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「………………という訳よっ! どう? 先生、言われたとおり、私とっても頑張ったと思わない?」
夜明け前に、早速サリファ宅を訪れたナナンは、疲れを知らないようで、ぺらぺらと喋ってくれた。
サリファは眠っていたわけではなかったが、彼女の長い説明で眠さは思い出していた。
つい欠伸が漏れてしまう。
「有難うございます。おかげで内部からの様子が分かりそうですよ」
今にも眠ってしまいそうなことを、ナナンに気づかれないために、サリファは茶を飲み干した。もう一杯淹れておいた方が身のためかもしれない。
――アンソカ族のナナン。
見た目は、十代後半に見えるが、まだ十四歳の少女だという話だ。
兄のフィーガは、サリファ専用にライが雇った護衛だが、彼女はただ彼の妹というだけで、クリアラまでついて来る理由は一つもなかった。
南部で自分の故郷にも来てほしいとフィーガに頼まれて、サリファが立ち寄ったのが縁ではあった。
短い時間だったが、アンソカ族のことも分かったし、子供たちに勉強を教えることも楽しかった。
ナナンは覚えの悪い生徒ではあったが、武芸に関しては素晴らしい腕をしていて、鈍いサリファには先生のような存在だった。気配の絶ち方を教えてくれたのも彼女である。
……しかし。
まさか、ナナンが北州行きに同行して来るとはサリファ自身、予想もしていなかった。
(ついて来なくても、良かったのにな……)
いくら、武術が優れているとはいえ、十四歳の子供がうろうろするような場所でもない。
ましてや、そのぴんと尖った特徴的な耳は、かえって目立ってしまうので、共に行動するには、面倒なのだ。
――だが、サリファの方にも事情があった。
今現在、まったくといっていい程、人手が足りないのだ。
自分一人でも、すべてを仕込むことは出来そうだが、そうなってくると、期日に間に合わない可能性も出てくる。
少しでも、早くこちらで準備を終える必要があった。そのためには、どんな手でも借りたい。
実際、大口を叩いているだけあって、ナナンの仕事は早かった。
その点は信頼できそうだと、見直していたのだが……。
(この……忙しなさがなければな…………)
「あのさー、先生。私も知っていることを知らないふりするのが大変なのよ。どうして、先生自ら、シズクのこと指摘してあげなかったの?」
「ああ、それは……」
サリファは二杯目の茶を淹れながら、乾いた声で答えた。
「苦渋の選択ですよ。私ではシズク君が油断してくれませんから。彼は無害そうにしていますが、結構したたかな子ですよ。まあ、彼が油断してくれたとしても、ターニャという女性は私のことを警戒するでしょうしね。やはり、年が近い方が気も緩むと思ったのです。現に貴方は早速、あちら側の集落に行くことが出来ましたよね……」
最初から、シズクが中毒症状のあるヒューリやシエットの階級の者と交流があるのは分かっていた。
その身分制度の人間が何処に住んでいるのかも、先にナナンとフィーガに調べさせてはいた。
しかし、サリファ自らが彼らを手当てすることは出来ない。
サリファが彼ら側と面識を持つことは、レガントの敵になるということだ。
あくまで、サリファの狙いはレガントにある。表立って、盾突くことは得策ではない。
自分で行動出来ないのなら、誰か違う人間を使うしかなかったのだ。
そこで……。
ナナンが一番の適役であったのだ。
彼女であれば、サリファの知り合いだったとしても、まだ子供だという理由で如何様にもなる。いざとなれば、自分で逃走することも出来るだろう。
昨日、彼女がたまたまやって来たので、これは好機だと思った。
以前から、シズクのことは言い含めてあったので、ナナンは嫌々なフリをして、彼の自宅に行ってくれた。
彼のもとで色々と情報を収集して欲しかったのだ。
「先生の言っていた通り、あの人達に痛み止めじゃ、何ともならないって話してはみたけどね」
「しかし、彼らはその薬を使う以外に道はないのでしょう。彼ら自身、分かっているはずです。自分たちの掘っている物の影響で病が蔓延していることを……。ずっと昔から、中毒症状は出ていたはずですよ」
ナナンの向かい側に腰を下ろしたサリファは、机上の「赤い光草」に視線を向けた。
北州公レガントから渡された褒美。
成分を分析すれば、すぐにその「赤色」の由来は分かった。
――分かってしまった。
彼らが掘っている鉱石の色である。
その赤が長い年月に染みだして、光草が赤くなった。
しかし、問題はそこではない。
重要なのは、これをサリファに託したレガントの狙いの方だった。
(これでは、まるで私に調べてくれと言っているようなものではないか……?)
