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ティファレト戦記  作者: 森戸玲有
第2章 <5幕>
59/81

(……さすがに、疲れたな)

 

 随分前から疲れていたような気がするが、ここ最近の労働量とライの訪問によって、緊張感が最高潮だ。


 忙しいのは好きではない。


 そのまま、城に居座ってしまっても良かったのだが、何となく嫌な予感がして、レガントに断わりを入れて、安全な井戸水を探すことと、薬作りの材料をリッカ城に運ぶことを名目に、監視付きという条件で、一時的に小屋に戻ることにした。


 正直、どうして戻りたくなったのか分からないくらいだったのだが、結果的にそれは正しい選択だったらしい。


「…………なぜ? 貴方がここにいるんですか?」


 毎回、サリファを驚かせるのが彼女の趣味のようだ。

 ライが薄暗い室内の中で、ちょこんと椅子に座っている。


(まったく、どうして……) 


 たった二日で、二回も心臓が止まりそうな経験をしている。

 それなのに、サリファを追い詰めた当の本人は、悪びれることなく、じろりとサリファを睨みつけているのだ。

 まさか、帰りが遅いと文句を言われるのかと身構えたら、もっと根本的なことで不機嫌だったらしい。


「おいおい、何だ。先生はまたその反応か? 私がいたら、何かまずいことでもあるのかな?」

「別に、そういうわけではありませんが……」


 サリファがまずいわけではない。ライの立場上良くないのだ。

 今のサリファは監視付きなのである。

 監視役の若い兵士に気を遣わなければならないのが癪だったが、サリファは仕方なくライを紹介した。


「彼女はアンソカ族のナナンの妹分のカナという娘です」

「…………はあ」


 小娘の姿をしているせいか、平和ボケをしている兵士はさほど警戒していないようだった。


(まったく、危ない橋を渡る人だな……)


 しかし、そのことをライは分かっているのか分かっていないのか、ただ……拗ねている。


「あんたがここに戻ってくるだろうと思っていたから、待っていてやったんた。何が悪いんだ?」

「悪くはありませんが、貴方一人というのが気に入りません」

「よく言うな。どうせ全部が気に入らないんだろう……」


 何だ。十分理解しているらしい。


(だったら、一体……?)


 ライは、可愛く頬を膨らませている。

 帽子の翳りの中にある双眸がとろんとしていることに、室内に入ってから、ようやく気付いたサリファは、空になった酒瓶が堂々と机の上に乗っているのを目の当たりにして、肩を落とした。


(私が不在の時に……)


 どんな毒が入っているかもしれないのに、なんと彼女は無防備なのだろうか?


「……酔っているのですね?」

「これくらいで酔うものか」

「貴方……私が帰って来なかったら、一体どうするつもりだったんですか?」

「夜中まで待って帰って来なかったら、みんなの所に帰るつもりでいたよ」

「どうでしょうかね? 結局、そのまま酔いつぶれて眠ってしまったあげく、翌朝、風邪をひくんですよね。貴方みたいな人は……」

「相変わらずの小姑だな。私だって好きでここにいるわけじゃないんだからな。……先輩がさ、正々堂々と戦えと、私に説教したから、いけないんだ」

「……えーっと、ナナンが……貴方に……何と戦うんですか?」


 さっぱり言葉の意味が分からないサリファは、黙って酔っ払いの話を聞くしかない。


「先生は、南州で先輩と二人きりで勉強をしていたことが二回ほどあったそうだな?」

「二人きり? よく分かりませんが、人聞きの悪いことですね。確かに、部屋には二人でしたが、すぐそばには誰かがいたはずです。アンソカ族の隠れ里は非常に狭い場所でしたから、密室になること自体難しい環境でしたよ」

「先輩いわく、二人きりだったということらしいぞ」

「…………はあ?」

「だから、今回は私に譲ってやるとの仰せだ。ナナン先輩に落とし前をつけて来いと言われた」

「落とし前? それはまた、ずいぶんと物騒な言葉じゃないですか?」


 本気で小首をかしげていると、ライはよろけながら立ち上がり、サリファの前にふらふらとやって来た。


「あの……だから、貴方は一体?」

「まだ、知らないふりをするのか? おっさん」


 言いながら、サリファにこれ以上なく接近したライは、うんと背伸びをして、サリファの首に両手を巻きつけてきた。

 拍子に、帽子が脱げて床に落ちた。長い髪がふわりと揺れると、サリファの鼻腔をくすぐった。


「………………はいっ?」


 一体、何なのか……?

