③
――きっと、サリファのことだ。
レガントのところに行ったのなら、そのまま居座るつもりだろう。
サリファが城に自ら出向いたということは、レガントとの交渉を有利に運ぶ自信があるからだ。
(個人的にレガントのことを、探りたそうだったしな)
――では、ライは一体どう動いたら、良いものか……。
サリファは、ライが行動を起こすことを望んでいない。
無茶をしたら、眉を顰められるだけだろう。
(……もうすでに、やらかしてしまっているしな)
ともかく、これ以上足手まといにならないよう、ライは拾い直したナナンの帽子を目深に被った。
ナナンが帽子を被っていたのも、アンソカ族であることを隠すためだったのだろうが、すでにばれてしまっている。
今はライの方こそ、目立たないよう、傍観者として大人しくしていなければならない。
……けど。
(だからといって、サリファ一人に任せっぱなしという訳にもいかないよなあ……)
ぼんやりとそんなことを、ライは考えていた。
正確には、意識を飛ばしていたともいえる。
騒がしいルティカを離れ、せっかく、今のところ、静かな北州にやって来たというのに……。
周囲がやけに賑やか過ぎた。
「こんなことをして、君は一体どうするつもりなんだい!?」
頭の良さそうな……集団の首領格とでも言うべき男、ロークがナナンに向かって声を荒げている。
兵士たちが解散してから、彼らの隠れ家に場所を移して、ずっとこのようなやりとりが続いている。
最初に、騒動を起こしたのは、ライの方であったが、彼らにしてみれば、面識のあるナナンの方が感情をぶつけやすいのだろう。
(思ったより、面倒な……)
そして、数が多い。
採掘作業に携わっている者たちの人数は、ライの予想より、はるかに多かった。
百人以上はいるだろう。
場所が岩場というだけで、天然の牢屋のような彼らの集落は、見るからに同情心を誘うものだった。
こんな所に隠れ住んでいたら、病気にもなるはずだ。
……けれど、むやみに突っ込んでいって、解決できる問題でもない。
現在、ライは為政者側だ。
統治する側の立場になってみれば、少々行きすぎの感があっても、民に労働を強いるのは、義務でもあるのだ。
「あのままにしていたら、どうなっていたことか……。こんなことされて、黙っている方がどうかしているのよ!」
「いつものことだ。奴らだって死ぬまでは殴らない」
「死ぬまで叩かれたら、おしまいじゃない。馬鹿じゃないの!?」
「馬鹿って!? あのな、俺たちだって、考えはあるんだ……。しかし、三十年前のことを考えると」
「……何よ、それ?」
ナナンが挑発的に、ロークの前で腕を組み、胸を反らした。
口を滑らせてしまったロークは、渋々小さな声で答えた。
「詳しくは知らないけれど、三十年前、シエットが領主に叛乱を起こしたことがあった。あれで、大勢のシエットが処刑されたらしい」
「……そう」
ナナンは微動だにせず、口元を緩めた。
「だから、何?」
橙色の髪が夕陽に染まっていた。
その光の強さが、ライには眩しく映る。
(太陽のような娘……だな)
勢いがあって、溌剌としている。微塵も自分の進む道を疑っていない者の堂々たる態度。
太陽より、月に馴染みが深いライには、彼女の弾けるほどの若さが羨ましく感じられた。
その娘がぱっと見たところ、陰気なサリファを好いているというのも、面白い話だった。
「……えーっと、ナナン先輩。もう、そのくらいでいいのでは?」
ライはナナンの袖を掴んだ。先程まで激しく動き回っていたナナンは、外套を捨ててしまっているので、南州独特の装いが露わになっていた。
この真冬に長袖一枚というだけでも、だいぶ人目を引く。
「今回は、つい動いてしまった私に非がある。責めるなら、私にしてくれないか……」
「……あの……君は、一体?」
初めて、きちんと口を利いたライを、訝しげにロークが見つめ、周囲の人間もそれに釣られるように、ライに視線を向けた。
職業柄、値踏みされるのも慣れてしまったようだ。 あまり、動じていない。
ライはなるべく温和に作り笑いを浮かべた。
「私は、ここのナナンの妹分のカナだ。よろしく」
挨拶したところで、受け入れてもらえないのは分かっていたが、続く言葉が見当たらない。
結局、存在感を消そうしている少年に矛先を向けるしかなかった。
