第27話 お茶会
その扉は、とても質素なものだった。
これまでの意匠の凝らされた豪華な扉とは、まるで趣が違う。
サイズもごく一般的なもので、馴染み深いとすら感じるほどだ。
それが余計に異質さを際立たせていた。
彼は自らを勇気づけるようにふっと短く息を吐くと、扉をノックした。
場違いに感じるほどの軽い響き。
数秒の間があってから、誰かが扉に近づいてくる気配がする。
一体どんな人なのだろう。
千年以上も生きていて、この世界の誰よりも知識を有し、女王様ですら歯向かえない存在。
そもそも本当に人なのだろうか?
そんな疑念を抱く。
緊張が恐怖に変じていく。
かちゃりと、扉が開かれた。
「突然お邪魔して申し訳ありません」
彼が頭を下げる。
私は唖然として反応が遅れてしまった。
彼に肘で突かれ、遅れて頭を下げる。
彼はかしこまった口調のまま続けた。
「あなたにお願いがあってきました。一度私の話を聞いていただけないでしょうか」
扉の隙間から顔を出した女性が、胡乱そうな目で彼を見つめる。
それから私に視線を移した。
レンズ越しの目が大きく見開かれる。
「この子、もしかして」
彼は私を庇うように一歩踏み出した。
「よければ中に入れていただけませんか。落ち着いて話がしたいので」
「……いいでしょう。入りなさい」
ドーム状の広い部屋だった。
天井の大部分がガラス張りで、目が眩むほどに明るい。
ガラスには支柱どころか継ぎ目すらなく、一瞬吹き抜けなのだと勘違いしてしまった。
ペンキで塗ったような雲一つない蒼天が、手が届きそうなほど近く感じられる。
なにより一番驚いたのが——
その部屋は植物に埋もれていたのだ。
観葉植物がたくさん置かれている、なんて話ではない。
アスファルトに咲く花みたいに、床や壁の至る所から植物が自生していた。
天井に届きそうな立派な木や、瞬間移動に失敗してしまったみたいに壁に半ば埋まったものまであった。
まるで自然が人工物を侵食したような——
いや、そうじゃない。
もし本当に自然が人工物を侵食したなら、床が盛り上がったり壁にヒビが入ったり、もっと荒れ果てているはずだ。
でもそんな痕跡はどこにもなかった。
枯葉一つ落ちていない。
自然と人工物がパズルのピースのように、ぴたりと噛み合っている。
その完璧なまでの調和が、かえって不気味だった。
あるいは私がこの世界の住人じゃないから、そう感じるだけだろうか。
部屋の中央には木製の座卓と、それを挟むように革張りの黒いソファが置かれていた。
周囲の壁には間隔がまばらに扉がいくつもある。
調度らしい調度はそれだけだ。
「お茶を入れてくるから、ソファに座って待ってて」
彼女は奥の扉の向こうに姿を消す。
私たちは言われた通りにソファに並んで腰を下ろした。
「あっ」
不意に、彼が声をあげた。
「言い忘れてたんだけど、彼女には触れちゃいけない話題があって」
「結婚と年齢の話でしょ」
私はしれっと言った。
彼は口を半開きにする。
「……なんで、知ってるの?」
「二年四組では常識だよ」
なぜか誇らしげな口調になってしまった。
くすくすと笑い、なるほどと一人で勝手に納得する。
千年なんてのは誇張しすぎだけれど、彼女が私たちよりもずっと長く生きているのは事実だった。
きっと年齢不詳だから、そんなことになってしまったのだろう。
知識をたくさん有していると言うのも職業的に当然のことだろうし、女王様ですら歯向かえないという話も、生徒と教師の関係性を考えると当たり前のことに思えた。
それからふと思い当たる。
「あ、もしかして彼女の役ってジョーカー?」
「……そうだけど」
やっぱり、と私は笑う。
困惑する彼に説明した。
「あの人も、こことは別の世界にいるの。名前は新海真帆でしょ。私たちの担任の先生なんだ」
彼は納得するように、ゆっくりと頷いた。
「やっぱり、君の話は本当なんだね」
「私の話?」
「こことは別の世界の話」
私は意外に思う。
「信じてくれたから、協力してくれてるんじゃないの?」
「ああ、うん。そうだね。そうなんだけど」
奥の部屋から、トレイに陶器製のカップを三つとポットをのせた彼女が戻ってきた。
カップに透き通った赤茶色の液体を注ぎ、私たちの前に置く。
紅茶のいい匂いが漂ってくる。
これはお茶会なのだろうか?
