⑤
――さて、困った。
サリファは心底、困り果てていた。
彼女にシエルという「赤い花」を贈った。
それは二人で示し合わせた合図のつもりだった。
言葉だけでも良かったが、それでは芸がないので、わざと意味ありげな花を枯れないように細工して、贈った。
けれど、断じて、こちらに招く意図はなかった。
(どうして、ここに?)
彼女の背後からやって来た従順な家来のフィーガの前で、ライに向かってお小言を述べることは出来ない。
どんな形であれ、ライはこの国の主だ。
それに意見した時点で、サリファの命はフィーガに絶たれても文句は言えないのである。
だが、その国主である彼女がここに来て良い理由は、一つも有りはしないのだ。
良識のある人間として、一言伝えなければならない。
それでも、自分に向けられている彼女の最上級の笑みを曇らせる真似を、今する必要もないような気もしていた。
(まいったな……)
そんな永久に続きそうな微妙な沈黙を、あっけなく破ったのは、橙色の髪の少女、ナナンだった。
「あんた、誰よ?」
「ナナン、この方は!」
「まあ、待て」
フィーガが血相変えて前に飛び出したのを、ライは片手で止めた。
「私は、昔馴染みで今回動員されたサリファ様の元護衛だよ」
そして、意味ありげな視線を、サリファに向ける。
サリファがいつもの小姑魂を発揮する前に、ライの笑みはあっという間に翳ってしまった。
(…………まさか?)
疑っているわけではないだろう。
ナナンとサリファの仲を。
(だって、彼女は子供ですよ……)
だが、ライはいかにもな作り笑いと共に、フードを取った。
その髪色はいつもと違う。紫銀の髪は、茶色の髪に綺麗に染められていた。
彼女なりの変装ということらしい。
ライと会ったことのない、ナナンには、聞き知っている姿形が違う時点で、見た目の年がそう変わらない少女を国主とは見抜けないようだった。
「名前は……そうだな。えーっと、ラ……いや、カ……カナだ。よろしくな、先輩」
「カナって?」
サリファは目頭を押さえた。
ここに来て疲労が爆発して、寝込みそうな勢いだ。
よりによって、母の名前を使ってくるとは……。
(なんか分からないけれど、確実に怒っているようだな……)
「あら、先輩って……。良い響きね。貴方、なかなか分かっているみたいね。私はナナンよ。先生の護衛は私一人で十分だと思っていたのだけど?」
「先輩は、この……サリファ様の極秘任務で忙しいって聞いたんでね。急きょ人員が増やされたんだよ。本当は、私も極秘任務をやりたかったんだけど、私はサリファ様には信用されていないみたいでね、先輩だけにしか出来ないって女王陛下に言われてしまったんだ」
「女王陛下が私のことを、そんなふうに!? やっぱり素晴らしい御方ね。アンソカ族総出で、尽くし甲斐があるわ。そ、そうなの。今も特殊任務の最中なのよ……」
「だったら、お前はとっとと任務に戻らんかっ!」
仕事熱心なフィーガが、ナナンに雷を落とした。
「は、はーい! すぐに戻ります!!」
半ば追い出されるようにして、ナナンは外套を片手に外に飛び出して行く。
ふんと鼻を鳴らしたフィーガは、ライの前で両膝をついて恭しく頭を下げた。
「申し訳ありません。妹の教育がなっていないようで……」
(まったく、その通りだ……)
サリファは一連の出来事を思い浮かべて、どんよりとした溜息を零した。
一度、フィーガとは子供の教育方法について語った方が良いのではないかと真剣に悩んでいたところ、しかし次の瞬間、ライの一言で自分の問題を突き付けられてしまった。
「いや、構わない。利発そうな妹さんじゃないか……。特に、このサリファは幼女趣味だから、喜んでいることだろう」
「ちょっ!…………陛下っ!?」
さすがに黙っていられずに、彼女の袖を引っ張れば、ライは三白眼をサリファに向けてきた。
「さぞ、雪深い国で軟弱な体で難儀していることと思ったら、随分と楽しんでいるようじゃないか? ディアン=サリファ殿」
「あれが楽しんでいるように見えたのですか?」
――何故だろう?
ライを責めたいのは、サリファの方なのに、これではまるで、サリファが一方的に尋問されているようではないか?
お互いに眉をしかめて、見つめ合っていると、フィーガの円らな目が静かにこちらを見つめていた。
「…………あっ」
ライの方が先に、サリファから視線を逸らしてしまった。
「悪かったな。サリファ、私も少し疲れが出たようだ」
「それは、まずいですな。陛下」
「少し休めば治るよ。心配するな。フィーガ」
腑に落ちないサリファは、理不尽な思いで直立しているだけだ。
(あれは……嫉妬……か?)
だったら、どうしてこんなに簡単に、ライは退いてしまうのだろう。
少し冷めた目をして、表情だけ大人な顔をして笑うのか……。
ライの悪い癖だ。
(なんでも、すぐに諦めてしまう……)
そういう人なのだ。だからこそ、分からない。
――一体、どうして?
「どうして、貴方は、ここに来たのですか?」
「あんたに、頼みごとをしたからだよ」
「その件でしたら、しっかり結果を出しますよ」
「分かっているさ……。でもな」
ライは先程までナナンが座っていたところに腰をかけると、外套を脱いだ。
サリファにとって馴染み深い「先導師」の衣装そのものだった。
「来てしまったのだから、仕方ないだろう?」
「護衛も連れずに?」
「フィーガがいる」
サリファは何とも言えない顔で、立ち上がったフィーガを見た。
彼の能力は認めている。だけど、それと彼女の立場とは別問題だ。
「私はあの男がそろそろ陛下のもとに現れるのではないかと思って、花を贈ったのですが?」
「ああ、招いてもいないのに、その男とやらは来たよ」
「貴方には、その合図のために動いてもらうつもりでした」
「私がいなくても、それくらい出来る人材はいるさ」
――そんなはずはない。
だが、問い質すこともできずに、サリファは質問を重ねた。
「……ルティカ城は、どうしたんです?」
「セディラムに託した。ざまあ見ろということだ」
「どうして、セディラムに?」
「ああ、そうだったな。あんたはまだ知らないんだった……」
ライは机に頬杖をついて、赤い光草を眺めていた。
「まずは、その辺りから話していこうか……。あんたの方の話も聞きたいな。特にこの光草については……な」
「……レガントが私に寄越しました。意図はさっぱり分かりません」
「レガントか。その男、一体、何を企んでいるのか」
「……でも」
サリファはゆったりと彼女の前に座った。
「陛下は、光草がこの地にある理由に関してはご存知なのでしょう?」
「そのくらいはな……」
「待って下さい。俺は知りません。その草の一房が一体何だというのですか?」
フィーガが心底分からないといった顔で首を横に振った。
ライは口角を上げて、独り言のように呟いた。
「かつて、クリアラは流刑地だった。金持ち商人や、貴族階級の者、そして王族の……な」
だから、ルティカ周辺にしか群生しない光草がここにあるのも納得なのだ。
気候条件さえ合っていれば、この草は強い。枯れることなく、そこに有り続けるだろう。
サリファがどうしてもここに来なくてはならないと感じた理由。
――王家の秘密。
そして、それは即ち、ライの秘密でもある。
レガントは、ライの出自を知っている。
…………最初から、サリファの狙いは決まっていたのだ。




