⑥
ここ最近のライの近況と、サリファの手持ちの情報をつきあわせていったら、時間はあっと言う間に過ぎてしまった。
陽は高くなり、そして、傾きつつある。
途中、天候が良いこともあって、近隣の村民が薬を求めて訪れたりもしたが、知り合いが来ていると言って薬だけ渡して誤魔化した。
サリファとしては、シズクはともかく、ユクスが来訪することを恐れていたが、彼も暇ではない。昨日の今日でそれはないようだった。
…………正直、神経がすり減っている。
長居してもらうわけにはいかないが、追い出したくないのも本音だった。
ライは、その辺りの小さな機微を察する力はある女性だ。
それでも、ここまでやって来たのは、事情があるが故だろう。
理解したいとは思っているけれど……。
「……陛下。港に出て宿を取りましょう。事が終わるまでここにいるのは、さすがに無理です。一泊……二泊程度、この辺りのことを見聞して、あとは我らにお任せ下さい」
気を利かせたフィーガが神妙な面持ちで、進言してきた。
先程からサリファはさりげなく、それを指摘していたが、ライはのらりくらりとかわしていた。いよいよ、自分から言い出さないと、ライが動かないことに感づいてくれたようだ。彼の著しい成長の賜物だろう。以前は、まったく気の回らない男だった。
しかし、決死の思いで言い出したフィーガの思惑とは裏腹に、ライは悠然としていて……。
つまり、最初に腰掛けた椅子から動こうとしないのだ。
「フィーガ。お前はその港町に一泊するついでに町の様子を見て来て欲しい。私はこの男とまだ話がある。今日はここで一泊するので、明日報告に来てくれないか?」
「…………はっ?」
フィーガと二人、声が被った。
彼女の言葉の意味より、その意図を掴もうと試みていたら、傍らの強面の男の顔がみるみる赤く染まっていた。
(意外に純情のようだな……)
少し間を置いてから、サリファは降参とばかりに両手を挙げた。
「……陛下。先程からずっと訊きたかったのですが、貴方は、一体何をお考えなのでしょうか?」
「愚問だな、サリファ。あんたはいつも感情より先に、根拠を探そうとする。私はただの小娘だ。あんたと同等の複雑な考えなんて有りはしないんだよ」
「………………さっぱり、分かりません」
本当に、お手上げだった。
フィーガが鼻息荒く主張する。
「しかし、ですね。お二人だけにするのは、如何なものかと……」
「大丈夫だ。私も以前は先導師として剣を振っていた。それなりに腕には自信があるんだ。……それに、すぐさま刺客が来るとも思えない。もし、万が一危険が迫ったとしても、この男がいれば、どうにかなるさ」
「いえ、その……。俺は違う方の意味で……ですね」
そうして、フィーガは、またしても耳まで赤く染めた。
一体、この男はどの程度の想像をしているのか?
ライも、さすがに彼の言わんととしていること気づいたらしい。
「ああ、そっちの心配の方か。それは命の危険よりも有り得ないことだな。この男は人間には興味のない、植物好きの可哀想な男だ。小さい頃から大人になったら、植物と……」
「陛下。一体、そのネタをいつまで引っ張るつもりなのですか?」
「…………先生は、一体?」
明らかに不審な目で、フィーガがサリファを見下ろしている。
――幼女趣味だの、植物好きの変態だの……。
彼女はサリファの人間関係を崩すために、こんなところまでやって来たのか?