彼女はいつも真帆ちゃんが着ているのと同じ、グレーのパンツスーツ姿だった。
黒縁の眼鏡もそのままだ。
衣装の指定がないからかもしれない。
そういえば王様も制服姿だったなと考えたところで、自分が目の前の女性を冷静に観察できるほど、心に余裕ができていることに気がついた。
気が抜けるのも仕方がない。
どんな恐ろしい存在が待ち受けているのかと怯えていたのだから。
私は安堵の息を漏らす。
それと同時に、ふと不安を覚えた。
なんだろう、胸騒ぎがする。
自分が何を憂いているのか、その答えにたどり着く前に、向かいのソファに腰を下ろした彼女が口を開いた。
「それで、私にお願いっていうのは? いやその前に、その子が誰なのかを教えてもらっても?」
私よりも先に、彼が答えた。
「彼女はアリスです」
「そう。やっぱり、この子があの」
彼女の表情には、戸惑いと怯えが見て取れた。
不安が一層強くなる。
「はい。王様を殺害した張本人です」
彼女が言いよどんだ先を引き取るように、彼ははっきりと言った。
「ですが、殺害の意思があったわけではありません。むしろ彼女は被害者です」
「どういうこと?」
彼はここに至るまでのあらましを説明した。
彼目線で語られる話は新鮮で、私も思わず聞き入ってしまった。
彼の言葉の節々に、私を庇うような響きがあって、胸の奥が少し暖かくなる。
話を聞き終えた彼女は、彼が手渡した脚本を何度も繰り返し眺めていた。
文字を追っていたのは最初だけで、途中からは何かを考えながら機械的に手だけを動かしている様子だった。
「これは、あなたの字なのね」
「はい」
「でも、あなたにはこれを書いた覚えがない。だから彼女の言うことは本当だと」
含みのある言い方に、彼の表情が曇る。
彼女は脚本から顔をあげないまま言った。
「私にはこれが、綿密に練られた計画書のように思えるわ」
彼の顔がさっと青ざめた。
「ち、違います。計画書なんかじゃ」
「私の立場になって考えてみて。王様が殺害され、しばらくして唯一無事だったトランプ兵が、殺害した張本人を連れてやってきたのよ。この世界ははりぼての世界だなんてわけのわからないことを言い、自筆の計画書らしきものを持参して」
彼女はじろりと彼を睨みつけた。
「私には、あなたがこの子と共謀し、王様を殺害したようにしか思えないわ」
私は咄嗟に口を挟もうとした。
それを彼が手で制してくる。
「計画書だというなら、王様や女王様の言葉が書かれてるのはおかしいじゃないですか」
「そこだけあとで付け足したんでしょ」
ジョーカーは脚本の後半部分だけを指で摘まんでみせた。
王様の登場シーンや白うさぎが正体を明かすシーンは、後で付け足されたものだ。
その部分だけが前半に比べて不自然なほど新しい。
「で、ですが、女王様の発言は前のほうにも載っていて」
「そもそも、ここに書かれた通りのやり取りがあったって、誰が証明できるの? 本人たちですら覚えてないんじゃない?」
「それは……」
私はちゃんと覚えている。
何度も繰り返し練習したから。
でも私の証言には、なんの価値もないのだ。
「……王様の字は、どうなるんですか」
「どうにでもなるでしょ、こんなの。癖の強い字だからこそ、真似をするもの簡単そうだし」
「ちゃんと調べてもらえれば、真似じゃないとわかるはずです」
それに、と彼は絞り出すように続けた。
「あなたを騙すつもりなら、こんな信じがたい話はしないでしょう」
「そうね、それは確かに変だと思う」
彼女は鷹揚と頷く。
落ち着いた態度だったけれど、それが私たちへの拒絶感からくるものなのは明らかだった。
「でもね、だからこそおかしいじゃない。なぜあなたは、そんな信じがたい話を信じたの?」
「それは……」
彼は彼女の持つ脚本に視線をやった。
「こんなものだけで? ただ自分のものらしき字で書かれてるってだけじゃない」
「それ以外にも、彼女に見せてもらった映像が……」
立ち稽古の一幕を映した映像は、すでに彼女にも見せていた。
途中でバッテリーが切れてしまったけれど、佳代や私の姿は確かに目にしたはずだ。
「確かに、あれはよくできていたわね」
「よくできていたって……」
彼は声を振るわせる。
「なにを言ってるんですか。あれはどう考えても、作り物なんかじゃ……」
「そこが、私にはわからないのよ」
頭痛を堪えるように、彼女は額に手を当てた。
「どうして世界と映像を天秤にかけて、世界の方が作り物だなんて思うのよ。誰がどう考えたって、作り物なのは映像の方じゃない」
彼女は苦しむように項垂れる。
その悲痛さに呑まれるように、彼は押し黙ってしまった。
やがて彼女は視線だけを上げ、彼を見た。
さっきからずっと、私に一切視線をやらないことが、拒絶感の強さの現れのような気がした。
「仮にあなたが私と違い、すぐに人の話を信じてしまうお人よしだとして、自己犠牲を厭わない根っからの善人だとして、それでも、おかしいわ」
「……どこがですか」
「この子から話を聞く前に、あなたは一度、この子を見逃したのよね。それはなぜ?」
「それは、名前を呼ばれたから……」
「それだけの理由で、王様を殺害した相手を見逃したっていうの? もし露見していたら、あなたはその場で首を刎ねられていてもおかしくなかったのよ?」
ぞっとする。
彼がそれほどの危険を冒していたとは思わなかった。
「話を信じる信じない以前に、話を聞こうと思うこと自体ありえないのよ。名前を呼ばれから、なんて筋が通らないわ。私が納得できる理由を提示してちょうだい」
さもさければ、と彼女は続けた。
「あなたを王様殺害の首謀者として報告するわ」
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