⑤
そんなはずはないと、声を大にして反駁したかったのに、あの時サリファはそれが出来なかった。
結局、時間切れで、兵士と一緒にライをシズクの屋敷まで送り届けたまま、リッカ城に来てしまった。
(なぜ……言い返せなかったのだろう?)
アルガス国王……父を、サリファが恨んでいないと言えば嘘になる。
しかし、命を奪いたいとまでは思っていないはずだった。そんなことを思う価値もない、どうでもいい存在だったはずだ。
齢三十も過ぎて復讐なんて、馬鹿馬鹿しい。
それでも、あの場で声を張り上げて否定できなかったのは、なぜなのか?
(ライの言うことにも、一理あるからだろうか?)
今だって、サリファの行動のことごとくすべてが、ライの為というのは、ぶれていないはずだ。
優先順位は変わらない。
だけど、ほんの一欠片でも、あの男に対する恨みのようなものがこもっているとしたら……。
「いっそ、逃げてしまえば良かったのか……」
言い返すのではなく、やはりライを連れて、逃げ出してしまえば良かったのだ。
いつも、いつも……それを後悔する。
クリアラから海に出て、イエドに行く。
アルガスは避けて、もっと大陸の中央に逃れてしまえば、誰も追って来ることはできないだろう。
――逃げても逃げても……幸せはになれない。
ライは、カテナのことを思って、そう言っていたが、サリファにとっては、知ったことではないのだ。
(いつだって……私は)
それが出来るのだと、確信しているくせして、今日も大人しくレガントの居城で、図書室にひきこもっているのだ。
一体、何をしているのだろう。
自分が仕掛けた網で魚が釣れるかどうか……結果を見守りたいのか?
(つくづく、最低な男だな……)
分かり切ったことを再確認して、ぱたんと本を閉じる。
(やはり……ない……か)
州公の私的図書室とあって、広い分、内容は充実しているが、最近の蔵書はないようだ。
特にサリファが目を光らせている、三十年前、十五年前のことを記してある書きつけのようなものも発見できない。
ないのなら良いが、レガントがサリファの狙いに気づいて、何処かに隠したのなら、面倒事になりそうだ。
「おい、貴様……。一体、いつまで、ここに引きこもるつもりなんだよ! もう昼だぞ!」
昨夜の若い兵士ではない。
今日の見張り役は、声の大きい、黒々とした眉毛の特徴的な大男だった。
体にぴったりの長衣からは、筋肉質な体が透けて見えるかのようで、外見からして、いかにも武闘派だった。
目をぎらつかせて、サリファと付かず離れずの距離を取っているのは、精神的圧迫感を与えているつもりなのだろう。
しかし、残念なことに、本探しに集中しているサリファにとっては、彼の存在などあってないようなもので、つい今まで、そこにいたことすら忘れていた。
「まだ昼だったんですね。時間を教えて下さってありがとうございます」
「…………まさか、一日中ここにいるつもりか? 貴様、自分の立場が分かっているのか?」
「私は州公様から監視はされていますが、行動の自由は保障されていたはずですが?」
「……………………腹が減らないのか。貴様?」
そういうことか。
男の気になるところは、そこだったらしい。
「宜しければ、先に召し上がって下さい」
「……あのな! 仕事を放って一人で行けるか!」
「私はお腹が減っていませんからね」
「…………つくづく、腹の立つ男だな」
サリファはくすりと笑った。
「一体、何がおかしいんだ?」
「それ……よく言われるんですよね」
特に、ライによく言われる。
微笑ましく思って、にこにこしていると、男は鳥肌を立てていた。
……そうだろう。
どう見たところで、サリファの頭はどうかしている。
「えーっと、そういえば、貴方……お名前なんでしたっけ?」
「ザッハスだ! 朝一番で名乗っただろうが……」
「…………ああ。そんなこともありましたね」
「まったく、どうしてこの俺様が変態中年の世話を焼かなきゃならねえんだ。州公も、つくづく人が好い……」
変態という単語は聞き捨てならなかったが、何より気になったのは……
「……あの……州公様って、人が好いんですか?」
「分からないか? 貴様、普通は死んでいるだろう。シエットの集落まで余所者のくせにずかずか行って邪魔したくせに、口封じされてしかるべきだ。当然、俺はそうすべきだと、レガント様に意見をしたけどな」
「では、私は貴方に殺される予定だったんですね」
これもサリファが穏やかに微笑していると、ザッハスは青筋を立てていた。
「ああっ、もう! いつだって、あのお方は甘いのだ。いつか足元を掬われてしまいそうで、俺はそれが怖いんだよ」
「いつだって……ですか?」
一度や二度ではない。……甘さ。
小屋にいた頃から、レガントの噂は聞いていたものの、近臣もそのような人物評とは。
南州で聞いたレガントの噂とは、真逆の人物像だった。
――と。
「…………ザッハス」
緊張感を誘う、鋭い声音が広い室内に響き渡った。
(…………何で?)