 恐ろしいほど、ライが大胆だった。

 酔っているとはいえ、こうはならないだろう。

 ほとんど、サリファにぶら下がっているような格好だが、密着した体から、ライの息遣いが聞こえてきて、途端にサリファは身を硬くした。

 両手を挙げて降参の体でそのままになっていると、明らかに慌てふためいたのは、若い兵士の方だった。


「あっ……その……人の趣味をとやかく言うのは良くないと思いますけど」

「えっ、いや、その……これは」


 ここでも、少女好きの怪しいおっさんと評判が立ってしまうのだろうか……。


「いや、私は……」

「外にいますので、その落とし前とやらを、ちゃんとつけて下さい!」

「えっ、いや、だから、これは……」


 手を伸ばして、待って欲しいの意志を示してみたが、少女の気持ちに火をつけたのは、お前だと言わんばかりに兵士が外に出て行ってしまった。

 乱暴に閉めた扉の先から、冷たい北風がサリファの後ろ髪を寒々しく揺らし、やがて室内に森閑をもたらせた。


「あの……ナナンが一体、貴方に何をしたのですか?」

「…………先輩は、シズク少年の家に行っているよ。あの二人、意外と馬が合う」

「はっ?」

「シズク少年は、どうも気弱で、優柔不断だけど、顔は良いから、モテるだろうな。鈍感だから気づくことはないかもしれないけど」

「…………?」

「ナナン先輩が両親のどちらに似ているのかと聞いたら、母親に似ていると言っていたそうだな。生まれてすぐに死別したので、覚えていないらしいが……」

「そう……なんですか」

「代わりに、父親のことは少し覚えているようだな。ターニャから昔話も聞くみたいだ」

「つまり……」


 サリファは、ライの背中にぐっと手を回した。兵士が隙間から覗いていたとしても、熱烈に抱き合っているようにしか見えないだろう。そういう演出をしているのだから。

 ライは最初から、サリファと二人きりになるのを狙っていたのだろう。


「私の思っていた通りということですか?」

「…………そういうことだな」


 ライがサリファの耳元で囁く。

 芝居とはいえ、年甲斐もなくどきりとしてしまったサリファだが、すぐに真顔に戻した。

 ナナンに頼んだことを、ライが代理で教えてくれているのだ。


 ―――シズクの母方を、探って欲しい。


 だが、収穫はなかったようだ。代わりに、父親については確定情報が届いた。


(シズクの父親は、私の見立て通り。まあ、今更それが本当か嘘か……どちらでも良いのですが……)


 母方についての確証が得られなかったとしても、サリファはこの脚本でいくつもりだ。

 根拠たる、手ごたえは、持っている。

 そのために、サリファはこの小屋で時間を費やしたのだから……。


「私はしばらく、リッカ城に行きます」


 サリファは、ライの髪に顔を埋めながら呟いた。昨夜と同じ、酒の香りが薄らとしている。

 他に今ここで話すべき密談めいたものはない。

 ここで終わらせて、彼女を解放してもいいはずだ。

 しかし、どうしてだろう……。

 サリファ自身、彼女とすぐに離れたくないのだ。


「そうか……残念だな。せっかく会えたのに」

「またすぐに会えますよ」

「……そうかな」


 ライが淡泊に言った。


「……先輩に言われたのは、本当だよ。落とし前をつけて来いってさ」

「さっぱり、意味が分かりません」

「……要するに、私がナナンとあんたが夫婦になれば良いって、後押ししてやったってことだ」

「意味がまったく分かりませんが、どうして、そんな余計なことを言ってくれたのですか?」


 眉間に深く縦皺を刻んだサリファは、小声で嘆いた。


「私に真の幼女趣味になれとでも?」

「うーん、現時点で、もう言い逃れができないだろうな……」


 くすくすと声を上げて、ライが笑う。

 若い兵士がサリファに対して、どのような目で見るのか、今後恐ろしいところだった。


「いいですか? 今後一切、余計なことをナナンに言うのは、やめて下さい。面倒事はたくさんなんですから」


 サリファは無愛想に言い放った。

 自分の感情を勝手に忖度されて、相手をあてがわれるなんて冗談ではない。


「そうしていると、あどけないな。おっさんのくせして……」

「貴方ねえ……」


 弄られているのか、ささやかな復讐をされているのか……。


「昨夜、私が言ったことは、本気だったんですよ」

「今、それを言うか……」

「今、言わないと伝わらなそうだったので……」


 このまま放置して、ナナンとの間に婚約話まで持ち上がったら大変だ。

 ライの同意一つが、この国では強制力を持ってしまうのだから、見過ごせるはずがない。

 喫緊の最重要課題である。

 聞き耳立てている兵士の存在など、知ったことではなかった。


「いつだって、その準備はあるのです。貴方が望むのなら……」

「無理だよ」


 即答だった。

 お互いに声を潜めているので、感情を押し殺した低い声になってしまう。


「…………なぜ? 貴方の事情でしょう。私には関係ない」

「いいや、違う。あんたは絶対にそれができない」

「そんなはず……」


 サリファが見下ろすと、腕の中にいたライがすっと顔を上げた。

 薄闇の中ではっきりと、藍色の瞳が炯々とサリファを射抜く。

 こういう時、彼女は恐ろしいくらい蠱惑的だった。


「あんたは動けない。それは、私のためだと思っているけど、それだけじゃない。あんたは、自分の心に鈍感すぎるんだ」

「……何を……言って?」


 サリファの内心を見透かすかのように、淡々としている。

 怖くなって、サリファは自分の首元で交差していたライの両腕を強く掴んだ。


「貴方が何をどう思っていようが、私は……」


 ――私は。

 だが、皆まで聞かずに、ライはサリファの耳元に唇を寄せた。


「分からないのか……」


 冷たい口調と、耳朶から伝わる温かい感触。


「あんたは、アルガス王に復讐がしたいんだよ」


 ………………たった一言。


 奇しくも、つい先ほど、サリファがレガントに告げた通りの言葉だった。

 ライはよりにもよって、アルガス語でそれを囁いたのだった。

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