「あ、その……心配しないで欲しい。私達の師匠でもあるサリファ先生が、州公と直談判に行ったらしいからな。そうだろう。シズク?」
「…………らしいですけどね。一体、何を考えてるのか、意味不明です」
弱り切ったというより、拗ねているような声音で、呻いたシズクを振り返り、満足げに首肯したライは、にっこり満面の笑みを浮かべた。
「まっ、だから……先生にまかせておけば、あんた達を悪いようにはしないと思うぞ。おとなしくしていればいい。現に、あれから随分時間が経ったが、兵が攻めてくるようなことは何もないではないか?」
「……そんなことを言われたって、俺達は会ったこともないんだよ。そのサリファって人に」
「大丈夫よ! 絶対にっ!!」
ナナンがライより前に出て、爛々と瞳を輝かせた。
「先生は、南州でも、族長同士のいざこざとか解決したことあるもの。こういうのが得意なのよ!」
(…………決して、得意なわけではないだろうがな)
第一、サリファという男は、ライにとっては絶対的に信用できる人物だが、彼らにとって、信用できる人間でもないだろう。サリファは目的のためには、手段を選ばない。
でも、今はそれでいい。彼らを信じ込ませることが必要なのだ。
基本的に、ロークという男も人が好いようだった。
そこまで言うのなら、今日のところは……と、集落の方に戻って行き、それに続いて、引き潮のように、シエットたちはロークに従い去って行った。
説得できたかどうかは怪しいが、彼らの中に入り込むことができたのだから、ライの目論見は達成できたということだろう。
「まあ……ここまで言って、州公が攻めてきたら、目も当てられないけど」
「あら? 貴方が信じないでどうするのよ? 先生が州公のところに行ったのなら、絶対平気よ!」
「うーん。さすがだな。先輩は……」
根拠のない自信は、恋の為せる業か……。
腰を叩きながら、ライは苦笑した。
最近、机仕事ばかりで、身体が鈍っているようだ。外見はともかく、中身は三十のオバさんなのだ。足腰はともかく、剣術は毎日の鍛錬も必要だろう。
「……て、何よ。その適当な態度?」
「はっ?」
上の空でいたライは、突然現実に引き戻されて、後ろに仰け反った。
ナナンの鼻息が荒い。
「貴方、もしかして先生を信じていないって言うの?」
「いやいや、当然、この上なく、信じているけどな?」
信じていると言えば、誰よりも信じている。
ナナンの信じるとは、意味合いが違うだろうけど。
「…………なーんか、あんたの言葉って、含むのよね?」
「えっ、そう……? 気のせいじゃないか?」
聞き返したものの、ナナンは答えるより早く、傍らで小さくなっているシズクの首根っこを掴み、威勢よく同意を求めていた。
「ちょっと! シズクも、そう思うでしょう? カナって、何かやけに物知り顔じゃない? 先生とも深い関係がありそうだし? 二人の関係、怪しいわよね?」
「だから……以前、ちょっとした仕事で顔を合わせただけだよ。初対面ってわけでもないけど、そんなに深い付き合いでもない」
それとなく、ライも言い繕ってみたものの、じとっと絡みつく視線にまとわりつかれて、かえって場が険悪となってしまった。
「…………えーっと」
シズクは、猛獣に威嚇されている小動物のように、小さく震えていた。
ライと良く似た髪は、ぐしゃくじゃになってしまい、まるでこちらが苛めたような格好となってしまっている。
「うん……それはどうでもいいから。頼むから、これ以上、僕を巻き込まないでくれる?」
ようやく、彼が捻りだした答えは、その一言だった。
(かわいそうに……)
誰より変わっているのはナナンだと、シズクは言いたかったのだろう。
(まいったな)
今後のことを考えると、ナナンとライの微妙な関係を放置することも出来ない。
(はっきりさせておくか……)
ライは、猛獣を落ち着かせるように、柔和な調子で問いかけた。
「つまり、先輩は先生が好きだから、私が邪魔なのか?」
「そっ……そんなこと! …………あるわね。うん。そうだわ。あるのかもしれないわ。なんか、あんたと先生見ていると、こう……女の勘がざわつくのよ!」
「たった二日ではないか。随分と嫉妬深いのだな……」
「仕方ないでしょう。相手が先生なんだから!」
ナナンは顔を真っ赤にして、うろたえる。
(可愛いな……)
恋する乙女そのものを目の当たりにしている。