頭の中が一瞬だけ真白くなった。
どうして、ここにレガントが来たのか……。
幽霊のように顔色が悪かったので、あれは幻だと思い込もうとしたが、ザッハスが慌てて頭を下げたので、レガント本人であることは決定的となってしまった。
(しかも、一人……?)
供すらいない。
不用心極まりないとザッハスが遠回しに意見したものの、レガントは、そのザッハスにすら、ここから出て行くよう指示を出した。
「しかし、州公!」
「…………心配には及ばない。私は何度もこの男と二人になっている」
「ですが……」
ザッハスは、なおも噛みつこうとしたが、強く一睨みされて、諦めたらしい。
不承不承頭を下げると、肩を落として、のそのそと図書室から出て行った。
その後ろ姿が完全に消えるのを待ってから、レガントはサリファに声を掛けてきた。
「それで? お前は一体、何の本を探しているのだ?」
「私は……その」
サリファは笑顔のまま、嘘を吐いた。
「薬学に関する書物を探していたのです」
「……ああ……多少は、ここに置いてあったかもしれぬな」
レガントは室内の埃を気にしていたようだが、退出する気はないようだ。
あくまで、ここに居座るらしい。
「ええ。多少はありましたけどね。しかし、ここには私の望む本は余りないようです。薬学に関しては、アルガスの方が進んでいますよ」
「……だろうな。この国は、いまだに神頼みのところがある。薬を信じず、神を信じる。この世に神などいやしないのにな……」
自分は、薬物中毒を起こしているくせして、なかなか言う男だ。
窓から差し込む淡い光が、老人の痩躯を際立たせていた。
レガントは、さりげなく窓際に置かれていた長椅子に腰を落とした。
「それで、やはり……お前には薬が作れないと言うことか?」
「作れますよ」
それは自信を持って、宣言している。
先日、レガントに言った言葉は嘘ではなかった。
薬学に関しては、ティファレトよりはるかに、アルガスの方が進んでいる。
サリファは皮肉にも、最先端の医学の知識を身に着けているようだった。
「ほう? 大した自信だな。だったら、図書室などに入り浸らずに、急いで作ったらどうだ?」
「一応、クリアラの資料も読みこんでおきたかったので。もしかしたら、より有効な薬草の名前が記載されていかもしれませんからね」
「馬鹿を言え。ここには何もない。お前はアルガス式で作ればいいだけだ」
釘を刺されてしまった。
(……この男)
自虐的なのか、現実的なのか……。
それとも……。
――何処まで、サリファの狙いに気づいているのか?
