⑤
「昨夜は、兄様を外して二人で朝まで何をしていたのよ?」
「ほぼ徹夜で、酒を飲んでいただけだが?」
フィーガが行ってから、シズクとライの初めての挨拶もそこそこに、その押し問答が何回も繰り返されていた。
その都度、ライは悪びれることなく、ナナンに何度も同じ答えを返すのだが、それを見守っているサリファは内心苛々していた。
――不毛だ。
ここで彼女が国主なのだと告白してしまいたいくらいだ。
でも、シズクもいるし、ライはカナでいることを楽しんでいるみたいだし……。
(やるせない……な)
ライを楽しませて、どうするのだろう。
ここまで来ると、出会った時のように、彼女が頬を赤らめたり、狼狽する姿を見てみたいと望んでしまうのは、サリファがひねくれているせいだろうか……。
「サリファさん……?」
シズクは、サリファを純粋に、同情しているらしい。ナナンの勢いに疲れないのか……と目が訴えていた。
「大丈夫ですよ。シズク君。すべて不可抗力です」
昨夜、ライに対して欲を出したことを、神とやらが見ていたのだろう。
神話を研究していても、神なんて信じていないサリファであるが、そうしておいた方が精神衛生上、気が楽だ。
「それで、ナナン、あんたは何をしにここに来たんだ?」
「…………かあっ、腹が立つ!」
ライは本題に入れと言わんばかりに、サリファの淹れた茶を口に含んだ。
居た堪れないシズクも、それに続く。
サリファがナナンを真っ直ぐ見遣れば、さすがに彼女も分かったのだろう。
渋々と言った具合に、一昨日サリファに話したことを、初めてのように、そのまま伝えた。
彼女が今日この話をすることは、分かっていた。
ナナンの性格上、知ってしまったシズクの秘密を、いつまでもサリファに黙っているはずがない。
どちらの勢力にも与するつもりはなかったサリファだが、ライが来てしまった。
作戦を変えるしかないと思い、昨日、フィーガが家を出る時に、ナナンに伝言を頼んだのだ。
アンソカ族は耳が良い。ナナンの話から聞いたシズク宅の近くまで行けば、ナナンは兄の来訪を知ることが出来る。
その時、彼はライとサリファが二人きりだということを誤魔化してくれたはずなのに……。
――不可抗力。
すべて、それしかなかった。
「なるほど。それは大変だな」
ちなみに、ライとは打ち合わせていなかったが、サリファの予想通り、彼女は上機嫌で話に乗って来た。
「何とかならないのか……。先生?」
「また皮肉ですか……」
先生なんて、呼んだこともないくせに……。
そう言いたいところをぐっと我慢して、サリファは咳払いして態度を改めた。
目の前に座っているシズクに目を向ける。
「何しろ、あの分量の鎮静剤ですからね。一人や二人だったら、使わない量です。……君に事情があることは知っていました。でも、事情があるからこそ、無理に聞き出したくなかったんです。いつか、君自身の口から話してくれることを待っていました」
「ごめんなさい」
軽く、頭を下げたシズクの白銀の髪がきらりと光った。
「でも、話してしまったら、サリファさんを巻き込むことになると思って……」
「身分制度のことでしょう。察しはついていましたよ。ここは古の流刑地。ルティカの上位貴族がここに追いやられてきました。北州公はその人たちの監視係も兼務していたのでしょう。当初、地元の者と分けるつもりで身分制度は出来たんでしょうが、時代が下り、流された貴族たちの暮らしが困窮したところで、彼らはここでしか採れない希少な宝石に気づいた。違いますか?」
「どうして、宝石だって分かったんですか?」
シズクが、驚くほど素直に感心している。
「私はアルガスの人間ですからね。イエドにも伝手はあります。イエドを中心にレイリアという赤い希少な石が出回っていることは知っていました。そして、それが採れる場所はここしかないだろうというくらいなら、分かっていましたよ」
「じゃあ、サリファさんは、それを採りに来たとか?」
「まさか……」
即座に一蹴したのは、サリファではなく、ライだった。
「シズク……。この男はな、宝石には興味がないんだ。女に毒花を贈るような性格だからな」
「…………いや、あれは、そういう打ち合わせでしたよね?」
「打ち合わせって、何のことよ?」
しまった。かえって墓穴を掘ってしまったらしい。
「別に大したことではありませんよ、ナナン。それよりも、その宝石です」
これ以上話題を横道に行かせないように、サリファはさっさと話を進めた。
「ティファレト王家にではなく、イエドと交易をしているのは、その方が儲かるし、安全だからでしょう。アルガスの属国であるティファレトを通して交易をしても、利益はほとんどない」
「……僕には、難しいことは、よく分からないのですが」
シズクは、小さな声でぽつりと零す。
その背中を、隣に座っていたナナンが激しく叩いた。
「ちょっと、しっかりしなさいよ。あの人たちを少しでも楽にしてあげたいんでしょう? 知っていることは、すべて話しちゃいなさいって、先生は言っているんじゃない?」
