君と僕だけの教室 其ノ伍
貴方以外は何も要らないから——
「あの過去は、忘れて」
——音速の如く準備した結果、一つ遅い電車に乗る事になった。朝の差をここまで縮めたこの僕を賞賛する人は何処にいる?
いつもなら八時十五分に着いているが、今日は遅刻ギリギリの二十五分だ。この時間になると殆どの生徒が登校している為、クラスや廊下は人で騒がしくなる。
騒がしくなる。はずなのに、
どうしてこんなにも静かなんだ?
廊下には片手で数えられる程の人しかいない。嫌な予感を覚えながら、僕のクラスに向かう。
途中で他クラスを歩き見した時、動揺と焦燥が僕を襲う。
全クラスが元の半分程度の人数しかいない。
これは欠席や校外学習なんかじゃない。僕だけが知っている真相。心臓が痛くなる。体の中心に悪感情が生まれる。また人が消えた。どうする。どうする。どうする。
「あのー、大丈夫ですか?」
知らない声に少し驚く。しかしその驚きを直ぐに隠す。僕が死人の様だったから心配して話しかけてくれたのだろうか?
「死人の様な顔していたので…」
当たらないで欲しい予想が当たった。
「ああ、私一之瀬永遠です」
聞いた事無い名前だ。いや、でもたまに廊下等で「永遠ちゃ〜ん」とか言ってる声を聞いた事ある気もする。
「僕は雨宮朱斗です」
「朱斗くんね!で、どうして死人みたいな顔してたの?」
「ああ。別に問題は無いよ。ちょっと考え事をしていただけ」
「考え事なら私もしてました!」
「ん?何を考えてたんだ?」
「え?いやなんか変じゃないかなって」
「変?」
「こんなに人が沢山休んでるのに皆それを全然気にしてなくて」
……え?
こいつ、人が消えた事を認識している?僕以外に認識出来る奴が?
「だ、だよな。こんな一斉に休むなんて変だよな?僕も同じ事を考えてた所だ」
「そうですよね?なのに皆にこの事言っても、全く疑問に思って無さそう何ですよ。最早、最初からそんな子いないよー。みたいな」
やっぱりだ。こいつは僕と同じ、この変異の世界を認識している。でも何故?
「ねえ。最近…」
(キーンコーンカーンコーン)
「ヤバ!忘れてた!またね!」
「ごめん!君何クラス?」
「A!」
一之瀬は走りながら答える。僕達は互いに反対方向にある教室へ一直線に向かった。
スライディングするかの勢いで机に座る。まだチャイムは鳴り終わってない。危なかった。
「うわ。蚊が」
「潰されて死ぬのだけはごめんだ」
荒らげた息を整える。
「すみませ〜ん!遅れました!」
恵ちゃんが遅れてきた。
「はいじゃあ出席取りまーす」
「雨宮くん」
「はい」
「立花さん」
「はい」
「うん!今日も休みゼロ!このクラスは元気ね!」
ちょっと待て。今ふと気づいたのだが、仮に僕と立花の二人が休んだ場合、恵ちゃんの反応は、恵ちゃんに限らず、授業に来る先生達はどう対応するのか。これは気になりすぎる。
「はいじゃあ今日はこの時間で委員会を決めます!」
ん?委員会?それはつまり…
「えーっと、級長、副級長、保健委員、環境委員、風紀委員、体育祭実行委員、文化祭実行委員は今決めたいな!」
おっと。今この状況を見ると分母より分子の方が多い。即ち、人の数より委員会の数の方が多い。まさかな?普通は委員会の掛け持ちや重複は許されない。普通は、ね?
「はいじゃあ級長やりたい人」
立花は挙げる気配ない。しょうがない。僕がやろう。
「はい!えっとー、雨宮くんね」
まだ名前覚えられてないのかよ。
「はいじゃあ副級長」
「はい!立花さんね」
こいつは覚えているんだな。そして問題はこの後だ。
「はいじゃあ保健」
「…」
「保健やりたい人はー?」
うん知ってた。だって僕ら二人しかいないんだもん。隣のこの女が挙げなければ、必然的に、最早自然の摂理と言える程、結果は予想出来る。
「よし!じゃあーえっと、雨宮くん!」
まあ最悪、半々ならなんとかは、いやならないよ?