眉間に幾つもの皺を寄せていると、くすりと笑ったライがようやく己の前で再び膝をついているフィーガの方に向き直った。
「フィーガ、お前が案じているようなことはないと断言しよう。この男ほど安全な男はいないんだ。それに、私は性別的には女だが、本当の女……でもない。もし、妹殿が勘繰るようなことがあれば、そう伝えて欲しい」
「ライ……」
思わず、名前で呼んでしまった。さっぱりとした口調がかえって重く感じる。
「私の我儘だ。許して欲しい」
「陛下……?」
フィーガもライの言葉に、並々ならぬ何かを感じたのだろう。
彼女から一歩退くと、再び両膝をついて頭を下げた。
「承知いたしました。仰せのままに致しましょう。先生、陛下のことをくれぐれも頼みましたよ」
「………………分かりました……けど。あの、本気ですか?」
「くどいな」
結局、サリファの家なのに、自分の意志は尊重されずに決定されてしまった。
フィーガが本当に去ってしまうと、やはりこれは現実なのだと、再認識せざるを得なくなる。
「…………ライ、残念ながら、私の家には客人用の寝床も毛布もありません」
「何度も言うが……つまらん男だな。あんたは」
ライは、サリファが淹れた何度目かの冷めた茶を飲み干した。
「……じゃあ、やっぱり寝床がないので、この辺りで泊めてくれる家を探そうと言ったって、私の容姿は悪目立ちするから無理だろう?」
「ええ、変装していたところで、バレないとは限りませんから。既に、バレている可能性だってありますし……」
「だったら、腹を括って泊めてくれ」
「別に、嫌だとごねている訳ではありませんよ。いきなりやって来るから、よく分からないだけです」
「話したはずだ。セディラムが軍掌になったって、究極の笑い話をな……」
ライは声を潜めると、自嘲気味に笑った。
「一見、私にとって優位に物が進んでいるようだが、アイツに軍掌はまだまだまだ無理だ。本人には言わないけどな。どちらかと言うと、ざまあ見ろと嗤ってやっているけど……さ」
「褒美と見せかけて、揚げ足を取ろうと企む連中がいるということです……よね?」
「そのくらい、アイツだって気づいているだろう。敵は外だけじゃないって話さ。あいつがいなくなったら、私は孤立するだろう。私はティファレト人に殺されることはないかもしれないが、けど、死んだも同然だ」
「アルガスとは、いずれ向き合わなければならない時が来ます。その時までに、ティファレトは一枚岩になっておかなければ……」
「心配してくれているのか?」
「当然でしょう。私が何のために……」
――と、話の途中で、ライが立ち上がり、座っているサリファにそっと顔を寄せた。
猫のような丸い目が妖艶な輝きを放っている。
「今回の脱走劇は、前々から私が仕込んでいたことなんだ。あんたから目途がついたと「赤い花」が届くのを待っていた。成功した手柄を、大方セディラムに渡るようにしておきたかったのもあるけど……。でもな、ほとんど覚えもいなくても、一度故郷を見ておきたかったんだ」
「…………ライ」
――ここは、遠い昔のライの故郷。
古の王族の流刑地。彼女がティファレトの王族の血をまったく引いていないという訳ではないのだ。
だからこそ、前国王ユージスの想いから、逃げることが出来なかった。
「なあ、あんたは、いつから私がクリアラ出身だって、気づいていたんだ?」
サリファは特にライから、それを説明された訳ではなかった。
しかし、以前からそうではないかと、感づいてはいた。
「愛国心もないくせして、貴方が強情なくらい逃げないからですよ。だったら、前国王と血筋のせいかと、察しはついていました」
「そんなことで……バレたのか」
「…………それに、貴方の初恋は、当然私だろうと思っていたのですが、まさかの前国王だったとは……。結構、傷つきますね」
「ごほっ、ごほっ」
ライが突然咳き込み始めた。
「あのなあ……! 普段ぼーっとしているくせに、いきなり豹変するから、あんたは、あざといんだよ!」
「あざとい? 散々、人を変態扱いしておいて何ですか?」
「あんたが、いかにもな年下少女にデレデレしているからだろう? エレントルーデが幼女趣味だと言うだけはあるとな……」
――幼女、幼女と、何回も。
「あの……! 一体、いつ私がいつデレデレしていたんですか? 夜明け前から押しかけられて、困っていたんですよ」
「……どうだろうな。あの娘、なかなか可愛かったぞ。積極的な方があんたの好みなんだろう?」
「貴方もね、嫉妬するなら、回りくどいこと言わずに……」
「だから、なぜ、嫉妬なんだ?」
ライはつんと横を向いた。
やっぱりその表情は、サリファのよく知っているライだ。
しかし、いつもと違う髪色のせいか、会わなかった時間が長かったせいか、雰囲気が何処となく違う。
(大人びた……のだろうか?)