「お前は気楽そうだが、私は急いでいるのだ。再三口にしていることだが、近々、ノエムと戦争になるだろう」
「存じています」
「私は、せめて決着がつくまで……生きていなければならないからな」
「それは……つまり、ユクス様が頼りないということですか?」
「…………そうではない」
「では、何でしょう?」
歯切れ悪く話す老人を揺さぶるつもりで、サリファはふわりと指摘した。
「十五年前のことでしょうか?」
「知っているのだな」
「私はここに来るときに、ノエムも経由していますからね。噂と想像力でおおよそのことは……」
しかし、それはノエムで仕入れた情報ではなかった。
ティファレト王家の力と、当時のことを知っているイエドの関係者の証言をエレントルーデ経由で集めれば、大抵のことは分かるようになっている。
ノエムとクリアラの諍いについて調べていれば、自ずと分かることだった。
「…………シズク君の父君は、現ノエム領主の弟君ですね」
確信を込めて言い切ると、レガントは諦念に似た重い息を吐いて、苦笑した。
「隠したところで、意味のないことだな。ああ、そうだ…。シズクはノエム領主の弟の子供だ」
「当時のクリアラは、イエドとの交易で潤ってはいましたが、シエット達の叛乱で消耗していいたようですね。……で、ノエムの方もまた度重なる内乱で荒れ果てていた……と。だから?」
「私は母を……。ノエムは領主の弟を差し出してきた。人質交換だな。もっとも、私の母は老齢で、あちらですぐに亡くなってしまったようだが……」
淡々と語るレガントには、一切の感情がこもっていなかった。
母親とは、血縁だけだったのかもしれない。
「十五年前、ノエムと一触即発になる事態があった。例に従い、人質を返そうと思ったのだが、あの者はここに居座ると譲らなかった。ただ、好いた娘と一緒にいたいという、陳腐な理由でな」
「それでも、その者が……ここにいることを、貴方様はお認めになった。殺さなかったのですね。聞くところによると、ノエム領主の弟君は優秀な方だったとか。現領主と後継争いをしていたとも聞きました。だから、兄の領主に利用されるのを嫌ったのかもしれませんね」
「いい迷惑だ。だが、本当に目の上のたんこぶだったらしいな。あの者が死んだと聞いても、ノエムは何も行動を起こさなかった。もっとも、あの頃はアルガス支配になって、お互いに行動が起こせなかったというのもあるだろうが……」
「そして、今……。ティファレトからアルガスが消えたところで、再び諍いというわけですか……」
サリファの嘲りのこもった呟きに、レガントは、ふんと鼻を鳴らした。
「はるか昔から、ノエムはクリアラの海と、イレリアを欲していた。次こそ譲歩はしない。……だから、お前はその時のために、薬を作れ。作らなければ、お前だけでなく、兵士に逆らったお前の連れの命はない」
「言われずとも、そのつもりです。私の目的のためにも……」
サリファは、神妙な面持ちで頭を下げた。
見え透いた脅迫では動かないと暗に示したつもりだが、「連れ」という単語に、複雑な思いがよぎる。
(レガントまで、私が幼女趣味であることが伝わってしまったのか……)
まあ、あの日の兵士は絶対ライの存在を告げ口しているだろう。
内心いじけながら、しかし、サリファの口は思考とは別に滑らかに動いていた。
「常々思っていたのですが、貴方様は、なぜ……。憎きノエムの血を引く、シズク君を放置しているのですか?」
「そんなこと、お前には関係ないだろう」
「ええ。別に、そんなこと知らずとも良いのですが、この先……火種になるかもしれませんよ。彼もまた……父親の身の上のことは知っているはずです」
サリファは表情を崩さず、沈黙を続けるレガントに、更に畳み掛けた。
「この怪しい雲行きの中、火種を放置しているのは、危険なことですよね? このままいたら、いずれ大火事になってしまうかもしれません。どうするのです?」
独り言のようでいて、焚き付けるような……預言めいた脅迫。
(…………さて、どうする?)
獲物に罠を仕掛ける時の高揚感、獲物が罠に引っかかった時の優越感。
死をも恐れない中毒に似た……興奮。
この感覚に、溺れてしまうことを、サリファは恐れていた。
そして、ライもまたサリファのそういう黒い部分に気づいているのだろう。
…………だから、あんなことを言うのだ。
「サリファ、お前は私に何をさせたいのだ?」
不敵に歪んだサリファの口端を見て、レガントは不愉快そうに片眉を吊り上げた。