「じゃあ次環境」
「…」
おいちょっと待て立花。手を挙げろよ。お前は鬼畜か?そうだな。鬼畜だったな。
いやでも環境委員が嫌なだけかもしれない。
「はい!えっとー、雨宮くん!」
「次!風紀!」
最早立花は指すら動かさない。いや無理だよ?
残りの委員会も全て僕が所属する事になったら、如何に分身するかを考える事の方が、余っ程簡単だ。
「はい!んーと、あ!雨宮くん!」
この無能もいつまで僕の名前を覚えないつもりだ。
てか本当に頼む。キツイからとか忙しいとかじゃなく、単純に不可能だから残りは挙げてくれ。いや本当に。
「体育祭!」
「…」
うんもう死ね。
「はい!えー、雨宮?くん!」
「次文化祭!」
「はい!んーと、雨宮くん!」
さて、どうやって分身しようか。
期待するだけ無駄というのは過去に経験した筈なのに。迂闊にも期待してしまったせいで、余計にダメージを食らってしまった。
「うん!いい感じかな!概ね予想通りって感じ」
こいつはいつ死ぬの?
「じゃあ決まった事だし朝のHRは終わりね!級長。号令」
「きりーつきおつけれー」
「ねー!ちゃんと言って?!」
ここが学校じゃなかったら今すぐこいつを殺してやる所だ。
「起立、気をつけ。礼」
一度席に着いた。
「雨宮くん。そんなに委員会やりたかったの?」
誰のせいだと思っているんだこのクソビッチが。
「ああ。そうだよ」
「残念だわ。文化祭実行委員やりたかったのに」
僕は全力で歯を食いしばって怒りを抑える。
「そうかそうか。すまなかったな」
「本当よ。ガキじゃあるまいし、少しは譲る心を持ちなさい。私のように」
よし、もうとっととこのクラスを出よう。
「何処へ行くの?」
「Aだ」
一之瀬と話がしたい。さっき話せなかった、この件についてどれ程知っているか。後ついでに顔と脚でも見て興奮を抑えよう。いや、してしまうかもな。
毎度毎度、僕がこの教室を出る度に鋭い視線を感じる。何故?まあ怖いから無視するけど。
Aクラスに着き、一之瀬を探す。一之瀬は一人で俯いている。何か考え事をしている様に見える。どうやら周りの友達は全員消えてしまったらしい。
呼びかけようとしたが、緊張で中々声が出せない。いつもなら尚更無理だが、今は人が少ない。声をかけるなら今しかない。
「一之瀬。ちょっと来てくれ」
「ん?あー!朱斗くん!」
声がでかい。視線が僕に集まる。思わず汗が吹き出す。とりあえず廊下に行こう。
「どうしたの?」
「ああ。さっき言えなかった話の続きだ。ちょっと興味があってな」
「あー、なるほどね!私もずっと考えてたんだよねー」
何故こいつに、変異後の世界を認識出来るのかは一先ず置いておいて、一番最初に聞きたい事がある。
「ここ最近、変な事やおかしな事によく出くわさなかったか?」
「え、うん。ちょっと気になる事というか、変な事というか」
「どんな感じだ?」
「なんか今回みたいに人が突然減ったり、とか?」
理屈は分からないけど、一之瀬には人が消える事だけを認識出来るみたいだ。
「そうか。僕もその件で悩んでいてな」
「あと、一つだけどうしても気になる事が」
「ん?何だ?」
「実は朝の件、心配とは別にもう一つ他の目的があって朱斗くんに話しかけたんですよ」
「別の目的?」
「…私達、会ったのは今日が初めてですよね?」
「うん。そのはずだけど…」
「私、最近夢で朱斗くんを見たんですよ」
「…え?」
「それは、どういう?」
「言葉の通りです。夢の内容は、友達と遊んでいたり、勉強していたり、そんな朱斗くんの日常が三人称で映っている感じです。しかも…」
「……」
僕は息を飲む。
「どれも中学生の朱斗くんなんです」
この前、僕にも似たような事が起こった。中学生の立花。高校に入る前に知り合っていないはずの中学生の立花が夢に出てきた。
同様に僕と一之瀬も中学では会っていない筈だ。だって僕の中学は…。
中学は、あれ?
