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初めて口にする二度目の言葉  作者: 相上和音


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第30話 ペンダント

 私は自分の胸元にあるハートのペンダントをじっと見つめていた。

 シンプルでいて、とても可愛らしい。

 それは中学の卒業式の日に、恋愛永樹の下で波戸に贈ったものだった。


 間違いない。

 間違うわけがない。

 どれだけ時間をかけてこのペンダントを選んだことか。

 それは私の胸にぽっかりと空いた穴と同じ形をしていた。


 あのころの私はまだ、彼が『愛ちゃん』というあだ名を嫌っていることを知らなかった。

 むしろ『愛』という呼称が、誰にでも優しく、誰よりも優しい彼にふさわしいとさえ思っていた。

 だから私はこのペンダントを選んだのだ。

 彼に対する私の想いも込めて。


 きっと喜んでくれると思っていた。

 私の気持ちを、それだけで察してくれると考えていた。

 だから私はなんの説明もせず、ただ無言でペンダントを差し出したのだ。


「えっと」


 彼は反応に困っている様子だった。

 綺麗に包装された箱を、危険物でも扱うように両手の指先だけで持つ。

 箱ではなく自分の上半身を動かして、色んな角度から観察していた。

 パントマイムでもしているみたいでおかしかった。


「開けても、いいのかな?」


 私は頷いた。

 彼が丁寧に包装を解くと、白いジュエリーケースが露わになる。


 どんな反応をするのだろうと、私はドキドキしていた。

 半分は緊張で、もう半分は期待だった。

 声をあげて喜ぶだろうか。

 それとも赤面して慌てふためくだろうか。


 ペンダントを選んでいる時から、何百回って想像を巡らせた。

 でも実際は、そのどれとも違った。

 彼は蓋を開けると、訝しげにペンダントを摘まむ。

 そして目の高さにまで持ち上げ、顔を歪めたのだ。


「有子も、俺を馬鹿にして……」


 怒っているように見えたけれど、あれは傷ついていたんだと、今ではわかる。

 彼は手についた汚れを払うようなぞんざいな仕草で、ペンダントを川に投げ捨てた。

 ぽちゃんと小魚が跳ねるような音がして、私の想いは川の底に沈んでしまった。


 その後にとった私の行動は、愚かしいの一言に尽きる。

 私は衝動的に彼の頬を叩いたのだ。

 そして彼を残して一人で山を下りた。

 足元に注意を払う余裕がなくて何度も転んだけれど、まるで気にならなかった。


 家に帰り着いても怒りは収まらなくて、私は物に当たり散らした。

 鞄をベッドに投げつけて、胸のコサージュをむしり取る。

 鋭い痛み。

 見ると、曲がった安全ピンが指に刺さっていた。

 血が滲み、怒りはさらに増すばかりだった。


 もう何があっても許してやるもんか。

 どれだけ謝られても、たとえ土下座されたとしても、口も利いてやるもんか。

 私は本気でそう思っていた。

 どれだけ頭が悪いのだろう。


 でもその怒りは、そう長くは続かなかった。

 彼は謝りにくるどころか、メッセージ一つ寄越さなかったのだ。


 途端に不安になる。

 それまでは『彼がペンダントを投げ捨てた』という事実だけを捉えて激情に駆られていたけれど、音沙汰がなく三日が経ち、少し冷静になった頭で考えてみた。


 なぜ彼があんな行動をとったのか。

 答えに辿りつくまでに時間はかからなかった。

 その時になってようやく私は、彼が『愛ちゃん』というあだ名を嫌っていることに思い至ったのだ。

 きっと彼はそのあだ名で呼ばれるたびに、少しずつ心を擦り減らしていたのだろう。


 それなのに、私はそのことに気づかなかった。

 気づいてあげられなかった。

 彼のことを一度もあだ名で呼んだことがなかったから、なんてのは大した言い訳にならないだろう。

 好きな人がずっと傷ついていたのに、私は……。

 本当に最低だと思った。


 あのプレゼントは、私の独りよがりだった。

 嫌がらせと言ってしまってもいいかもしれない。

 それなのに私は理不尽に暴力を振るい、謝っても許してやるもんか、なんて筋違いなことを考えていた。


 音沙汰がないのは、彼が本気で怒っているからに違いないかった。

 あの優しい彼が連絡一つ寄越さないほどに。


 謝らなければ。

 悪気はなかったんだと、どうしても伝えたかった。

 でももし拒絶されたらと思うと踏ん切りがつかなかった。


 時間があいてしまったのもよくなかったと思う。

 時間が経てば経つほど、心理的に謝りづらくなるものだ。

 悶々としたまま時は過ぎ、あっという間に春休みが終わってしまう。

 彼が私を訪ねてくることはなく、私もまた、彼に謝りに行くことができなかった。


 高校の入学式の日。

 玄関を出たところで、彼とばったり遭遇した。

 心の準備ができていなかった私は、頭が真っ白になってしまう。

 何度も練習した謝罪の言葉は、咄嗟には出てこなかった。


 彼は今までと何も変わらないように見えた。

 まるで恋愛永樹の下でのいざこざなんて、最初からなかったとでもいうみたいに。

 だから私は、謝ることも言い訳をすることもできなかった。


 彼がそうやっていつものように笑いかけてくれるなら、蒸し返さなくてもいいじゃないか。

 あれは何かの間違いだった。

 もしかしたら悪い夢でも見ていたのかもしれない。

 そう自分に言い聞かせて、これまでと同じように彼と挨拶を交わし、これまでと同じように並んで新しい学校に向かった。


 けれど——なにが変わってしまったんだろう。

 自分でもよくわからない。

 表面からじゃ見えない奥の方で、小さな歯車が空回りしているような、そんな違和感が私たちの間に生じてしまった。


 昔のような心地のいい親密さは見る影もない。

 私は彼を「ハジメ」と呼べなくなった。

 彼も私を「有子」と呼ばなくなった。

 そしてそのまま一年と半年が過ぎてしまう。


 いっそあの時、怒ったり無視してくれていたら……。

 そんなことを、これまで何度考えたことか。


  ♠ ♥ ♣ ♦

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