「分からないな……」
(あの狸オヤジ……)
ひとりごちると、ナナンの方が反応してしまった。
「私だって分からないわよっー! ねえ? 先生は一体何をやりたいの? 私、そろそろ、あの家を出て行きたいんだけど?」
「えっ、ああ、あと少しだけ待って下さい。出来れば粘って下さい」
「はあっー!? そんなあ」
まだこの時間では、シズク宅では誰も起きていないだろう。
シズクには、サリファ特製の睡眠薬を盛ったとナナンが言っていた。
だったら、まだ深い眠りの中にいることは間違いない。
今こっそりシズク宅に戻れば、ナナンが抜け出してサリファに会っていたことは分からないはずだ。
報告はここまでにしてもらって、今すぐシズク宅に戻ってもらう方が良い。
「あの、ナナン……」
しかし、頼みごとをする以前に、ナナンはサリファの前で、両手を合わせて拝みこむように頭を垂れていた。
「一体、何の真似ですか?」
「先生~。あの中毒患者さんたちを助けたいって言うのなら、私が私の責任で薬持って行くから。だからー、私を先生のところに置いて下さいっー」
正直、彼女の行動がさっぱり分からなかったサリファは、謎の懇願に拍子抜けしていた。
「…………そうですか、なるほど、それが目的で、貴方はシズク君のところを出て行きたいんですか。しかし、私はシズク君の両親についても気になっているので、調べて頂きたいのです」
こちらの都合の良いことを頼んでいることは重々承知だが、気になるのだから仕方ない。
案の定、ナナンは大仰に溜息を吐いた。
「えーっ、そんなこと、どうだっていいじゃん。アイツは坊ちゃんだった。それだけよ!」
「……しかし、私は、彼の母方のことをもっと知りたいのです」
父方については分かっている。
問題は、母方であった。
サリファの推論は、当たっているだろう。
もちろん、一目会った時から確信も持っている。
そうでなければ、自分はシズクに対してとんでもないことをしていることになる。
――けれど、情報は出来るだけ揃えておきたいのだ。
彼女のためにも……。
「……でもさ、そんなこと言われても、あいつ意外に口が堅いんからさ」
「大丈夫ですよ、アンソカ族最強の貴方なら。頑張って下さい」
柔和な笑みで励ますと、逆にナナンの表情が険しくなってしまった。
「あああっ! 嫌だ嫌だー。せっかく兄さんもいない。私と先生と二人きりなのに、どうして、あんなガキと一緒にいなきゃいけないのー」
おかしい。ただ微笑みかけただけなのに、何処で彼女の逆鱗に触れてしまったのか?
(何だか、勝手に嘆き始めてしまったが……?)
アンソカ族は、皆こうなのか?
いや、違うだろう。少なくとも、彼女の兄は違う。
(……フィーガか)
妹とは違い、寡黙で仕事熱心な男だ。
あの男がリッカ城の井戸の配置を調べてくれたので、サリファの考えも纏めることが出来た。
今、フィーガには、ルティカに走ってもらっている。
(そろそろ、エレントルーデが私の送った文について、文句を言いに来る頃だろう……)
ノエムが思ったより早く行動を起こしそうだと、フィーガから情報を耳にしていた。
それならばと、サリファなりに、少し早めに、準備をしてもらおうと考えたのだ。
(無事、ライに伝わると良いが……)
あの花を見れば、ライには即座にその意味が分かるはずなのだが……。
(…………そうしたら、再びライと会うことも出来るだろうか?)