僕、どこ中だっけ?
あれ?どんな形してたっけ?
あれ?中学から仲良かった、あいつの名前何だっけ?
中学生の僕。何してたっけ?
何も、思い出せない。僕が過ごした中学の三年間。その部分だけ空いたように、高校以前で思い出せる記憶は小学六年生までの記憶だ。どうなっている?
「あの、大丈夫?」
「ああ、ごめん。ちょっと待ってくれ」
冷静になれ。中学に行っていない訳ではない。それは確実だ。理由は、高校の勉強にはついていけている。中学の範囲とやらは理解している為、確かに通ってはいた筈だ。
そもそも義務教育をまともに受けてないやつは、この高校に入れない。別に進学校ではないが、底辺校でもない。思い返してみれば、なんでこの高校に決めたんだっけ?僕が今、記憶を思い出せないだけで、当時は何か理由があったのか?それすら分からない。
自分の家からこの学校は少し離れているので、この学校にいた友人は全て、高校からの付き合いだ。中学の同級生は…
何故一之瀬が僕の中学時代の夢を見たのかは、一旦別として、それが僕の「失った記憶」なら、深掘りするのが得策と予想する。中学の立花の件も何か関わりがあるのだとすれば尚更だ。
それに大方この一連の予想は着いた。何故失っているのか。どうして思い出せないのか。
「ごめんな。話がまとまった」
「ん?どうするの?」
「もし仮に、これからも僕の中学の頃の夢を見る様だったら、随時僕に内容を教えてくれ」
「いいけど、今日見たやつみたいに、別に内容がある訳じゃないよ?」
「いや、それでいい。あと一つ聞きたいこともある」
「何ー?」
「一之瀬はどこ中だ?」
「えーっと。ん?あれ?なんだっけ?名前ド忘れしちゃったかも」
「中学で何を過ごして誰と関わっていたか覚えてるか?」
「ん?あれ?それも出てこない。なんで?私、よく遊んでたけど、ごめん本当にド忘れしちゃってるみたい」
「いや。それはド忘れじゃない」
「え?」
「記憶を、消されたんだ」
「消された?」
「ああ。僕も中学の記憶が無い。同様に何も思い出せない。消された理由は話すと長くなるから、言うべきタイミングで言う」
これは変異の仕業だ。変異の世界がそうしたのだ。その事を一から説明するのは少し時間が足らない。一之瀬には言うべきタイミングで説明しよう。
「そう…なんだ。あ、だから私の夢を頼りに、中学での出来事を思い出そうとしているんだね」
「そうだ。何か分かるかもだからな」
「分かった!」
「そしてもう一つ分かった事がある。まあ厳密には真実と言うより予想と言う方が正しいが」
「ん?なになに」
「僕と一之瀬は、恐らく同じ中学校出身だ」
「え?まじ?」
これはまだ、あくまで僕の予想だ。
恐らく、夢の中なら変異の改変の影響は受けないんじゃないか。正確には受けないと言うより、変異によって無理矢理抑えている記憶が、現実から逃れる事によって少し見えるようになる、という方が僕の予想としては正しい。
僕はこの予想を考えた後、自分の言った事で自分を驚かせる事になる。
だとすれば、あの日見た「あの夢」は…
——僕が過去に経験した、実際の出来事という訳か?
二千二十年四月十一日




