第31話 裁判
なぜ彼がこのペンダントを持っているのだろう。
わからなかった。
この状況では尋ねることもできない。
それでも彼がこのペンダントを私に譲った理由はなんとなくわかった。
彼はこれを「すごく大切なもの」だと言ったのだ。
きっと私を見捨てることに対する、せめてもの罪滅ぼしなのだろう。
ハートの女王が金切声で「首を刎ねよ!」としきりに叫ぶ。
彼女は白ウサギの衣装から深紅のドレスに着替えていた。
やっぱり佳代はそのドレスがよく似合うな、なんて場違いなことを考えた。
「まず尋ねたい」
聞き覚えのない男性の寂声だった。
視線をやると、矍鑠とした白髪の老人が、女王の隣に立っていた。
背丈が高く、堀の深い顔立ちだった。
見覚えがない。
この世界にしか存在しない人物だろうか。
三十人近くいる人だかりにも、見知った顔はいなかった。
あるいは私と面識がないだけで、彼らも現実の誰かを模しているのかもしれない。
私はふと思い出す。
そういえば瀬川は最初、一般人からエキストラを募集しようとしていたのだ。
確かなことは言えないけれど不思議の国の住人が、人語を介する動物ではなく人の姿をしていることと、無関係ではないような気がした。
ジョーカーは真帆ちゃんの役だと言ったのも、波戸にハートのエースとして劇に出てくれと言ったのも、瀬川なのだから。
寂声の老人が言う。
「貴様はハートのエースだな。そこでなにをしている」
「この者に脅されて、無理やり従わせられいるのです。女王様のところに連れて行けと言われたのですが、危害が及ぶと思い城外に連れ出しました」
「ここに貴様たちが居ると、何者かから密告があったのだが」
「おそらく私がアリスの目を盗み残した痕跡を、誰かが見つけたんだと思います」
老人は、彼の言い分に納得したようだった。
「よくやった、ハートのエース」
私はほっと胸を撫で下ろした。
これでもうなにも心配しなくて済む。
「アリスは不法入国後、聖剣を盗みトランプ兵を壊滅させた。そのさなかに女王様を人質にとり——そして王様を殺害する」
息をのむ声がいたるところからした。
女王の金切声。
佳代の姿で、そう何度も叫ばないでほしいな、と私は思った。
それとも佳代だって、大切な人を殺されたら、あんなふうに取り乱すのだろうか。
私のために泣いてくれる佳代の姿が、自然と脳裏に浮かんだ。
「その後ハートのエースを脅迫し、再度女王様に危害を加えようとするも、ハートのエースが機転をきかせ城外に連れ出し、そして今に至る。なにか弁明はあるか?」
私は首を振ると、何十もの罵声が飛んできた。
声には質量があるのだと初めて知る。
視線を伏せ、握り潰されるような胸の痛みに必死に耐えた。
「静粛に」
その一言で川原に静けさが戻る。
そして寂声の老人は、自らその静寂を破った。
「それでは判決を言い渡す」
どうやら彼の役は、裁判官であるらしい。
「王殺しの大罪により、アリスを斬首の刑に処す!」
地響きのような喚声の中、私は「嫌だな」と思った。
このまま首を刎ねられてしまったらペンダントが汚れてしまう。
あるいは私の首とともに断ち切られてしまうかもしれない。
首から外してポケットにしまおうか。
そう考えたけれど、結局は同じことだ。
大罪人の亡骸がまともに扱われるとは思えない。
きっと辱めの限りを尽くされ、持ち物も全て打ち壊されてしまうだろう。
いっそ川に投げ捨ててしまおうか。
それはとても諧謔的な行為に思えて笑えてくる。
もちろん、そんなことができるはずもないけれど。
これはハートのエースがプレゼントしてくれたものなのだ。
そしてその行為が相手にどれほどの痛みを与えるのか、私は身をもって知っていた。
何かがぶつかり合う鈍い音。
飛び交う言葉から、私の首を刎ねるための道具を用意しているのだとわかった。
顔をあげると、巨大な断頭台が今まさに組み上げられようとしていた。
龍の首でも落とせそうな刃が鈍く光る。
なぜか私はペンキの缶を連想した。
視界の端から伸びてきて、足元の荷物を掴む波戸の腕と、彼の大きな背中を思い出した。
死の恐怖から逃れるためだろう。
やがて周囲のやりとりが、意識の表層を上滑りするようになる。
自分の五感さえもが、画面の向こうで行われている雑事のように感じられた。
その時、小さな疑問が頭をもたげる。
それは普段の精神状態なら気にも留めないような、ほんの微かな違和感だった。
——ここに貴様たちが居ると何者かから密告があったのだが。
先ほどの裁判官の言葉。
なにかが変だ。
どうして彼は、ジョーカーにわざわざ匿名で密告するように頼んだのだろう。
どうして、ただ通報するだけではいけなかったのだろう。
「ちょっといいかしら」
騒然とした中でも、よく通る声がした。
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