「先生!!」
やはり、ぼうっとしていたことが露見したようだ。
ナナンが拳で激しく机を叩いた。
ついでに机の上に片膝も掛けてきたので、サリファは慌てて光草を手前に避難させる羽目になった。
「どうしたんです。ナナン……?」
行儀が悪いにも程があると注意したかったが、勢いに乗って襟元を掴まれてしまったので、それは無理そうだった。
「先生!!」
「叫ばなくとも、聞こえていますって」
「私はね、先生と出会って、世界が広がったのよ。だから、もっともっと先生を良く知りたい。仲良くなりたいの! 分かる!?」
「不思議なことを言う人もいるものですね。私と仲良くなりたい? でしたら、時間の余裕がある時にでも、算学についてみっちりご指導しましょう。より世界が広がること間違いなしです」
「あーもう! この人、いやだあー!!」
「はあ?」
泣きだした……訳ではない。ただ子供のように泣き真似をしているだけだ。
それにしたって、何を泣くことがあるのだろうか……。
算学が嫌なのか……。
女性は算学嫌いが多いと聞く。もし、そうだとしたら?
「だったら、歴史にしときますか?」
「更にムカつくわー!!」
「すいません。よく分かりませんけど、一応、謝罪しておきます。まあ、私に腹を立てても、褒賞については、ちゃんと掛け合って、きっちり出るようにしときますから、今は……」
「うわーん!」
駄目だ。目の前で酔っ払いのように、急に机に突っ伏してしまった少女が何者なのか分からない。
動物を相手にしているような絶望的な気分に陥っていると、ナナンはむくっと顔を上げた。
「ああ、もうっ! 先生がまごまごしているから、いけないのよ!」
「…………すいません、ナナン。私はどうやらティファレト語がまだ不自由なようなです。それとも、アンソカ族には独自の言語があるのでしょうか?」
「違う違う違う。兄様が帰ってきちゃったってことよ」
「なっ、フィーガがですか?」
転瞬、がたんと、扉の前で音がした。続いてノックの音が響く。
アンソカ族の耳は優れているのだ。
小声で悪口を言ったとしても、内容を聞きつけるくらい恐ろしいほど耳が良い。
おそらく、ナナンは兄の靴音を聞き分けたのだろう。
実際、彼らはサリファ宅に近所の人が近づこうとしているのを察知して、姿を消すことは間々あった。
(さすが、アンソカ族。頼もしい限りではあるんですけど……)
だったら、自分の声の大きさも調整して欲しいものだ。
夜明け前から、甲高い声を聞きすぎて頭が痛い。
「思っていたより、早い帰還ですね。さすがです」
労いの言葉と共に、サリファはよろけながら隙間風の入り込む扉をこちらから開けようとした。
「待っていました。フィーガ」
――が、その言葉は意味を為さなかった。
サリファの表情は一瞬で固まった。
扉の前に立っていたのは、長身のフィーガではなかった。
夜明け前の微妙な色彩。
小柄の……。
身長としては、ナナンと同じくらいの少女。
丈の長い裾にあしらわれている花の刺繍に、サリファは懐かしい記憶のある場面を追体験していた。
「どうして、貴方が?」
「……久しいな、サリファ。息災のようで何よりだよ」
ひどく懐かしい声だった。
幻のような華奢で今にも壊れそうな少女が、照れくさそうにふわりと微笑った。
それは、絶対にルティカにいなければならない人物。
他の誰よりも、サリファが優先していた唯一人の女性。
―――現ティファレト国主、ライハだった。