遠くに行ってしまうような……。儚さが増したような……。
途端に、怖くなった。
「言っただろう。私は性別的には女みたいだけど、……不完全な存在だ。あんたがアンソカ族のあの子が良いと言うのなら、歓迎するくらいの心の広さは持っているつもりだ」
「……そんな心の広さ、誰も求めてなんていませんよ」
(だから、さっさと解毒剤を飲んでしまえば良いのに……)
サリファが手渡した解毒剤。
あれを飲みさえすれば、たとえ、王位を捨てることになっても、こんな謎の劣等感も、憂いもなく、彼女は一人の女性として自立することが出来るだろう。
――だけど、一方でサリファには分かっているのだ。
彼女は、絶対に自分で解毒剤を飲まない。
背負わされた物から逃げて、後悔することを恐れている。
ライをそんなふうに追い詰めた、責任の一部はサリファにもある。
彼女が覚悟を決める前に……まだ迷っている時に、もっと早く解毒剤を作っておくべきだったのだ。
(…………分かっているんだ)
「さてさて、一日二日じゃ、話も進まないだろうし、せっかくの機会だ。私があんたをねぎらってやろう」
湿っぽい雰囲気になることを避けるためか、ライはそそくさと台所の方へと歩き始めた。
――何をするつもりなのか?
予想ができるだけに、サリファは恐ろしくなって、先回りするように、彼女の後を追った。
「勘弁してください。ライ」
「どうして? どうせ一人で薬膳料理みたいな不味い飯を食っているのだろう。今夜くらい私に料理をやらせろ。記憶に残る美味しい夕食を用意してやる」
記憶に残るおぞましい料理になりそうな予感がした。
彼女の手料理を食べた記憶はサリファにはない。
しかし、料理が出来るか否かは、その人物を見ていれば自ずと分かるものだ。
「そんな恐ろしいこと、やらせたくありません。それに、その言葉遣いは直して下さいよ。貴方、国主なんですから……」
「ああ、もう……。せっかく来てやったのに、うるさいな。カテナ様と逃げていた頃は、配膳担当だってやっていたんだ」
「どうせ、皿を並べるくらいだったんでしょう」
「サリファ、そういう時だけ、鋭く当ててくるのはよくないことだと思うぞ。私はな、剣の使い方には慣れているんだ。包丁だって楽勝なはずだ」
「そういうことを言う人に、まず料理が得意な人はいません」
「……で、何を切ればいいんだ?」
「人だけは、切らないで下さい」
それだけ言うのがやっとだった。
――おかしな騒動を起こして、目立ってしまったら大変だ。
その一心から、彼女一人に任せることなど出来ずに、結局サリファが献立を決めて、一緒に作る羽目になってしまった。
(一体、私は何をやっているのか……?)
やらなければならないことは山積している。
それは、ライも同じはずだ。
……なのに、サリファは包丁を握り、長らく会うことがなかった彼女と、ぎこちない距離感で料理を作っているのだ。
不甲斐なさを責める一方で、こんなに長い時間を二人で過ごしたことがないことも事実だった。
(愚かだな……)
この時間が永遠に続くことを望んでしまっている自分も、確実に存在しているのだ。
「…………あのな、サリファ」
「はい?」
薪で火加減を調整しているサリファに、ライがぽつりと囁いた。
「昔、私が初めて意識したのは、ユージス様じゃない。間違いなく、あんただったよ」
「………………」
瞬間、鋼鉄の理性に、罅が入った音がした。
スープが沸騰している。
そんなこと、どうでも良くなるくらいに……。
自分は大丈夫だという、独りよがりな自信は泡のように消失してしまった。
ライもフィーガも、サリファを読み違えている。
――今夜、もっともライにとって危険なのは、この世で間違いなくサリファなのだ。




