9 温泉に浸かる
『歓迎! 勇者御一行様』
アリストーマが予約しておいた最初の宿では、そんな横断幕が玄関の上に張られていた。
「…………」
「…………」
「…………」
* * *
これより少し前。
「これはとても今日中に森を抜けるのは無理だな……」
アリストーマが暗くなり始めた森の中でつぶやいた。
高い木が鬱蒼と茂る森は日暮れが早い。
「勇者様は歩くことしかできないからな。しかも遅いし」
コロンが浮かれた声で言うとアリストーマが反論した。
「コロンさんが遊んでばっかりいたからでしょ? お三方は立ち止まってコロンさんが小川で水遊びに飽きるのを待ってたじゃないですか」
「だってぇ……。森の中歩くのなんて久しぶりなんだもん。いつもサアーっと飛んでっちゃうから」
そういえば途中でも戦闘魔法士たちが東に向かって空を飛んでいくのが見えたな。
「ここでは皆、移動は空を飛ぶんですか?」
面田の質問にはアリストーマが答えた。
「いや、皆ではありません。一応人間は誰でも飛べますが、飛行魔法はけっこうエネルギーを使うので魔力の弱い者は疲れるからと歩く人も多いです」
アリストーマは懐から何か小さな豆粒のようなものを取り出した。
「ですからそういう旅人のための宿もあります。この先に夕日の見える温泉宿がありますから、そこに先触れを出して今夜の宿を予約しましょう」
アリストーマがその豆粒を空中に放り投げ何か呪文のようなものを唱えると、それは、ぷよん、とふくらんで小さな羽の生えたスライムになった。
「スライムは通常地面を這うだけで飛べないんですが、こうして飛行魔法の羽を付けてやると伝書スライムになって先触れの使い魔になってくれるんです」
「はあ……便利なもんだなや。やっぱり便利に乗り遅れた俺たちゃ、時代遅れなんかねぇ……」
大鋸のつぶやきに、事平が苦笑いで言った。
「これは時代と関係ないでしょ」
* * *
宿は天然の洞窟を利用してその中に木造で造ってあった。
木造の宿に大鋸の目が輝く。
玄関の前に巨岩が1つ、どん、と鎮座しているが、これはこの世界の作庭の作法なのだろうか?
面田は(ちょっと邪魔な感じだけどな)と設計者として思ったが、この世界の作法には口は出さないことにした。
「これはこれは。東の魔物と戦いに行かれる勇者様が、我が宿にお泊まりいただけるとは。望外の栄誉!」
宿のスタッフ一同だろうか、ゴブリンみたいな人も含めて腰をかがめて挨拶をする。
ただの事務員の事平はなんだか申し訳ないような気がした。
「あの岩は? わざと置いてあんの?」
コロンがさっきの巨岩を指さす。
「ああ、通りにくくて申し訳ないです。数日前に上の岩山から転がり落ちてきたんですが、私らの力ではどうすることもできず……。王都に力のある魔法士の派遣を依頼してはあるのですが……」
「ふうん」
とコロンがその岩を見る。
「では勇者様。ひとつ小手調べの戯れなどお願いしてもよろしいでしょうか? 宿の者が困っているようですので」
ちょっと小腰をかがめて大鋸を見た。
「え?」
と言った大鋸の背後でピカッと光が走った。
3人がふり向いたときには、巨岩は粉々の砂になっている。
「こっ、これは! ありがとうござりまする!」
宿の主人が3人の前に平伏した。
「最高のお部屋をご用意し、西の露天風呂を勇者様御一行の貸切にさせていただきます!」
「「「え?」」」
「さすがは勇者様です。ふり向く前に岩を粉々に砕くとは」
コロンが言いながら笑い目になっている。
「ぷくく……。すっかり騙されてやんの♪」
部屋に入るとコロンが口を押さえてまた笑い目になった。
「やっぱりコロンさんなんですか? あれ、やったの」
「いいじゃない? 面白いし——。この爺さんたちを勇者ってことにして旅をするんでしょ、アリストーマ隊長? 露天風呂も貸切になったし」
面田たち3人はなんだか宿の人たちに申し訳なくて、いたたまれない。
しかしそんな後ろめたさも、露天風呂に浸かったらどこかに消えてしまった。
「あ゛————! ゴクラク、ゴクラク」
大鋸の声が洞窟内に反響する。
洞窟はやや高台で西に開けており、眼下に見える湖とその先に広がるゆるやかな地形の森の先に沈む夕陽が眺められた。
「はぁ————! いやあ、アリストーマさん、ありがとう。こんないい所に泊まれるなんて」
面田が岩に背をもたせかけて、夕陽を眺めながら頬をゆるませてお礼を言った。
これは招喚してもらわなければ眺められない景色だろう。
「わたしもそっち行こうかなぁ——」
仕切りの向こうからコロンの声が響いてきた。
「や……やめなさいよ!」
アリストーマが赤くなって制止する。
「だって、こっち1人だから寂しいんだもぉん」
「うら若き1297歳の乙女なんでしょ?」
「あはは。冗談だってば」