そんなつもりもなかったのだが、まあ、そういうことかもしれないと、サリファは小さく頷いた。
「そうですね。私が知っていることと、君が知っていることを照らし合わせてみることで、分かることもあるとは思っていますけどね」
「でも、サリファさんの力だけでは、どうにもならないと思いますし……」
「私も私だけの力でどうこう出来るとも思っていませんが……。まあ、あくまで、いろんな人から、それとなく聞いて、つぎはぎした私の憶測として聞き流して下さい」
話したくないのなら、仕方ない。
(…………こちらから、話すまでだ)
サリファはシズクの反応を見るために、再び「その憶測」を語りだした。
「……そうですね。ここに流されてきた貴族たちは、自分たちについてきた従者と家族たちに、その宝石を採掘させることにしたんでしょうね。罪を犯した貴族たちに普通、財源なんてありません。従者を養い続けることもできなかった彼らにとって、そうするのが一番効率的だった」
「…………それがシエット?」
「厳密には分かりませんが、私が思うに、重労働である採掘の仕事に携わっている者がシエットと呼ばれたのでしょう。最初は下位を表す言葉でもなかったはずです」
サリファは顎を擦りながら、知っている情報をすらすらと口に出していく。
「貴族たちも誤算だったのでしょうね。もっと早い時点で許されて都に帰ることが出来ると思っていたのでしょう。しかし、ティファレト王は彼らを許さなかった。子々孫々まで、そのうち自分が何者か分からなくなるくらいまで、ずっと……」
「でも、ここには流刑された貴族の末裔なんて、名乗る人間自体いないんじゃないのか? あるのは、身分制度だけで?」
ライが首を捻ると、今度こそシズクがぼそぼそと掠れた声で答えた。
「…………それは、領主様と取引した人たちがクリアラの貴族となっている場合か、命を落としてしまったか……いずれかだと思います」
「命を落としたって?」
ナナンが大仰に椅子から腰を浮かした。
「僕も又聞きなんですけど、三十年くらい前に……今の領主様が領主になったばかりの頃に、叛乱が起こったらしくて……。それ以降、採掘された宝石は、領主が独占するようになったらしいです」
「今度は、三十年前ときたか……」
ライが意味ありげに目をつむった。
三十年前といえば、ライが丁度、生まれた頃に当たる。
その時に、ライの家族も母親以外殺されてしまったのかもしれない。
サリファと同じく、ライもその結論に行きあたったのだろう。
斜め向かいに小さくなって座っているシズクに、優しく微笑みかけた。
「シズク……と言ったかな」
「はい、そうですけど……」
声変わりを済んでいるものの、きょとんとした表情は、まだ少年らしく、あどけない。
ナナンが大人びているので、並んで座ると、一層子供っぽく感じた。
初対面の少女に凝視されて、緊張しているシズクに、ライはさらりと言った。
「私はシエットのいる集落に行ってみたい。連れて行ってくれないか?」
「はっ?」
ナナンが反応するのとほぼ同時に、シズクが珍しく声を荒げた。
「む、無理ですよ。これ以上部外者の人を連れて行くなんて!」
「お前だって、部外者じゃないのか?」
あっさり断言されて、うろたえながらシズクが答えた。
「でも、昨日の今日で、突然訳の分からない人が来たら、みんなびっくりしますよ」
「別に引き合わせてくれなんて、言っていないよ。こっそり覗きに行きたいって話だ」
「……そんな」
弱り声を出したシズクは、短髪をくしゃくしゃにかきまぜながら、ライを自信なさげに睨んだ。
「……て、大体、君は誰なんですか? サリファさんの遠縁って言ったって……」
「私の後輩のカナだって言ったじゃないの?」
「後輩?」
「カナは私に憧れて、先生について来たのよ」
ライはどうにでもしろと言わんばかりに、にこにこしているが、かえって、その微笑がシズクを追い詰めていた。
多分、その説明では、ますますシズクが落ち込むだけだろう。
ナナンの後輩なんて、とんでもない人間だと先入観を抱いてしまっているはずだ。
「…………サリファさん」
(かわいそうに……)
困却しきった少年には同情する。――が、最早、ライの言葉に逆らうつもりはないサリファは、目を閉じて、諦めろの合図を送った。
「シズク君、彼女たちは、私よりも我が強いのです。一度言い出すとキリがないんですよ。多分一度見たら、それで気が済むと思うのですが?」
「身分制度も、採掘のことも、ただの好奇心で関与して良い問題じゃないと思います」
正論だ。
彼は大人しい子供だが、賢くて、真っ当な正義感も持っている。
今後の成長が楽しみに感じるのは、サリファが年を取ったせいだろうか……。
しかし、それはライも同様だったらしい。
「…………シズク、決して好奇心じゃないよ。一人の力でどうにか出来なくても、数人集まれば何とかなることもあるし、数人の人脈を頼れば、もっと何とかなる可能性が広がる。私はきっかけを掴みたい。そのためには、この目でちゃんと見ておきたいんだ」
柄にもなく、彼女がまともな意見で、彼を黙らせたのだった。