノエム領主の弟君の子供だったんだって!」
(えっ……?)
採掘場の方で響いた大音声。
その声の主を、ライはとてもよく知っていた。
(………………フィーガ)
――そうだ。
いくら、ノエムの人間がクリアラのことを敵とみなして研究していたとしても、レイリアを採掘している場所まで、単独で突き止めることなど出来るはずがない。
フィーガが抜け道を駆使して、彼らをクリアラに案内し、この場所も教えたのだろう。
三日で戻るとは言っていたが、ノエムの役人が一緒だったので、五日かかったようだ。
(人を連れて、あの険しい道を遥々来たんだ。フィーガの奴、張り切ったんだろうな)
そして、フィーガのその張り切った一声と共に、物陰に潜んでいたはずのライたちの存在は、採掘作業に従事しているシエットたちにも、明らかになってしまったようだった。
ひそひそ声は、押し寄せる波のように、どっと伝播していった。
「嘘でしょ。……シズク君って?」
「何か、今……ノエムの偉い人がシズク君を呼んでいるみたいだよ?」
「父親って、シズク君が小さい時に亡くなった人? だって、ここに静養で来ていた他領の下級貴族だって?」
次第に大きくなっていく人々の声に、ナガラという武人も慌てたようだった。
「さあ、シズク様! 急いでください!!」
声を荒げて、強引にシズクの手を取ろうとする。――が、しかし、むしろライにとっては、その慌てぶりが好機だった。転瞬、シズクとナガラの間に立ったライは、ナガラの腰の剣を鞘からひょいと抜いて、拝借した。
「さすが武人だな。抜刀することも想定して、すぐに抜けるように装備してきたらしい」
「な、何をする!?」
ライは唇に淡い笑みを乗せて、抜いた剣の切っ先をナガラの喉元に突き付けた。
「貴方たちも、ここで騒ぐのは本意ではないはずだ。今日のところはひとまず、国境まで下がったらどうだ?」
「おいっ!」
ナガラの配下がいきり立って、ライに襲いかかろうとするが、ライの本気の反応に、ナガラが横目でそれを制した。
「…………分かった。今日のところは引き下がる。しかし、シズク様絶対に迎えに参りますから、それまでにご準備下さい」
「ぼ、僕は絶対に行かないです! ノエムに帰って下さい!!」
ようやく、現実に戻ったらしい、シズクは堰を切ったように怒鳴ったが、ナガラは反応せずに、ライの腕の中から剣を奪って、その場を走り去って行った。
「逃がすな! あの者達を追え! 捕えろ!」
ユクスは、すかさず兵士たちに、げきを飛ばすが、そんなことをされても困る。
ライは渋々声を張り上げた。
「……やめろ!」
普段の癖だろうか、つい言い方が上からになってしまうが、この場合は仕方ない。
「あのな……。あの者達を捕えてどうする? 公子様は、すぐさま戦争を始めたいのか?」
横目で窺うと、ユクスは激しく動揺していた。
「しかし! このままではクリアラは舐められてしまうぞ!」
「それがどうした? 別に、負けたわけじゃないだろう。見たところ、あの者達はちゃんと正装して、覚悟を決めてここに来ている。あんたに殺されるのも想定してのことだろう。もしも、ここであの者達を手に掛けたら、ノエムの思うつぼだぞ。あんたのやることは一つ。早急に、父上様に報告しろ。それしかない」
「お前は、俺に命令するのか?」
「じゃあ、公子様は、これから何をするつもりなんだ?」
静かに問い返すと、ユクスは絶句して、何度も頭を横に振った。頭を冷やしているつもりらしい。……愚かではないようだ。
「ああ! くそっ!」
抜いていた剣をその場にぶん投げて、地団駄を踏む。
(若いよな……)
作業を停止していたシエットや、兵士たちに向かって、感情そのままに指示を出した。
「こちらのことは良い! お前たちは、作業に戻れ!!」
「はっ」
兵士たちの掛け声が響いたのと同時に、張りつめた糸が切れたような静けさが広がった。
日常風景があっという間に戻ってきたものの、シズクだけが、冷や汗を流していた。
「なによ。貴方大丈夫なの……?」
ナナンが問いかけるものの、上の空だ。
寒くもないのに、両腕を抱えて震えている。
(十四歳の男の子だからな……)
いきなり押し寄せた怒涛の現実についていけないのだろう。
…………だけど、 サリファがアルガス相手に籠城戦で死力を尽くしたのは、十五歳の時だった。
(もう、子供ではいられないんだよ……)
ライは黙って、銀髪の少年を眺めた。
本当に、これで良かったのか……。
自問自答したところで、始まらない。
それをサリファに望んだのは、ライの方なのだから……。