ライにも、過去、こんな時期があったはずだ。
……そう……丁度、十四くらいの頃、ライもナナンと同じように、サリファの背中ばかりを追いかけていた。
周囲に、どす黒い影が忍び寄っていたって、それはライにとっては非日常で、いつも彼のことばかりを考えていた。
「うーんと、そうか……分かった。だったら、ナナン先輩。先輩は先生を好きにしたらいいよ。私も二人を祝福するからさ」
「…………はっ?」
あっさり言い放つと、ナナンもシズクも目を丸くした。
ナナンと対抗する気なんて、ライにはこれっぽっちもないのだ。
ここは、先に降参しておいた方が絶対に良い。
「前々から、先生には先輩のような明るい子の方が良いと思っていたんだ。先輩の子供なら丈夫に生まれそうだからな。先生には昨夜、先輩となら祝福するって伝えておいたところだ。私のことは気にすることないよ。どんどんやってくれ」
「…………子供って。私と先生の?」
ナナンは、何より、その単語に衝撃を受けたらしい。
「他に誰がいるんだ?」
「……気が早すぎるんじゃないかしら?」
「そうかな? 十四歳なら生めない年齢でもないだろう? 先生は子供の一人か、二人でも生まれたら、少し地に足が着くと思うんだ。……だから、頼んだよ」
「いや……でも。あっ、ちょっと……」
さあて、これで、面倒事は終わった。
(仕事、仕事……)
ライはシエットの人々を追って歩き始めた。
ここまで来たのなら、中毒患者の様子も見ておきたいと思っていたのだ。
(クリアラには、近年大きな転換期が二度あった。一つは三十年前のシエットたちの反乱。もう一つは十五年前のノエムとの戦争危機……と)
余計な気を飛ばす勢いで、猛烈に頭を動かし始めたライだったが……
しかし、その後ろ髪を掴んで引きずりこむような勢いで、背後のナナンが吼えた。
「ちょっと、待ちなさいよっ!」
(いやいや、待てと言われてもな……)
待ったら、ろくな目に遭わない予感がする。
ライの方には、これ以上この件で、語る言葉など一つもないのだ。
(……馬鹿馬鹿しい)
サリファとライの関係は、もはや恋愛ではない。
「恋愛」というより、深く重い因縁のようなもので結ばれてしまった絆のようなものである。
ライ一人だけが、たまに恋情に引っ張られるが、サリファがライに向ける感情はそういう類のものではない。
現に、昨夜、二人で寝たところで何もなかった。
サリファの中で、一線を越える勢いのようなものはあったようだが、結局、彼はライに手を出さなかったのだ。
(それが……すべてだろう?)
女性として見ることができないライの傍に、サリファがいる理由は見当がついていた。
――できれば、解放してあげたい。
ここまで、巻き込むことになるとは思ってもいなかったし、今回のことでは頼みごとまでしてしまっているが、いつの日か、サリファには自分の人生を生きて欲しいのだ。
もっとも……。
サリファが依怙地で、こちらがその道を用意したところで、歩きたがらないのは、百も承知しているが……。
だからこそ、先ほどのライの言葉は、ナナンに対する挑戦の意図もあったのだろう。
彼のことが好きだと言うのなら、サリファの根底にある闇を蹴散らし、真っ当な人生を歩ませてみせろ……と。
しかし、そんなライの黒い気持ちを知ってか知らずか、ナナンは謎の身体能力で、ライの前に立ち塞がっていた。
「逃げないでよ!」
「逃げたつもりはないけど?」
「あんた絶対に、先生のことが好きでしょう!?」
「……いや……だから、私は……」
――何も、望まないことにしたのだ。
結局、どんなに足掻いても、子供の頃から変わっていない立ち位置なんて、自覚したくなどない。
(……なんて)
ついうっかり感情を口にしそうになって、ライは内心狼狽していた。
少女の直截な一言は、心をえぐる。
受け流すべきか、立ち向かうべきか決めかねていると、ナナンがやけに重苦しい吐息をこぼした。
「どうして、そんな諦めた目しているわけ? なんか私が馬鹿みたいじゃない?」
「…………はっ」
「誤魔化さないで、正々堂々と勝負したら、どうなのよ?」
「……勝負って、言われてもな?」
「えーっと?」
シズクが不安そうに、ライとナナンを見比べている。
(一体、この娘の頭の中は、どうなっているのか?)
彼女の中では、国に関わる混乱も、恋愛も同等の問題となっているようだった。




